御祓:只今
急いで長田さんに駆け寄る。
制服を着たままだが、頭には白無垢ともウェディングベールともとれる布がかけられていて表情が見えない。でも、ゆっくりと肩が動いている。軽い呼吸はしている。生きている。
長田さんをまとう霧が濃くなった。妖魔の気配も強まる。きっとこの霧が妖魔の一部なのだろう。
憑依型と変化型の混ざりものと片丘さんは評した。妖魔の姿は見えないが、千賀坂の手が震えだしたことからきっと女性にしか見えないのだろう。男の俺には、推測することしかできない。
「千賀坂さん、妖魔の姿はみえている?」
小声で桜が聞く。千賀坂は震えていながらもしっかりとした声音で答える。
「ああ……ヒトに近しい見た目をしている。横になっている。目は閉じているようだが、妖魔は寝るのか?」
「どうなんだろう……神が寝るかどうかじゃないか?」
今回の妖魔は神に変化したものと思われる。神が寝るのかは分からないが、人間のような姿をとっているのなら寝るのかもしれない。
「……とりあえず洗脳型と同じ形式で祓ってみる。朔は千賀坂さんと長田さんをお願い」
桜が御祓の水を取り出す。
俺が見てきたのは全て洗脳型相手だったから、形式はわかる。妖魔が取り憑いた人の周辺に水をまいて、御祓の言葉を唱えて、最後に水を飲むんだ。
「――――――――神に化けたもの――――」
御祓の言葉は聞き取れない。唯一聞き取れた「神に化けたもの」――それが合っていると信じて。
長田さんの横でしゃがみ込み、手を握った。とても冷えていた。
俺は祈りながら御祓が終わるのを待った。それしかできないから。
「――――」
唱え終わった桜が水を飲んだ。
これで終わる――と思いたかった。
「嘘だろ……」
その言葉も謎の咆哮でかき消される。獣に似た、ヒトのような声。ただ確かなことは、妖魔の気配が一層増したことだ。
千賀坂が俺の裾を掴んだ。
「おい、目を開けたぞ――起きてしまったんだ!」
さっきまで無意識的に漂って長田さんにまとわりついていた霧が濃くなったのはそのせいか。妖魔が起きて、意思を持って俺たちを排除しようとしている――!
「桜!」
「分かってる! 考えろ、考えるんだ俺……! 洗脳型ベースじゃダメだったのか? でも憑依型とも言い切れないし、直接妖魔にかけるしかないのか……? でも過去の災害型は……って祓えないまま自然消滅したんだっけ、ああもう……!」
桜がいつになく焦った声で思考を口に出している。
俺も考える。俺も考えることしか、できないんだから――!
「……っ、はあっ……あっ……」
「長田さん……!」
長田さんの呼吸が早くなった。息も荒いというよりは――口の中が気持ち悪い時と同じような呼吸の仕方をしている。
「吐くなら吐け……と言いたいが、この布を外さないとどうにもならないな。気管に詰まってしまう」
千賀坂がなんとか布を外そうとしてくれている。でも一向に外れない。それどころか、掴めてすらいないように見える――。
「――もしかして、桜!」
「どうしたの!」
「御祓の水を貸してくれ――この布も妖魔の霧みたいなもので、ここから長田さんに入りこもうとしているんだ!」
「――わかった!」
桜が御祓の水を空いた方の瓶に半分移しこちらに投げた。なんとかキャッチし、長田さんの呼吸が聞こえるところにあてる。
同時に桜が言葉を唱え出した。
頼む、飲んでくれ――!
「――――――――神に成り損ねた災いよ、退け!」
桜が御祓の言葉を終えたと同時に、嚥下の音が聞こえた。
「ん……ぁ」
長田さんが咳き込んだ。ゆっくりと布が溶けるように消えていって――長田さんの顔が見えた。
「意識を失っている、今のうちに行くぞ!」
千賀坂が声を張り上げる。急いで長田さんを背負う。妖魔を祓ったから、きっとこの空間はもうもたないのだろう。
来た道を駆け抜け、カプセルに乗り込む。鳥居も祠も消えていたから、早く上へ行かないと俺たちも危ないだろう。
「……」
そして乗り込んでから気づいた。
「千賀坂に託せばよかった……」
男女でこのカプセルに入るのはいかがなものか。
それでもおんぶしたまま入れてよかった。乗り込むときにあたふたするのはあまり良くないだろう。
長田さんは咳き込んだままだった。それでもゆっくりと呼吸を整え――いつもよりか細い声音を奏でた。
「きり、の、くん」
「長田さん……」
「私……私。スキー場で変なのが、見えて。ずっと怖くて、バスの中でずっと嫌な声聞こえてて。巻き込みたくなかったから、誰にも、相談できなくて……それで自分で……家に帰るまで待ってって、約束しちゃって……。ほんとうに、ほんとうにごめんなさい。私、私……」
何て声をかけたらいいのか分からない。でもこれだけは伝えなきゃいけないだろう。
「おかえりって言ってくれる人が、待ってるよ」
そう言うと長田さんは息を吸い込み――ふふっと小さく笑った。
「……ただいまって言うまでが修学旅行、だもんねっ」
背中にわずかな湿り気を感じて、ようやく俺たちは息をついた。