結末:名前
「片丘さん、大丈夫ですか?」
片丘さんように取り分けておいたクリスマスクッキーを手に、奥の部屋へ向かう。
片丘さんはソファに横になっていたが、俺に気づくとすぐに体を起こした。
「あ、無理しないでくださいよ。寝たままでいいですから」
「――私にも恥じらいの心はあるのよ新月くん。紅茶を淹れるのだけど、茶葉は何でもいいかしら」
「大丈夫ですけど……」
わかったわ、と片丘さんは言い紅茶を淹れに行った。寝起きだったからか、いつもより頭がぼーっとしているように見えたけど、大丈夫だろうか。
戻ってきた片丘さんは紅茶を一口飲むとカップを置いた。それから俺の顔を見て真面目な顔をする。
「1人ずつ伝えたかったから、鳥月嬢にお願いして高岡とあなたを別々にしてもらったの。今から話すのは大切なことだから、聞き漏らさないで」
「は、はい」
俺もコップを机に戻す。あまりに静かで、自分が唾を飲み込む音以外何もしない。
「私がここに封じられて、出られないことは知っているわよね?」
「はい」
「鳥月嬢からの依頼料――情報なのだけど、私と接触したい人間が2人、それも違う勢力。いるらしいの」
片丘さんと接触したい人間――?
「正直避けたいのだけど、私に関わる大切な話があるそうだから、接触することに決めたわ」
「……じゃあ、ここに来るんですか?」
今いる細い路地と派生した屋敷では、片丘さんの力を最大限に引き出すことができると以前言っていた。それでも、居場所を明かすのはやめておくほうが良いと思う。
「そもそも、人間には片丘さんは見えないのでは?」
「そうよ。この前の猫に変化した妖魔……もっちーみたいな変化型や憑依型以外の妖魔は人間には見えないわ。そこで、新月くんと高岡にお願いしたいの――長野で2人と接触してくれないかしら?」
長野。突然出てきた地名に呆気にとられたがすぐに理由がわかった。修学旅行の行き先だ。
「……わかりました、片丘さん」
「ありがとう、新月くん」
片丘さんはそう言うと、グッと紅茶を飲み干した。俺も口元にコップを運ぶ。紅茶は少しだけぬるくなっていた。
「雪」
片丘さんの声につられ、創られた窓の外を見ると雪が降っているのが見えた。ホワイトクリスマスイブだ。
「雪、好きなんですか?」
「ええ。私が生まれた日、雪が降っていたそうだから」
「誕生日、冬なんですね」
そう返すと、どこか苦い顔をされた。無意識のうちに出た言葉のようだったし、口を滑らせてしまったのだろうか。
「冬は好きよ――ジメジメと暑い、夏に比べたら」
そうごまかすように言葉を返すと、片丘さんはクッキーの封を開けた。
「うん、美味しいわ。ありがとう……いい加減、何かお礼をしないとね」
「いえいえ、気にしないでく――」
ださい、と言う前に「いや待てよ?」と自分に問いかける。
喜んで食べてもらえるのは嬉しい。手作りのお菓子だし、市販品を買うよりは安い。それに調理部としてのスキルアップにもなる。
でも、最初は手土産だった菓子を毎回持って来る自分はどうなんだ?
うーんと悩んでいると、クスクスと笑う声が聞こえた。バッと顔を上げると、今まで見たことのない、片丘さんの柔らかい笑みが目に飛び込んできた。いつもの妖しげな表情ではなく、本当に中学生のようなあどけなさがあった。
「――みつき」
「……え?」
幼い微笑から生まれた、いつもよりも少しだけ甘美な声が、呪いのように刻み込まれた気がする。
「満月。私の――名前よ」
片丘さんからのクリスマスプレゼントは、彼女の名前だった。




