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スタースカイテレスコープ  作者: 桂木 春
1/1

先輩は同級生?!

高校に入学して一ヶ月とすこし。

五月の連休が明けて、大半以上の生徒は学校に出てきて授業を受けるのが億劫に思ってる頃。わたしも例外ではなくて、だらけた雰囲気の中で行われる授業をあくびを噛み殺しながら聞いている。

今日は良く晴れてて暖かい。

窓から差し込む柔らかい陽射しにやられて窓側の何人かは夢の世界へと旅立ってる。わたしも席が窓側だったら旅立ちの誘いを断れなかったかもしれない。


黒板に書き出される文字列はぼやけて、先生の言葉は遠くに聞こえる。

授業を受けてる自分を遠くから見てるような感覚にハッとして頭を振る。

危ない、起きたまま寝てた。

襲いくる睡魔を打ち倒すべく両手で頬をぺちぺちと叩く。打ち倒す、なんて言いつつ痛いのは嫌だから控えめにしておいた。


同級生の背中越しに見る黒板は遠いけど、視力は良いほうだから文字が見えないことはない。けれど、座席の関係と身長的な問題で物理的に視界が遮られているから左右に身体を振って乗り出さないと板書できないのが悩みだったりもする。

今だけはそうすることでなんとか眠らずに済んでるから助かっているわけだけど。


一ヶ月という期間で親友を作るのは無理だってことは短い人生のなかでも、あんまり頭の良くないわたしにだって誰に教わるまでもなく理解できてる。一ヶ月で進む交遊関係なんて、よっぽどのことがない限りせいぜい、席が近い子たちと何となく一緒にいるグループが形成されるくらい。


そんな、何となく一緒にいるようになった子たちと、何となく会話を合わせながら教室を移動する。

四限目の体育は体感時間的に早く過ぎて、お昼休みが近くなる気がするから好き。だけどお腹が空いて力が出ない感じはあんまり好きじゃない。

リズム良く階段を降りて、靴箱でグランドシューズに履き替えてから運動場に出る。運動場をぐるりと囲う樹々はいつの間にか緑が眩しくなった。

窓際は暖かくても、外に出るとまだ少し肌寒い。上だけしかジャージを着て来なかったのは失敗したかもしれないけど、身体を動かせば暑くなるからちょうどいい。はず。

チャイムが鳴ってもおさまらない体育特有のざわつきも先生が笛を鳴らして号令をかければぴたりとやんで、授業が始まった。


ここのところ体育は体力測定ばかりで、待ち時間が長くて暇を持て余してしまう。前回の一キロ走は正直二度とごめんなさいだけど、今回の五十メートル走もできることなら願い下げたい。

バスケットとかバレーとか、球技なら楽しくできるけど、ただ走るだけっていうのはちょっとだけつまらない。

わたしはスポーツが得意なわけでも何でもないから、個人競技よりみんなでわいわいやるほうが楽しいと思う。


出席番号順に走って、タイムを測る。余った時間はもう一度走りたい人が使っていいことになってるから、最初のタイムで満足すれば五十メートル走ったら今日の体育は終了になる。

わたしはもちろん二回走るつもりはない。もう一度走ればタイムが大幅に縮むなんて、そんなのは夢の中だけの話。力いっぱい走ったタイムを信じることにする。単純にもう一度走るのが嫌だっていう本音は美しい建前に隠してしまおう。

番号が早めのわたしは早々に走り終えて、座って他の子が走るのを眺める。笛が鳴って、走って、笛が鳴って、走って。その繰り返しに退屈を覚えて視線を上げれば雲ひとつない青空が綺麗だった。


「あっ」


真っ青な空に浮かぶ白い月。

夜に浮かんでる時の姿とは違って、今にも消えてしまいそうな儚さを孕んだ月は欠けて、半分になっている。


「ね、見て!ほら!月!!」

「え?あー、ほんとだ。昼間でも出るんだね」


胸の奥がじわじわと熱くなって、つい堪えきれなくて一緒に座ってた子に話かけた。

返ってきた反応はまるで氷が溶けて薄くなったオレンジジュースみたい。欠けた月と同じくらい、予想はついてたけど。


みんな星空を見て、綺麗だっていう。

でもただそれだけで。感動はしても、興味関心はくすぐられないらしい。


昼間の月なんて、なかなか見られないのになあ。

こんなに、綺麗なのに。



わたしが通う高校はそれなりに偏差値が高くて、ここら辺では一番校則が緩かったりする。

緩い校則の代わりなのか、部活は全員入部制で帰宅部は許されていない。強制入部制だから緩い校則でも風紀が乱れることがないのか、それはまぁどっちでもいい話だけど。とにかく全員何かしらの部活動に入部しないといけなくて、数ある部活の中からわたしは天文部を選んだ。


部活紹介で紹介されないくらい廃れた、活動しているかも怪しい廃部寸前の天文部にどうして入部したのかというと、理由は単純で明快。星が好きだから。中学には天文部はなかったし。

そんな訳で、わたしは体験入部期間が過ぎるのを待たずに天文部へ入部届けを提出した。


部員数とか、活動内容とか。ろくな説明も聞かずに入部しちゃったわけだけど、顧問の先生が簡単なオリエンテーションをしてくれた時に天文部にはもうひとりだけ部員がいるってことは聞いた。三年生が卒業した後、二年生はいないし、一年生だったその先輩も長期休部することになったからあたしが入部しなかったら本格的に廃部になるところだったらしい。

その先輩は体調不良?家庭の事情?だったか、その辺りの理由で休んでるって聞いていたけど、詳しいことは知らない。というか、面倒なのか気を使っているのかどっちか分からないけど、先生の口から詳しく語られることはなかった。ナイーブな話題だけに興味本位であれこれ聞くのもどうかと思ったし、近々復帰するって聞いてたから本人に直接聞けばいいと軽く流していた。


入部して一ヶ月。たったひとりだった天文部員のわたしは四階の隅にある意外と居心地のいい、こじんまりとした部室をまるで秘密基地みたいに利用してた。

さすがに授業を抜け出して……みたいな使い方はしたことはないけど、ちょっと家に帰りたくない時とか、ひとりで考え事をしたいときとか、そういう時は部活動に関係なく部室に来て静寂の音を聴く。


少数部員の文化部に与えられる部室なんていうのは、使われていない多目的が関の山で…というか部室が与えられてるのが奇跡的なんだけど、階段をのぼりつめた先にある部室に行くまでが少しだけ辛かったりする。

教室は学年別に階数が下がっていくので、一年生は三階に教室が存在する。だから教室から直接部室に行く場合それほどでもないんだけど、放課後の活動をするために一階にある図書室で本を借りてから部室に向かうとなると結構な距離になる。

本を読むだけならわざわざ借りずに図書室で読めばいいだけの話だけど、せっかく部室があるんだから使わなきゃ損という気持ちになるものだ。

消費した体力分、物理的に損してるのはこの際見ないフリをしておく。


天文部の活動の大部分というか、醍醐味というか、それは説明するまでもなく天体観測だし、天体観測は夜にならなきゃできない。

なにが言いたいのかと言うと、天文部には放課後にする活動なんて特段ないってこと。


だからと言って、授業が終わってすぐに帰るわけにも行かない。活動内容が無いにしても、毎日直帰していたのでは見回りをしてる生徒指導の先生から何を言われるか分からない。

活動していない部活は廃部にすると言われてしまう可能性だって、大きすぎるどころか間近に迫ってるわけで、そういう面から考えても、放課後に学校に残る意義はある。


そういうわけで、今日もわたしは授業が終わった後、図書室で星座にまつわるお話の、家に持ち帰るのは少し億劫になるような、ちょっと分厚い本を借りて部室に向かっていた。

ちょうど職員室を通りかかったとき、ひとりの先生と鉢合う。先生の中ではかなり若いほうに分類される、わたしのクラス担任兼天文部の顧問、泉先生だ。


「あ、城崖崎」

「ぅ、はい」


城崖崎。じょうがけざき。ひらがなにしても圧倒的ごつさを放つこの苗字は私の名前にひっついて名簿を威圧している。長いしごついし固そうだし噛みやすいし、呼びづらさはピカイチなこの苗字はあんまり気に入ってないから呼ばれるとほんの少し、顔が引きつってしまう。

わたしの他にこの苗字を使ってる人を見たことがない。つまり呼ばれたのはわたしで、呼ばれたなら立ち止まらないといけない。


「今日、ずっと休部してた織川が復帰するから部室に来いよー。まあ、城崖崎は言わなくても来ると思うけど」


それだけ伝えると手をヒラヒラと振りながら去っていく泉先生は今日もスパッと竹を割って行った。

淡白ながらもユーモアがあって、授業も分かりやすい泉先生は生徒人気が高い。少数部員の、部活的には弱小な天文部の顧問をしているのは大人の事情らしい。


部長不在の天文部だったけど、これからは違う。ふたりでも、ひとりよりはいい。


一緒にたくさん星の話をして。

一緒にたくさんの星を見に行きたい。


うん、楽しみだ。





先に来てるものと思って部室に行ってみれば中はいつもと変わらない静寂が広がっていた。先輩との初の顔合わせにそれなりに緊張しながら叩いた扉だったから若干肩を落としつつ、内心ホッとしたりと忙しい心境でいつも座っている奥の椅子を引いた。

多目的教室という名目だけど、実際には倉庫に近いこの小さな教室は本棚に囲まれていて、真ん中に大きなテーブルがひとつ置かれている。

初めて来たときにテーブルを囲うように置かれていたパイプ椅子はひとつだけ残して片付けた。今は邪魔にならないように畳んで隅に置いてある。


先生と先輩が来るまで手持ち無沙汰だったから借りてきた本を読もうと思って表紙を開く。ページをめくる音と扉が開く音が同時に聞こえて、まるで連動して動いたみたいでどきりと心臓が跳ねた。


「おう、来てるな」


豪快に開かれた扉の音に驚いて肩を震わせたわたしに悪びれもなくやってきた先生に文句のひとつでも言ってやろうかと思ったけど、「織川、入れ」って促されて先生の後ろから出てきた先輩を見て文句は飲み込んでおくことにした。


ぴょんぴょんと跳ねた短い髪の毛はパーマか寝癖のどっちかだと思うけど、あまりにも無造作なそれはたぶん、寝癖だろうと思う。

髪の色は少し色素が薄い。隠れてない耳に空いてる穴を見た感じ、染めてるのかもしれない。ついでに言うと目も肌も色素が薄いらしくて、全体的に白い印象を受ける。

線が細くて背が高いから、道で肩とかぶつけられたら折れてしまうんじゃないかって余計な心配をしてしまう。

気怠げに、半分閉じられたような瞳はそれでも大きくて、まつげだって長くて神様がいるならその不平等さに嘆きたくなる。


背が高いって言うのは別にあたしの背が特別に低いってわけじゃない。

あたしだってあと二センチ伸びれば大台に乗るし。高校生の間にまだまだぐんぐん伸びる予定なの。

だからそんな、ちんちくりんなものを見る目はやめてほしい。


「織川だ。教室に来ないで保健室にいたところを確保した。こっちは城崖崎。そんじゃあ部員ふたり、仲良くやれよ」


簡単な、それから無理矢理で投げやりな紹介をしたあと、泉先生は部室を出て行ってしまった。

教室に来ないで?保健室?

泉先生の言葉の端々に疑問が浮かぶけど、とりあえず今は挨拶が先、かな。


「えーっと、城崖崎、です。これからよろしくお願いします、織川先輩」


ポツンと残されたあと何となく気まずい雰囲気が流れてて、振り払うように声をかけた。部室に来てから初めて出した声は思ったよりも喉にはりついてスムーズにでてくれなかった。

動揺が声色に出てしまって余計に空気が重くなったかもしれない。

体感的に長く感じた、だけど多分一瞬だった沈黙の後に先輩が口を開く。


「先輩じゃない」

「へ?」

「同級生、だから」


同級生?え?

わけがわからなくて頭の中が疑問符でいっぱいになる。

だって今年は一年生は赤、二年生は青、三年生は緑と学年別に色分けされているわたしのネクタイは赤で、織川先輩のは青だ。三色をローテーションしているから、入学時に決められた学年カラーと三年間付き合っていくことになる。つまり青いネクタイをつけているということは二年生で間違いなくて、わたしと同級生っていうのはおかしい。


「や、でもネクタイ…」

「ああ、これ?赤のネクタイ間に合わなくて」

「間に合わな…?お下がりか何かですか?いやでもそれはおかしい…」

「ん?私のだよ?」

「え?先輩のネクタイって青ですよね?」

「そうだけど」

「んん…?」

「今年からは赤」

「あの、すみません。話に全然ついていけてないんですけど…」

「あれ?先生から聞いてなかった?教室、隣の席ずっと空いてたでしょ」


隣の席…そうだ、入学してからずっと空いていた入り口側の一番後ろの席。

目立たない席だっていうこともあってクラスのみんなが話題にすることもなくて、あたしの認識も空席はだんだんと景色と同化していった。


「聞いてたような…?でも、詳しくは…」

「あー、気を使ってもらったのかな。私一年の時、ちょっと休んでて。進級はできるように合わせてたんだけど入院が長引いたり、色々あって」

「入院?!」

「そんな大したことじゃないよ。それで、出席日数が足りなくて」

「も、もう一回、一年生を?」

「うん、そう。ネクタイはね、売店にあるって聞いてたんだけど売り切れてて買えなかった。けど、まあいいかなって」


簡単に言えば先輩は何かしらの病気をしていて、その治療のために長期に渡って学校をお休みしていたらしい。

留年してしまうほどの期間を休まなくちゃいけなくて、さらに四月から一ヶ月も学校に顔を出せないって、それは、大丈夫なのかなって、心配だったり不安だったり、ちょっと鼻がつんとしてしまったのが顔に出てしまった。


「そんな顔しないでよ。もう、大丈夫だから」

「ぁ、すみません…」

「県外の病院に行ってたってのもあるしね。…休んでるときに送ってもらったプリントの中に座席表も入っててさ、隣の子すごい名前だなーって思ってたんだよね」

「あ、あー…ですよね、すごい名前ですよね」

「うん。まさか同じ部活に入るとは思わなかったけど。…改めて、織川詩です。明日からは多分…学校行く…と思うから。お隣さん、よろしくね」

「城崖崎仁葉、です。こちらこそ、よろしく、お願いします」

「じょーがけざきふたば…ね。うん、覚えた」


名字も名前も、難しくてあんまり好きじゃないけど、覚えてもらうことに関しては役に立つ。わたしも城崖崎なんて名字の人がいたら覚えてしまうと思うし、こういう時は便利だなって、相変わらず現金である。


わたしと、もうひとり。

たったふたりで構成された天文部員。

先輩だけど、先輩じゃない。

同級生だと言われても青いネクタイが目についてしまう。

青いネクタイだけじゃなくて、言葉にするのは難しいけど…纏うオーラだとか、漂う雰囲気だとか。大人になってしまえば一年の差なんて、大したことないんだろう。だけどわたしたち高校生にとっての一年は大きくて、そして、絶対に追いつけないものだ。

対面して感じる大人びた空気はあたし達一年生にはない、間違いなく先輩のものだった。


やっぱり、先輩は日向に寝転ぶ猫みたいに気怠げで眠たそう。屈んで消された身長差。半分閉じられたような眼でじっと見つめられてすこし困惑してしまう。


「わたしの顔、なんかついてます?」

「ん、いや…昔の知り合いに似てたような気がして。うん、なんでもない」

「はあ…」

「誰かに似てるとかって、言われたりする?」

「ない、ですかね。ないです」

「そっか。…じゃあ、私は帰るね」

「え?!」

「ん?」

「部活は?!」

「今したよ?自己紹介」

「いやいやいやいや!もっと星の話とか…!」

「あー…、ほら。うちの高校、全員何かしらの部活に入部しないといけないでしょ?幽霊できるの、天文部だけだったから」

「え」

「星のことも、何にも知らないし」

「ええええええええー!!」

「というわけで」


またね。

肩にかけてたスクールバッグをおろすこともなく、去って行く"先輩"。

ガラガラと扉を閉める年季の入った音がただただ、わたしの耳の奥で響いていた。



挿絵(By みてみん)



「あれ…朝…?」


結局あの後、ひとり取り残された部室でひたすら佇んでた。開いた口は塞がらなかったし、いろんなことが一度に起こると私の思考は情報処理が追いつかなくて停止してしまうらしい。さすがに本を読む気にもならなくてふらふらと帰宅した。何を思ったのか持って帰ってきてしまった図書室の本は重たかったし、持って帰ってから気がつく有様。ちなみに家では開いてすらいない。


お母さんから「あんたどうしたの」って何回聞かれたかな。夕飯が何だったかよく覚えてない。確かハンバーグか肉じゃがか、どっちかだったと思う。どっちも違うかもしれない。

お風呂に入った記憶もないけど、髪の毛が少しだけ湿ってるところを見るとちゃんと入ったらしい。ついでに言うと口の中からミントの味がするから歯磨きもしてからベッドに入ったようで、自分の優秀さを感じている。嘘です。習慣ってすごいなって、改めて思ってます、はい。

電気を消して寝る体制に入ってからも寝付けなくて、右に左にごろごろごろごろ寝返りを打っては時間だけが過ぎた。


隣の子はどんな子なんだろう。なんてことは、入学してすぐの頃はずっと気になっていた。仲良くなれるかな、とか、途中から登校してクラスに馴染めるのかなとか、余計な心配をしたりも、してた。

一日が過ぎる度に空白は景色になっていった。意識の外に追いやられて気にしなくなった。そうして一ヶ月が過ぎたある日、部活に復帰した先輩がお隣さんだと聞かされて死角から殴られたみたいな衝撃を受けた。絶対にあり得ないってほどのことじゃないけれど、こんなに身近にあるとも思ってなかった。


"先輩"が"同級生"になるなんてこと。


話すときって敬語のほうがいいのかな。でも同級生だし……。敬語でもタメ口でも気を使わせそう……というかすでにわたしが気を使ってる、よね。そういえば織川先輩、背高かったな……ずるい。いやそれは関係なくてっていうかすごい眠たそうだったのはなんだろ、寝てないのかな。夜更かしするタイプ?それともまだ体調が悪いとか……保健室に行ってたって泉先生言ってたし。気になること、たくさんあるけど聞いていいのかな。そうだ、部活のときに……って、先輩部活来てくれるの?!あの感じだと来ない気がしてならない!幽霊でも部員は部員なんだし、そもそも先輩が部長なんだし参加してもらわないと。幽霊だめ、絶対に、だ!

……あ、れ。もしかして織川先輩が学校に来るってことはずっと空いてた隣の席が埋まるってこと?だよね、確実に。

う、わーーー。なんだろ、なんだかそわそわする。そわそわする!なんでかわかんないけどそわそわする!しかもあの先輩が隣って……昨日の今日でどんな顔で会えばいいんだろう……何を話せばいいんだろう……。いや普通に話したらいいんだけどなんかこう……気を使わせたくなくて、気を使ってるこの悪循環。


なんていうことをぐるぐる考えているうちに沈んでいた太陽が顔を出したらしい。日を追うごとに日が落ちるのが遅くなって、早く日が登る。じわじわと夜の世界が短くなって、夏がやってくる。


「ふわぁあ……」


今日は早いのね、なんていうお母さんの言葉を背中で受けて家を出る。

すっかり朝になってから迎えた睡魔さんに挨拶を交わすと絶対に起きられない自信があったから早々にベッドを抜け出して学校に行くことにした。


お家から高校まで歩いて行けないほど遠いわけじゃないけど、歩いて行くとそれなりに時間がかかるし、自転車もあまり乗る機会がないのもあって中学生の時にパンクして以来そのまま放置されている。自転車を修理してもよかったけど長い長い坂の上に位置する高校に自転車で通学する気には到底慣れない。だからわたしはバス通学という手段をとっている。


噂によれば都会のバスは本数が多くてひっきりなしにバス停にやってくるらしい。すごい。考えられない。

わたしの住んでいるところは当然そんなことがあるわけがなく、一本逃すと泣きたくなってしまう。次のバスを待つより歩いて帰るほうが早かったりする。

つまるところ、今から学校に行こうと思っても、バスが出ていない。まあバスで行くと早すぎるのは確かだから、時間潰し兼運動不足解消ということで歩いて行くことにする。いつもバスで通ってる道を歩くのはなんか変な感じだ。


歩いてみて分かったけど、早朝に歩くというのは気持ちがいい。毎日しようとは思わないけど、たまにならいいかもしれない。

人も車も少ない道を歩いて、朝の涼しい風を吸ってちょっとだけ気分が良くなって睡魔のけむりが晴れていく気がする。

塀の上で気持ち良さそうに寝ている猫を見かけて頭を撫でてみたら、ゴロゴロと喉を鳴らして甘えてきた。かわいいなーって耳の付け根をわしゃわしゃと撫でくり回してたら目が覚めたのか起き上がって去っていく。

わたしの背よりも少し高いブロック塀からしなやかに飛び降りる姿を見て猫ってすごいなぁと感心した。


去っていく前に大きく伸びをして、わたしの方を振り向いた猫の目が、昨日の織川先輩の目に似ていた気がしてみぞおちの奥の方がぎゅんってした。


とりあえず学校に着くまでにまだ時間はあるし、着いてからだって先輩が来るまでに少し余裕があるはず。それまでになんとか心の準備を済ませてしまおう。

クラスメイトと会うのに心の準備って変だなあって内心で苦笑してしまう。どんな事情があるにしろ、留年って軽く流せない事案だと思う。先輩は気にしてる風でもなかったけれど、一年って長いようで短いようで長いから。

友達とだって一年という壁に隔てられるし、遅れているという劣等感だってわたしなら感じてしまうかも。理由によるかもしれないけど、進学や就職に影響するかもしれない。

もし、わたしが単位が取れなくて留年しようものなら母から雷どころじゃないモノが落とされて次の日の朝日を拝めないだろう。先輩の場合は違うけど。


それくらいわたしの中では留年というのは大変なことで、だからこそ気を使ってしまう。それが失礼だと分かっていながら、だ。

席が隣じゃなかったら、同じ天文部員じゃなかったら関わることもなかったかもしれない。

けれど、顔を合わせて言葉を交わしてしまった。それにやっぱり、幽霊ができるからって理由でも天文部を選んで、同じ場所にいるんだから仲良くしたいっていうのもある。

星のこと、何も知らないなら教えてあげたいっていうか、もしかしたら星に興味を持ってくれるかもしれないって下心的な気持ちがお腹の中に巣を作ってる。

半分閉じられた瞳の奥にキラキラ輝く星が隠れているんじゃないかって都合のいい解釈までしてる。でも、あながち間違いだとも思ってない。確信なんてないし、第六感というか、本当に、何と無くだけれど。先輩は他の人と違う気がした。違う気がすると思いたい。


「この坂、思ったよりきつい…」


心臓破りの坂だと運動部を中心に呼ばれてる、学校に行くまでに必ず通らなければいけないこの坂を初めて歩いてるわけだけど、なるほどこれは心臓も破れる。

歩いてても心臓がばくばくいいだすのは決してわたしの運動不足だけが原因じゃない。自転車通学にしなくてよかったと心の底から思った瞬間だった。朝早くなかったら汗をかいてたかも。


「んひーーー、ついた…二度と歩いては学校行かない…」


長い長い坂を乗り越えて、ひとりごちた後に靴を履き替えて教室に向かった。ここからさらに三階まで階段を上がる苦行をようやく乗り越えて教室にが見えてきたところで気がついた。


教室の鍵、持ってきてない。


ああああやってしまった……。一番に来た人がいつも教室を開けているらしいということは知っていたけど、当然一番に登校したことなんてなくて、いつもの習慣で職員室に寄らずそのまま教室に来てしまった。

今からまた一階まで降りて戻ってくる気力はない。体力も。他の子が来るまで教室の前で待っていようかなって思ったけど、どれくらい待つことになるのだろうかと携帯の時計を見てため息が漏れた。

なんだか今日はうまくいかないなって思いながら、一応、念のため教室の前後のドアが空いてないか確認することにした。まずは近い方なら。つまり後ろのドアに手をかけて横にスライドする。グッと力を入れても抵抗があって開かない。うん、鍵がかかってる。

前のドアも空いていないんだろうから、このまま職員室に戻ってもいい。でも数歩の距離だし、ここまで来たら確認してからにしようと歩を進める。

さっきの抵抗感を思い出しながら、同じように手をかけて力を入れたら予想していたのとは逆にすんなりドアが開いてびっくりした。

誰か先に来てるのかな。それとも昨日の日直が鍵を閉め忘れた?しんと静まり返った教室に人の気配はない。なんにせよ助かった。危うく無駄に体力を削るところだった。

教室に足を踏み入れたとき、時間を確認したあとバッグに入れずにブレザーのポケットに落としておいた携帯がブルブルと震えだす。自分の席に向かいながら携帯を取り出したら、起きる時間を示すアラームが画面に表示されてた。家を出るときマナーモードに設定を変えておいたけどアラームのことはすっかり忘れていた。画面をスライドしてロックを解除したあと、アラームを止めてからバッグを机の上に置く。それから椅子を引いて座って、バッグを枕代わりにして机に突っ伏した。本来なら今頃起きてる時間なのに、と思うと疲労感が凄まじい。まだ授業すら始まっていないのに。

ぐいーっと、今朝見た猫みたいに背伸びをしてとりあえず一息つく。バッグの中に詰め込まれた教科書たちを引っ張り出して机の中に移していく。クラスメイトの中には置き勉していく子もいるけど、わたしはとりあえず持って帰ることにしている。何かと課題が出るから持って帰らざるを得ないと思うんだけど、置き勉している子たちはどうしてるのかな。そういえば授業前に大騒ぎしてノートを借りている子もいた気がする。

そうだ、後ろのドアの鍵を開けておかないと。もしかしたら次に来る子も私と同じ過ちをおかすかもしれない。

立ち上がって視線を右に、後ろのドアに持っていく途中で人影が視界に入る。え、ちょっとまって。


右から一列目の一番後ろ。つまり私の席の右隣。入学してから一ヶ月とすこしの間空白だったその席に、その人はいた。


「おり、かわせんぱい……?……寝てる…?」


まったく気配が感じられなかった織川先輩は両腕を枕にして気持ち良さそうに寝てた。寝息すら聞こえないほど静かだから本当に寝ているのか、もしかしたら息をしてないんじゃないかと思ったけど、ゆっくり肩が上下してるところを見ると息はしているらしい。


もちろん勝手にではあるけど、織川先輩のことで散々気を揉んで夜を明かした身としては心の準備が整う前に本人を目の前にしてしまったとか、その本人は私がぐるぐる頭を回していることなんか露知らずこんなに朝早くに学校に来て寝入っているとか、睡眠不足でいつもより少し馬鹿になってる頭は考えることを放棄してなんだか笑えてきた。


うんうん。わたしらしくないな。

頭で考えるのはやめた。

先輩が起きたらまずはおはようから、始めよう。






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