最終章 世界最期の日(三)
「奥方がお迎えにいらしてるわよ」
目を擦ると、金剛が腕組みして立っていた。いつものつんと澄ました態度。もう西日はない。身体を起こして、窓の外がとっぷり暮れているのを確認した。
ん? そういえば。
「誰が迎えに来ているって?」
俺はぽりぽり頭を掻いて大きく欠伸する。準備室に現れたスターと目が合って顎が外れそうになった。
「シスターか」
彼女があまりいい顔をしていないのがわかる。金剛までもが、ぷいと背を向けて奥に引っ込んでしまった。
なんだ?
□ □ □
俺は、シスターに手を引かれるようにして、てくてくと夜空の下を歩く。もう寮の門限には間に合わないだろう。どうせなら、あのまま準備室で眠り続けたかった。
学院の敷地内に設けられた寮棟は、両脇を木々に囲われた遊歩道の先にある。女ふたり並んで歩けるほどしか幅はないが朝になると運動部のジョギングコースとしても使われていた。
男子寮の共用玄関の前を通過して、なおも歩く。
毎度思うが女子寮の遠さには滅入ってしまう。学院の最北に位置する女の園は教室のある学校舎から軽く五キロある。とくに朝、遅刻ぎりぎりで走ろうという気が失せるのは問題だ。自転車の使用くらいは許可していいと思うが、どうしたものか。
俺は怒りにまかせて下駄をガコンガコン鳴らして急ぐ。今日は、虫の音もうるさく思えるほど静かな夜だった。ふたりは無言のまま、ただ足を動かしている。どちらから話そうともしなかった。
夜も蒸し暑さは続き時折熱風が吹く。
彼女のベールが風にあおられ大きく舞い上がった。細い首筋に光る汗の玉。月が青く白く美しいうなじを照らす。俺のもうひとつの悩み、これは彼女である。近頃、ふたりの間に小さな溝を感じるようになった。確か俺が金剛の手伝いをはじめたころからだったと思う。とくに、畔上の件があってからは今まで以上に彼女が俺に干渉するようになった。他人に世話を焼くことが彼女の長所だと分かっているつもりだが人に心配されることに不慣れな分、俺には戸惑いの方が大きい。
腕に彼女の爪が食い込む。この手を払いたいと思うようになったのは。居心地を悪くしてしまったのは。俺から。
沈黙を破ったのは彼女だった。独り言のようにも聞こえる。
「美麗さん、私何かしましたか」
シスターが歩みを止めた。前方を見据えたまま、振り返ることはしないようだ。修道服から伸びる手はまだ俺を捕らえている。
「……」
立ち尽くすしかなかった。どうすればいい。俺に構うなとでも叫ぶのか。
「悪い、シスター。俺、やっぱり、あいつのところに戻るよ」
嘘のように簡単に俺は彼女の手をするりと解く。
「あいつ?」
「魔女の金剛だよ。ほっとけないんだ。あいつ、今、妙に思いつめてるから」
さっと身体を返して片足を上げた俺に突然シスターが飛びかかる勢いで背中に抱き付いた。
なんだ。どうした。
一瞬バランスを崩しかけるが男の根性でなんとか持ちこたえる。彼女は、両腕を俺の腰に廻して、セーラー服を掴んで離そうとしなかった。彼女の十字架がじゃらりと音を立てる。
「いやっ、行かないで」
!?
驚かせるなよ。女みたいな声出しやがって。
俺は、動揺を鎮めるためにも、ちょうど近くの小さな溜池を眺めていた。水面にふたりの姿を映し出している。セーラー服の中学生と同い年の修道女。そうだな、あと蛍なんかあればいい。俺の金髪と下駄を踏まえた上でも、ゲームのムービーシーンなら、とても美しい絵になるだろうよ。
「怖いのは彼女だけじゃないわ」
シスターの体熱で一度引いた汗がまたじわりと背中を広がりはじめていた。
「どうしたよ、シスター?」
「彼女と違って私には確信があるから」
シスターは、ごくりと唾をのみ。俺もつられて、喉を上下させた。
「田中くん。私はこの世界がコンピュータゲームであることを知っているの」
俺の脳が次から次から湧き上がる疑問で膨れ上がる。
「ちょっちょっと待ってくれ。シスター」
俺はとっさに腰の重りを外そうとするがぴくりともしない。彼女は構わず俺の背に頬を寄せてしゃべり続けた。
「この世界は守り神の眠る教会を中心にマリオネット学院内だけで構築されています」
おいおい。
「ここは、中村くんの人工知能を完成させるために作られた試作品の保管場所」
待て待て。
「この世界のキャラクターたちは全世界から収集されたDNAサンプルです」
「頭がついてかねぇんだが。じゃあ何か。学院のやつらみんな正真正銘の人間だってことか」
「人口知能を人間と定義するなら、そうですね」
中村が俺のデーターを欲しがっていたのは、このことか。
「それにつけてもシスター、よほど、この世界について詳しいようだが? 聞かせてくれ、どうして俺の本名を知っているのか」
「そうね。私が専門学校であなたにインタビューしたことを覚えていてくれたらいいのだけれど」
え。
「私は、≪世界最期の日≫が大賞とったことを覚えています。キャラクター設定から何から読ませてもらいましたから」
長い廊下。けだるい教室。文字の禿げたキーボード。記憶が色づきはじめる。
「……三鈴さん? あの三鈴さん!」
同級生のインタビュア。当時学内コンペの実行委に携わっていた。
「どうして、きみがここに居るの!」
「残念だけれどそれは覚えていないの。気付いたら、この世界に居て当たり前のように過ごしていたわ。でも、あるとき、ふとデジャヴに襲われて……」
「シナリオを知っていたから?」
「そう。おそらく他の住人たちは、この塀の向こうに別世界が広がっているとは、つゆにも思っていないでしょう。誰も夢の中を生きるように与えられた記憶と環境を疑いもせず永延と学園生活を過ごしています」
「少しずつ見えてきたよ。ただよく俺だとわかったね。このなりで」
俺は自身の頭上からぴょんと跳ねる二本の尻尾を引っ張った。
「守り神はすべてをご存じです。というのも、教会の女神像はこの世界を支えるメインコンピューター。その気になれば現在ゲーム上で起きていることくらいは把握できるというわけ。この空間は今、電話回線を介して都内の総合病院に繋がっています」
「それが俺だっていうのか?」
彼女が背中でうなずくのがわかった。
心臓がうずく。俺、本当に生きているんだな。
「でも、そんなものなくても、きっと私にはあなただと分かりましたよ。言葉にはできないけれど、なにかそういうものが働くことがあるでしょう」
彼女が思いきり腕を食い込ませた。それは息苦しさを感じるほど。
パーソナルコンピューターゲーム『世界最期の日』……不完全な世界観や操作性を一切無視したゲームシステムに関わらずこのタイトルが大賞にまで登りつめたのは当時賛否を問うたエンディングにあるといわれている。
プレイヤはカミサマとの最終決戦のさ中、後一歩というところでメッセージウィンドウを目撃することになる。
【カミサマを倒し未来を変えたくば現実世界を攻略しろ】
画面はそのままフリーズ。バグを疑ったプレイヤはゲーム画面を閉じ再起動することになるだろう。だが、すでにセーブデータは抹消されており、ニューゲームをはじめることすらかなわない。このデータは、一度しか遊ぶことができないのだ。しかも、ラスボスを倒すことができないという、なんともな仕様である。
強いメッセージ性を評価する声があるなか、商品価値は見いだされず歴代の大賞受賞作品で唯一、企業に見向きもされなかったという伝説のタイトルである。この受賞がきっかけで、俺の就職が困難を極めたと言っても過言ない。
原作の通りなら俺はゲームをクリアすることで元の世界に戻れるということになる。だが、もしそうならキャラクターもろとも全データは消滅するだろう。行き場のない住人たちからすれば、世界の最期日となるわけだ。シスターに戻る身体がないなら彼女にとっても同じこと。
「そうか。俺に付きまとうのはエンディングに到達させないためだったのか……」
言葉にするつもりはなかったのに、気付けば、ため息のように吐き出していた。
「え」
俺は、彼女を突き飛ばし闇のなかに駆け出した。
頭が廻らない。俺は救世主どころか、恐怖の大王ではないか。
すべてには終わりがある。命ある者には必ず死がやってくるように。
俺はひた走る。
(この世界が)
風が耳先を切る。地面の振動が脚から全身に伝わり頭の先を突き抜けた。
(彼女が)
身体中の血が沸騰する。視界が霞み出した。息ができない。酸素。酸素をくれ。
(俺が)
呼吸が、心臓が、思考が、暴れ出す。
(俺ガ、コノ世界ヲ殺スノカ)
お読みいただきありがとうございます。
【謝罪】
もし、わたくしのブログからアクセスくださっている方がいらっしゃいましたら、ここでお詫びします。三日連続更新しますとうたっておきながら、昨日投稿できませんでした。
今後、急な変更や連絡事項がある場合は、できるだけ”なろう”内設置の活動報告ブログにて報告するようにします。
そこまで気に掛けられている小説ではなかろうと思いますが、念のため。
今後も、よろしくお願い申し上げます。




