第四章 クレイジー・アバウト・ユー 夢うつつ(後編)
彼は、おちょこほどのグラスでテキーラを口に含む。
「おい」
俺は、肘で中村の脇腹をついた。
「これだから、田中は。目に見えるものがすべてじゃないさ。ぼくもきみと同じだけ歳をとったんだ。もう二十七歳。立派な大人さ」
その姿はどこからどう見ても地下鉄で別れた十九歳のあの日のままである。彼はVネックの半袖シャツから若々しい引き締まった二の腕をさらして、ふっと笑みをこぼした。懐かしいえくぼが、俺の時間を巻きもどしていく。
「みょうちくりんだが嬉しいよ。こうやって、お前と一緒に酒を酌み交わすのが夢だったからな。そういえば、もし、今度、顔を合わせることがあったら、プロレス技のひとつでもかけてやろうと思っていたのに、いざ、お前の顔を見たら、失せちまった」
「それはよかった」
俺たちは、それから、しばらく、無邪気な笑い声を店内に響かせていた。マスターは気を利かせて、黙々とひとりグラスを磨き続ける。サックスの音源がふたりの再会を祝福しているように思えた。今日は、なんてすばらしい日だろう。俺は、顎の痛みに気付いて、久しく笑っていないことを思い出した。
「中村。ひとつ聞いてもいいか」
俺が声を落としたので、中村は、たたずまいを正すように座りなおす。
「だめだと言っても、聞かないでしょう」
「……俺に何かできたと思えねえ。無責任に生きろという言葉ほど残酷なものはないだろう。でもな、どうしても、これだけ聞きたかった。俺は、お前のなんだったんだ」
「ぼくは一度だってさようならとは言ったことがない。現にまた会えたじゃないか」
中村は俺の納得しない様子を悟って言葉を選びなおした。
「きみはぼくにとって唯一大切な人だよ。それに、ぼくは、もう一度きみに会えることを確信していたから。シナリオを欲しがったのは、逃げるためじゃない。新世界の神になるためだ」
「お前もこの八年、碌な過ごし方してないな」
彼は、俺の言葉など耳に入っていないとばかり身をのりだして、頬を高揚させる。
「チュートリアルの感想を聞かせてくれ! 俺たちはもう何者にも縛られることはない。手を組もう、田中。きみが主人公、ぼくが神だ」
なにを間抜けたことを言っている。彼は変り者ではあったが、こんなことを言う奴ではなかった。正面の純真な瞳に、全身が粟立つ。これは俺の知っている中村か。
「田中。ぼくのことを怨霊とかロボットだとかいう無知な者もいる。だが、きみなら分かるはず。ぼくは、ゲーム≪世界最期の日≫に組み込まれ成長した人工知能、中村唯人だ。この世界でぼくは創造主であり、そしてぼく自身を作ったのもぼくである」
一分、いや三分か。俺は、ぽかりと口を開け、あほな顔で彼をまじまじと見つめていた。屈託のない笑顔。血色のいい肌。空気を伝う体温。
「人間の脳を科学の力で構築できるのは知っているだろう。複雑に見える恋心も、どうってことない電子回路なのさ。ぼくは、自分で考え成長し続けてきた。きみと同じだね」
「わかった。俺もいくらか小説を読んだことはあるよ。映画も観た。でもな、リアリティに欠けるんだよ。お前が人工知能なら、隣に座っている俺はなんだ。俺もお前の創作物なのか。そもそも、ここはどこだ」
彼は、ふんと鼻先で笑うようにする。人を小馬鹿にする態度。
「天国でないことは確かだね。ぼくたちは今バーチャルリアリティーにいる」
俺は、大理石のカウンターテーブルに両腕をおき指先を交差した。テーブルに面した皮膚には、じんと冷たさが伝わる。部屋にもう音楽はなく、マスターが皿を磨く効果音があるだけ。
「俺は死んでないのか」
「ああ」
ゲームの世界にログインして気がかりだったことがある。誰にも聞けずに考えないことにしていた。交差点にトラックが入ってきた後、自分はどうなったか。
「おい、俺の身体はまだ存在するのか」
「ああ、集中治療室で横になっているよ。それを俺がジャックしたのさ。嬉しいかい? 戻る身体があって」
「お前は、俺が生きていて嬉しくなさそうだな」
「チュートリアル中のきみのデータを解析しながら、不思議に思っていたんだよ。あの人生のどこに帰りたい要素があるんだい」
言葉に詰まる。元の世界に比べて、中村のゲーム世界はなんて魅力的なのだろう。俺には人知を超えた能力があり、寮には母親のようなシスターが待っていて、絶対神の友人が俺を必要としている。はっとした。そうだ。彼は自分を神という。
「……畔上七子。お前ならあいつの運命を変えることができる!」
ぞくりとした。初めて見る俺の知らない中村の鋭い横顔。
当初、畔上の死は、ゲームの設定上、キャラクターを蘇らせる方法がないことをプレイヤーに知らしめる演出のために使われた。
「やけに、入れ込んでいるようだね。たかだか、モブキャラに」
「ここは、コントローラを連打するゲームとは違う。血の匂いも、肉を裂く衝撃も本物にしか思えない。あれがドットで作られたキャラクターと頭でわかっていても、みすみす目の前で見殺しにしたら、それはもう人殺しじゃないか」
「神の仕事はシナリオの通りに運命を運ぶことだ」
「そのためなら、個人はどうなってもいいのかよ。俺も、お前の駒のひとつになれってか。なら、元の世界と何も変わらないだろう」
彼は、身体をこちらに向けて座りなおし、射抜くような眼差しを投げかけた。
「ぼくは狂おしいほど、きみがほしい。きみのデータをもってぼくの世界は完成する。最後のチャンスだよ。一緒に来ないか」
「それは自分の肉体を捨てろということか」
彼は答えなかった。
「どうやら、話は決裂したようだ」
中村はそう言って、マスターから受け取ったコートを素早く羽織りドアの前に立った。背中を向けたまま動かないでいる。
「美麗君、答えはいつも自分の中に存在するとは限らない」
彼は振り向きざま指を弾くようにして何かを投げる。それは弧を描いて俺の手元に届けられた。ライトに反射してきらりと光る。手のひらには、親指ほどの美しい銀の弾丸。
「ひとりでは解決できないという意味さ。僕が情けのある人間である証拠にそれを残していく」
――王子。こいつ、俺をずっと近くで見張っていたのか。
バーの扉が彼を隠してしまうまで俺はずっとその小さくなる後姿を眺めていた。かちりとドアの閉まる音がして、俺はカウンターに向き直ろうとする。ところが、壁の継ぎ目にぼんやり灯りが差し込んでいるのを見つけて、半端な体制で注意を向けた。ん? 光は一層強さを増し、あちらこちらに飛散する。懐中電灯を向けられたような熱をくらったと思ったその時、壁一面が閃光と共に暴発、白い光の中から金剛まみが勢いよく飛び出した。俺は、彼女の頭を腹で受け止め、丸椅子から転げ落ちて地面に叩きつけられる。次々にボトルの割れる音が続いた。
「痛てぇ」
乱暴に頭をかきながら、上半身を起こして、自分のツインテールに気付いた。
見渡すと、今まで座っていたカウンターも、マスターも姿を消している。いや、店ごと夢のようにきれいさっぱりなくなっていた。
ここは、紛れもない実験教室。ゲーム再開か。
お読みくださりありがとうございます。ブックマークしてくださる方がじわりじわりと増えているようで、作者として、冷や汗いえ、とても喜ばしいことでございます。
ちなみに、前回申しておりましたパソコンの不具合についてここで触れておきますと、なんとか文章ソフトは使えそうなので、一安心というところです。
最後に、前回に引き続き、(夢うつつ編)だけは、長引かせてはいけない! という感情にまかせて、私にしては、大急ぎで執筆した回です。丁寧に作り込みたかったという後悔と、どこまで読者様に伝わったかという不安はありますが、この物語は中村くんと田中くんの話であると知っていただけましたら、この時点では十分です。←本文外で補足するなよ、自分(´・ω・`)




