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7 (終)

 翌日、梨歌はそわそわしながら、家の前で雪乃を待っていた。

 何度も鞄の中身を確かめて、安心したようにため息をつく。

 そんな様子を遠くから見ていた雪乃は不思議そうに首を傾げた。


「おはよ、梨歌」

「雪乃、おはよう」

「今日はやけに早いじゃない。何かあるの?」

「な、何にもないよ!」


 ほら早く行こう、と梨歌は顔をほんのり赤くしながら、雪乃を促した。

 雪乃は何かが起こりそうな予感を感じながら、梨歌と共にいつもの通学路を歩いた。


 *


「おはっよ、梨歌ちゃん」


 教室に入るや否や由比が梨歌の元へ駆け寄ってきた。

 そして雪乃には聞こえないように、耳元で囁く。


「プレゼント、忘れずに持ってきた?」

「あ、うん……で、でも渡せるかどうかは知らないからね!」

「何話してるの?」


 雪乃が怪訝そうな顔をして、梨歌と由比の間に割り込む。

 由比が雪乃の耳元で何かを言うと、雪乃は妙に納得したような顔をした。

 何を言ったのか分からないのがもどかしかった。

 午前の授業は何事もなく進んでいった。

 休み時間はいつものように雪乃と由比と3人で談笑し、時折匠哉の様子を窺うぐらいで、そう今までの毎日と変わらない。

 ただ梨歌の心臓だけが妙に速くなっていた。

 そんなことを悟られないように笑っているのは少しだけ辛かった。

 昼休みになり、一段とざわめきが大きくなる。

 机の移動する音、教室を慌てて出る音、廊下を走る音……。

 何もかもいつもと同じだった。

 同じはずだった。


「梨っ歌ちゃん、お弁当、作ってきてくれた?」

「え、そんなこと聞いてないよ」


 授業が終わるとすぐに由比が梨歌の元へやってきた。

 お弁当を作れなんて聞いていなかった梨歌はもちろん由比の分はなく、自分の分しか持っていなかった。


「えー、あれほど頼んだのに。楽しみだったのになぁ」

「いつ言ったのよ。聞いた覚えがないのに、作れるわけないじゃん」

「昨日の放課後、家に送る途中で言ったじゃん。……ま、梨歌ちゃんからキスしてくれたら、許してあげるよ」


 そのセリフを聞いて、一段とクラスがざわめき出す。

 中には口笛を吹く者もいて、一種のパフォーマンスになりつつあった。

 そんなこと出来るわけないでしょ、と梨歌が口を開こうとしたとき、目の前の由比の体が揺れた。


 そこからは何も分からなかった。

 視界から消えたと思えば机が倒れる音が鳴り響き、教室はしんっと静まり返った。


「いい加減にしろよ……っ」


 匠哉は由比を睨みながら言った。

 右手はきつく握られている。

 由比が頬を押さえているのを見て、何が起こったのかを悟った。

 殴ったのだ、あの匠哉が。

 何故かはまだはっきりと分からないけど、あのいつも窓の外しか見ていない匠哉が息を切らせて、由比に掴みかかった。


「調子に乗るんじゃねぇよ、由比」

「調子に乗ってんのは、匠哉だろ?離せよ」


 由比も負けじと匠哉を睨みつける。

 匠哉は一瞬顔を真っ赤にすると、また由比の頬に向かって拳を振り上げた。

 鈍い音がして、それが由比に直撃する。

 由比は避けることも仕返すこともなく、痛みを堪えながら、匠哉の次の言葉を待った。

 教室の隅の方で女子の悲鳴が上がる。

 何事かと思って廊下に人が集まってきた。


「なんで……お前だけは信用してたのに……っ!」


 由比は黙ったままだった。

 梨歌には由比の考えなんて全く想像もつかなかった。

 何故仕返さないのか。

 何故黙ったままなのか。


「俺の気持ち、知っててこんなことするのかよ」

「……あぁそうだよ。俺はお前が嫌いだからな」


 今までにない冷たい由比の声を聞いて、匠哉も梨歌も驚いた。

 匠哉は由比を離すと、そのまま教室を出て行った。

 しばらく沈黙が続いていたが、またざわつき出して、自分がいた場所に戻っていく。

 教室にいた人たちもちらちらと倒れる由比を見ながら、昼食を再開していた。


「由比くん……」

「行けよ、早く。たぶん屋上だから」

「でも……っ!」


 梨歌は由比に駆け寄ると、心配そうに由比の顔を覗き込む。

 由比は苦笑しながら、言葉を続けた。


「嫌い、だなんて嘘だって言ってくれ。……ったく、思い切り殴りやがって……梨歌ちゃん、半分はあんたのせいだから」

「え……?」

「梨歌ちゃんがなかなか動かないから。わざと殴られてやったんだから、早く行け」


 由比はそう言って微笑むと、上を指差した。

 梨歌はありがとう、と呟くと、走って教室を飛び出した。


「……お人好し?」

「そーかも。でもこれは匠哉のためにしか出来ないよ」


 残念だけど、と言って由比は立ち上がり、自分が倒した机を直し始めた。

 雪乃も慌てて駆け寄って、それを手伝う。


「見直した、あんたのこと」

「惚れた?」

「……調子に乗るな」


 雪乃が顔を赤くしているのを見て、由比は笑った。

 あまりにも大笑いするので、またクラス中の視線が集まる。

 雪乃は由比を怒鳴りつつ、自分も笑いそうなのを堪えていた。


 *


 梨歌は階段を駆け上がった。

 向かうところは1つしかない。

 目の前の扉を勢いよく開け、梨歌は屋上に出た。

 辺りを見回す。

 何処を見ても、探している人は見つからなかった。

 それなら、と思い、梨歌は歩き出した。

 入ってきたドアの裏側まで行くとあの日の梨歌のように座り込んだ匠哉を見つけた。


「渡瀬……」


 匠哉の目の前に立ち、梨歌は呟く。

 匠哉は顔をあげて梨歌の姿を捉えると、また顔を伏せた。


「由比まで……いなくなった。もう……俺には何もないんだ。何もかも壊れた……もう、生きていたくない……」


 梨歌も取られて、由比に嫌いだと言われて。

 ここにいる意味などもうない。

 匠哉は力なく呟いた。

 梨歌は静かにそれを聞いていた。


「安藤……?」


 匠哉がまた顔をあげる。

 だが、その顔は歪んで見えなかった。

 梨歌の目には涙が浮かんでいた。


「うっ……そんなこと、言っちゃ嫌だよ……嫌だ……っ」


 次々と溢れる涙を手で拭いながら言った。

 匠哉は梨歌に手を伸ばしたが、途中で戸惑い引っ込める。

 ただ苦い顔で梨歌を見つめていた。


「安藤……ごめん」

「……っく……私、じゃ、ダメ?……渡瀬のこと、拒否したから……もうダメ……っ?」


 梨歌は匠哉に手を伸ばした。

 匠哉の顔が強張ったのが分かったが、梨歌はそのまま匠哉の首に腕を回す。


「私が、いるから……ここに、いるから。だから……そんなこと、言わないでよ……っ」


 腕に力を込める。

 こんなことで気持ちは伝わるのだろうか。

 そう不安になってきた時、匠哉が梨歌の体に腕を回し、梨歌を抱きしめた。


「ごめん、ありがとう」


 匠哉は梨歌の肩に顔を埋め、そう言った。

 梨歌は首を小さく振ると、腕の力を弱めた。

 匠哉もそれに合わせ、力を弱める。

 梨歌は涙を袖で拭うと、思い出したようにスカートのポケットを探り始めた。


「どうした?」

「あの、ね。……あった。これ」


 梨歌はポケットから小さな紙袋を取り出すと、匠哉に渡した。

 匠哉が受け取ったのを見て微笑むと言った。


「ハッピーバースディ、渡瀬」


 匠哉はその袋を開け、手ひらの上で逆さにしてみる。

 ころん、と転がったのは、指輪だった。


「由比くんが、それ渡せって強引に押し付けただけだから!」


 匠哉が驚いたような顔をしたのを見て、梨歌は慌ててそう言い、顔を赤くしてそっぽを向いた。

 匠哉はそんな梨歌を見て、嬉しそうに笑う。


「ありがとう、嬉しいよ」

「それ、お揃いなの」


 梨歌は首にかかったネックレスを外して、匠哉に差し出す。

 チェーンにぶら下がるのは、匠哉に渡した指輪と同じデザインの女性用だった。

 匠哉がそれを手に取り、チェーンから指輪を外す。

 梨歌はその様子をじっと見つめていた。


「左手、出して」


 梨歌はきょとんとした顔で匠哉に手を差し出した。

 少し考えた後、匠哉は薬指に指輪をはめた。

 そして、同じように自分もはめる。


「お揃い、じゃ嫌か」


 だよなー、と苦笑しながら、匠哉は梨歌にはめた指輪を外そうとした。

 梨歌は慌ててその手を掴んだ。


「いい。つけたい……私、渡瀬のこと好きだから」


 梨歌は匠哉に見られないように、赤い顔を伏せて言った。

 匠哉が今どんな顔をしてこれを聞いたのかは分からない。

 梨歌は匠哉の言葉を待った。


「……由比に取られたのかと思った」

「え?」

「俺も、好きだよ」


 梨歌、と恥ずかしそうに呟くと、そっと左手が梨歌の頬に触れた。

 指輪の冷たい感触が妙に強調されている。

 梨歌はその手に自分の手を添えると、その手を自分の頬から離す。

 そして、その手を握ったまま、梨歌は匠哉に顔を近づけた。

 一瞬だけ、そっと触れるだけのキス。


「……アホ」

 

 拗ねたように匠哉が言うのを見て、梨歌は笑った。

 匠哉は梨歌を開いた右手で引き寄せ、梨歌のそれに自分のを合わせる。

 梨歌は目を閉じて、それを受け入れた。

 さっきよりもほんの少しだけ長いキス。

 ゆっくりと顔を離すと、匠哉が笑った。

 梨歌もつられて笑う。

 お互いの額を合わせて、笑い合った。


 *


「おぉーいい感じじゃん、送信っと」


 急に由比の声がして、梨歌と匠哉は慌てて離れた。

 横を見ると、由比と雪乃が笑顔で立っていた。

 由比の手には携帯が握られている。


「そ、送信って何処に?」

「美羽ちゃんに」


 こんな写真と一緒にね、と言って、由比は携帯の画面を梨歌と匠哉にかざした。

 そこに映っていたのは。


「ちょ……っ!てめぇ、マジでこんなの送ったのか!?」

「もち」


 そこにバッチリ映っていたのは、梨歌と匠哉のキスシーンだった。

 匠哉の顔がだんだんと青ざめていき、いきなり立ち上がった。


「あーぁ、だから言ったじゃん、勝手に撮るのはやばいって」


 雪乃がため息をついた。

 そして梨歌と目が合うと笑みを浮かべた。

 梨歌も逃げる由比とそれを追いかける匠哉を見て、微笑む。

 ゆっくりと立ち上がり、雪乃の隣に立つ。


「渡瀬、人に触れないんだって?」

「うん」

「梨歌には触れるんだ」

「不思議とね」

「運命の人みたいじゃん」


 雪乃が空を見上げて言った。

 梨歌も続いて空を見上げる。


「大切にしてもらわないとね」

「だね」


 いつの間にか追いつかれて、匠哉に羽交い絞めにされた由比は何故か笑っていた。

 匠哉も同じように笑っていた。


 *


「雪乃ー、教室戻るぞ」

「だーかーら、呼び捨てにするなって言ってるでしょ!?」


 やっと解放された由比は雪乃を呼ぶ。

 雪乃は苦笑しながら由比の元へと走っていった。


「梨歌、行こ」


 匠哉が梨歌に手を差し出す。

 少しだけ顔が赤くなっている。

 何だか嬉しくて、梨歌は匠哉の元に駆け寄った。

 そっと差し出された手を握る。

 匠哉は梨歌よりも強い力で握りしめた。


「俺も、梨歌の傍にいるから」


 階段を下りながら、匠哉はポツリと零した。

 梨歌は微笑みながら、頷いた。


 *


「写真?」

「そ。あの写真のままじゃ、あれだろ」


 そう言って、匠哉は携帯を机の上に置いた。

 

「タイマーセットするから、早く並べよ」

「な、並ぶって?」

「由比も雪乃ちゃんもほら」


 携帯のボタンを押して、匠哉は梨歌の隣に立った。

 由比と雪乃はその前にしゃがむ。

 匠哉の手が肩に触れて、抱き寄せられた瞬間シャッターが下りた。


「匠哉も結構大胆だな」

「……お前に言われたくないよ」


 雪乃に抱きつく由比を見下ろしながら、ため息をつく。

 梨歌はいつになく赤い顔の雪乃を見て、笑いを堪えていた。


 *


 いつものようにパソコンをつけて、メールチェックをする。

 今日もメールはないだろうな、と思っていたが1通だけあった。

 お兄の友達からだ。


「あ、由比くんからだ……ってえぇっ!」


 少女はメールの中身を見て、驚いた。

 慌てて部屋を出ると、階段を駆け下りる。


「お母さんっ!お父さんっ!」

「どうしたの。そんなに慌てて」


 お母さん、と呼ばれた女の人が不思議そうに少女を見る。

 新聞を読んでいた男の人も少女の方に振り返る。


「由比くんからメールあって……っ!お兄に彼女出来たって、写真付きで送って来たの!」

「へぇ、ちょっと見せて」


 少女は母と一緒に部屋に戻る。

 父は階段の下で心配そうに少女の部屋を見上げた。


「あらーっ、ちょっとお父さん、あの子ったら一人前に女の子に手出してるわ」

「この人、お兄に触れても大丈夫なんだって!凄くない?運命の人だよ!やっぱり、私この高校行きたい。お兄が運命の人を見つけたこの学校なら、私も見つけられそうな気がするの。私が触っても平気な人が」


 少女は興奮しているのか早口でそう言った。

 母はもちろんいいわよ、と微笑み、少女の部屋から出て行った。

 少女はもう1度写真を見る。お兄が幸せそうな顔をしている。

 じっと見つめていたら、もう1通メールが来た。

 今度はお兄からだ。

 写真に写っている彼女と由比くんと知らない女の人と4人で写った写真が付いていた。

 本当に幸せそうだった。


「日本に帰るの、楽しみだな……」


 少女はそう呟き、パソコンを閉じた。

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