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何故だろう。
梨歌は1人そう思っていた。
あれからなんとなく学校で匠哉の家の住所を調べて、ここに1人暮らしをしているということが分かった。
でも、何故こんな夜中にここにいるのかは自分でもわからなかった。
「ど、どうしよ……」
親にはコンビニに行くと言って、家を出てきた。
もちろん片手にはコンビ二で買ったジュースを持っている。
しかも適当に引っ掴んで買ったよく分からないジュースが。
このまま家に帰っても不審がられることはないが、いつもコンビニに行くと言って、最低30分は帰らないのだ。
今帰ったら10分で帰ったことになるし。
それは逆におかしいと思われる。
「ちょっと、コンビニ行って来るねー」
梨歌が玄関の前でそんなことを考えてくると、いきなり目の前の扉が開いた。
驚いて顔をあげると、由比と目が合った。
「あ、れ……安藤さん?」
由比が不思議そうに梨歌を見つめる。
梨歌もどうして匠哉の家に由比がいるのか分からずに、由比を見つめていた。
「どーした?お客さんか?」
「あ、いや、ネコが通り過ぎたから驚いただけ。じゃ、行って来るね」
由比は慌ててそう言うと扉を閉めた。
「なんで、ここにいるの?」
こんな遅くに、と由比が声を抑えて言った。
「い、いや、その……」
理由なんて自分でもわかりません、とは言えなくて、梨歌はあやふやに答えた。
……いや、答えにもなってないけど。
「匠哉に会いに来たの?」
「う……そうかもしれないです……」
「あ、そう。じゃあ、勝手に入って行って匠哉を驚かせてあげて」
「えぇっ!」
「会いに来たんでしょ?私はこれからコンビニ行って時間潰してくるから。その間に大事な話は終わらせておいてね」
じゃ、と由比は手を振ってその場を離れた。
梨歌は1人残されてしまった。
このまま帰ろうかとも思ったけど、さっきの由比の言葉を思い出すとそれも悪い気がして、言われた通りにそっと家の中に入った。
「あれ、由比早いな……て、えぇっ?!」
「ど、どうも」
匠哉は梨歌の姿を捉えると、驚いて叫んだ。
そりゃ驚くよな、と梨歌はそう思いながら頭を下げた。
「な、何で……?」
「眞琴さんが、勝手に入って渡瀬を驚かせてって言うから……」
「いや、その前に何でここが分かるんだよ」
「苑江に聞いたから」
はぁ?と匠哉は顔をしかめた。
そりゃそうだろう、わざわざクラスメイトの住所を担任に聞く人なんてそういない。
もしいたとしてもこんな遅くにその相手の家に訪ねることはないだろう。
「……まぁ、そこに座れば?」
「いい、すぐに帰るから」
そう、と言って匠哉は姿勢を正した。
梨歌はどう言おうか悩みながら、言葉を少しずつ紡いでいった。
「あの……私も気がついたら住所聞いてて、気がついたら家を出てて……気がついたらここにいて、何がしたいのか、自分でもよくわからないんだよね……」
匠哉は聞いているのか聞いていないのか、ずっとテレビの方を見ていて、梨歌の方を見なかった。
「でも、今わかった気がする。私、たぶん渡瀬に会いたかったの」
梨歌は匠哉を見つめながら、強く言った。
匠哉もその視線に気付いたのか、梨歌の方へと振り返る。
「……じゃ、帰るね。こんな遅くに来ちゃってごめん」
「あぁ……じゃ、また明日」
「うん」
梨歌は慌てて玄関に向かった。
そこには由比が立っていた。
「それだけでいいの?」
「……そんなに急ぐこともないと思うし」
梨歌は出来るだけ落ち着いた声で言った。
今ここで取り乱したりしたら、いけない。
「本当は気付いてるんでしょう、自分の気持ち。どうして匠哉に言ってあげないの?」
「今はまだ確実じゃないから。ゆっくり行こうと思うの」
「遅いよ!そんなに呑気にしてたら取り返しのつかないことになっちゃう……っ」
由比は梨歌の肩を掴んで揺すった。
由比は必死だった。
それは梨歌にもわかったけど、安易に事を進めたくなかった。
そっと由比の手を肩から離すと、そのまま家を出た。
振り返らないように、早足で家へと向かった。
*
「あれ、いつの間に帰ったんだよ」
「……俺、明日から男子の制服で行くから」
由比は匠哉の問いを無視してそう言った。
「いきなりどうしたんだよ。てか、おじさんたち怒るんじゃないのか?」
「ここにいればわからないよ。大丈夫、一応男子の制服持ってるから」
「ちょっと、おい」
匠哉の制止を振り払って、由比は自分の部屋に入っていった。
梨歌はあんなことを言うし、由比も男に戻るとか言うし、匠哉は何が何だかわからなくなってしまった。
*
「おはよー」
明るい声で入ってきたクラスメイトを見て、皆が皆絶句した。
それもそのはずだ。
あの眞琴由比が男子制服で来たのだから。
あの長い髪は1つに結わえられている。
由比が男だと既に知っていた梨歌と雪乃でさえ、開いた口が塞がらなかった。
「あれ、皆どうした?」
「誰だってその格好見たら驚くだろ」
大きなため息をつきながら、由比の後ろを匠哉が通る。
1人平然として自分の机に鞄を置いた。
「あ、梨歌ちゃんっ!おはよ」
「お、おはよ……」
いきなり呼ばれて、梨歌は小さく飛び跳ねた。
しかも何故か下の名前で呼ばれている。
昨日までは苗字だったはず……。
匠哉もまさかそう呼ぶとは思っていなかったらしく、驚いたようにこっちを見ていた。
「あ、そだ、梨歌ちゃん、今日デートしない?」
「はぁ……ってデート!?」
梨歌は思わず叫んでしまった。
隣で雪乃も信じられないような顔で由比を見る。
当の本人は何も気にしていないようで、笑顔でこう言った。
「じゃ、放課後ね!」
そうして何も出来ないまま、梨歌と由比のデートは決まってしまった。
ついでに言えば、2人が付き合っているという噂も知れ渡ってしまった。
女装して入学した少年と特進の学級委員。
奇妙な組み合わせなだけ、学校中に広まるのも信じられないくらい速かった……。
いや、付き合ってないけど。
*
「あの、何処に行くんでしょうか?」
放課後強引に連れ出された梨歌は、隣を楽しそうに歩く由比に恐る恐る尋ねた。
「ん、梨歌ちゃんは知らないかー。再来週、匠哉の誕生日なんだよ」
「……プレゼント?」
「そ。梨歌ちゃんは匠哉のことあんまり知らないから。仕方無しにこの俺が教えてあげようと思って」
それくらいしなきゃね、と由比は微笑んだ。
そうなんだ、と納得したように何度か頷いた後、梨歌はおかしなことに気付いた。
「え、待って。それ、どういう意味?」
「何が」
とぼけたように由比は返した。
分かっているのに、あえて梨歌の口から言わせようとしているのが感じられる。
「何がって……さっきの言い回しじゃ、私が渡瀬に誕生日プレゼントを渡したいみたいじゃない!」
「当たり、だろ?梨歌ちゃんは匠哉のことが好き」
さらりと由比はそう言うと、意地悪な笑みを浮かべて梨歌の顔を覗き込んだ。
梨歌は驚いて、顔を真っ赤にする。
「だから当然プレゼントも買わなきゃね」
「う……そうですね……」
「まぁ別にその日に告白するって言うんなら、このまま帰ってもいいけど?」
「だから、私はそんなに急ぎたくないって……」
「それじゃダメなんだよ」
由比は何処か遠くを見ているような顔をして、寂しそうに言った。
……そう昨日の夜、匠哉の家を訪ねて帰ろうとしたときと同じように。
「ま、こうしてれば、何が何でも匠哉の方が動き出すだろうしね」
「え?」
何でもないよ、と由比は首を振りながら、あるアクセサリーの店に入っていった。
梨歌は首を傾げながら、はぐれないように急いでその後に続いた。
入っていった店は、最近出来たばかりの新しい店だった。
結構有名なブランドらしく、平日なのに人が多い。
梨歌は由比を見失わないように、必死で人込みを掻き分けた。
「ちょっと待ってよ!」
「もうちょっとだから、頑張ってついてきて」
そうやって、着いたのは店の1番奥のスペース。
そこだけ少し人が少なかった。
「あ、さっき電話した眞琴だけど」
「はい、眞琴様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
綺麗な店員が深々と頭を下げている。
眞琴由比。
女装の趣味(?)があるけど、結構凄い人なのかもしれない。
もっと奥のスペースに案内される由比を見て、梨歌は改めてそう確信した。
*
目の前に並んでいく、ペアアクセサリー。
値段も結構張っている。
「どう?気に入ったのあった?」
「全部綺麗だけど……何で全部ペアリングなわけ?」
梨歌は怪訝そうな顔をして言った。
だが、由比は無視して、次の箱を引き寄せる。
……これも結構凄い。
「あ」
「どうした?」
1つの指輪に目が行く。
小さな石が埋められたシンプルな指輪。
もし指輪を貰うなら、こんな指輪がいいかも。
じっと見つめていたからだろう。
由比はそれを指差す。
「これ?」
「あ、うん……」
「地味な趣味だなー」
由比にそう言われて、梨歌はむっとする。
それを可笑しそうに笑いながら、その指輪を取り出した。
「まぁ、匠哉にはこれくらいだよな」
「……てか、完全に予算オーバーだから」
明らかに高過ぎる。
何ヶ月分のお小遣いだろう。
少なくとも半年分はある。
「俺も出すし、大丈夫だよ」
「由比くんも出すの?」
「応援してるから」
由比は微笑みながら、カードを取り出した。
……高校生のくせに、カードですか……。
*
「……マジであんなもの渡すの?」
あれから1週間ほど過ぎたが、今もまだ梨歌は由比と一緒に帰る日々が続いていた。
今まで雪乃の場所だったところに由比がいるのはまだ違和感がある。
雪乃は雪乃で、一緒に帰ろうといろいろ試みてくれたが、どれも由比によってかわされてしまった。
というか逆に恥ずかしい言葉を浴びせられているようで、雪乃は手も足も出ない状態だ。
まぁ、実際聞いた事はないけど。
でもあの雪乃が手も足も出ないのだから、相当なことを言われたのだろう。
「ん、決まってるじゃん。俺も半分以上出したんだし。渡さないとか言うなよ」
目の前のケーキを突付きながら、由比は言った。
あの日以来ずっとこの喫茶店でお茶をしながら時間を潰していた。
何が何でも一緒にいさせたいらしい。
帰る、と言ってもある時間までは絶対に帰らせてくれなかった。
「あんなのあげたら、絶対迷惑だって。てか、普通逆だし」
「欲しいなら、別に後からねだればいいじゃん」
そーいう問題じゃない、と梨歌は呟きながら、アイスティーを口にした。
氷が解けて、水っぽい。
どっちかっていうと、まずくなっている。
「……梨歌ちゃん、後ろ向いちゃだめだよ」
「は?」
由比はそう言って、机から身を乗り出した。
何を思ったのか梨歌に顔を近づけてくる。
梨歌は驚いて、動くことも出来なかった
*
「うわっ、アイツ梨歌に何やってんの!」
梨歌と由比の座るテーブルから少し離れたところから、雪乃は匠哉と共に2人の様子を観察していた。
雪乃の声に反応して、ずっと2人を見ないようにしていた匠哉も2人の方を見た。
そしてすぐに後悔した。
――――2人がキスしているのを見てしまった。
「だから止めとけっつっただろ」
「そんなこと言われても……だいたいどーして渡瀬はそんな平気な顔していられるのよ」
雪乃は梨歌たちから目を離し、匠哉に向き直った。
匠哉は2人が視界に入らないように、窓の外を見ながら呟く。
「別に。関係ないし」
「関係ないことないでしょ!?」
「関係ないよ。じゃ、俺帰るから」
匠哉はそう言って、立ち上がった。
財布から1000円札を取り出すと、雪乃の方に差し出す。
「奢るから」
「……どーも」
雪乃は遠慮するわけでもなく、素直に受け取った。
匠哉は人にぶつからないように注意しながら、早足でその場を後にした。
*
「……で、殴ってもいいのかな」
「殴ったら、ホントにしちゃうよ?それでもいいんなら、どーぞ」
近づいてきた由比の顔は、唇に触れる寸前で止まった。
限りなく近い距離で、梨歌は由比を睨みつける。
由比は少し笑みを浮かべた後、何事もなかったように素早く顔を離した。
「あ、そうそう。言うの忘れてたけど、明日が匠哉の誕生日だから」
しばらく沈黙が続いた後、梨歌は青ざめて叫んだ。
「はいーっ!?由比くん、来週って言ったじゃないっ!」
「え、言ったっけ?忘れたな。まぁ、そういうことだから」
「そういうことだから、じゃなーいっ!!」
その後店中から視線が集まり、居辛くなってすぐに店を出たのは言うまでもない。
もちろんその視線の中に雪乃もいたが、2人とも全く気付かなかった。
特に梨歌は明日のことで、頭がいっぱいだった。