満たされた男
ちょっとだけエグいです。
ふと気が付くと、そこはとても暖かく
優しくていいにおいがした
ゆっくりと目を開けると
妊婦がその大きく膨らんだ腹部で
優しく僕を抱きとめていた
暖かなミルクの香りが鼻をくすぐり
妊婦の腹部は今まで顔をうずめた
どんな枕よりも心地良かった
僕はゆっくりと起き上がり
辺りを見回した
真っ白な壁が辺りを包み
南の窓からは
春の暖かな光がさしこんでいる
左右にまとめられたカーテンは
柔らかな金色に輝き
外に広がる庭には
色織り織りの草花が春の訪れを歓迎し
木々は穏やかに揺れている
部屋にはあどけない3つ程の少女が
真っ白なレースのドレスを纏い
まるでフランス人形のようだ
少女は耐えまなく笑顔を振り撒き
小さな淡い色の
アンパンマンのぬいぐるみで
遊んでいた
部屋の片隅にはたくさんの
哺乳瓶が積まれ
それら全てにいっぱいの
ミルクが既につがれている
赤ん坊がいたのかよくみると
無数のぬいぐるみやおもちゃが
壁際に寄せられている
木目の優しい木馬は語りかけるように
揺れていた
顔をあげ妊婦の顔を見つめる
今までに会ったどんな女性よりも
美しく華やかで
飾らないボブカットが
母としての優しさを
物語っている
妊婦は起き上がりかけた僕を
そっと抱き寄せ
耳元で
「ずっとこうしていていいのよ」
と呟いた
純白の少女は
僕の方へ歩み寄り
僕の腕をそっと抱き締め
妊婦に寄り添った
三人は寄り添い合い
時は永遠に感じられた
全てが優しく
全てが暖かい
体がまるで
粉末の脱脂粉乳の様に
溶けていく
爪先が溶けだし
指先はボロボロと崩れだした
意識までもが
グルグルと飲まれていった
満たされない
寄り添い合いながらも
俺は何処か満たされなかった
かっと目を見開く
少女ぴくりと反応した
わかった
この場所に俺の求めるものはない
この場所にあるのは
『愛』
それだけだった
俺は立ち上がって
少女の胸ぐらをつかみ、持ち上げた
少女の体重は思いの外重く
俺の右腕に
ずっしりとしたか感触が伝わった
そのまま俺は
少女を渾身の力で投げ飛ばした
少女は壊れたマリオネットの様に
転がり落ち、壁にぶつかると
ぐったりと、その動きをとめた
俺は少女の方に駆け寄り
そのまま馬乗りになると
右腕を大きく振り上げ
少女の顔面に向かって
それを思いきり振り降ろした
ぐしょっ
鈍い音が辺りに響くと
無惨にも、少女の整った
小さな鼻はぐなゃりとへし曲がり
鼻孔からどぷどぷと
血が湧き出てきた
拳にべっとりとこびりつく
返り血も意に介さず
マウントポジションから
何度も何度も
少女の顔面を殴り続けた
少女の真っ白であった顔は
徐々にどす黒く変色し
潰れた鼻、切れた口から湧きだす
赤黒い血の色と混じりあって
汚物の様な色を呈していた
顔のあちこちは腫れあがり
皮肉にも
顔が汚れて力が出ない
アンパンマンの様になった
そこには可憐で人形の様な
少女の面影は既になくなっていた
もっとぐちゃぐちゃにしてやろうと
右腕をもう一度振り上げると
何故か腕が動かない
振り向くと
妊婦が俺を羽交い締めにしていた
後ろから耳元で何かを叫ぶ妊婦
しかし俺にはうまく聞き取れなかった
鬱陶しかったので
力任せにぐいぐいと暴れると
するりと
いとも容易く振りほどけた
膨らんだ腹のせいで
動きが緩慢だったのだ
振り向きざまに
渾身の右ストレートをお見舞いする
妊婦は一撃で
がっくりと膝をついた
俺は手元にあった
木馬を持ち上げ
棍棒の様にして
妊婦の頭を殴りつけた
掬い上げるように殴ったので
ちょうど木馬の首が
妊婦の顎にヒットし
妊婦の前歯が三本ほど
飛んでいくのがみえた
妊婦はばたりと
床に倒れこみ俺を指差して
何かを叫んだが
やはり俺の耳には届かない
俺は木馬を振り上げて
スイカでも割るかのように
妊婦の頭に再び振り降ろした
俺は機械の様に
何度も妊婦を木馬で殴った
妊婦の頭頂部から小川の様に
血が顔をつたってゆく
最早妊婦は何も言わなくなっていた
突然、首筋に激痛が走る
顔が汚れて力が出ない
死に損いが
首筋に思いきり噛みついてきたのだ
俺はそれを突き飛ばすと
二度と噛みついたり出来ぬよう
そいつの口めがけて
木馬を振るった
案の定そいつの口に
クリーンヒットすると
前歯がことごとく折れてしまった
すかすかになった口で
俺に向かって何か言っている
その顔には
怒り憎しみ恐れ
様々な俺に対する感情が
みてとれた
俺は感動した
首筋に今だ残る痛みにも
俺は感激した
仕上げに俺は部屋の破壊を開始した
無数の哺乳瓶を
ことごとく踏み潰し
無数のぬいぐるみを
ことごとくひきちぎった
真っ白な壁紙を引き裂き
掌にこびり着いた返り血
壁に擦り付けた
二人が俺を見つめていた
それは明らかに友好的な
視線ではなかった
『愛』しかなかった
この真っ白だった世界に
新たな感情が現れた
新たな色彩が現れた
人はパンのみにて生きるにあらず
俺は駆け出し
この部屋唯一の窓を叩き割った
腕には無数のガラス片が
突き刺さり
途端に初春の
冷たい風が
俺の肌を斬り刻んだ
俺は歓喜した
俺は渇望していたのだ
世界が俺を恨んでいる
世界が俺を嫌っている
世界が俺を呪っている
厳しい世界が
俺を待っているのだ
俺は窓を突き破り
外へ駆け出した
明日はきっといい日だ