-27- 聖剣さん再会です
「くっ……!」
ファナがこれまでと比べて一層強い威嚇を発した。
味方である僕ですら呻く程だ。敵意を向けられている魔物たちにはひとたまりもないだろう。全身を針で刺されるようなピリピリとした空間が暫く維持される。
退かなくとも、これまでファナの威嚇に立ち止まらなかった魔物はいなかった。
危険視していたレアデーモンの姿が無ければ、背中を向けて逃げる魔物の姿もない。四層も終盤に近いのだろう、魔物が強くなっている。
僅かに足を止めた魔物と、一瞬も足を止めずに襲い掛かって来る魔物。
背中から鶏冠のような刺を生やした、二足歩行型の魔物。人間と同程度の体格を持つ彼らは、甲殻のような鎧を身に着けている。隙間だらけの牙からは透明な唾液が垂れ流しにされており、ピチャリと床に零した。
「纏え、虎炎」
ファナの手足を炎が覆う。
燃え盛る炎はファナを焼くことなく、篭手のように手足に装着された。
同時に、ファナはその身を翻して跳躍する。迷宮の壁を蹴り、反動で部屋の中央へと移動した。そのまま空中で側転したファナは、回転の勢いに任せて踵を落とす。
ベキン、と魔物の刺がへし折れる。
しかし魔物は動きを止めない。あの刺には神経が通っていないようだ。ファナはそれを予測していたのか、深追いはせずに一度距離を置いた。
魔物の悲鳴に、ファナの床を蹴る音が混じった。
まるで舞のように回転しながら戦うファナは、時折こちらに目を向けては魔物の対処を再開する。念のために僕も周囲を警戒するが、魔物らしい気配はしない。
突き立てられた魔物の刺に、ファナが拳を繰り出した。金属同士が擦れ合う嫌な高音が部屋に反響し、一人と一匹は交差する。
魔物が前のめりになったところに、ファナの回し蹴りが炸裂した。
「お疲れ、ありがとう」
全ての魔物を倒し終えたファナに礼を言い、迷宮を進む。
いちいち怯えていたらファナに失礼だ。彼女は僕を守ってくれているのだから、僕はそれを信じていればいい。
「……あれ?」
今、遠目に見えた人影に僕は声を上げた。
あの銀髪は……まさか。
「あ、ちょっとアジナ!? あんたどこに――」
狭く、曲がりくねった道を駆け足で抜ける。
あの銀髪、あの背丈、あの服装……見間違いではない。
「サイカっ!」
息を乱した僕の前には、胸の前で両手を重ねるサイカの姿があった。
「あ、アジナ!?」
サイカが驚愕に目を見開く。
僕もきっと似たような顔をしているだろう。
この広い迷宮の中、まさか彼女に会えるとは思ってもいなかった。
サイカは僕にとって、色々と感慨深い相手だ。
初めて言葉を交わした聖剣でありながら、風当たりの悪い僕にも普通に接してくれる優しい性格の持ち主。僕の使い手になりたいという言葉も頭ごなしに否定せず、きちんと誠意を持って対応してくれる、器の大きい人である。
丁度良い。
ここでもう一度、はっきりとサイカに使い手を申し込もう。
前回のように迷ったりはしない。
今ならばサイカの質問にだって答えられる。
意気込んで顔を上げたそのとき、僕は気づいた。
サイカの周りでこちらを睨む、一人の女性と三人の男性の姿に。
「あ、えっと……」
最悪の想定が頭に浮かんだ。
彼らは何だ。何故、サイカの傍にいる。
彼らの全員が聖剣ならば問題はない。
けれど、その首筋に見える赤い刻印は間違いなく勇者紋章だ。
少なくとも一人以上は勇者がいる。
それだけで、最悪の想定も否定できなくなってしまう。
普通、聖剣は単独での戦闘能力を持たないことが多い。実技成績三位のメルリックですら、単独での最深到達記録は初層だと言っていた。サイカがファナのように魔物を蹂躙できるとは思えないし、彼女も同じようなものだろう。
だとすれば、どうやってサイカは四層に辿り着いたのか。
勇者である彼ら四人がそれなりの実力を持っているのか。
それとも……サイカが聖剣として、力を振るったのか。
「ね、ねえサイカ」
震える声で、僕は尋ねた。
「サイカは、どうやって……四層に?」
ここで、「彼が私を使って」などと言われたら……立ち直れる自信がない。
いや、聖剣であるサイカには使い手となる勇者を選ぶ権利がある筈だ。それはわかっている。わかっているんだけど、納得がいかないというか。
サイカが周りの四人をて、口を開く。
「どうって、普通に皆と協力してだけど……あ」
ふと、サイカがもう一度周りを見て、何かを悟った。
途端に表情を崩して、狼狽する。
「だ、誰も私を使ってないわよ?」
「本当に?」
「本当」
「よ、よかった~」
不安が拭え、一気に気が抜けた。
ああ、良かった。まだサイカに使い手はいない。それならば僕が彼女に使い手を申し込んでも問題はないだろう。
「逆に聞きたいんだけど、アジナはどうやってここまで?」
「ああ、僕は――ぐえっ!?」
言いかけたところで、ゴツンと頭に強い衝撃が走った。
「私がコイツを引っ張ってきたのよ」
頭を擦って蹲る僕を指差して、ファナが言った。彼女は深い溜息をしてから視線を左右に行き渡らせ、サイカを中心に周りの四人にも目を配る。
「あんた、次にこんな真似したら放ってくわよ?」
「ご、ごめんなさい」
僕を護るファナは、当然それを言う権利がある。
だが、この場の全員がそう思ったわけではないようだ。
「あ、あの、ファナ・アクネシアさんですよね?」
一人の男子生徒がファナに声を掛けるが、その表情は様々な感情が複雑に入り交じっていた。尊敬してます、出会えて光栄です……そう言いたげな節もあれば、どこか怯えているようにも見える。
「ええ。そういうあなたは……ごめんなさい、知らないわ」
ファナがそう言うと、何故か男は安心したように胸を撫で下ろした。
……ああ、なるほど。ファナが関心を示す人って、基本的には自分の認める強い人だからか。それでいて彼女は戦闘狂なので、名前を覚えられている=いつか標的にされるかもしれない、という式が成り立つわけだ。
「アジナ、行くわよ」
「え? いや、もうちょっと話を――」
「いいから来なさい」
有無を言わせないファナの態度に、僕は首を傾げながらズルズルと引き摺られていった。目の前で当惑するサイカに手を伸ばすが、勿論届かない。
サイカのいる部屋とある程度離れた後、ファナは僕に耳打ちした。
「あの四人、気をつけた方がいいわよ」
警戒を宿した瞳で、ファナはサイカたち五人に目をやった。それから物陰に隠れるように僕を近寄せて、互いに姿が確認できない位置に落ち着く。
「銀髪の子、聖剣でしょ? 周りの勇者があの子を狙っている可能性があるわ」
「な、なんだって!?」
それじゃあつまり、あの四人は僕の好敵手ということか。
焦る僕に、ファナは続きがあると視線で訴えた。
「そうじゃなくて、あの四人は汚い手段で聖剣を手に入れるつもりかもしれないってことよ。……確証はないし、黒髪の子は違うかもしれないけどね」
壁の側面から顔だけを出して、サイカたちの姿を確認する。
黒髪の子というと、丁度サイカと談笑しているあの小柄な女子生徒のことか。傍目に見ても彼女たちは仲が良さそうだし、普通の友人同士であってもおかしくない。ただ、彼女を除いた三人の距離感が少し不自然だ。お互いに牽制し合いながら、サイカに近づこうという魂胆が見え隠れしている。
こうして見るだけなら、一般的な勇者の聖剣に対する態度だけど……。
まして、サイカは実技成績六位だ。取り合いになるのも無理はない。
「偶にいるのよ。聖剣と一緒に迷宮に潜り、無理矢理使い手なろうとする連中が」
吐き捨てるよう言ったファナの顔には、嫌悪の感情が刻まれていた。
「無理矢理って、そんなことできるの?」
聖剣の使い手になるには、聖剣本人がそう念じる必要がある。使い手になるとは厳密には同調するということだから、どちらか一方が念じるだけでは駄目なのだ。
それに、聖剣を何らかの手段で強制的に同調させるのは犯罪である。
多発しているのであれば、学園も黙っていないだろう。
「聖剣が認めざるを得ない状況を作るのよ。例えば、命が脅かされるような窮地とかね。聖剣も流石に命は惜しいから、死ぬくらいならば身近の勇者と同調して生き延びようとするわ。……それこそが、勇者の狙いだとも知らずにね」
とんでもなく卑怯だな、という嫌悪と共に、策士だな、といった感想が浮かぶ。
一瞬でも「その手があったか」と反応してしまいそうになった自分をぶん殴りたい。聖剣に関しては本当に見境ないな、僕……。
「その状況を作るために五層まで行くつもりでしょうけど、生憎とタイミングが悪い。最悪、聖剣が同調する前に全滅しかねない」
サイカを含め、五人が疲弊状態にあることは間違いなかった。
服は泥で汚れてるし、治療の終えていない生傷を放ったらかしにしている者もいる。装備を手入れする男子生徒もどこか必死な形相だ。武器の不備によるリタイヤなんて本人にとっても不服だろう。ましてや、五層ともなるとリタイヤでは済まないのだ。
かなり無理をして四層に来たのだろう。
だとすれば、これ以上先に進むのは危険だ。今回は迷宮の調子もおかしいし、五層に六層の魔物が出現していたら瞬殺も覚悟せねばならない。
「……彼らと同行するのは、駄目かな?」
「駄目」
あの四人も心配だが、それよりもサイカを危険な目に遭わせたくない。
僕自身が強ければ意志に反すことなく今すぐ彼女の傍に行くのだろうけど、残念ながらそれはできないのだ。この層に辿り着けたのも、僕がこうして息をしているのもファナのお陰。不甲斐ないが、サイカを危険な目に遭わせたくないなら、僕ではなくファナが彼女を護るしかない。
「男子たちはともかく、あのチビはそれなりに腕が立つ筈だから大丈夫よ」
「チビっていうと、あの黒髪の女の子?」
「ええ。一人だけ装備も汚れてなかったし」
そうだったかな……。
ファナに言われたことを確認するべく、僕は再びサイカたちのいる部屋を覗いた。
「って、いないっ!?」
「探索を再開したんでしょ。ほら、私たちも行くわよ」
同行するにしても、どのみち手遅れだったか。
ここはファナの言葉を信じるしかない。それに、こうなってしまった以上、サイカと会うためには先に進むのが一番の近道だろう。向こうもこの層で探索を終える雰囲気ではなかったし、ファナの懸念もある。
「――!!」
迷宮に続く足音が止み、僕らは顔を見合わせた。
「今の、悲鳴……だよね?」
「みたいね。結構近いわよ」
声からして、悲鳴の主は女性か。
入り組んだ迷宮を幾度となく反響した悲鳴は聞き取りにくく、大きさから距離は掴めるが方向はわからない。罠か、或いは魔物か……いずれにせよ、僕たちと同じ探索者が悲鳴を上げるほどの事態に追い込まれている。
「少し急ぐわ。ついて来れなくなったら遠慮無く言いなさい」
ただならぬ事態を予期して、探索のペースを早める。薄れた警戒は僕が補えばいい。人命救助に関わるかもしれないのだし、僕も必死だ。
多少は無理してでもファナについて行こう。
◆
「……かなり広いね」
悲鳴の主を探すように進んだ僕らは、迷宮にあるまじき巨大な部屋を発見した。
天井は高く、その果ては暗闇で包まれている。他の部屋と比べて荒くなった壁の人工化も、これだけ広ければ仕方ない。寧ろ同情してしまう。
凸凹した地面に足を奪われないよう注意しながらファナを追う。
これだけ広いのに魔物が一匹もいない。
ということは……。
「あった。階段よ」
部屋に見合う巨大な階段がそこにはあった。
やっぱり、ここは階段部屋か。
道中、徐々に魔物の数が増えているから何となく予想はしていた。
階段付近に近寄れない魔物は必然とその手前の部屋に集まりやすくなる。魔物はあまり知能が発達していないから、階段付近に近寄っては離れ、適当に階層を彷徨いては階段に近寄って、また離れるを繰り返しているのだ。
「もしかして、悲鳴はこの先から?」
「かもしれないわね」
だとしたら早く先へ進まないと。
そう思い、僕が階段に近づいた途端――。
「――待ちなさい!」
いきなりの大声に驚き、僕はよろめきながら後退りした。
「何か来る……」
警戒心を露わにしたファナが、戦闘態勢に入った。
これまでと同じように僕は彼女の一歩後ろに下がり、部屋全体を見渡した。この部屋に出入口は二箇所しかない。階段以外に警戒するとしたら、真逆の位置にある僕らの通ってきた道だ。
「うっ!?」
耳を劈くような奇声に、思わず両耳を塞いだ。
恐らく魔物の叫び声だろう。けれども……気のせいでなければ、そこに聞き覚えのある声が混じっていたような……。
「まさか……」
嫌な予感がした。
階段の先からバタバタと足音が聞こえてくる。
「きゃああああああああああああ――!?」
先程と同じ悲鳴が近づいてくる。
この声は……間違いない。
やがて階段から飛び出てきた二人に、僕は声を張り上げた。
「メルリック、アリエル!?」
直後――。
二人の背後から、巨兵が現れた。




