-26- 聖剣さん背水の陣です
四層に入った直後、再びファナが周辺に向けて威嚇を開始した。
今度は意識していたからか、彼女が変化した瞬間に気づくことができる。
その威圧感に感嘆しながらも、僕はファナに言われた通り周囲に警戒を配った。
レアデーモンの尻尾のように、射程距離の長い武器だと僕では対応できない。
身近に魔物が存在するならば僕よりもファナの反応の方が早い筈だ。
なら僕は、せめて少しでも遠い位置に気をつけておこう。
「……あれは?」
最初は壁の染みかと思ったけど、違う。
黒い塊のようなものが、少しずつだけど移動しているのが見えた。
ぴょんぴょんと跳ねるように移動するその姿は、愛らしく思える。
「ファナ、あそこに変な魔物が……」
「走れ、狐火」
「ああっ!?」
無残にも燃え盛る魔物に、僕は声を上げた。
あんな無害そうな魔物でも、殺す必要はあるのだろうか。
などと思っていると、燃え盛る炎の中でギチギチと嫌な音がした。
橙に照り続ける炎の中で、黒い影が姿を変える。
可愛らしい無造作な石ころのような外見から、気色悪い六本足の生物へ。
ゴブリンの半分ほどの体長になったそれは、勢い良く炎から飛び出して来た。
『ピギャアアアアアアッ!』
鎌のような足で床を突付くようにして、魔物が迫って来る。
その気味の悪い姿に顔を顰めた僕は、本能に身を任せて後退した。
壁に背を預ける少し前、魔物に近づくファナと擦れ違う。
ファナは冷静さを微塵も欠くことなく、大気に添わせるように掌を魔物に向けた。
「畝れ、妖炎」
瞬間、明らかに気温が上昇する。
狐火の比ではない炎がファナを中心に、荒れ狂うように解き放たれた。
花弁のように枝分かれした太い炎は、生物の尾のようにのたうち回る。
床を焦がし、壁を焦がし、そして眼前の魔物も焦がした。
悲鳴を上げて飛び退く魔物に、炎を纏ったファナが一歩で懐に潜り込む。
魔物の黒光りした甲殻から煙が立ち、ファナはそこに両の手を突き出した。
ファナを中心にしていた無数の炎の尻尾は、突如として宿主を魔物に変える。
四方八方から襲ってくる炎に、やがて魔物は息の根を止めた。
「やっぱりこれ、使えるわね」
崩れ去る魔物の死体を見届けることなく、ファナは僕に歩み寄る。
「次からはあの魔物を見かけたら、巻き込まれないように私から離れなさい」
さっきの魔法……妖炎、だったか。
あの時、僕が後退していなかったらあの炎は僕も焦がしていただろう。
言葉から察するに、あの炎は術者の制御を受け付けない魔法なのかもしれない。
「……わかった」
「ま、この魔法はそう使うこともないわ。あれは特別硬いだけ」
攻撃用として放たれたファナの狐火を耐えた魔物は、あれが初めてだ。
下層に降りるにつれて魔物が強くなるのは本当なのだろう。
ここは四層で、ファナの最深到達記録は九層。
まだまだ余裕だろう。
◆
「――ああもう、鬱陶しい!」
しかし、戦闘で傷を負うことはなくとも、精神的には余裕ではないみたいだった。
幾度と無く繰り返されている連戦に、流石のファナも額に青筋を立てる。
息一つ乱れていないものの、苛立ちは最高点に達していた。
「い、いくら何でも数が多すぎない!?」
一方、僕は部屋の隅に蹲ってファナに声をかける。
彼女から直々にこうするよう指示が下されたのだ。
決して、好き好んでこのような現状に甘んじているわけではない。
「そうね! ところであんた――避けなさいッ!」
「え……うわっ!?」
飛来する炎の塊を間一髪で避けた僕の眼前で、魔物の四肢が飛び散った。
警戒はしていたし、透明化の効果を持っているわけでもない。
気配を遮断する能力を持った魔物か?
でも、そんな強力な魔物が四層にいるだなんて……そんな馬鹿な。
透明化とはわけが違う。一般学生の対応できるレベルではない。
「……考えなおす必要もあるかもしれないわね」
目下戦闘中であるファアの言葉に、僕は「え?」と聞き返す。
苛立ちを吐き出すが如く、ファナは声を荒らげた。
「今の、五層の魔物よ」
「――っ!?」
五層……人工化されていない、本物の迷宮からの刺客。
それはつまり、防御装置が意味を成さない相手ということになる。
もし、今の魔物をファナが仕留め損なったら……僕は、死んでいた。
波打つ恐怖に顔面を悲壮に染める。
ファナが僕を五層まで連れて行くと決めたのは、そこが彼女の限界だからだ。
僕というハンデを背負いながら、彼女が辿り着ける最深部。
しかし、それは普通の、当たり前の範疇にある迷宮探索の場合に過ぎない。
少し考えれば、すぐにこの可能性に気づく。
五層の魔物が四層に登って来ているのだ。
ならば……六層の魔物が五層に登って来ても、おかしくない。
「――ッ!?」
迷宮そのものが、大きく揺れた。
一瞬、天井が迫って来る古典的な罠と錯覚する。
しかしその直後、単に僕が浮いているだけだと理解した。
「今の揺れ、下の層からね」
階層を超えても届く衝撃か……。
この先に待つ脅威を垣間見た気がした僕は、苦笑いしかできなかった。
「それで、アジナはまだ着いてくる? 最悪ここでリタイヤするのも――」
「……いや」
ここまで来て肝心の聖剣を見れなかったら、それこそ骨折り損のくたびれ儲けだ。アリエルの同調技術についての疑問もまだ残っているし、今までどおりの学園生活だと今後も聖剣と出会えない気がする。
それに、今回の迷宮探索は僕自身の株を上げる良い機会だ。
ファナの護衛があるものの、死の危険性が伴う五層まで潜ったとなれば僕の評判も改善されるに違いない。落ちこぼれだとか不正野郎だとかいう不本意な二つ名ともおさらばできる。
「……リタイヤはしない。聖剣を見るまでは絶対に着いて行くよ」
「そう言うと思ったわ」
でも怖くないわけではないので、膝はガクガクと震えていた。
できることならば、五層に辿り着く前に聖剣を見たい。
山場まで後二話くらい。




