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-1- 聖剣さん日常です

 恋慕のような、憧憬のような。

 そんな複雑な感情が幾重にも絡まった状態で、僕は目を覚ました。

 掌に滲む汗を拭うように身体を覆っている布団をのける。

 無駄に高級な羽毛布団は軽く、簡単に足先まで空気に晒されることになった。


 興奮すると同時に、どこか懐かしむものがあって。

 哀愁と同時に、今の自分の原点があると思い知らされて。

 こんな気分になるのは珍しくない。

 また、あの夢を見たのだ。


「うーん……よしっ!」


 お陰様で寝覚めだけは良かった。

 冷える床を跳ぶように移動して、洗面所で顔を洗う。

 聡明そうな黒の瞳に、銀に見間違えそうな灰色の髪……嘘ですごめんなさい。


 子供のような丸い瞳に、くすんだ灰色の髪。

 悪くはないが、決して良くはない顔立ち。

 これといって特徴のない平凡な面がそこにはあった。


 最低限髪を整えた僕は、寝巻きから私服姿に着替えようとして……思い出す。

 そうだった。今日からは普段通りではいけないんだった。

 私服を仕舞い、代わりに数日前に渡された服を箪笥から取り出す。

 妙な光沢の入ったその服に腕を通し、時間をかけて身に纏った。


「おはようございます、アジナ様」


 部屋を出るなり、窓を拭いている侍女に挨拶をされる。

 紺のロングスカートに白のエプロン。

 可愛らしいフリルの付いたそれだが、実は機能性に優れたものとのこと。

 この屋敷内で働く使用人は、皆その姿で行動しているようだ。


「おはよう。えーと……」

「シーナでございます」


 このやり取りも、もう何度目だろうか。

 屋敷に住み始めて早三ヶ月。未だに使用人の名前を一人も覚えていない僕に、シーナさんは苦笑しながらそう告げる。僕の対応なんてもう慣れっこですよ、とでも言いたげな表情だ。


「ふふっ、アジナ様。ネクタイが曲がってますよ」


 シーナさんの言葉に、僕は自分の胸元を見る。

 だらしなく緩んだネクタイが、大きく横に逸れていた。

 しかし、着慣れない服だからか。正直どこを見ても変に思える。

 服に着られるとはまさにこのことか……なんて思っていると、シーナさんは当然のように僕に近づき、その指で緩んだネクタイを持ち上げた。


「あ、いや、自分でやるから大丈夫だよ」

「遠慮なさらず。どうぞお任せ下さい」

「ううん、そうじゃなくってさ。僕ってそういうのにまだ慣れてないんだ」


 周りが貴族ばかりだから、使用人もそれに見合った対応をする。

 でも、僕はこの屋敷でも唯一の平民なのだ。

 好意を踏みにじるようで悪い気がするけど、落ち着かないものは仕方ない。


「そうですか……」


 残念そうな顔をするシーナさんに、罪悪感が募る。

 いっそ傲慢に振る舞えれば気も楽なんだけど……。


「では、私はこれにて」


 最後にそう一言告げて、彼女は窓拭きを再開した。

 この先も世話になるんだし、いい加減免疫をつけないといけないな。


 侍女と別れた後、僕は朝食の場である食堂へ向かった。

 階段を降り、廊下の端から端まで敷かれている赤絨毯の上を歩く。


 ふと廊下の壁に掛けてある時計を見る。

 予定よりも大分早く部屋を出ていたらしい。

 どうしよう、部屋に戻ろうかな……。

 なんて思いながら廊下を歩いていると、飾られている骨董品が目に入った。


「……これの何がいいんだろ」


 焦げ茶色の壺を見て、こっそりと呟く。

 芸術的センス皆無の僕にとって、この壺はただの置物だ。


「どうせ価値もわからないでしょうに、何見てんのよアンタ」


 赤絨毯を踏む足音と同時に、呆れた溜息のようなものが聞こえた。

 僕はその声に、ははは、と乾いた笑みを零しつつ振り返る。


「おはよう、ファナ」

「ええおはよう」


 絨毯と同じ赤い色をした髪を二つに結ぶ、僕と同い年の少女の声。

 ファナ・アクネシア。彼女はこの屋敷の同居人の一人だ。


「この壺はね、かの伝説の錬金術師オルバ・アルケミストが作成した物と言われてるの。重要なのは見た目ではなくその中身。複雑な骨子の構成で錬成されたこの壺は、如何なる魔法にも耐えると言われてるわ」


 つらつらと説明するファナに、僕は適当に相槌を打っておいた。

 自分が所有者でないくせに、よくもまあここまで知識をつけられる。

 いや、或いは単純に僕が物を知らなすぎるだけかもしれないんだけど……。


「ま、平民じゃどう足掻いても手の届かない一級品なのは確かね」

「今既に手が届きそうなんだけど」

「アンタは例外」


 下らない会話だったためか、ファナは眠そうに欠伸をした。

 夜ふかしをするのは彼女の悪い癖だ。


「私としては、アンタがこの屋敷にいることが不思議でたまらないわ」

「親が勝手に決めたからね、実を言うと僕も直前まで知らなかったし」


 貴族ばかりの屋敷に平民の僕がいれるのも、偏に両親の苦労の賜物だろう。

 本当に、父さんと母さんには頭が上がらない。


「そう言えば、アジナってあの本持ってたわよね?」

「あの本っていうと……ああ、カティナ様の特集だっけ」

「ええ、あれ今度貸してもらってもいいかしら?」

「構わないよ」


 以前、ファナと話題になった本を思い出した。

 僕と彼女は……というか、多分この国だと全ての人間が、このカティナ・アストラルという人物に憧れている。


 カティナ様は、初代勇者に最も近いと評される現代の勇者だ。

 長い歴史の中でも彼女ほどの実力を兼ね揃えた勇者は滅多にいない。

 そんな実力を持ちながらも、カティナ様は女神のような慈悲深さを持っている。凛々しい立ち振る舞いに、敢えて鎧を纏わないというリスキーなスタイル。彼女の魅力は僕たちではとても語りきれない。


 そんな誰もが尊敬の対象としているカティナ様に、僕はそれとは別の感情を抱いていた。


 無論、それは恋慕ではない。

 僕が抱くのは、感謝の念だ。

 

 あの時、僕の命を救ってくれたこと。

 そして、僕にこの世で最も素晴らしい存在を教えてくれた人。

 僕はあの人に、伝えきれない程の恩がある。


「アジナも人に憧れるのね」

「そりゃあ僕だって誰かに憧れたりはするよ」

「でもどちらかと言うと、カティナ様よりも、カティナ様の持つ聖剣に憧れてるんでしょ」


 ご明察、と僕は大きく頷いて見せる。

 憧憬と感謝は全くの別物だ。

 憧れるならば、僕はファナの言うとおり、あの人の持つ武器である。


「憧れるのはいいけど、あんたはちょっと行き過ぎよ」

「そんなことはない。……なんなら僕が聖剣の魅力を教えてやろう」


 げっ、とファナがあからさまに嫌な顔をした。

 僕はそれに気づいていないフリをして、大きく息を溜め込む。


「――そもそも、聖剣は人の理解の範疇を超えた代物なんだ。聖剣王が大量の破片と化し、世界中に散らばった四世紀前から、聖剣の持つ神秘は一向に解明されていない。欠片との接触で生命が聖剣化することも、聖剣が勇者の血筋にしか使えないことも、聖剣と対を成す堕剣の存在も全てが未知の領域だ!」


「ちょ、ちょっとアジナ。今はまだ朝だから――」


「他にも、欠片は聖剣王であった頃の部位によっては得意な系統を持っていたり、聖剣自体が人化して戦力になったりと様々な特色が見られる! しかし、何よりも着目すべき点はやはり聖剣の属する系譜のことで、一説では聖剣の欠片は生命の根幹ライフツリーを根本的に書き換えるだとか――」


「わかった、わかったから!」


 鬼の形相で人差し指を自分の唇の前に延ばすファナ。

 そう言えば今はまだ早朝だった。


「ていうか、良く聞いてみれば今の殆どつい最近知ったものじゃない」

「う、うるいさ! 実家が貧乏なんだから仕方ないだろ!」


 屋敷の書庫に行くまで、今まで本に囲まれた経験なんて無かった。

 初めて十冊以上の本を一度に視界に入れて、それからまだ三ヶ月だ。

 これでも精一杯頑張った方である。


「あんた、本当にその調子で大丈夫? 今日が何の日だか分かってるわよね?」

「何の日だか分かってなかったら、こんな服着てないよ」


 この実に動きにくい服をファナに見せつける。

 向こうも同じようなものを着ているのだが、それもそのはず。


「ピッカピカの新入生。ああ、なんて良い響きなんだ……」


 これから始まるのは、今までにない新生活。

 僕とファナが身に纏っているのは、とある学園の制服だった。


 村での平凡な暮らしはもう終わりだ。

 僕はこれから、学園生活という名の青春を謳歌する。

 この屋敷も学園の寮の一つ……通称、敷地外学生寮と呼ばれる場所だ。

 毎朝態々学園に通うのが面倒臭いが、代わりにこちらの方が幾分か費用が浮くのだ。平民出の僕からしてみれば大助かりである。


「……取り敢えず、あんまり無茶はしないことね」


 疲労感を訴えるように遣る瀬無い口調で言うファナ。


「心配しなくとも大丈夫だよ」

「……別に心配なんてしてないわよ」


 そっぽを向いて踵を返したファナに、僕はもう一度お礼を言う。

 なんだかんだでお人好しなのがファナのいいところだ。


 価値の分からない壺から離れ、再び壁に掛けられた時計を見る。

 ファナに続き、僕も食堂に向かった。



「思ったよりも時間が余っちゃったな……」


 さて、どうしよう。

 今朝の食事は新鮮な生野菜と小麦のパンだった。

 パンの焦げ目から漂う香ばしい匂いは、サイドメニューの薄切り肉という存在を彷彿とさせ……って、そんなことはどうでもいい。

 うちの食事が美味しいことはいつものことだ。


 同居人の殆どは朝食が終えると同時に屋敷を出て行った。

 入学式当日という事なので、時間に余裕を持って行動したいらしい。

 一応、準備だけなら僕もできているんだけど……。


「空いた時間は効率的に使わないとね」


 階段を上り、部屋に戻る。

 部屋はいつもどおり綺麗な状態だった。

 掃除をしてくれた使用人には感謝しないと。

 

 とは言え、この部屋ほど掃除のしがいがない部屋なんてないだろう。

 なにせ、この部屋にはこれといった「物」がないのだ。

 貧乏人である僕の私物なんて、それこそ僅かな本か、村に住んでいた時に愛用していた服しかない。部屋の家具は全て初めから置いてあった物だけだし、本も先程ファナと話していたカティナ様特集の他には二、三冊くらいだ。

 

 後は精々、机の上にどっかりと置かれている木箱か。


「魔水晶は……うん、ちゃんと補充されてる」


 木箱に手を突っ込み、目当ての物を取り出す。

 ゴツゴツとした手触りのこれは、魔水晶と呼ばれる特殊な鉱石だ。

 今は淡い輝きを灯しているが、これの輝きはある手段で消すことができる。

 これから僕は行うのは、つまりこの水晶の輝きを消す作業だ。


「さて、それじゃ……今日も頑張ろう」

1/22 修正終了。

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