聖剣様の一日
その日、サイカ・フェイリスタンの心情は普段とは違うものだった。
胸中を占めるのは先日出会った一人の少年。
アジナ・ウェムクリア。
同学年他クラスに在籍する勇者だ。
「おはよーサイカちゃん」
「おはよう」
学園に入学する前からの女友達――ユリスに挨拶をしつつ、サイカは教室の扉を開く。そこにアジナ・ウェムクリアの姿はない。
……当然か、彼は別のクラスだ。
銀の髪を指先で絡め、くるくると弄ぶ。
椅子に腰掛けて落ち着いたところで、サイカは先日のことを思い出した。
先日、生まれて初めて自分を「使いたい」と言う者が現れた。
聖剣である以上、遠くない未来でそれは訪れるとは考えていたものの、いざ目の当たりにしてみると様々な感情が浮かび上がる。
聖剣に対して「使いたい」という言葉は、愛の告白のようなものだ。
長い時間を共有し、生死を賭ける戦いでは常に傍にいて欲しい。
そういった願いを一言で表すのが「使いたい」の一言である。
しかし、どうもアジナはそんなことを微塵も考えていないようだった。
思えば、出会ってすぐに申し込まれたことから不思議には感じていた。
勇気を振り絞って一目惚れかと尋ねてみたら、違うと言う。
しかし、他でも良いのではないかと尋ねると、自分が一番だと言う。
矛盾のような彼の台詞に、サイカは考え、思い悩んだ。
あの時の会話を思い出すと、ほんのりと頬が赤く染まる。
サイカは他人にはよく無愛想、無表情と言われるが、無口ではない。
それなりのコミュニケーションを取ることのできるサイカは、やはり周りの同性が思う程度の、ロマンチックな乙女心を持っていた。
「……流石、噂に名高い変人だったわね」
既に同学年の殆どに知れ渡っている、とある生徒の噂。
聖剣に恋い焦がれ、聖剣に心酔する、ちょっと変わった同級生。
そんな彼から告げられた……一番使いたい、という台詞。
数多くの聖剣に興味を向けている彼が、自分を一番と言ってのけたのだ。
一夜明けても胸の鼓動が激しくなる。
平然を装っているだけで、その胸中は全然落ち着いていない。
感情が顔に出にくい体質で良かった、と思う。
「愛想、つかされたかしら」
今更遅いのだが、先日はあまりにも切りの悪い別れ方をしてしまった。
しかし、あの時のサイカは戸惑っていたのだ。
生まれて初めて「使いたい」と言われたこともあるが、他にも相手があの噂に名高い少年だったり、初対面というタイミングだったり、密かに抱いていた乙女心が揺さぶられたりと……割りと真剣に容量オーバーだったのだ。
おかげ様で、次に話をする約束すらしていない。
聖剣の使用を申し込まれて、サイカは保留という答えを出したにも関わらず、その後のことを取り付けなかったのだ。
今のままだと互いに気まずい関係が続くことになる。
「やっぱり、私から声を掛けた方が……」
彼を受け入れるにせよ、受け入れないにせよ、話し合う必要がある。
自分から背を向けたのだから、次は自分が赴くべきだろう。
「あ、聖剣マニアだ」
ふと、真横の席からそんな言葉が聞こえた。
ビクリと大袈裟なまでに肩を跳ねがらせたサイカは、周囲からの不信な視線に恥ずかしそうに顔を伏せる。そして、こっそりと横に座る生徒の視線を辿った。
三組に向かっている途中であろう、アジナがそこにはいた。
しかし、先日の時と比べ、明らかに表情が変わっている。
その瞳は熱く燃え盛っており、歩き方もどことなく力強い。
昂然としたその振る舞いは、アジナのやる気が漲っている証拠だった。
アジナの様子が以前と違うことは、サイカの目から見ても一目瞭然。
もし、もしもそれが、自分に関わることだとしたら……。
サイカは想像した。
あの瞳に灯ったやる気が、自分に向けるためのものだとしたら……きっと、彼はもう一度声をかけてくる。そして、昨日の続きを話す筈だ。
伊達に聖剣マニアではない。
彼は、聖剣に対しては人一倍本気なのだろう。
あの時の言葉も……本気、ということだ。
「……」
サイカは、覚悟を決めた。
今日、私はもう一度、彼と話し合う。
そこで決着をつけるのだ。
私が彼のものになるのか、否かを。
「今のうちに、考えておかないと」
思い立ったが吉日。
サイカは早速、アジナについて情報を整理した。
余計な雑念は全て遮断する。
考えることは、彼は自分を使うに相応しいか否のみ。
真っ先に思い浮かぶのが、聖剣マニア落ちこぼれ説。
測定が最低評価な上、どうやら彼はそもそも鍛錬をしていないそうなのだ。
しかも、同調では不正を行った嫌疑がかけられている。
所詮は噂の域を出ていないが、殆どの人が口を揃えて真実だと言うのだ。
正直……使い手としては、致命的な悪印象である。
恐らく、この状態で彼を聖剣と認めたら、サイカにも影響が出るだろう。
不正を行った勇者を使い手として認めた愚かしい聖剣。
そんな烙印を押されるに違いない。
しかし、そんな噂程度で判断していいことなのか。
実力の方は正直、あまり期待できるようなものではない。
それでもサイカは、何よりも……アジナの意思を優先したかった。
彼は何を思い、何を願っているのか。
何を考え、どのように物事を捉えているのか。
そして、何故……自分を、選んだのか。
ちゃんと、答えを聞きたかった。
自分が一番である理由……彼の言葉の、真意を。
あの時は照れ臭くて立ち去ってしまったが、今ならば覚悟もできている。
もう一度、彼の言葉が聞きたい……。
「――サイカちゃん、お昼食べよっ!」
いつの間にか授業が終了していたらしい。
それでもサイカはまだアジナのことを考えていた。うんうんと悩むその姿に昼食を誘ってきた学友も心配したが、サイカは頑なに「大丈夫よ」を貫く。
昼食の誘いにサイカは暫し躊躇う様子を見せたが、すぐに首を縦に振った。
アジナから声が掛かるのはいつだろうか。それまで教室で待っていた方がいいのかと考えるも、弁当を持参していないので学食には行くしか無い。今朝偶然目撃したアジナの持っていた鞄からして、きっと彼も昼は学食で済ませるだろう。
すれ違いになっては困る。
一応、目立つ席に座っておくべきか。
そんなことを考えながら廊下に出ると、階下から騒がしい声がした。
何事かと思いながら、サイカとユリスは階段を降りる。
「ちょ、ちょっと待った。僕にだって予定が――」
サイカの脳内を大幅に占める人物が、急に目の前に現れた。
不覚にも、サイカは足を止めて硬直した。
柄にもなく緊張したサイカは、咄嗟のことにパニック状態に陥った。
意味もなく視線を逸らしたり、まるで興味がないと言わんばかりにアジナに背を向ける。しかし友人が食堂に向かおうとすると、今度は逆に少し待って欲しいと言わんばかりに動きを止め、チラチラとアジナに視線を向けた。
おどおどしながら、サイカは思考する。
もしかして、今こそ声を掛けるべきではないだろうか。
話したいことがあるのだから避ける必要はない。
話してから昼食を取りに行ってもいいし、タイミング的には問題ない筈だ。
声を掛けるかどうか、サイカは逡巡する。
しかし、その思考が結論に至るよりも早く、サイカの思考は遮られた。
「あらごめんなさい、知らなかったわ。どうでもいいけど」
アジナの腕を引っ張る赤髪の女子を見て、サイカは顔が強張るのを自覚する。
アジナを引っ張る女子は同性であるサイカから見ても魅力的だった。
綺麗な赤髪に、可愛らしく結ばれたツインテール。
気丈な雰囲気が外見と合わさり、活発なイメージを彷彿とさせる少女。
強そうで、女としての魅力も持っていて。男子にもさぞや人気があるのだろう……そんなことを、思ってしまう。
二人は随分と仲睦まじく騒いでおり、どちらも壁という壁を感じさせない。
非常に近い距離感を有していると傍目からでも理解できた。
嫉妬の視線を突き刺す周囲が、サイカの瞳によく映る。
(あれ、私は……?)
もしかして、自分は完全に思い違いをしていたのだろうか。
アジナのあの表情……あれはまるっきり、自分のことを考えていない。
というか、こうして目の前にいるのに……一向に気づく様子がない。
「……行こ」
「あ、ちょっと、サイカ?」
ちょっと腹が立った。
胸がチクリと痛み、胃がキリキリと痛んだ。
今まで真剣に考えていた自分が馬鹿みたいに感じてしまう。
授業が頭に入らないほどこちらは思案していたのに、向こうは他の友人と仲良く平和に学園生活を謳歌している。
それはなんというか……非常に許しがたく、不公平だ。
しかも、女子だ。
自分のことを一番と言った癖に。
沸々と湧き上がる得体の知れない感情に、サイカは翻弄された。
「――げっ!?」
食堂に行く途中、隣の友人が悲鳴のような声を上げる。
振り向くと、豚の獣人がこちらに歩み寄ってきた。
「また会ったな、ユリス」
「な、なな、なに? 何の用? 私これからサイカとご飯食べに行くんだけど」
噛み噛みの言葉で豚の獣人と会話するユリスは、不安そうな表情でサイカの制服の裾を掴んでいた。その怯えようにサイカは疑問に思うが、心当たりがある。
豚の獣人で、小柄な異性に片っ端から婚約を申し込む男がいるという噂。
聖剣マニアに次ぐ変人――ジック・ウォルターという名の勇者だ。
「時間無いなら単刀直入に言うぜ。俺と結婚してくれ」
「無理」
両手でバッテンを作り、きっぱりと断るユリス。
ユリスはかなり小柄な女子生徒であり、正直見た目だけならば同年代とは考えられない。そんな子供体型にユリスはコンプレックスを抱いていたが……成る程、この獣人は寧ろそういった体型の異性が好みらしい。噂に違わぬ人物だ。
「ていうか、あんた昨日も同じこと言ってきたよね」
「一晩寝たら気が変わると思ったんだ」
「私は子供か!」
少なくとも見た目は子供だ。
ユリスの返事を聞いたジックは、残念そうな顔をして彼女から一歩引いた。
どうやらそこまで粘り強く挑むつもりではなかったらしい。
ふと、ジックの瞳がサイカの方を向いた。
「ところで、もしかしてお前がサイカ・フェイリスタンか?」
「……そうだけど」
「ああ、やっぱりそうか。アジナから話は聞いてるぜ」
ジックの口からアジナの名が出たことで、サイカはピクリと反応を示す。
それはつまり、アジナもまた自分のことを考えていたということだ。恐らくアジナ一人では解決できそうになかったから、ジックに相談をしたのだろう。
向こうは向こうで、それなりに苦悩しているのか。
そう考えると、サイカの胸中から苛立ちがスッと消えた。
「アジナの奴、今日は張り切ってたからな。無碍にはしないでやってくれよ」
「……ぇ」
やはり、あの態度は自分に向けられたものだったのか。
先程の考えを撤回する。
思い違いではない。
アジナはちゃんと今日、自分と話をする予定だったのだ。
少し前にした覚悟は無駄ではなかった。
「――ええ、わかったわ」
無碍になんてするものか。
自分を「使いたい」と言ってくれた相手なのだ。
変人だとしても、落ちこぼれだとしても、彼の意志だけは本物だった。
ならばこちらも本物の意志で向き合わなくてはならない。
それが、自分を「使いたい」と言ってくれた相手に対する、最大の礼儀だ。
「じゃあな、ユリス。また会いに来るぜ」
「べぇーっだ!」
あっかんべーでジックを送り出すユリスにサイカは苦笑する。
その足取りは、普段よりも軽かった。
時間は、彼女の高ぶる気持ちと共に過ぎてゆく。
昼休みは結局会えなかったので、放課後まで待つことにした。
授業は全くに頭に入ってこなかった。
頭に浮かぶのは、ずっとアジナのことだった。
『今は、サイカが一番欲しい』
彼の放ったその台詞は、延々と脳内で反芻される。
どことなく落ち着きのない彼女は、じっとその時を待っていた。
――が、しかし。
「………………」
放課後を告げる鐘が鳴り、それから更に小一時間が経過した頃だった。
一年一組の教室で、サイカは一人ポツンと、席に座っていた。
その瞳は……どこも、なにも、捉えていない。
ただ無心に、虚空を見つめている。
サイカは待っていた。
ずっと待っていた。
一緒に帰ろうと誘ってくれたユリスに断りを入れて、クラスメイトがぞろぞろと学生寮に帰る姿を眺めながら、サイカは放課後の教室で一人佇んでいた。
最初は、単に来るのが遅いとしか考えていなかった。
だったらその間にでも、頭の中を整理しておこうと思っていた。
もしかしたらアジナも今頃同じように、頭を悩ませてこちらに来ることを躊躇っているのかもしれない。そんなことを想像し、クスリと可愛らしく笑みを浮かべて……それから更に、待ち続けた。
「…………来ない」
いや、もう既に理解はしていた。
遅いのではない。
来ないのだ。
先程、逆に心配になってきたサイカは、ついに自分から動いたのだ。
しかし、三組の教室には誰一人として生徒の姿が無かった。
いたのは担任のリッテ先生だけだ。
どこかに寄ってから来るのだろうか。
もしや、自分の気を引くためにプレゼントの用意でも?
そんなことしなくても、十分なのに……。
なんて考えも、時が経つと同時に廃れていった。
「…………来ない」
思い違いだったのだ。
宿した覚悟は無駄だったのだ。
きっとアジナは、そこまでサイカに執着するつもりはないのだ。
虚ろな目で、サイカは立ち上がる。
眦に僅かな水滴を滲ませながら、彼女は一人ぼっちの教室から抜けだした。
橙の陽光が窓辺から差し込み、サイカの横顔を照らす。
響き渡る鳥たちの鳴き声は、空っぽになった心に透き通るように染み込んだ。
「…………ふっ」
あまりにもあんまりな状況に、最早笑うしかない。
皮肉にも、無表情で有名なサイカが珍しく顔に感情を表した瞬間だった。
1/26 修正終了。




