-9- 聖剣さん価値観の相違です
三限目の実技演習。
戦いを義務付けられている僕たちにとって、最も重要な授業だ。
広大な敷地面積に満遍なく生い茂る芝生に、僕たち一年生は起立する。
各自準備してきた戦闘服に着替え、武器やその他の道具も装備済みだ。
この時間だけは、どのクラスメイトも身を引き締めていた。
「本日は、まず諸君の各能力値を測定する」
周辺に設置された計測機器を見渡しながら、ノスタン先生が言った。
額に角を生やした彼は、人類の中でも比較的戦闘力に長けている鬼人だ。
何でも、鬼人の腕力は生半可な魔法ならば素手で跳ね飛ばすとか。
下手をすれば、勇者でなくとも勇者と張り合えるのではないだろうか。
「余った時間は模擬戦に使う。各自、体力調整を考慮しておくように」
はい! と引き締まった返事が轟く。
流石に一年生全体で行われている授業だけあって、その声は大きかった。
「よーし、んじゃあ早速準備しな」
荒々しい言葉で締めくくり、ノスタン先生が僕達に背を見せる。
見るからに体育会系の先生だ。僕とはちょっと波長が合わないかも。
「なんだアジナ、緊張してんのか?」
隣でジックが心配したように僕に言う。
反面、ジックは如何にも楽しそうな表情をしていた。
「緊張っていうか、不安というか」
「あの先生、口調こそあれだけどちゃんと人のこと見てるぜ? 困ったら遠慮することねぇから相談しとけよ」
そう言えば、ジックは中等部の頃にもノスタン先生の世話になったんだっけ。
見かけに寄らず、意外といい人か……それなら身近にもう一人いる。
人を寄せ付けない雰囲気に、目立つ赤髪だ。
直ぐに見つかるだろうと探してみると、見事に目が合ってしまった。
「……何?」
そっちこそ、と聞きたいが彼女を怒らせたくないので止めておく。
すると、ジックが彼女に向かって歩き出した。
「あー、その。アクネシアさん」
「……何よ」
「さっきはすいません。俺、偏見を持ってました」
潔く頭を下げるジックに、ファナが驚いたように目を見開いた。
先程ファナに対して狼狽えたことを謝罪しているのか。誠実だなぁ。
などと考えていると、ファナがあたふたと慌てながら僕に顔を向けた。
どうやら、何と返答すればいいのか分からないらしい。
両頬を紅潮させ、せがむようにこちらを見るファナに、僕は小さく笑った。
「許してあげれば?」
「そ、そうね。許してあげるわ。感謝しなさい!」
腕を組んでそっぽを向くファナに、僕は思わず苦笑する。
その一言にジックは胸を撫で下ろしていた。
「んじゃ、改めて自己紹介させてくれ。俺はジック・ウォルター」
「あたしはファナ・アクネシア」
よろしく、と腕を差し伸ばすジックに、ファナは「うっ」と鼻白んだ。
再びこちらに視線を寄越してくるので、頷いてみせる。
そうして、ぎこちなくも二人は握手した。
新たな友情が生まれた瞬間だ。
これは、祝わねば。
「おめでとうファナ。やっと友達が出来たね!」
「は、はあ!? 何よそれ!」
「いやー、本当に良かった。これは帰ってリセに報告しないと」
「……」
無言で僕の腹に拳を繰り出すファナに、ジックが顔を歪めたのが分かった。
「あまり時間もねぇみたいだな」
計測機器の準備が整ったらしく、ノスタン先生が近くにいる生徒から順に呼び出しを行っている。もう少しもしない内に測定が開始されるみたいだ。
しかし、具体的に何をするのかはサッパリ。
見たことのない計測器に、グラウンドを利用するものもあるとか。
「……ねぇ、アジナ」
勇み足で測定場に移動するジックを傍目に、僕はファナの声に立ち止まった。
紅の双眸が、風に靡く髪と共に揺れている。
あまり言葉を溜め込むのは彼女らしくない。
何か言いにくいことでもあるのか。
「あんたは、あんたの道を貫きなさい」
「……?」
そう告げたファナは、さっさと僕を通り越してしまった。
えーっと、それってつまり……どういうことだろう。
やたらと真剣な物言いだったから、無視しようにも無視できない。
「五つ目の測定は勇者と聖剣で別々になる。担当の教師の案内に従って行動するように。それと……くれぐれも、不正を働かないように」
ゾッとする冷ややかな先生の声に、僕を含めた生徒たちは固唾を呑んだ。
そうか、今回の測定は、うまくいけば大きなアピールポイントになるんだ。
勇者は聖剣に。聖剣は勇者に。
どちらもそのことを考えているに違いない。
僕も頑張らないと……。
「次!」
考え事をしていたからか、順番はすぐに回ってきた。
測定を終えた生徒を見ると、あまり疲労している様子はない。順番の回転も早いので、測定方法が手っ取り早いものなのだろう。
指示に従いつつ前へ進むと、よく分からない計測器を渡された。
「握力計だ。測り方は分かるな」
「……はい?」
「何だ、使ったことないのか?」
「あ、いや。測り方はわかりますけど……」
いや、分かるけどさ。
それにしても……ちょっとこれは、予想外だ。
確かに、勇者たるもの身体は鍛えておいて損はない。
けど、それは別に、最も重要視すべき点ではない筈だ。
身体能力は聖剣の力を使えば容易に向上させることができる。
ならば、勇者単体の身体能力なんて、ただのお飾りではないだろうか。
そもそも、勇者と聖剣は風と帆船の関係に近い。
無限大とも言える風の流れを、帆船が推進力に利用する。
聖剣が内包する大量の力を、勇者が戦う力に利用するのだ。
帆船に、無風で推進力を生み出す能力を付け加える必要はない。
それが追求すべきは、風を効率的に運用するための技術だと。
風を受けるからこその帆船だ。
聖剣を使うからこその勇者だ。
「おい、早くしろ」
後ろがつっかえているらしく、ほぼ反射で握力計に力を入れた。
全力を注いだものの、メーターはほんの少ししか動かない。
そりゃあそうだろう。
握力なんて、鍛えたことがないのだから。
「お前、それは本気か?」
「はい」
周囲の視線が変わる。
表に出して馬鹿にしないのはまだマシだが、視線が突き刺さるように痛い。
……駄目だ。
何を意気消沈としているんだ。
僕にはまだ、同調という武器がある。
そのために他の全てを捨ててきたんだから、この結果は当たり前だ。
「……もういい。次は向こうだ」
呆れたように指示を出す先生に反し、僕が気合を入れて足を進めた。
目先にあるのは、白いラインを引かれたグラウンドの一角。
そこで、生徒たちが横一列に並んでいた。
パンッ、と軽快な音が鳴ると、一斉に生徒たちが走りだす。
徐々に速度を上げていき、各々が各々の得意とする走法で駆け抜けた。
どうやら次は短距離走らしい。距離は大体、百メィトルと見た。
「な、ないわ……」
これもまた、僕には適していない分野。
また聖剣の前で恥を晒さねばならないのか。
これで同調の測定がなければ、本当に僕の学園生活が終わってしまう。
ああ、くそっ。
こんなことならば、多少は身体を鍛えておくべきだったか。
……いや、そんな暇があれば、もっと同調の鍛錬を行っている。
どのみち一朝一夕で身につくものではないし、後悔先に立たずだ。
「次の方、準備お願いしまーす!」
遠方で大声を出して指示する教師に、両隣の生徒が膝を曲げて屈んだ。
何そのポーズ。走りやすいのかな……?
一人だけ突っ立っていると目立つので、見よう見まねで僕も屈んだ。
スタートを切る音が鳴ると同時に、視界に砂塵が舞い上がった。
やばい、完全に出遅れた! って、皆早っ!?
それもう人の脚力じゃないだろって速度で走る皆に、僕は焦りに焦った。
慌てて足に力を入れるが……。
「――痛あっ!?」
最初の第一歩を滑らせ、激しく転倒。
砂粒が顔面に擦れ、強烈な摩擦熱を感じた。
やばいやばい。今、猛烈に恥ずかしい。
すぐに体勢を立て直し、僕は恥を紛らわすかのように全力疾走した。
◆
「はぁ、はぁ、はぁ……あー、しんどい……」
四つ目の測定を終えた僕は、地べたにドスンと腰を下ろして息を整える。
顎を上げて無様に汗を流しつつ、大きな口を開いて肺に酸素を送り込んだ。
測定の結果は……聞きたくない。
計測係の顔を見るだけで、答えは十分に察せられた。
何で、何で……全部、身体能力なんだよ!
しかもどうして皆、それについていけるんだ!
こんなの、おかしいだろ。
そんな満遍なくこなしたって、聖剣の力を借りれば簡単に補えるのに。
皆……もしかして、聖剣の存在をそこまで重要視していないのか。
聖剣の力を求めているのは、惚れている僕だけなのか……?
「おい、そこのお前」
やたらと刺の含まれた口調で呼ばれる。
本来ならば驚いていたのだろうけど、今はそんな体力もない。
どこの不良かと思いきや、振り向いた先には鬼人の教師がいた。
「お前、身体に何か異常でもあるのか?」
「……いえ、ないですけど」
「なら、その体たらくは全て、お前の鍛錬不足が原因か?」
鍛錬不足かと言われると微妙だが、そう言われれば頷くしかない。
他の鍛錬に時間を割いていた分、肉体の鍛錬に時間を割けなかったのだ。
「鍛錬不足に陥った事情は?」
「何も、ないです」
「じゃあ何故、鍛錬を怠った」
「聖剣が補ってくれるからです」
僕がそう告げた途端、周囲の視線が一層冷たいものに変わった。
同居人の皆も最初はこんな感じだったなぁ……と、少し前のことを思い出す。
いかんいかん、今のは現実逃避だ。
逃避したいくらい、精神が切羽詰まっている。
「……最低ですわね」
ポツリ、と誰かが言葉を漏らした。
目の前にいる、金髪の女子生徒が言った台詞だろう。
再び漂う静寂は、周囲の誰もがその言葉に同意していることを表している。
「恥ずかしくないんですの?」
「なんの事だか、よくわからないんだけれど」
「あなた、聖剣に頼り過ぎですわ」
「……え?」
謂われない嫌疑に聞き返すと、「惚けないで」と返ってきた。
頼りすぎ? いや、それは間違いでもないか。
でも、勇者と聖剣は、頼って頼られるものだろう?
頼ることは、決して悪いことではない。
「勇者と聖剣は共に支えあう関係ですわ。なのにあなたと来たら、聖剣が補ってくれるからって……聖剣は、あなたの怠惰のためにあるものではなくてよ」
ちょっと待て。
それは……完全に誤解だ。
別に僕は一方的に支えられたいわけではない。
そのためにずっと同調を磨いてきたんだ。
「大方、聖剣に熱狂している理由もあなたが怠けたいだけでしょう?」
何を根拠にそんなことを言っているんだ、彼女は。
まだ測定は全て終わっていない。
そりゃあ、今までの測定では随分と無様な姿を見えたかもしれないけどさ。
判断するには早すぎるんじゃないだろうか。
「言い返さない辺り、図星みたいですわね?」
「あ、いや、ちょっと唐突過ぎて理解が追い付いていないだけ」
「足も鈍ければ頭の回転も鈍いですわね」
うーん……。
これは、引き下がるとか、そういった問題じゃなさそうだ。
どうも彼女は、一方的に僕を罵倒したいらしい。
というよりも、自分の気持ちを吐き出したがっていると言うべきか。
「よし、それじゃあ証明しよう」
「証明……何をするつもりですの?」
「僕が、ちゃんと聖剣のために努力していることの証明」
次の五つ目の測定が最後だ。
事前に話された指示によると、この測定は勇者と聖剣に別れるとのこと。
よって、次の測定は、勇者は勇者にしか、聖剣には聖剣にしか出来ないことを計測すると考えても良い。
勇者にしかできないことで、測定するに値する程の重要な能力。
それを僕は、一つしか知らない。
「次!」
冷えた汗に身体を震わしながら、僕は前へ進む。
先生は僕を見るなり、どことなく遣る瀬無さそうな顔をした。
「一番重要な計測だ。期待してないが、頑張れ」
一応、元気づけようとしているのだろうか。
感謝の念を述べてつつ、僕は先生からある物を渡された。
ゴツゴツとした肌触りに、ひんやりとした感触。
手を開いてみると、馴染み深いあの水晶がそこにはあった。
「念のために聞いておくが、何をするかは知ってるな?」
「……はい、大丈夫です!」
湧き上がる活力が先生にも伝わったのか、意外そうな顔をされる。
右手の中で転がる魔水晶は、もう何年も世話になってきたものだ。
視界の片隅で、例の金髪の女生徒がこちらを見ていることを確認する。
喧騒を聞きつけたのだろう、野次馬と見て取れる生徒が小さな人集りを作っているが、問題ない。寧ろこれは、これまでの測定で味わった屈辱を晴らすための絶好の機会だ。願わくば、少しでも多くの聖剣に見て欲しい。
毎日欠かさず、ずっとこればかりに打ち込んできた。
これだけは……誰にも、負けたくない。
深呼吸し、僕は小さな水晶を一心に見据えた。
「――いきます」
同調、開始。
1/25 修正終了。




