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1-4


 妙なことが立て続けに起こったので、小屋に戻った頃には、ましろはすっかりくたびれていた。日は中天を越えている。

 眠たくなって、ましろは少しだけのつもりで、小屋の前の小さな物置に腰掛ける。そのうち寝そべって、眠ってしまった。

 夢の中では母に出会った。母はいつも通りの微笑みを浮かべていた。ましろは、母さんどこに行ってたの、と追いかけながら、涙が出た。母は謝り、それから、おもむろに歩き出す。待って。どこへ行くの。

 待って。置いていかないで。

「おい」

 ふわっとした感触が顔を撫でた。くすぐったくてくしゃみが出る。夢はその一瞬で破られた。ましろは、物置台に足もあげて寝そべった姿で目が覚めた。

 至近距離で、大きな目がこちらを見ている。ましろが、ぎょっとして体を起こすと、その生き物は「どこか悪いのか?」と人の言葉で聞いてきた。

 しきりに、毛の密集した柔らかな尾が揺れている。たぶん、さっきあれがましろの顔を撫でたのだろう。なめられなかっただけましと思って、ましろは気合いを入れ直した。

「どうして狼がここにいるの」

「どうしてもこうしても。ここは山だ。狼は山に出入りするものだ」

「そういう意味じゃなくて」

(どうして私のところへ来たのかってことよ)

 言いかけて、ましろはやめる。何だか、会いに来てほしかったみたいに響きそうな気がしたのだ。

 白露王と名乗ったこの狼は、言ったじゃないか。ここは山だからと。狼の行動範囲に、たまたまましろがいただけだ。白露王は、ましろに会いに来た訳じゃない。

 何となく苛立って、ましろは桶をつかみ、水汲みに出る。

 白露王は、当然の顔をしてついてきた。

 昨夜の雨で、小川は少しだけ増水していた。だがずいぶん落ち着いている。

 なぁどうするんだ、とばかりに、白露王が悪気のない顔でこちらを見上げている。

 ちょっと迷ったが、桶に水と、雨で洗われた山菜を突っ込んで、ましろは小屋に戻った。湯を沸かす。山菜を湯に突っ込んで、ましろは戸口に立っている白露王を追い払おうとした。だが、彼はくるくるとからかうように身軽に逃げて、そうしてじっとましろを見上げた。

(何なのかしら)

 会いに来たわけじゃないのに、つきまとうなんて。

「どうしてつきまとうの」

 ぽろっと言葉が転がる。白露王は首を傾げた。

「前も言っただろう。お前は、親父殿のはぐれっ子だろうから。まだ一人じゃ餌もとれないようだし、ここは年長者の俺が見てやらないとと思ってなぁ」

「……私は狼じゃないし、自分で自分のご飯くらい何とかする。それに、貴方がいたって、餌をとる役にも立たないじゃないの」

「立つさぁ。見ろ。そのうち小鳥が炉端にとまる。人間は、それを生では食えないが、焼いて食べるとうまいんだろう? そうするといい」

「おかしなことを言うのね」

 小鳥が近くを飛ぶことはあっても、小屋に飛び込むことはほとんどない。入るとしても迷子で、すぐに出ていってしまうものだ。

 それなのに、鼻で笑ってすぐに、ひょいと鳥が入ってきた。太った野鳩だ。羽を動かして小屋に入った。炉端は熱いだろうに、ちょこんと止まる。

 嫌な予感がして、ましろは聞いた。

「ちょっと。貴方が何かしたの」

「していない。ただ、来るだろうなと思ったからだ」

「どうしてよ」

「うーむ、説明が難しいなぁ。狼だから、かな。必要なときに必要なものが現れる。普通の狼と同義じゃない、狼だからな」

「何を言っているのか分からないわ」

「でも、鳥は来た。食べろ」

 あまりに真摯な物言いだった。その、まっすぐな目。白露王は、不意にましろの心臓を掴むようなまねをする。

 胸が詰まって、ましろはうまく喋れない。食べないでいると、もったいないからと白露王は自分で食べてしまった。

(何て変な狼なんだろう)

 小屋にいるのが落ち着かなくて、ましろは外へ飛び出した。

 ざふざふと、露に濡れた草を踏みつけて歩く。当然のように、白露王が四つ足で駆けて、ついてくる。

「ついてこないで」

 怒りも露わに言い放ち、ましろは歩く。戸惑ったようにくるんとその場で回った白露王は、やがて音も立てずに隣に並んだ。

「なぁ。どこへ行くんだ」

「どこだっていいでしょ」

「飯の支度をするんじゃないのか」

「いいじゃない別に。貴方のご飯じゃないわ」

「お前の腹が空くじゃないか」

 当たり前みたいに言われて、ましろは苛立つ。どこまでお人好し(?)なんだろう。

「貴方お腹空かないの?」

「空くよ」

「じゃあおうちに帰って、食べてくれば」

「おうちと言ってもな。野山で兎か鳥でも穫ってくれば、すぐに済むし」

「じゃあそうすれば」

 ましろがそっけない物言いをしても、白露王は一向に気にしなかった。

 鳥がいやなら、と、彼はさっきの川縁におりていった。人間がいやしないかと、ましろはひやひやした。幸い、葦がそよいでいるくらいで、人の姿は見かけない。

 岩陰で何やら、水面を見下ろしていたようだが、ざぶりと水音がして、白露王が戻ってきた。

「ほら」

 鼻面と前足が濡れている。ましろは足下で飛び跳ねる魚に目を見張った。

「イワナとヤマメ、どっちだか忘れたが、穫ってきたぞ」

「どうやって穫るの」

「目の前に泳いできたところを、手でばーん、だ」

 ばーん、と白露王が手を振る。自分でもやってみようと思っていたましろは、特にこつがないと分かって、ちょっとがっかりした。

「うん、でも、ありがとう」

(この狼は、こういう、不思議な者なのかもしれない)

 妙な納得感が、わいてきた。

 近くの大きな葉っぱをむしりとって、それで、跳ね回る魚を包む。蔓で縛れば、そう簡単には逃げられない。

「ここで食べて帰ればいいのに」

 白露王は不思議そうに聞く。

「人に見つかったら、嫌なの」

「何でだ?」

「だって」

 嫌な具合に、ましろの心臓が音を立てた。

 この、目の前の、完璧な狼に向かって、言うのが格好悪く思えた。

 ましろの耳と尾が出たようで、白露王の視線がその辺りに行く。

「ましろ」

「何」

「人が呼んでる」

 そう言う白露王は、岩陰になっていて、ましろを呼ぶ人間からは見えない位置にいた。

 ましろ、と、小川の下流の方で少年が呼んでいる。昨日、村へ来ればいいと言った者だ。

 白露王が、ちろりとましろに視線をくれた。

「お前、ましろと言うのか」

「そうだけど」

「そうか」

 何か言いたげでもある。ましろは感づいて、固い声音で言い返した。

「言っておくけど、しろ、っていう言葉が入っているからといって、貴方と関係あるわけでは、ないから」

 白露王は答えず、ふわりと尾を、払っただけだった。

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