零れ話〜アルとクリスの愚痴大会〜
意図せずして本編の間に挟まりつつ、まるで違和感がなかった二人の団長のお喋り(笑)
時系列は、閑話その12~嵐の中で~あたりです。
前女官長、サーラ・マリスによる、大規模な公金横領事件が明るみに出て、内宮だけではなく外宮も、上へ下への大騒ぎとなった。マリス夫人が後宮の備品を売り捌いていた相手は、当然貴族相手であるわけで、彼女の『取引相手』たちが顔色を変えたのは、まぁ道理だ。
その他にも、裏で彼女と繋がり甘い汁を吸っていた者や、彼女に協力することで自身の利得を増やしていた者などもいるわけだが、ひとまず事件を整理し調停局に引き渡した時点で、アルフォードと外宮室の仕事は終わった。今回の件で外宮室が動いたことも、国王が直々に解決のため乗り出していたことも、一部の重臣しか知らないことであるため、外宮室の扱いはこれまでとさほど変わらないし、国王に対する見方も変化があったわけではない。
大きな嵐をなんとか乗り越え、ひいひい息切れしていた外宮室と国王近衛騎士団に、交代できちんと休みを取るようにと指示したのは国王自身だ。王になっておよそ二年、政務室と大臣室での『仕事』しか知らなかったジュークだからこそ、外宮室と動いた今回の事件で、考えさせられることは多かったのだろう。
アルフォードの休日は、最終日にやって来た。彼自身は休みの必要性を感じていなかったが、ジュークに「お前も休め」と命令されてしまっては仕方がない。久しぶりに家に帰り、家族と他愛もない話をして、夕方頃、下町の酒場で気分転換でもしようかと服を着替えて裏口の門をくぐった。
「やぁ、アル」
「……、へ?」
そこにいたのは、ぱっと見どこかの家の使いっ走りを引き受けているかのような身なりの少年――ではなく。
「クリス!? おま、何やってんだこんなトコで!」
「こんなトコとはご挨拶だなぁ、君んちの裏門じゃん」
「だーから、それが変だろ! ……仕事は?」
「知らなかった? ボクも今日が休みなんだよ」
団長なんてのになっちゃうと、休みもろくに取れないよねぇ、などと嘯くその人の名は、クリステル・グレイシー。現後宮に新しく設置された、史上初の女性騎士団の団長にして、アルフォードの昔からの友人にして、ついでに彼の一番の親友であるエドワードの婚約者、だったりするれっきとした女性だ。にもかかわらず、下町でやんちゃしていそうな少年の扮装が恐ろしく似合っている。普段は腰まである赤金色の髪も、今はばっさりと短くなっていて――。
「ってお前、髪切ったのか?」
「んなわけないでしょ、これでもボク、貴族令嬢なんだから。これは鬘、本物の髪は編んでまとめて、この中に隠してあるの」
「へぇ、お前の髪とそっくりだな」
「当たり前だよ、自分の髪で作った鬘なんだから」
「……なんでそこまで徹底して男のフリなんか」
「世の中未だに、『女剣士』には厳しいからね。当然の用心さ」
それより、と彼女はアルの瞳を覗き込む。
「呑みに行くんでしょ? 早く行こう」
「そりゃ行くが……なんでまたお前も」
「なに、もう忘れたの? 今度呑みに付き合ってくれ、って言ってたじゃん。キミもボクも休みの日なんて、今日を逃したらあと一年は巡ってこないよ」
実に明瞭かつ、もっともな意見だ。ここ最近の忙しさもあって、自分の情けなさをひとまず箱に入れて紐でぐるぐる縛って棚上げしていたアルフォードだったが、ようやく一人の男に戻れる時間が取れた今、思う存分情けなくなれる、これは絶好の機会だった。
「なるほど。ありがとうな、クリス」
「お礼なんかいいって。早く行こうよ、アル」
あ、もちろん飲み代はアル持ちね、とちゃっかり付け加えた彼女に笑い、二人はいつもの酒場へと向かった。
「大体、だいたい、だな。俺が国王近衛騎士の団長って、おかしくないか? 俺は剣の腕以外、何の取り柄もない男なんだぞ。国王の側近とか、場違いだろ普通に考えて!」
「あの人事はびっくりしたよねぇ。けどアルはさ、面倒見もいいし人情にも篤いし、ものすごーく我慢強いから、今の王様の側近としては適任だと思うよ?」
「その代わり、俺に政務能力はないぞ」
「別に要らないでしょ、アルは近衛騎士の団長なんだから」
「ただの騎士ならともかく、国王近衛の、しかも団長だぞ! 陛下から助言を求められることだってある立場なんだ、分かりませんとか言えるか?」
「んー、別に陛下は、アルに政務能力期待してないと思うけど」
好きな酒を久しぶりに堪能し、自制心の緩んだアルフォードは、ここぞとばかりに普段の鬱憤を吐き出していた。とりとめのないそれに、クリスは根気強く付き合う。
「ちくしょー、もうちょい真面目に勉強しときゃ良かった。どうせウチには兄貴がいるし、俺は騎士になるんだし、って馬鹿言ってた昔の自分を張り倒したい……」
「ていうかアル、自分で言うほどモノ知らずじゃないじゃん。少なくとも、夜会で女の子と遊ぶことが大好きな『お貴族様』方よりは、よっぽど勉強してたと思うよ?」
「比較対象が悪すぎるだろ。例えばエドが俺の立場にいたら、政務に悩む陛下に、もっと的確な助言ができたはずだ」
「その比較対象もおかしいから」
そこは婚約者として、びしっと突っ込んでおく。そもそもクレスター家は、あらゆる意味で常識の通じない一族だ。領地を治める当主に必要な知識として、基本的な読み書き算数社会の仕組み、地理と歴史を学ぶのはまぁ当然として、政治経済法律学、農林水産業に商業全般、鋼鉄産業に工業、自然科学と物理学及び、それらの研究最前線、治世者による国民の生活保障方法、外国の言葉や文化、その他まだまだ沢山を学んでいるところを、クリスは恋人の家以外に知らない。もともとあの家は知識欲旺盛な人間が多いらしく、彼らの本拠地には先祖たちが記した書物が山ほど存在し、その中には「これ、普通に新発見なんじゃないの……?」と言いたくなるような記述もそこここに見受けられるのだ。
そんな『探究の鬼』一族の末裔であるエドワードと比べれば、同世代のほとんどの人間は『もの知らず』になってしまう。
「クレスター家のアレって、ほとんどビョーキの域だもん。知識はあるけど、あの人たちがそれを活かすのって、本当に自分の領地限定だし。冷静に考えて、王様の側近として役立たずなのはエドの方だよ」
「それは、でも、仕方ないだろ。それがクレスター家なんだから」
「もちろん、それが悪いとは誰も言ってない。ただアルが、自分は側近に不向きだって言うのなら、それは違うってボクは思う」
「……散々苛めてくれたくせに」
ぽつりと溢された恨み言に苦笑した。聞き返すまでもなく、『苛めた』自覚はある。後宮近衛騎士団が結成された記念すべき日にして、後宮園遊会が催されたあの日だ。
その後も、クリスはアルフォードに対し、仕事のときは敢えて事務的に振る舞っていた。もちろん、うっかり親しい素振りを見せて、周囲に誤解を与えないようにするという目的もあったわけだが(二人はエドワードを通して親しくなったので、貴族社会で二人が旧知の仲だと知っている者は少ない)、必要以上に冷たくしてしまったことも事実であるため、ここは潔く頷くことにする。
「そりゃあ、久しぶりに可愛い義妹に会える、ってわくわくしながら行ってみたら、窶れて青ざめて、今にも倒れそうなディアナとご対面したんだもん。アレで怒るなとか言われてもムリだよ」
「う……、確かに」
「園遊会のとき、ちょこっとエドと話したんだけど、そーれはもう大変だったんだからね。ディアナを連れて帰るから手伝え、とか真顔で言われてさ。エドに比べたら、ボクなんか可愛いもんだよ」
「う、わぁ……。それで、エドは?」
「ディアナがそもそも降りる気ないのに、誘拐したって無意味でしょ。ちゃんと宥めといたから、ご心配なく。――大丈夫、エドだって分かってるよ」
悪くない、とは言えない。王宮が怠惰であったことは、紛れもなく王宮側の手落ちだ。
それでも――たった一人で力を尽くした少女の気持ちに応えないアルフォードではないと、エドワードも、クリスも、分かっている。
「アルなら、ディアナよりは上手く立ち回れるだろうからね。後宮の外に関しては、ボクにも手の出しようがないし。キミが外で、陛下のお側で味方でいてくれることは、ディアナにとっても心強いはずだよ」
「……どうかな。ディアナ嬢、本心では、俺のことまだ許してくれてないんじゃないか」
彼女にとって自分がどういう存在なのか、アルフォードは今でも計りかねている。兄の親友であり、自らの『素』を知っている数少ない『仲間』だとは思ってくれているとしても――はたして、信頼に足る人間だと思ってくれているのかどうか、と。
「ディアナの本心は、ディアナにしか分かんないよ。あの子は分かりやすいけど、見せたくないものは徹底的に、自分すら欺いて隠す子だからね」
「だよ……な」
「けどさ、一つだけわかる。アルは、まだ赦されていない――アル自身、からね」
その言葉に彼は、とても痛そうな顔をした。クリスは過る想いを押し殺し、そっと過去を追憶する。
彼が恋人と過ごせた時間は、とても短かった。けれどもその時間が二人にとって、何よりも幸福なものであったことは分かる。
出逢いは偶然だった。互いが互いのことを何一つ知らないまま、二人はただの男と女として出逢い、惹かれ合ったのだ。
愛する女性を得たアルフォードは、端から見ても輝いていた。彼を愛した彼女にとっても彼は、『主』以外に初めて心を開き、己を預けることができる、かけがえのない存在だったはずだ。
短い時間ではあっても、相手が己にとって唯一無二だと理解するには充分で――けれども、二人を別つものは、互いの心以上に絶対のものだった。
二人は別れた。別れざるを、得なかった。
そしてそのとき、アルフォードはそうと知らないまま、彼女の心を粉々に砕いてしまったのである。
そのことに誰よりも怒ったのが、クレスター家の末娘だった。
「そうだな。許せないだろうよ。俺が俺を許せないんだから、ディアナ嬢はもっと、許さない」
「さっきも言ったよ。ディアナの心は、ディアナにしか分からない。……アル、キミの心が、キミにしか変えられないように」
クリスはゆっくりと、グラスを傾ける。
「キミにとって、あの子はどんな存在? 苦い記憶しか、罪悪感しか、もう与えてくれないの?」
「そんなわけあるか。……前と、ちっとも変わらない。そこにいるだけで光が満ちて、俺の世界を照らしてくれる。――俺の、『全て』だ」
「うん、分かるよ。ボクにとってのエドが、キミにとってのあの子だ」
エドワードに出逢って、クリスの運命は変わった。誰かを愛するということ、そして愛されるということの、本当の意味を知って。
だから、願う。アルフォードと、彼が愛する少女の幸せを。後宮で彼女を見ていれば、彼女が未だにアルフォードを想っていることは、一目瞭然だったから。
「それほど想う相手だからこそ、余計に自分を赦せないのかもしれないけど。『なくす』ことだけが、贖罪の方法じゃないよ」
「贖罪、か……」
「赦せないなら、赦せるようになるしかない、でしょ?」
言外に、まさかそのままでいるの? と問い掛ける。アルフォードはようやく、ほっとしたような笑みを浮かべた。
「そう、だな。……そうか」
「そうそう」
酔っぱらいたちによる話題があっちこっちする飲み会――またの名を愚痴大会は、日付を跨ぎ、最終的にエドワードがクリスを引き取りに来て強制終了させるまで、延々と続いたのだった。
本編では、行間にて存在を主張することの多い団長二人ですが、色々考えているものですねぇ(←他人事(笑)
萬さま、リクエストありがとうございました!