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過去話〜10年前のクレスター家〜

本編開始より、遥か昔のお話ですねー……

ほのぼの一家の日常を、どうぞお楽しみくださいませ。

エルグランド王国の東にそびえる大山脈。年中吹雪く踏破困難な山だが、その山裾には豊かな森林地帯が広がっている。

そんな森の中に埋もれるようにして、この地方を治める領主の屋敷はひっそりと――万年人手不足で屋敷の規模を大きくする余裕もなければ、大きくしたところで使い道もないため、必然的にそうなる――存在していた。


そんな見た目だけ慎ましい屋敷の朝は、早い。


どんがらがしゃぐわずしん!


忠実な家宰と使命感に燃える侍女頭と、己の職分に絶対の誇りを持つ料理長以外は、まだほとんどの者が眠っているはずの早朝の屋敷で、場違いにもほどがあるその音は響いた。使用人たちはもちろん飛び起き、屋敷の主夫妻とその息子も、ほとんど寝間着のままで廊下に飛び出す。


「おぉエド、無事だったか」

「はい。おはようございます、父上、母上。あの、ところで先ほどの音は……?」

「うむ。局地的地震でも起こったのかと思ったが……」


十二歳になる息子と夫の会話を横で聞いていた妻は、冷たい視線を二人に向けた。


「どう考えてもあの音は、この上から聞こえてきたと思いますよ」


三人の視線は自然と上を向く。この上にあるのは、領主の執務室。

――屋敷の者からは『魔の部屋』と呼ばれ恐れられている、この屋敷の主の仕事部屋だった。


「あー……。なんか崩れた、か?」

「俺、崩れるような置き方はしてませんよ」

「まぁなんだ、とにかく見に行こう」


他の場所なら使用人たちに手伝ってもらえるが、あの部屋が崩れたとなると、この三人以外に片付けの戦力は望めない。三人はやっぱり寝間着のまま、とことこ階段を上がり、上階に向かった。


「……よし、開けるぞ」


領主の言葉にやや間があったのは、音から連想される被害を思い浮かべ、心の覚悟を決めていたからだ。優雅なドアノブを回し、そっと扉を開く。

――と、そこには。


「えっと、このごほんはこっちにあった。このおきものは……こんなのあったかしら?」


小さな頭を懸命に動かし、本や書類やその他諸々に埋もれながらも部屋を片付けようと頑張る、彼ら一家の末娘の姿があった。


「ディアナ!?」


父、母、兄の声が揃う。名前を呼ばれた少女――ディアナは、紙の山に埋もれつつも、びくりと身体を硬直させた。


「何やってるんだ、こんな……本の下敷きになって!」


最初に我に返り、動き出したのは兄、エドワードであった。びゅんと部屋の中に飛び込み、完全に埋もれていた妹を発掘する。少し遅れて両親も続いた。

三人によって助け出されたディアナは、それでもなお、しょんぼり肩を落としている。


「ごめんなさい、おとうさま……。どうしてもよみたいご本があって取りに来たんだけど、バランスくずして上の方にあったほかの本まで落としちゃった……」


悪いことをした、と思っているのだろう。やっぱり寝巻き姿のままで項垂れる彼女は、まだ七歳ながら際立って美しい。金色の髪は朝日を浴びてきらきら輝き、海色の瞳には澄んだ光が宿っている。十人中十人が『美少女』と表現するであろう……その前に、『意地悪そうな』という前置きをつけた上で。

切れ長の瞳は眦で上がり、鮮やかな色の唇の端もつり上がり気味。細面に高く通った鼻筋など、文句なしに黄金比率の位置にありながら、パーツの形と配置の妙で、基本性格が悪そうに見える。しょんぼりしている今でさえ、知らない人が見たら「わざと落ち込んでいるのではないか」なんて誤解を与えそうな表情に見えてしまう。


「こんな朝早くから、何の本を読もうとしていたんだ?」

「これよ」


胸に抱き抱えていた本を、少女は兄に見せる。『はじめての経済学』――経済を学ぶ者にとってはこの上なく優れた入門書ではあるが、間違っても七歳の少女が読みたがるものではない。


「ゆうべねる前にね、ナターシャがおはなししてくれたの。おみせでお買いものするとき、『経済』を知っていると楽しいですよって」

「確かに、経済について知識があれば、町に行っても見える景色が違ってくるのは確かだ。でも、こんな朝から一人で執務室に来ることはないだろ? 本なら俺が取ってやるから、こんな危ないことをするな」


七歳の妹を十二歳の兄が一生懸命叱っているが、その内容が色々とおかしい。経済学の勉強など、しつこいようだが七歳の子どもはしないし、たかが本を一冊抜き取るだけで命の危険を覚えるような執務室は普通ない。

そんな危険な執務室を作り出した元凶は、子どもたちの後ろで、妻に叱られていた。


「いつかこんなことになるのではないかと思っていましたわ。子どもたちを自由に出入りさせることに異存はありませんけれど、それならそれで、子どもたちに危険でない程度には、整理しておいて頂かなくては困ります」

「す、すまなかったエリー。まさかディアナが、あんな高い位置にある本まで読みたがるとは思わなくてだな」

「この子の知識欲を甘く見ないでください。気になったことは片端から調べて回る好奇心旺盛な子なのですよ。『経済』なんて耳慣れない言葉を聞いたら、調べたくなるに決まっているでしょう」


そうでなくても近頃は気がついたらいなくなっていて困りものなのにと、母エリザベスはこぼす。普通の貴族は子どもの教育に直接関わるなんてことはしないが、クレスター家は万年人手不足(大事なことなので二回言いました)なので、教育専門の乳母なんて高級使用人はいない。子どもの教育は、両親が手ずから行っている。社交シーズンにデュアリスとエリザベスが屋敷を離れなければいけない際に、留守番役の使用人たちに後を頼むくらいだ。

ちなみに今は春、オフシーズン。雪もようやく溶けきり、上着がなくても外を歩けるようになったとなれば、エネルギーの有り余った子どもがじっとしているわけがない。

クレスター家のお転婆末姫は、毎日のように外へ出かけ、ドレスを泥だらけにして帰ってくる。デュアリスにもエリザベスにも、それが悪いことだという感覚は特にないので、安価で動きやすい服をいくつかプレゼントしたところ、彼女は大喜びで、「これ着て町までお買いものに行きたい!」と言い出したのだ。どうやら普段の服は「町の人たちとちがいすぎて着ていくのはイヤ」だったらしく(貴族用の服なのだから当たり前だ)、両親がくれた服は彼女にとって、「町まで行くときのとくべつなおようふく」と認定されたらしい。

そのお出掛けというのが、実は明日で。ここ最近毎日、指折り数えてその日を楽しみにしていたディアナに、どうやら使用人のナターシャが変な火をつけたようだった。


「ごめんなさい、おにいさま。でもわたしね、どうしても『経済』のお勉強がしたかったの」

「……怪我がなかったから良かったものの。うっかりしたら置物が頭に当たっていたかもしれないんだぞ」

「それは、だいじょうぶ。当たらないようによけたから。……そのせいで、あそこの紙がちょっとくしゃってなっちゃったけど」

「まぁ、ディアナが無事ならいいよ。とにかく、危ないことはするな」


ちなみに、こうしてディアナを叱るのは、大抵の場合エドワードだ。デュアリスとエリザベスは、子どもから目と心は離さないものの、その手を引っ張り行動を制限するような真似はしない。だからこそディアナものびのび、毎日外遊びに出掛けているわけだが――彼女より五年早く生まれ、五年長く両親の教育を受けてきたエドワードは、幼心に両親のやり方は妹には紙一重だと感じている、らしい。

何しろ去年の今頃は、「森に生えている草とかでおくすりが作れるんだって!」と言い出し、本を片手に一日中森の中で薬草を探し回り、しまいには本に載っていない草にどんな効果があるのか分からないから食べてみる、なんて馬鹿をやらかした妹である。そのときも、「毒だったらどうするんだ!」と叱ったのはエドワードだった。両親は、手は離していても目は離していないので、本当に命が危ないときはきちんと守ってくれる。あと数年も経てばエドワードにもそれは呑み込めるのだけど、今の彼にはまだ分からない。


「さて。じゃあ、ディアナも無事だったことだし、朝食食べたらみんなでこの部屋片付けるか!」

「私は片付けませんよ。この部屋をここまで荒れさせたのはあなたとエドだし、実際に崩したのはディアナでしょう? ここはあなたたちで片付けて」

「う……、だよな」

「ディアナ? いつも言っているでしょう、この部屋に入るときは気を付けなさいって。エド、あなたもディアナを叱る前に、危ない部屋にしてしまったことを反省なさい」


子どもたちを自由に育てているデュアリスとエリザベスではあるが、それは決して無制限に甘やかしているわけではない。自由の裏側には責任が伴うこと、その責任はどれほど幼くても果たさなければいけないことを、二人はいつもこうして子どもたちに伝えている。


母親にさくっと刺された子どもたちが「はい」と頷いたところで、「とっとと着替えて朝食をお召し上がりください」と、いい加減痺れを切らした侍女頭が言いに来た。


――この件以降、クレスター家の執務室は、幼い子どもが埋もれない程度に、ものが散らばるようになる。





「ねぇリタ、おようふくはちゃんとある?」

「さっきから何回同じこと言うんですか、ディアナ様。おとなりのお部屋に、きちんと用意していますよ」


夕食と入浴を終え、自室に戻ったディアナは、父の執務室から借りてきた『はじめての経済学』を読みながら、ベッドメイキングをしてくれているリタに、繰り返し「おようふくはある?」と問いかけては呆れられていた。


今日も一日、とても楽しかった。朝はちょっと失敗してしまったけれど、おかげで普段は本を探すときにしか行けない部屋に長くいることができて、面白そうな本を何冊も見つけた。片付けを頑張って終わらせると、母が「よく頑張ったわね」と笑っておいしいケーキを作って待っていてくれたし。

午後の勉強の時間は、新しい計算のしかたを教えてもらい、音楽室で竪琴の弾き方も教わった。

勉強が終わった後に外へ出ると、シリウスが兄に稽古をつけていた。兄の休憩時間にディアナも少し相手をしてもらい、新しい技をまた一つ知ることができた。あの技はちょっと難しいから、ちゃんとできるようになるまで練習しないと。


――そして、何より。明日は待ちに待った、お出掛けの日だ。


「リタもいっしょに行く?」

「町にですか? そんな、今さら珍しいものもありませんし。明日はモーガン夫人がシーツを全部干すと張り切っていますから、私はそのお手伝いをしていますよ」

「そうなんだ……。じゃあ、おみやげ買ってくるね!」


町に行くのは初めてではないが、皆と同じような服を着て、実際にお店で買い物をするのは初めてのディアナだ。わくわくしながら本を読む。


「すごいなぁ、お金って国中をぐるぐるまわってるんだって。『経済』は一つの大きないきものって書いてある」

「……意味はお分かりですか?」

「んーと……ちょっとわかる」


首を傾げた彼女に少し笑い、リタはベッドを軽く叩いた。


「ほら、できましたよ。明日は早起きするのでしょう? なら、早めにお休みにならないと」

「そうだよね。ありがとうリタ!」


素直に寝台に潜り込んだディアナは、リタが灯りを消してくれた部屋で天井を眺め、明日に果てしない期待を抱きながら、眠りについた。


世界に希望が満ち溢れ、喪うことも傷つくことも知らなかった――、そんな遠き日の思い出の、一枚。






この一家、昔からこんな感じだったんだなー……と、書きながら妙にしみじみしてしまいました。


稀有希 見さま、リクエストありがとうございました!

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