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零れ話〜ケンカするほど?〜

3巻お祭り、最終話。最後をこの二人にすることは、最初から決めてました。


Twitterより、冬華様、ひすい様リクエスト。

そして活動報告にて、熱烈ラブコールをくださった皆様へ捧げます。


 新しい年が幕を開けた。『年迎えの夜会』で後宮の『牡丹派』と大激突したディアナは、後宮近衛騎士たちやマグノム夫人に協力してもらいつつ、彼女たちに不穏な動きがないか注視する日々だ。

 ただ、敵対派閥の(トップ)であるディアナが監視姿勢を公にすれば、それは余計な争いの火種にしかならない。実際に動くのは主にクリス率いる後宮近衛にお任せして、年が明けてからのディアナは比較的、のんびりした時間を過ごしている。……後宮に来てからこれまでが、無駄に忙しかっただけかもしれないが。

 実家にいたときは、今のように時間に余裕があるときは、意気揚々と外出していた。クレスター領にいた頃も、社交デビューして年の半分を王都で過ごすようになってからもだ。

 が、しかし。現在のディアナは、そうお気軽に外出できる立場ではない。降臨祭(レ・アルメニ・アースト)の旅先でならともかく、側室筆頭『紅薔薇』が頻繁に後宮を抜け出しては大問題だ。居場所そのものは王都のど真ん中でも、こういうとき『外』は遠い。

 ついでに言えば、怒濤の昨年に比べて『比較的』のんびりできているだけで、後宮を留守にできるほどの時間的、精神的余裕があるわけでもないのだ。いつ何が起こって、『紅薔薇』出動事態が勃発するか、予断を許さない。


 ――そんなもろもろの現状が重なった結果、最近のディアナは室内でできる『暇つぶし』に熱中していた。


「リタ、ディアナ様はまた編み物をされているの?」

「さっきお茶をお持ちしたときは、飽きもせずに編まれてましたね」

「ここのところ毎日ね……夜も随分遅くまで起きていらっしゃるようだし、ご注意申し上げた方が良いかしら」


 メインルームにて掃除をしていたユーリと、ディアナの用事を片付けていたリタが言葉を交わす。降臨祭の礼拝旅行を通じて『素』を見せた侍女相手に、ディアナも少しずつではあるが遠慮を取り去るようになり、こうして小さな『ワガママ』を言うようになっている。「編み物したいから、できあがったら使ってくれる?」だったり、「新しいハーブのブレンド考えたんだけど、試飲して」だったりと、あくまでディアナ基準の『ワガママ』なので侍女たちに害は一切ないが。

 真面目なユーリらしい心配に、リタは少し苦笑った。


「その分ユーリさんが朝食の時間を調整してくださっているので、ディアナ様の睡眠時間は足りていますけどね。確かに夜更かしは身体によくありませんし、続くようなら言った方が良いかもしれません」

「リタは言わないの?」

「ディアナ様、私にはたまに『だって』と仰いますから。幼い頃から一緒に育ってきたので、昔の癖で甘えが出るんですよね」

「甘えられるのは、それだけ信頼されている証拠よ」

「それもこういう場合は良し悪しです」

「確かにね」


 くすくす笑って、ユーリは掃除道具を抱えた。


「今日の夜も編み物を続けられるようなら、皆で考えてみましょう」

「助かります」

「私はこれからミアさんと打ち合わせがあるから部屋を離れるけれど、一人で大丈夫?」

「えぇ。今日は来客予定もありませんし。急なことがあればお知らせします」

「お願いね。――あぁそうだ、戸棚に菫様から頂いた焼き菓子があるから、ディアナ様にお出しして。お茶が冷めきる前に」

「戸棚? ……あぁ、キール領の茶葉を混ぜたクッキーですね。ディアナ様、喜ばれますよ」


 キール領特産の茶葉は芳醇な香りとコクが特徴で、茶葉そのものもこうして食材にできる。初めてレティシアが『蔦庭』に持ってきたとき、一口食べるなり作り方を聞くほどディアナは気に入っていた。レティシアもそれを分かっているので、こうしてちょくちょく差し入れてくれる。


 部屋を出ていくユーリを見送って、リタは件のクッキーを皿に盛りつけ、先ほどお茶を持って行った私室へと足を向け――扉の前で立ち止まる。


「だから、それは――」

「言いたいことは分かるけど……」


 小さいながら、確かに聞こえるのは二人の声。片方はディアナ、もう片方は……。


(何してるんですかね、あの忍ぶ気のない隠密は)


 彼のことだからもちろん、メインルームにいるのがリタ一人だと確認した上で降りているとは思うが。二人の声を聞く限り、どうやら言い合いは長引きそうな雰囲気である。

 リタはクッキーの乗った皿を机の上に置くと、適当に室内でできる仕事を探しつつ、自発的に見張りをすることにした。

 忍ぶ気のない隠密――カイの存在は、あらゆる意味で公にはできないものだから。



  † † † † †



 ディアナは怒っていた。もっと言えば、憤慨していた。


「私が自己管理できてないみたいな言い方は、ちょっと失礼じゃない?」

「気付いてないと思うけど、自分で思ってるほど、ディーは自己管理できてないよ」


 久しぶりに編み物をしていたら作りたいものが次々出て来て、ここのところディアナは空いている時間すべてを編み物に費やしていた。とはいえ、散歩という名の後宮巡回や茶会もあるので、一日部屋に籠もりっぱなしということはないし、ちゃんと休憩もしている。

 間違っても午後のリラックスタイムに天井裏からこんにちはされ、藪から棒に「最近ずっと編み物してるけど、根を詰めすぎると身体に悪いよ」なんて言われる筋合いはない。

「ずっと、って言われるほど編んでないわ」と返せば、「空き時間ずっとじゃん。体勢も変わらないから、運動不足になるし」とのお答え。そこから自己管理云々の話題に移行するまで、時間はかからなかった。

 膨れるディアナを前に、カイもおかんむりだ。


「別に編み物するなとは言わないけど、せめて夜はちゃんと寝なよ。侍女さんたちも心配してるよ?」

「寝てるわよ。睡眠時間は足りてるもの」

「時間さえ取れば良いわけじゃないでしょ。成長期の女の子なんだから、いつ寝るかもちゃんと考えないと。深夜過ぎる頃に寝て、日が昇りきった頃に起きて、そんなの続けてたら身体も弱くなるよ」

「今は冬だから、夜も長いし平気!」

「……そうやって言い訳して、日に日に寝る時間遅くなってるのは誰」

「言い訳なんてしてない……」


 ディアナとて、生活リズムが狂うのがよろしくないことは分かっている。別に意図して夜更かししているわけではないのだ。

 ただ――そう、ただ。


「編み始めたら、時間を忘れちゃうだけだもの」

「そんなこと言われたら、毛糸と編み針回収したくなるんだけど?」

「さっき『編み物するなとは言わないけど』って言ったじゃない!」

「その編み物で寝る時間忘れるなら、しょーがないでしょ」

「そんなことしたら怒るからね」

「なんでそんなに編み物にこだわるの? ディーは趣味広いし、編み物じゃなくたって他のことでも、」

「ばか!」


 自制する間もなく、子どもそのものの罵り文句が口を飛び出していた。罵られた方は、滅多にないことながらぽかんとこちらを見返してくる。

 感情が高ぶるままカイに近付き、薄いけれどしっかりしている胸を叩いた。


「編み物じゃないとダメだから、編み物してるの。なのに『他のこと』とか言うなんて!」

「……意味がよく分からないんだけど。ディーが編み物してるのは、『暇つぶし』じゃなかったの?」

「暇つぶしだからって何でも良い訳じゃないわ」

「うん、ディーが何故か編み物にこだわってるのは分かった。それならそれで構わないけど、夜に寝ないなら編み針回収するからね」

「寝てるって言ってるでしょ!」

「あと二時間早く寝るの。言っとくけど、それでも遅い方だよ?」

「あの程度の時間、社交中の貴族にとっては遅いうちに入らないわ」

「ディーは今社交中じゃないし、こういうときだけ貴族の常識持ち出すのは卑怯」


 あぁ言えばこう言う、引く気のないカイが恨めしい。彼が有言実行の人だということは既に分かっているので、このままでは真面目に編み針が奪われてしまう。

 カイの胸を、ディアナは手のひらでぱしぱし叩き続けた。


他人(ひと)にごちゃごちゃ言うけど、カイだっていつ寝てるか分からない睡眠時間のくせに」

「俺はそういう仕事だもん。睡眠の取り方も一般職の人とは違うから」

「私が貴族の常識を持ち出すのは卑怯で、あなたが『裏』の常識出すのは卑怯じゃないの?」

「……あくまで夜に編み物するのは止めないんだ?」


 ぱしぱし叩いていた手が掴まれ、カイの声が少し低くなる。耳元で囁かれ、背筋がぞくりとなった。

 この場で「分かった、ちゃんと寝る」と言ってしまえば話は早いのだけれど、最初から守れないに決まっている約束をするのは不誠実だ。至近距離にあるカイの瞳をまっすぐに見つめ、ディアナは断言する。


「やめない。だって、早く編み上げたいものがあるの」

「……ほんと、ディーって頑固」

「編み針と毛糸に手を出したら、シリウスに言いつけるからね」

「シリウスさんがどっちの味方するかは勘定に入ってないの?」

「私が泣きついたら、シリウスは分かってくれるわ」

「どうかな。ディーが時間を忘れて編み物してるの、『闇』の人たちもこっそり心配してるんだよ?」


 どちらかが折れれば丸く収まるのに、互いに折れる気がないから、二人の意見はぶつかったままだ。

 カイがディアナの身体を心配して言ってくれていることは分かる。ディアナはそれなりに身体が丈夫な方だけど、残念ながら風邪一つ引かないほど並外れて病気に強いわけではない。冬は他の季節に比べて熱を出す率も高いし、生活リズムの乱れは健康に悪影響しかもたらさないのも周知の事実だ。

 普段なら。そしてこの編み物が、本当に単なる『暇つぶし』なら、ここまでカイに反発する必要はないのだけど。

 今回だけは、ディアナも譲れないのだ。


「誰が何を言っても、これだけは早く編み上げたいから、編み針取り上げたら怒る」

「…………あー、もう! ディーの分からず屋!」

「何よ! カイの石頭!」


 きっ、と睨み合ったところで、真上と横から同時にため息が聞こえてきた。反射的にカイは上を、ディアナは横を向く。


『そこまでにしておけ、カイ』

「ディアナ様。おそらくですが、口ではその男に勝てませんよ」


 メインルームに続く扉の向こうで、リタが呆れ全開の表情で佇んでいた。どうやらかなり前から控えてくれていたらしい。

 更に、滅多にないことではあるが、シリウスが上から降りてくる。

 シリウスに軽く頭を小突かれて、カイはディアナの手を離して一歩下がった。


「……なーに、シリウスさん。俺、間違ったこと言ってないよ」

「間違ってはいないが、『分からず屋』を発動させたクレスターの方々には、何を言ったところで無駄だ」

「そうみたいだね……」

「ディアナ様を案じてくれることには礼を言う。その上で提案だが、ひとまず引け」

「俺が引くの?」

「ディアナ様は私が引き取りますから。このまま話し続けても、時間の浪費にしかなりません」


 ディアナをよく知る二人の仲裁に、カイはしばし考えるそぶりを見せ――。


「……俺の意見は変わらないよ。今日も夜更かしするなら、編み針と毛糸を回収する」

「分かった分かった。詳しい話は上で聞く」


 石頭なカイをあっさりいなして天井裏に誘導するシリウスはさすがだ。二人の気配が『紅薔薇の間』から遠ざかったのを確認して、ディアナは肩を落とした。怒りとやるせなさと、申し訳なさと。ほんの少し、呆れの気持ちもある。

 編みかけのものを取り出して、ディアナはリタを見た。


「毛糸の色とか形で、こういうのって分からないものかしら?」

「男の方は基本的に、そういうことに疎いですよ。特にアレは間違いなく、『服は着れたら何でも良い』派でしょうから」

「いくらわたくしが変わり者でも、さすがに目的なく黒一色で編み物はしないのだけど……」


 三本の編み針を使った輪編みでディアナが今編んでいるのは、男性用のネックウォーマー。普通のマフラーとは違い、輪になって頭からすっぽり被るものだ。馬に乗ることが多いクレスター家では、裾がたなびくマフラーよりネックウォーマーの使用頻度の方が高いので、馴染み深い防寒着ではある。

 ディアナが敢えて今、手に入りにくい黒の毛糸で新しいネックウォーマーを編んでいるのには、それなりの理由があった。

 四分の三ほど編み上がっているそれをリタに見せれば、じっくり見聞して頷いてくれる。


「さすがですね。紋様も綺麗に入っていますし、編み目も揃っています。それに難しいところはもう終わっていますから、夕食の時間を削れば編み針取り上げられる前に完成するんじゃないですか?」

「やっぱり夜には編み針回収されるわよね」

「アレがあそこまで言い切って、気を変えることはない気がします」


 リタの変なお墨付きで、逆に決意が固まった。椅子に座り直し、ディアナは編み針を持つ。


「今日はこれを完成させることを優先させるわ。リタ、悪いけど」

「かしこまりました。夕食の時間を調節して頂けるよう、ユーリさんに話してきます」

「お願いね」


 退室するリタを見送って、ディアナは気合いを入れ、編み針を動かし始めた。



  † † † † †



 その日の夜。『健康的な就寝時間の許容範囲限界』に『紅薔薇の間』を訪れたカイは、寝室の小さな机の上で、灯したランプの明かりを頼りに何やらごそごそしているディーを目にして、もやもやが沸き上がってくるのを堪え切れなかった。宣言したとおり寝室の床に降り、後ろからディーに声を掛ける。


「編み針回収する、って言ったよね?」

「――カイ」


 振り返ったディーは、昼間とは違って穏やかな表情だ。「ちょっと待って」と言い置き、机の上にある道具……ハサミを手に取って、しゃきりと何かを切り落とす。

 膝の上にあった『何か』を持ち上げ、確認したディーは、満足そうに首肯した。


「よし、かんぺき」

「……ディー?」

「あ、ごめんなさい。……これ、ね」


 立ち上がったディーが手に持っているものは、毛糸でできた『何か』だ。色は吸い込まれるような漆黒。

 ゆっくりと近付いてきたディーは、カイのすぐ近くで立ち止まり――手に持っている『それ』を、そっと被せてきた。

 毛糸の優しい触感と、一瞬の暗闇を抜け。首もとの温もりを認識すると同時に、優しく微笑むディーが瞳に映る。

 指先で端を整えて、ディーは言った。


「うん、思った通り。よく似合ってる」

「これ……俺に?」

「そうよ。最近ずっと、これ編んでたの。久しぶりに編んだから、思ってたより時間かかっちゃって」


 茶化すように、ディーはカイの顔を覗き込んできた。


「黒い毛糸、手に入れるの大変だったのよ? この国じゃあんまり作られないから。模様編み用に製造しているところを探して、クリスお義姉(ねえ)さまに非番の日に取りに行ってもらって、やっと調達できたんだから」

「なんでそんな大変な思いしてまで、わざわざ……」

「えーとね……おまじないなの」


 少し眉根を下げて、ディーはカイから数歩離れた。


「クレスター地帯に昔からあるおまじない。親しい人が病気になったときにね、その人の瞳の色で身につけられるものを作って、快癒を祈願する紋様を入れるの。それを肌身離さず持っていれば、親しい人の病気が良くなる――っていう、おまじないというか、まぁ一種の願掛けね」


 咄嗟に、声が出なかった。言うべき言葉が見つからず、ただ目の前の少女を見つめることしかできない。

 カイの視線を受けたディーは、居心地悪そうに身じろいだ。


「えぇと……その。お父様が本気を出したし、私が出る幕じゃないことは分かってるけど。カイにはいつも助けてもらってるし、あなたのおとうさまのことだから、やっぱり素通りはできなくて。……ごめん、ほとんど自己満足よね、こんなの」

「――本気でそんな風に思ってる?」


 ディーが離れた分、詰め寄って。腕の中に抱き留める。

 溢れる愛しさのまま強く抱き締めたいのを堪えて、可能な限り優しく頭に触れ、髪を撫でた。


 ――昼間、ディーとぶつかった後の、シリウスの苦笑いが蘇る。


『お前の気持ちはよく分かる。確かに最近のディアナ様は、時間を忘れて編み物に熱中していらっしゃるな』

『なら、何で注意しないの?』

『クレスター家の方々があそこまで熱中なさるときは、それなりの理由があるからだ。それなりの理由がある以上、こちらが何を言っても聞き入れて頂けない』

『……そういうもん?』

『あの方々が『家族』認定している我々なら、な。気を許して無茶を通そうとなさる。――それでも、ディアナ様があそこまでムキになられるのは珍しいぞ。お前は本当に、ディアナ様に信頼されているな』


 信頼して、素を見せてくれる。その立場になれたことは嬉しい。同年代と接することがこれまであまりなかったカイは、あんな風にムキになる女の子をどう宥めたら良いのか分からず、ついつい妥協せずにぶつかってしまったけれど。ディーが遠慮せず、同じだけの強さで向き合ってくれたことが信頼の証だというなら、あの言い合いすら愛おしく思える。

 が。それと、睡眠時間の狂ったディーの身体が心配なのは、まったくの別問題だ。この点に関しては、カイも譲れない。


『……園遊会のとき、さ。ギリギリまで睡眠時間削ってたでしょ』

『ディアナ様か?』

『あのときも、本当は、無理矢理にでもベッドに放り込みたかったんだ。――父さんも倒れる前、忙しくてろくに寝てなかったらしいから』


 シリウスが、無言で理解を伝えてくれる。カイは苦笑した。


『父さんとは状況が違う、って分かってはいるんだけどね。どうしても神経質になっちゃって』

『なるほど、な。お前が折れないのも珍しいと思ったら、そういうことか』

『実は自分本位な理由でがっかりした?』

『いや。お前にも年相応なところがあるんだと、逆に安心だ』


 シリウスの大きな手がカイの頭に乗った。


『心配するな。あそこまで言い切った以上、ディアナ様もお前が引かないことは分かっているだろう。これで今夜も無茶をなさるようなら、遠慮なく編み棒を取り上げてやれ』

『言質取ったよ。シリウスさんは俺の味方ね』


 そう言ったカイに含み笑いで、『おそらく、そんなことにはならないと思うがな』と返したシリウスは。……『それなりの理由』の内訳を、最初から分かっていたのだろう。

 ――背に流れ落ちる柔らかな金の髪を梳きながら。吐息混じりに、問いかける。


「睡眠時間削ってまで、俺と父さんのために、これを編んでくれてたんだ?」

「昼間も言ったけど、無理に夜更かししていたつもりはなかったの。快癒祈願の紋様を編み入れるの久しぶりだったから、思い出しつつ編み進めていたら、時間を忘れて熱中しちゃって。……心配してくれていたのよね、ごめんなさい」

「……俺も、ごめん。そうとは知らず、昼間は無神経なこと言った」


 今ならあのときの、「ばか!」の意味が分かる。カイの、ソラのために編んでいたものを、単なる『暇つぶし』呼ばわりされては堪らなかったことだろう。――挙げ句「編み物じゃなくても」なんて。

 苦い息を吐いたカイをどう思ったのか、ディアナはふるふると首を横に振り……こてんと、頭を預けてくる。


「事情を知らないと、無闇に夜更かししていたようにしか思えなかっただろうから、それは良いの。……説明しようかな、とも思ったんだけどね。私がやりたくて勝手に始めたことなのに、下手に話すとただの押し売りになりそうな気がして」

「どこまでお人好しで、気遣い屋さんなの、ディーは」


 信頼しきって、全てを預けてくる少女に、理性が炙られていく。腕に力を込めても、戸惑う素振りすら見せないディーはきっと、その一挙一動にカイがどれだけ煽られているか知らない。

 腕の中で、ディーは無邪気に笑った。


「気遣いとかじゃないと思うけど。……気に入ってくれた?」

「ディーが俺にくれるものを、気に入らないわけがないよ」

「なにそれ。贈り物のハードル下がるから、あんまり甘やかさないで」


 遠回しな『未来』を示唆する言葉に、抑えられない衝動が湧きあがる。一瞬だけ強く抱き締めれば、逃げるどころかディーは、吐息を零してしがみついてきて。――いっそこのまま、と叫ぶ心を、なけなしの理性を総動員して封じ込めた。


(……まだ、ダメだ。ディーの望みはまだ、何一つ叶ってない)


 己の身勝手な欲望で、何より愛しくて大切な少女の笑顔を奪うことだけは、絶対にできない。この先の未来で、死ぬまでディーが曇りなく笑うため。彼女の全てを守るとあの日、カイは己と少女に誓った。

 ――そのために、今は。


「ありがとう、ディー。大切にする。肌身離さず、ずっとつけとくから」

「……私も願を込めるわ。カイのおとうさまが、早く元気になりますように、って」

「ディーが祈ってくれたら、百人力だね」

「何言ってるの。子どものあなたの気持ちの方が大きいに決まってるわ」


 くすくす笑うディーの声が、とろんとした甘さを帯びた。心なしか腕の中の熱は先ほどより高まり、連日の疲れもあって眠くなっているのかもしれないと思い至る。丁寧に編まれた『おまじない』を見れば、ディーが毎夜、どれだけ心を尽くして思いを糸に込めてくれたかなんて一目瞭然だから。

 そっと体勢を変え、膝裏に腕を差し込んで、ディーの身体を持ち上げる。驚いたらしいディーがしがみつくのを確認して、この国でもっとも高貴な女性が使う寝台へと近付いた。


「カイ……?」

「ディー、眠いんでしょ」

「分かる?」

「声が眠そうだから。編み上げて、気が抜けた?」

「そうかも」


 素直に頷いたディーへ微笑んで。壊れ物を扱うかの如く慎重に、身体を寝台に降ろした。

 ぼんやりと見返してくるディーの頬に指先で触れて。


「……本当に、どうしてこんなに可愛いんだろうね」

「カ、イ……?」

「眠って、ディー。……眠って、夢の中で、俺に逢いに来て」

「それ、どういう……」

「――おやすみ、ディー」


 あやすように声を掛け、髪を撫でる。眠気に負けたらしいディーは目を閉じ、しばしの沈黙の後、穏やかな寝息が聞こえてきた。優しい眠りが彼女を包んだのを確認して、カイはゆっくり、身体を起こす。


(離れるつもりは、さらさらないけど。……現実の距離は、遠いな)


 心が近付いていると、傍にあると感じるほど。彼女が『紅薔薇』である事実が、重くのしかかる。

 今だけの暫定的な地位だと、割り切ってはいても。『紅薔薇』の肩書きがある以上――ディーの全てを欲する己の存在が、彼女の最大の『瑕疵(きず)』になりかねないことを、カイはきちんと自覚していた。

 誰よりも、何よりも、守りたい存在だから。……守るために今は、現実の『距離』を受け入れなければ。


 静かに気配を消し、いつもの定位置に戻りながら、カイは夢想する。


『現実の距離』なんて関係ない、夢の世界で。もしもディーに逢えたなら――。





「カイとディアナのケンカから仲直り」というリクエストを見て、「本編の合間で割とくだらない言い合いしてるよ?」とは思ったんですが……書いて分かった。ケンカの前に『痴話』が付くと。

リタをプロフェッショナル侍女と呼ぼう。隣室からこんなやり取り聞こえてきたら、私なら無言で壁ドン(旧使用法)して立ち去るわ。付き合ってられん。


そして有言実行のカイさんのコトですからきっと、シェイラを助けに行ったときもネックウォーマー着用、旅人風に着替えたときも上手にカバーして着たままでしょう。二人はあの後もやいやい言い合いしながら帰ったわけですから、ひょっとしたら、


「女の人の服とか、本気で分からないから。自分の服だって適当だし」

「そのようですね。いくら寒いからといっても、黒の首巻きの上にさらに布を巻くとか、普通ならしない組み合わせですもの」

「もちろんそれくらいの常識はあるよ? けどこの首巻き、ディーが『俺のために』編んでくれたから、分かってても脱げなくてねー」

「な、んですって……!?」


てな会話もあったかもしれませんね。


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