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童話パロ〜なんちゃってラプンツェル〜


さてさて、お祭り後半戦。今日はがらっと空気を変えて参りましょう。

tm様、みんと様、ざ☆ふりーだむ様リクエスト。

念のため申し上げますが、今日のお話は、深く考えたら負け案件です(笑)


 あてんしょん♪

 童話パロという名の、ラプンツェルの設定だけ借りて悪役後宮キャラ(主にクレスター家)が好き勝手しているお話です。

 ラプンツェルは原作でなければ認められない方は(いるのかな?)閲覧ご注意ください。






 とある時代。とある王国のどこかの村に、デュアリスとエリザベスという、ダンナの顔が異様に怖いほかはどこにでもいる、一組の夫婦が暮らしておりました。可愛い子どもたちにも恵まれて、幸せな毎日を過ごす夫婦の最近の悩みは、隣に越してきたカレルド夫妻が、夜な夜な柵を越えて、デュアリスが趣味と実益を兼ねて栽培しているラプンツェルを盗みに来ることでした。

 別にラプンツェルの一株や二株、見ないフリをしてやっても良いのですが、たとえお隣さんであっても犯罪は犯罪です。ここで自分たちが黙ることで、味を占めた夫婦がもっと大きな犯罪に走り、別の被害者が出るのもよろしくありません。

 デュアリスはむしろ親切心から、諦め悪く夜な夜な柵を越えてくる、カレルド夫妻の夫の方ゲイルに、「人のものを盗るのは泥棒なんだぞ、帰れ」と言い諭しておりました。


「こんなにたくさんあるのだ。一つくらい良いではないか」

「あのな。作ってる俺たちが『おひとつどうぞ』ってお裾分けするのと、無許可で夜中に忍び込んで盗っていくのとじゃ、同じ一つのラプンツェルが移動するにも意味が違ってくるだろ。そんなに食いたきゃ自分たちで作れ」

「我が家には畑などという泥臭いものはない! 妻が待っているのだ、早く寄越せ!」

「あぁ? おかみさん、どっか悪いのか?」

「失礼な! 我が妻がお前たちごときのラプンツェルを目に留めてやったというのに、傲慢な者たちだ。妻は美味いものを見分ける達人なのだぞ。むしろありがたがって渡すべきだろう!」


 話が通じねぇ、と思ったデュアリスは、適当なことを言って追い払うことにしました。


「じゃあ、金払え」

「な……か、金など」

「ないなら、話はここまでだ。ウチのラプンツェルは、妊婦に良い野菜だって話を聞いて、娘の妊娠初期に貧血とつわりが酷かった妻のために、俺が精魂込めてイチから育てて、ここまで畑を大きくしたんだぞ。お前のおかみさんが妊娠して具合が悪いとかいう理由でもない限り、渡してなんかやるか。――今度来たら、問答無用で村役場に連れてくからな」


 魔王面でギロリと睨まれ、ゲイルは這々の体で逃げ帰り、その後忍び込んで来ることはなくなりました。

 やっと諦めたかと安心したデュアリスは、そのままあっさり、迷惑な隣人のことは記憶から消去していたのですが。


「ホラ、赤ん坊だぞ。これで良いのだろう、ラプンツェルを渡せ!」

「何がどうしてその結論なんだ、てかその子どこから持ってきた!?」


 数ヶ月経ったある夜、突然乱暴にドアを叩かれたかと思えば、ゲイルにまだ首も座らない赤子を押し付けられて、デュアリスは本気で困惑しました。意味不明に喚くゲイルの言葉を読み取るに、『ラプンツェルは妊婦のための野菜=赤ん坊がいれば食える=赤ん坊と交換しろ!』という要求だと、エクストリーム誤訳を発動したようです。

 そもそも今は夏で、ラプンツェルの旬はまだ先なのですが、そんなことより押し付けられた赤ん坊です。少なくともカレルド夫妻の実子でないことは確かで、すわ誘拐事件か、とデュアリス含む一家に緊張が走りました。


「お前らがラプンツェルを食べたいのはよく分かった! けどな、そのために誘拐までするのはやり過ぎだ。この子の親はどこにいる!?」

「人を悪人扱いしないでもらおう。その子は我が輩の兄の子だ」

「血縁者だろうが、嬰児略取は重大犯罪だ!」

「兄が生きておれば、そうだろうな。だが、兄夫婦は不運な事故でこの世を去った。残された姪を引き取るのは、むしろ当然のこと。ちょうど隣に赤ん坊を欲しがる男もいたことだし、これで妻にラプンツェルも食わせてやれる。神は見ていてくださったのだ!」

「イヤイヤ……」


 コレどこからツッコむべきだ? とデュアリスが途方に暮れて背後を振り返り、夫の視線を受けて、奥で子どもたちを落ち着かせていたエリザベスがやって来ました。ゲイルのせいで起きてしまった長男、エドワードと一緒です。

 エリザベスはゲイルを一目見るなり、まともな言葉は通じないと悟ったようで、デュアリスの腕に抱かれる赤ん坊に視線を向けました。ふにゃふにゃ泣いている赤ん坊は、空色の瞳に淡い金髪をした、将来が実に楽しみな女の子です。

 デュアリスから赤ん坊を受け取り、あやしながら、エリザベスはゲイルではなくデュアリスに向かって言いました。


「くれるというのだから、頂きましょう。お断りする理由はありません」

「お、おい、エリー」

「本当だな! ならば約束だ、ラプンツェルを寄越せ!」

「えぇ、どうぞ畑ごとお持ちになって」


 エリザベスの興味は、既にゲイルにはありません。半分以上背を向けた状態で、彼女は冷たく言い放ちます。


「あと二月もすれば、食べ頃になりますわ。私どもは近々この村を離れますから、この家の畑ごと、ラプンツェルは差し上げます。――それよりカレルドさん、この子のお名前は?」

「ハハハ、夫と違って気前の良い女だ! ……その赤子の名前だと? 知らん。ラプンツェルと交換なのだ、そのままラプンツェルとでも呼んでおけ」


 にっこり笑う、エリザベスが怖いです。上機嫌で帰っていくゲイルを確認してから、デュアリスは青くなってエリザベスを問いただしました。


「どういうつもりだ、エリー!」

「デュアーあなた、あんな危険人物の隣に、子どもたちをこのまま住まわせておくつもり?」


 答えるエリザベスもまた、青ざめていました。


「ゲイルのお兄さんのお話が本当かどうか、急いで調べて。まずはこの子の出自をはっきりさせなくちゃ。あれが単なるデタラメで、余所のお子さまを誘拐した可能性だってあるわ」

「それはもちろん。しかし誘拐だった場合、一度引き取ってしまったら、俺たちも共犯と思われるぞ」

「あんな犯罪者に、マトモな子育てができるわけないでしょう? たとえ誘拐犯と思われたって、危険人物からは保護しないと」

「……なるほど、保護のつもりで。それなら引っ越しは?」

「私の体調もかなり戻ったし、もうこの村にこだわる必要もないわ。デュアーがゲイルを調べてくれている間に、私は引っ越しの準備を整えます。せっかく慣れてきたところで、エドには申し訳ないけれど」


 夫婦の話題に出された長男エドワードは、母の腕に抱かれる赤ちゃんに興味津々で、にっこり笑いました。


「ぼくは、大丈夫。この赤ちゃんとディアナを、あのおじさんから守るためなんだよね?」

「えぇ、そうよ。あなたも協力してくれる?」

「うん!」


 お兄ちゃん二年生のエドワード、赤ちゃんにも慣れたものです。エリザベスから赤ちゃんを引き取って、危なげなく抱きかかえました。


「かわいいなぁ。ディアナもさいしょは、これくらい小さかったね」

「本当に生まれたばかりに見えるな」

「そうね。よくて生後一ヶ月かしら。――エド、赤ちゃんのお世話、手伝ってね」

「まかせて!」


 優しい家族を、窓の外から月がそっと、見守っていました。




 さて、デュアリスの調査の結果、ゲイルの言葉は不幸なことに正しく、押し付けられた赤ん坊の両親は既に他界しており、ゲイル以外に近い親戚が居ないことも明らかになりました。

 一家は相談の末、彼女を引き取って育てることを決めます。

 ゲイルに『ラプンツェル』なんて適当極まりない名前を与えられた赤ん坊には、もちろん実の両親がつけた『シェイラ』という名前がきちんと存在しました。シェイラは一家の末娘として、愛情を込めて育てられることになります。

 また、有言実行がモットーの一家は、カレルド夫妻を超危険人物と認定し、村役場と村の重役たちに洗いざらい告げ口した上で、隣から文句をつけられる前にとっとこ村から脱出。今度は豊かな森の中で、新たな生活をスタートさせたのでした。


 それから、十五年のときが流れ――。


「ディアナー、お昼よ!」

「はぁい! 今行く!」


 森の中に、少女たちの涼やかな声がこだまします。走ってきた薄い金髪の少女は、返事が聞こえた辺りで立ち止まり、ぐるりと頭上を見回しました。

 と、そのうちの一本ががさがさと揺れ、上から籠を背負った、シェイラより少し年上に見える少女が、危なげなく飛び降りてきます。

 視線を合わせ、二人は笑い合いました。


「まったく、相変わらず降りるときは雑なんだから」

「籠があるし、幹使うよりも飛んだ方が早いもの。それよりシェイラ、今日のお昼はなぁに?」

「おかあさま特製、ラプンツェルのクリームスープだって」


 にこにこ笑うシェイラとは裏腹に、降りてきた少女は一気に渋い顔になります。


「もう……またラプンツェル。確かに美味しいし、栄養価が高いのも分かるけど」

「ディアナも、ラプンツェル好きでしょ?」

「ラプンツェルは好きだけど。……ああいう話聞くと、複雑っていうか」


 唇を尖らせる少女の名は、ディアナ。デュアリスとエリザベスの間に生まれた、エドワードの妹です。――そして何を隠そう、デュアリスとエリザベスが例の村で、ラプンツェルを育てることになった理由そのものでもありました。

 一人目のエドワードが、特に問題なく順調に育ち、出産のときも安産だったエリザベスは、二人目を妊娠したと分かったときも、特に構えず普段通りに過ごしていました。しかし、時季や体調が合わなかったのか、ちょっとした貧血から身体を壊し、寝台から起きあがれなくなってしまったのです。

 しばらく仕事から離れるべきだという忠告を受けたデュアリスは、一家揃って自然豊かな田舎で療養することを決め、あの家を仮住まいとしていたのでした。仕事から離れて気が緩んだのか、つわりが酷くなってろくに食事もできないエリザベスになんとか元気になってもらおうと、いろいろ調べてラプンツェルへとたどり着き。野生も生えてはいるけれど、どうせならいつでも食べられるようにしたいと、人工的に栽培するようになったのでした。

 つまり、ディアナがお腹の中に居なければ、あのラプンツェルは育てられなかったわけで。ラプンツェルのおかげでエリザベスの体力も戻り、無事にディアナが生まれたわけですが、最初は母乳の出が悪かったエリザベスを助けたのもまた、ラプンツェル。離乳食を開始した頃、野菜を嫌っていたディアナでしたが、試しにラプンツェルを刻んで入れてみるとそれだけは食べたということで、やっぱりラプンツェルとの縁は切れないまま。

 そんなこんなで、デュアリスが調子に乗ってラプンツェル畑の規模を拡大したことで、カレルド夫妻に目を付けられることになったのでした。


 シェイラと一つしか違わないディアナには、妹が一家に引き取られた夜の記憶はありません。ですが、共に育つうち、シェイラと血の繋がりがないことは、自然と理解していました。

 何しろ、兄と自分はどうしてか、魔王面の父に似て、タイプは違えど『悪人面』。一方シェイラは、春に咲く野の花のように、可憐な愛らしさに満ちていたのです。逆に血が繋がっていた方が「不公平!」と軋轢が生まれかねないくらい、自分たちは違いました。

 そしてデュアリスとエリザベスも、別段子どもたちの血が繋がっていないことを隠しませんでした。大きくなるにつれ、「私たちって似てないよね」と言い合う姉妹に、「そりゃ、血は繋がってないからな」とあっさりカミングアウトする程度には、些細なことと受け止めていたのです。

 この場合、家族の中でただ一人血が繋がっていないシェイラが肩身の狭い思いをしなければならないはずですが、それこそゼロ歳児の頃から分け隔てなく育てられ、特別扱いされたことのないシェイラは、そんな発想すらありませんでした。森の集落は物静かで、「もらわれっこやーい!」なんてイジメてくる輩も居なかったから余計にです。

 むしろ、シェイラが家族に加わった詳しい経緯を聞いた日は、シェイラよりディアナの方が荒れました。坊主憎けりゃの精神で、それまで大好きだったラプンツェルが苦手になってしまうほど。


「ラプンツェルには感謝してるのよ。ラプンツェルがなかったら私、お母様のお腹の中で、無事に育ったか分からないし。苦手だった野菜を食べられるようになったのも、ラプンツェルのおかげらしいし。……でも、ねぇ」

「私はむしろ、ディアナがそこまでラプンツェルを嫌う理由が分からないけどなぁ」

「だって、ラプンツェルがなかったら、あなたの叔父が血迷って、あなたを攫ってお父様に押し付けることもなかったんでしょう?」

「それでも、生まれたばかりの私を置いて、本当の両親が事故で亡くなったことは変わらないわ。血縁者は叔父だけだったんだから、ラプンツェルがあろうがなかろうが、叔父に連絡は入ったと思う。ラプンツェルがあったから叔父が私をおとうさまに渡したんだとすると、ラプンツェル様々よ」


 シェイラの血縁上の叔父、ゲイルが、言葉の通じない危険人物だったということは、当時の記憶がない二人も家族から聞かされて知っています。デュアリスとエリザベスは、いちおうシェイラの血縁者に当たる人物の印象ができるだけ悪くならないように、言葉を選んで説明したのですが、何しろ経緯が経緯ですので、無駄な努力に終わりました。

 シェイラとしては、いくら叔父でもそんな頭のおかしい人間に育てられるよりは、デュアリスとエリザベスを父母として、強く優しい兄、お転婆でお人好しの姉に恵まれた、この十五年の方が幸せだったに決まっていると断言できるので、取り立てて不満はありません。

 ――しかし、怖い顔の割に気遣い屋の姉は、シェイラとは違った見方を持っているようでした。


「いくらシェイラの本当のご両親が亡くなったんだとしても、シェイラが住んでいた町に、シェイラを可愛がってくれていた人たちはいたはずよ。あなたの叔父はラプンツェル欲しさに、その人たちからあなたを引き離した。……せめて生まれた町で育てば、シェイラは本当のご両親の思い出話を聞けたはずなのに」

「……でも、そうなったら私、ディアナと姉妹になれなかったわ」


 シェイラの返答に、ディアナの目が丸くなります。姉の背にある籠が邪魔で、抱きつくことはできませんが、代わりにシェイラはディアナの手をぎゅうっと握りました。


「ディアナは、私がいない方が良かった?」

「そんなわけないでしょ! シェイラが居ない毎日なんて、考えられない……」

「なら良いじゃない、これで」

「……シェイラが居てくれて嬉しいから、毎日が楽しいから、逆に申し訳なくなるの。私のせいで植えられたラプンツェルが、ご両親からあなたを奪ったみたいな気持ちになって。突き詰めれば、私があなたから、本当のご両親を奪っちゃったのかな、って」

「ディアナは考えすぎ。本当の両親だって、私が毎日楽しく暮らしていれば、それだけで安心してくれてると思う。引き取って育ててくれたおとうさまとおかあさまに感謝こそすれ、恨んでなんか絶対にないわ」


 シェイラの言葉にディアナはようやく微笑んで、シェイラもつられて笑いました。

 年の近い姉妹は互いに反発し合うのが世の常と聞きます。しかし、ディアナとシェイラに限って言えば、よほどウマが合ったのか、もしくは逆に血が繋がっていないことが良かったのか、たまにケンカはしても深刻な諍いにまで発展することはなく、関係は非常に良好でした。


「さ、早く帰って、ラプンツェル食べましょう」


 手を繋いだまま、二人は家路を急ぎます。

 ――そんな姉妹の後ろから、やや不機嫌な声が掛けられました。


「待て、ディアナ、シェイラ」

「お兄様?」

「どうなさったの?」

「面倒なのが今、ウチに来てるようだ。少し様子を見よう」


 頼りになる兄エドワードにそう言われ、二人は素直に立ち止まります。


「面倒なお客様?」

「あぁ、極めつけにな。……隠していても仕方ないから言うが、シェイラ、お前絡みだ」

「私?」

「あのゲイルとかいうオッサン、今になってお前のことを探し回っているらしい。パトロンっぽいのが後ろについて、金に糸目をつけずに国中嗅ぎ回ってやがる」

「そうだったの!?」


 基本森から出ない姉妹は、そんなこと知ろうはずもありません。この国では、十七歳未満は子どもとみなされ、保護者同伴でない遠出は認められていないのです。

 ディアナより五つ年上のエドワードは、数年前に成人を認められ、父の片腕として忙しい毎日を送っており、二人よりは世間に詳しいのでした。


「え、じゃあ、今ウチに来てる人って、そのゲイルって人に雇われた調査員……?」

「それはそうだが、父上が話を聞いているから、心配は要らない。世情の流れとゲイルの思惑を、そいつから仕入れる算段だ」

「じゃあ、その人が帰ったら、作戦会議ね」

「あぁ。相手の思惑も分からないまま、下手に動くとやぶ蛇になりかねないからな」


 そう説明したところで、エドワードはふと顔を上げました。どうやら感覚を鋭くして、家の気配を探っているようです。

 数拍を数えて、エドワードは頷きました。


「うん。帰ったみたいだ」

「じゃあ、私たちも帰りましょうか」

「そうだな」

「あの……ディアナ、エドにいさま」

「大丈夫よシェイラ、心配しないで」

「お前は俺の大切な妹だ。たとえ血の繋がった叔父だろうと、お前を不幸にする奴には絶対に渡さん」


 頼れる兄と姉に励まされ、シェイラは二人とともに家に帰ります。

 子どもたちを出迎えたデュアリスとエリザベスは、案の定渋い顔でした。


「十五年前の経緯が、かなり歪曲されているらしい」

「予想された展開ではあるけどね」


 そう前置いて、二人は、調査員から聞いた話を、子どもたちに聞かせてくれました。


 あるところに、若い商人がおりました。旅先で商品の買い付けを行っていたあるとき、彼は一人の美しい女性と恋に落ち、お付き合いするようになります。やがて強く結びついた二人は、この先も共にありたいと願うようになり、結婚の許しを得るため女性の家族に面会します。

 ところがどっこい、女性はまさかの、貴族のお姫様でした。いくら商才はあってもただの商人では、到底手の届かない高嶺の花。当然結婚など認められるわけもなく、一度は諦めようとした彼ですが、やはり思い切ることはできず、女性も彼を喪うくらいなら死んだ方がましだとまで思い詰めていたため、スタンダードに駆け落ちして丸く収めました。――その二人が、シェイラの両親です。

 貴族御用達の店として有名になれば、もしかしたら認めてもらえるかもしれない。シェイラの父は、寝る間も惜しんで働きました。少しずつ経営が安定した頃、妻の妊娠が分かり、彼はますます張り切りました。

 妻も、そんな夫を支えるべく、必死に庶民の暮らしに馴染む努力を重ね。若く働き者の夫婦は住んでいた町で、多くの人から好意的に受け止められていたそうです。

 そして――シェイラと名付けた、待望の娘が生まれて、一月が過ぎた頃。夫婦は町の人たちの勧めで、妻の家族に会いに行くことにしたのです。門前払いされても、せめて孫が生まれたことだけは伝えたい。若い二人の希望でした。シェイラを仲良くしていた定食屋の夫婦に預け、二人は町を後にしました。

 結論としては、やはり門前払いだったのですが。二人は子どもが生まれたこと、シェイラと名付けたことだけを手紙に書いて門番に預け、いつかわだかまりなく会える日を願って、帰途につきました。――二人が事故に遭ったのは、その帰り道でのことだったのです。


「シェイラのお母さんって、お姫様だったんだ」

「すごいな。どんだけ波瀾万丈なんだよ」


 両親も波瀾万丈ですが、シェイラもまた、波瀾万丈です。駆け落ち結婚だった二人は、当然詳しい事情を周囲には語らず、せいぜい「妻の家族に結婚を反対されたから、駆け落ちしました」くらいしか説明していませんでした。この状況で連絡が取れるとしたら、夫側の身内しかいません。

 町の人としては、連絡が取れた夫の弟が良さそうな人なら、シェイラと商会を預けたいと考えていたようでした。ところが、知らせを受けてやって来たゲイルは、町の人たちの話など聞かず、商会を売り払ってシェイラを強引に奪い去ったのです。抵抗したくとも、法律上ゲイルはシェイラのもっとも近しい身内であり、どうしようもなかったと、町の人々は涙ながらに語り――そして、ときは流れました。一時の感情で娘を勘当した親が、老いて気弱になり、その後の消息を調べたくなる頃がやって来たのです。

 セオリー通り、昔々門前払いした娘が残した手紙を頼りに、娘夫婦が暮らしていた町まで辿り着いた両親はそこで、手紙を預けた帰り道、娘夫婦が悲惨な最期を遂げたことを知ります。哀しみにくれる老夫婦でしたが、まだ孫が残されていると思い出し、若くして亡くなった娘の分まで孫を大切にしようと決めました。

 が、肝心の孫は、叔父と名乗る男に引き取られてから消息不明。老夫婦の追跡は、まだまだ続きます。


「……なんか、それも勝手な話に聞こえるんだけど」

「年取って弱ったじーさんばーさんの思考なんてそんなもんだ。深くツッコんでやるな」


 兄夫婦の子どもと引き替えにラプンツェル畑を手に入れたゲイルですが、悠々自適な暮らしは長くは続きません。デュアリスとエリザベスを怒らせて、一家が村から出て行く原因となった彼らを、村人は正しく村八分にしました。いくらデュアリスが残したラプンツェルが美味しくても、ラプンツェルだけでは生きていけません。そう経たないうちに、ゲイルも村を離れます。彼が野垂れ死んでいれば、老夫婦の追跡もそこで終わったのですが、憎まれっ子世にはばかるを見事に体現した形でゲイルは生き延びており、老夫婦は執念で、彼まで到達したのでした。

 昔引き取った子どもを出せと詰め寄る老夫婦。相手が貴族だと知ったゲイルは、とんでもない嘘八百を口にします。――昔住んでいた村に悪魔のような男がおり、娘を寄越さなければ妻の命はないと迫られて、泣く泣く引き渡してしまったのです、と。


「ええええぇ!?」

「何がどうなったら、あのときの話がそんな展開になるんだ!?」

「そもそも最初は、叔父がラプンツェルをしつこく盗もうとしたから、おとうさまが『これは妻と娘のだ』って怒ったのを、叔父が変な曲解したんでしょう!?」

「ラプンツェル掠りすらしてねぇ!」


 残念ながら、ほんのちょっと掠っています。ゲイルは当時のラプンツェル盗難未遂を、気の病に陥っていた妻を救うためだったと弁解し、あのときの妻はラプンツェルがなければ死んでしまうほど重篤だったと大嘘こいたのです。隣の悪魔にそう説明して頭を下げたのに、欲深で意地の悪い彼は、そんなに欲しいなら金を寄越せと高笑ったと。……頭を下げられた覚えもなければ高笑った覚えもないというデュアリスの主張は、分かり切っているので置いときましょう。

 ゲイルは追いつめられると口が回るタイプだったらしく、いかにもな言葉でシェイラを手放した経緯を捏造したのです。


『私が赤ん坊を抱いているのを見た悪魔は、私にこう言いました。『その娘を寄越せ。そうしたら、畑のラプンツェルを腹一杯食わせてやる。……お前の妻は、このラプンツェルがないと、もう長くは生きられないのだろう?』と』


 哀れ老夫婦はゲイルの大嘘パレードをまるっと信じ込み(なまじ彼の兄、シェイラの実父が誠実な性格であったことが災いしました)、ゲイルに「金ならいくらでも出す。その悪魔を見つけ出し、孫を連れ戻せ」と命じました。

 ――そうして、彼に雇われた調査員たちが、全国に散らばる騒ぎとなったのです。


 両親の説明が終わった頃には、子どもたち三人も両親と同じく、渋い顔になっていました。


「つまり、ゲイルの大嘘をもとに動いている奴らにとっては、父上はたかが野菜と引き替えに赤ん坊を奪い去った、とんでもない悪人認定されているわけだ」

「勝手な話にもほどがあるわよ。シェイラを押し付けたのって、そのゲイルの方なんでしょ?」

「真夜中に突然ドンドンドンってドアを叩かれて、エドは飛び起きるわディアナは泣くわで、一言文句言ってやろうと扉を開けた瞬間に、挨拶抜きで押し付けられたな。しかも、俺がきちんと抱くのを待たないままに手を離しやがるもんだから、落ちそうになってひやっとした」

「どうやったらその状況が、『その娘を寄越せ』になるの……」

「十五年前の話だからね。物事を都合良く作り替えるには、充分な時間があるわ」

「おかあさまは悔しくないの!?」

「悔しいというか、デュアーの伝説がまた一つ増えたと感心するというか」


 中身はただのお茶目なおじさんなのに、顔のせいで誤解され、事実無根の悪人伝説を次々生み出しているデュアリスにとって、実はこの手のトラブルは珍しい話ではありません。森の奥に引きこもり中の姉妹は知りませんが。

 呆れるエドワードと怒る姉妹を一通り微笑ましく眺めてから、父母は本題を切り出します。


「で、これからどうしましょう?」

「起こっちまったことはどうしようもないからな。これからどうするかだ、大事なのは」

「そんなの、おとうさまの悪評を広めた叔父を懲らしめる以外にあるの?」

「あー……。確かに、ゲイルはなんとかしなきゃならんな」


 彼をこのまま放置するのは、百害あって一利なしです。ただの村人なら嘘つきの小悪党でも問題ありませんが、貴族が背後にいるとなると無視はできません。


「結構な数の人間を雇って、国内だけでなく、国境も越えて捜索範囲を広げているそうだ。今までみたいに出歩いていると、近いうちにばったり会う可能性も出てくる」

「見知らぬ人間が出歩いていたら、集落の人たちが忠告してくれるとは思うけど……」

「どれほど気をつけていても、死角は生まれるものよ。用心に越したことはないわ」

「あぁ、エリーの言うとおりだ。シェイラが見つかって、『探し人』だと確信されたが最後、奴らがこっちを『誘拐犯』扱いして乗り込んでくるのは目に見えてるからな」


 ゲイルの嘘八百を信じた善良な人々が、デュアリスを悪人と確信して、武器を手に取るかもしれません。このままでは、誰も望んでいないのに、平和な森が荒らされる恐れがあります。

 シェイラが、しょぼんと肩を落としました。


「私が名乗り出て、叔父の嘘を暴くしかないのかしら……」

「いやいや、結論づけるのはまだ早い」

「シェイラが会いたいなら会えばよいけれど、私たちのために楯になる必要はないわ」

「お母様に賛成。お祖父様とお祖母様の本心だって、まだ分からないわけだし。跡継ぎが全滅してやむにやまれず、ってお約束もあるしね」

「だな。そういう場合、引き取られた先で主人公が苦労するところまでがお約束だ。かわいい妹を、そんな不憫な目には遭わせられない」


 シェイラを名乗らせず、あちらの追跡をひとまず撒いて、その間にゲイルの嘘を暴いて老夫婦の背後を洗う。

 忙しいですが、この五人ならできないことはありません。


「明日から忙しくなるぞ、エド」

「そうですね。――シェイラ、お前はしばらく身を隠せ。ここは結構開けているからな、出入りすれば一発でバレる」

「エドにいさま」

「簡単には見つけられない場所が良いな。見つけられたとしても、容易にはシェイラまで到達できない場所……」

「お兄様、見張り塔はどうかしら。あそこなら、ハシゴがないと登れないわ。シェイラが登った後、ハシゴを引き上げれば」

「なるほど。冴えてるな、ディアナ」

「必要なものは、私が運ぶわ。シェイラ、後でハシゴを降ろす合い言葉だけ決めましょ」

「ありがとう、ディアナ……」

「どういたしまして。気にしちゃダメよ。家族なんだから、大変なときに助け合うのは当たり前」


 互いに目を見交わして、五人はしっかりと頷き合ったのでした。




 ――それから数日後。森の奥にある見張り塔の下に、バスケットを抱えたディアナの姿がありました。


「ラプンツェル、ラプンツェル。お前の髪を垂らしておくれ」


 ディアナの言葉が終わると同時に、上から勢いよく、ハシゴが降りてきます。バスケットを腕にかけながらもディアナは慣れたもので、するするとハシゴを昇っていきました。


「おはよ、シェイラ。よく眠れた?」

「早くからごめんね、ディアナ。朝はやっぱり、おかあさまの焼きたてパンを食べないと調子が出なくて」

「謝ることないわよ。私がシェイラの立場でも、朝はお母様のパンが食べたくなると思うもの」


 互いに頷いて、二人はくすくす笑います。

 見張り塔は、出入りこそ大変ですが、中はそこそこ充実しています。竈や調理器具もあり、寝床も整っているため、服と食糧さえ持ち込めば日々の暮らしは困りません。

 ですがやはり、一日中籠もっていては退屈なわけで。普段は意識していない『母の味』が恋しくなるのも当然です。「おかあさまのパンが食べたいな……」と呟いた妹のために、ディアナは朝から息を切らせ、パンを運びにきたのでした。


「それにしても、合い言葉が『ラプンツェル、髪を垂らせ』ってねぇ……」


 シェイラと共にパンをかじりつつ、ディアナは苦笑しました。


「確かにシェイラの名前は呼べないし、『ハシゴ降ろして』じゃまんま過ぎて合い言葉にならないけど。仮にシェイラの髪が塔の下まで届くほど長かったとしても、その髪つたって登るのはかなり大変よ」

「ディアナならできそうだけど……」

「やろうと思えばできるだろうけど、やらないわよ。シェイラに負担が掛かりすぎるわ」

「実際のところ、そこまで長い髪だと、動くのも一苦労でしょうね」


『ハシゴ降ろして』を洒落た言い方にと二人で考えた結果が、おとぎ話調の『ラプンツェル、ラプンツェル。お前の髪を垂らしておくれ』なワケですが、自分たちでもツッコミどころが満載です。深夜テンションは怖いですね。

 ディアナは一日塔の中で過ごし、日が暮れる前に塔を降りて、家に帰りました。


 ――その日の夜。夢うつつにシェイラは、『合い言葉』を聞きます。


「ラプンツェル、ラプンツェル。お前の髪を垂らしておくれ」


(ディアナ……? 忘れ物かしら)


 半分眠っていたシェイラは、窓際のハシゴを降ろし。――降ろした後で、気付きます。


(待って。今の、ディアナの声だった?)


 記憶が正しければ、ディアナではあり得ない、低い声だった気がします。

 ギシギシとハシゴが揺れる音は、シェイラの確信をさらに強めました。ディアナはこんなに重い音を立てないし、こんなに登るのが遅くもありません。

 招かれざる訪問者を前に、シェイラはとっさに、暖炉の横に立てかけてある火掻き棒を構えました。

 永遠にも思える時間の後、登ってきたのは――。


「ふぅ、下から見たより高い……っとうわ、待て、早まるな!」

「だ、だ、誰です、あなたは。ここは森の集落の見張り塔ですよ!」


 高級そうな服に身を包んだ、どこから見てもお坊ちゃま。銀の髪が月明かりに映えて綺麗ですが、顔も整っていて美男と言って良いでしょうが、そんなことは知ったこっちゃありません。

 正当防衛とばかりに火掻き棒を振り下ろそうとするシェイラの本気が伝わったのか、男は叫びました。


「怪しい者ではない!」

「こんな真夜中に、ねえさましか知らないハシゴ降ろしの合い言葉を口にして騙し討ちみたいに登ってくる見知らぬ男の人、怪しすぎるに決まってます!」

「落ち着け。さっきの言葉は、今朝ここを訪れた娘が口にしたのを、たまたま聞いただけだ。あの悪そうな……待て、今『姉』と言ったか?」

「言いましたよ。ディアナは私の姉です!」

「そなた、姉に閉じこめられているのか!?」

「鍵もかかっていないこの部屋に、どうやったら人間を閉じこめられるんです?」

「いや、しかしハシゴが……」

「……ハシゴはこの部屋にあるんですよ。この塔は、見張りと籠城を目的に作られたものであって、内側からの出入りは自由です。現在避難中の身であることは否定しませんが、ねえさまに閉じこめられているなんてとんでもない話です」


 呆れを隠そうともしないシェイラの言葉に、男のテンションも盛り下がったようでした。シェイラの言葉は正論で、ついでに居心地よく整えられた室内を見れば、『閉じこめられている』が成り立たないのは一目瞭然なのですから。

 男は潔く頭を下げました。


「悪かった。少し勘違いをしていたようだ」

「はぁ……」

「出入り口のない塔の天辺に、誰かが幽閉されているのかと思ってな。そなたの言う『合い言葉』とやらがないと、ハシゴも降りないようだし」

「それは、私が現在避難中だからです。普段は基本的にハシゴは出しっぱなしですよ」

「そうなのか。重ね重ね済まなかった」


 少し思いこみの激しいところはあるようですが、男は悪い人ではなさそうです。警戒を解き、シェイラは火掻き棒を降ろしました。


「俺の名は、ジュークという。そなたは……ラプンツェル、か?」

「それはただの合い言葉です」

「では、どうか名前を」

「……申し訳ありませんが、今は避難中でして。名乗りはご容赦を」

「先ほどから『避難』という単語が目立つが。……何から避難しているのだ?」


 改めて尋ねられ、シェイラは少し、考えます。……強いて何から避難しているのかと問われれば。


「……私の家族に、酷いことをしようとする人たちから、でしょうか」

「そなたの家族に、危険が迫っているのか?」

「嘘をついて、私の大切な家族を、悪者にしようとしている人がいるんです。私の居場所がその人にバレたら、家族が悪者になって、命すら狙われるかもしれない。……それを避けるため、私はここに隠れています」


 シェイラはざっくりと説明しました。詳しい事情を知らない者にとっては説明にすらなりませんが、少なくともシェイラが『家族』を大切に思っていることは伝わったようで、ジュークと名乗った男は親身に頷いてくれます。


「大切な家族を守るため、なのだな」

「はい。ねえさまは、私の退屈を紛らわせるために、通ってくれているだけです」

「そうか。……しかし、似ていない姉妹だな?」

「血は繋がってませんから。でも、ずっと一緒に育ってきた、大好きな姉です」

「家族思いなのだな……」


 ――ところで、しんみり話す二人は気がついていませんが、ジュークが上がるなり火掻き棒を構えたシェイラには、当然ハシゴを引き上げる余裕なんてありませんでした。従って現在、ハシゴは降りっぱなしです。つまり、誰でも登れます。


(うわぁ……)


 極力気配を消して音を立てないようにハシゴを昇り、ギリギリ見えないところに留まって、ちゃっかり中の会話を全部聞いたその人物は、そのままハシゴをするする降りると、塔を見上げて少し思案しました。

 やがて、何かを決意したように体の向きを変え、目的地へ向かって走り出します。辿り着いたそこは――ロッジ風の一軒家。デュアリス一家の住まいです。

 人影は迷うことなく、向かって左から二番目の窓に近づき、敢えて音を立てて窓を開けました。奥のベッドで眠っていた少女が、目を覚まして起き上がります。

 少女はその人物を認めると、目を大きく見開いてベッドから飛び降り、窓際に駆け寄ったのでした。


「カイ――」

「ディー、久しぶり」


 窓越しに抱き合う二人。断っておきますが、恋人同士ではありません。気心が知れた中であるのは確かですが。


「いつ来たの?」

「あれ、気付いてなかった? ――ゲイルに雇われて、この前ここに来た『調査員』が誰なのか」

「まさか……」


 息を飲んで、少女――ディアナは、目の前の男を見つめます。基本フリーの『何でも屋』として流れている彼なら確かに、雇われれば『調査員』にもなるでしょう。

 カイは、驚くディアナに苦笑しました。


「心配しなくても、ディーが困るようなことはしないよ」

「そんなことは疑ってないわ」

「本当は、ゲイルの件が片付くまで、顔を見せるつもりはなかったんだけど。ちょっと予想外のことが起きてさ。……今、ちょっと良い?」

「もちろんよ。どうしたの?」


 謎の人物改め『調査員』カイの話を聞いて――ディアナは、とある二者択一を固めます。


 翌朝。昨日と同じように、ディアナはエリザベスのパンを持って塔を訪れ、「ラプンツェル」と呼び掛けました。降りてきたハシゴを昇り、何事もなかったかのように窓から顔を覗かせて――。


「じゃあね、シェイラ」

「えぇ、ディアナ。……お願いだから、危ないことだけはしないでね」


 夕方。ハシゴを降りて少女は家へと帰り。

 規則正しく太陽は沈んで、夜が訪れました。


「ラプンツェル、ラプンツェル。お前の髪を垂らしておくれ」


 昨晩と同じく塔を訪れたジュークの呼び掛けに応えるかのように、ハシゴがするする降りてきます。――登り切った彼は、昨晩と同じように上にいるのはシェイラだと思い込んでいたのでしょう。出迎えたディアナの姿に、目を丸くしました。


「ようこそ、ジューク殿下」


 開口一番、身分を言い当てられては尚更です。彼はひどく狼狽えました。


「そ、そなたは……」

「昨日ここにいた『ラプンツェル』の姉です」

「昨日の娘はどうした!?」

「心配なさらなくても、普通に家におりますよ」


『――今、世継ぎの王子が見張り塔に昇って、シェイラと会ってる』


 昨夜、カイにそう告げられたとき、ディアナはわずかな時間、動揺しました。『ラプンツェル』の合い言葉は二人の間だけで決めたもの。女性がディアナの声真似をしたのであれば、シェイラも騙されたかもしれませんが、王子は男です。普段のシェイラなら用心して、ハシゴを降ろしたりするはすがありません。

 つまり。シェイラは本心では、塔に籠もるのを嫌がっていたのでしょうか。……いいえ、塔だけでなく。十七歳になるまではろくに森から出ることすらできない、ここでの暮らしそのものを厭っていたのでしょうか。

 妹が未知の世界に憧れ、密かに男性と会っていたからといって、怒って荒野に打ち捨てるような趣味は、ディアナにはありません。――もしもシェイラが、ここから出て行きたいと望んでいるのなら。寂しくはありますが、祝福して送り出すでしょう。


 ディアナは、二者択一にすることにしました。

 もしも、シェイラが昨日の王子との邂逅について、ありのままを話してくれたら、シェイラの気持ちを尊重する。

 シェイラが静かに、王子との出逢いを胸に秘めたなら……王子の気持ちを確認して、可能ならシェイラを託そうと。


 今日が、シェイラと過ごす最後の日になるかもしれない。そう覚悟してハシゴを昇ったディアナを待っていたのは――。


『聞いて、ディアナ。夕べ大変だったの! 夢うつつに合い言葉が聞こえて、ディアナの声か確認する前に、うっかりハシゴ降ろしちゃって。知らない男の人に昇ってこられて、本当、どうしようかと思った!』


 朝の挨拶より先に語られた、『ありのまま』でした。ハシゴを降ろしたのは反抗期でも何でもなく、単なるうっかりだったと知って、安心するやら心配になるやら。

 念のため、やって来た男性について尋ねてみれば。


『うーん……いろいろお話はさせて頂いたけれど。高貴なご身分の方がお忍びしていらっしゃるのかしら、ってことくらいね、分かったのは』

『いやあの、人間的に好ましいかどうかについては……』

『一晩話しただけで、どんな人かなんて判断つくの?』


 逆にきょとんと返されて、全身から力が抜けたディアナでした。

 シェイラが王子に、特に何の感情も抱いていないなら、ディアナの選択は決まっています。そもそも、世継ぎの王子がこの塔に昇っていること自体、通常なら大問題なのです。


 ――背筋を伸ばし、ディアナは教えられただけで実際にしたことはない、他国の王族に対する正式な礼を取りました。


「このような場で、失礼いたします。――クレスター自治領第十八代総督デュアリスが長女、ディアナにございます」


 要は、自治領トップの娘。それがディアナの背負う、社会的な立場です。

 自治領とは早い話、領土としては一つの国に組み込まれつつ、政治的には完全に独立し、自治を認められている地域のことです。だからこそ国との関係はデリケートで、民の行き来は問題になりませんが、王族が無断で領土を侵していたとバレれば、『我が自治領の自治権が云々』と大問題に発展しかねません。

 絶句したジュークに、ディアナは笑顔で追い討ちをかけます。


「ジューク殿下には、お初にお目にかかります」

「デュアリス総督閣下の娘? ……そなたが?」

「はい。妹シェイラが、昨夜はお世話になりました」


 簡潔に事実だけを指摘すると、ジュークはようやく、自分がとんでもないことをしでかしたと気がついたようで、頭を抱えてふらふら椅子に腰掛けました。


「まさかとは思うが……私は、領土侵犯していたの、か?」

「ここ、クレスター自治領の見張り塔ですから」

「そういえば、昨日の娘もそのようなことを……いや、それでもこれが国境というのは無理があるぞ。塀どころか、柵の一つもないではないか!」

「別に、そこまで躍起になって領土を主張する必要もありませんので。要は悪意ある者の侵入を拒めたら良いわけですから、遠くまで見渡せる見張り塔を点在させておけば充分です」


 エリザベスが妊娠をきっかけに体調を崩すまで、一家はごく普通に、自治領の総督府で過ごしていました。エリザベスが体調を崩した際、森のように密度の高い土地ではなく、もっと開けた場所で、仕事を忘れてのんびりした方が良いという医師の助言を受け、一家は自治領から離れた例の村で、しばらく過ごすことにしたのです。デュアリスはさすがに総督としての仕事を完全に休むわけにはいきませんでしたが、それでも可能な限り量を減らし、外で終わらせて、村には持ち込まないよう調整しておりました。そのため、彼が自治領のトップだということは、それこそ村の重役くらいしか知らないという状態でした。

 クレスター一家が村から離れる原因となったカレルド夫妻が、村全体から嫌われたのも道理でしょう。療養のための土地を貸してくれたあの村の人々にデュアリスは深く感謝し、住んでいる間は自分も住民の一人だからと、何かと便宜を図っていたのです。デュアリスが居なくなって、その恩恵が受けられなくなった村人の怒りの矛先がカレルド夫妻に向いたのは、ある種の必然でした。

 ラプンツェルのおかげで元気になったエリザベスは、自治領に帰ることを躊躇いませんでした。しかし、約二年の村生活で質素な暮らしに慣れた一家は、もとの豪華な暮らしに戻りたいとは思えず。落としどころとして、自治領のそこそこ落ち着いた集落の近くに居を構え、必要なときに総督府へ『出勤』する生活を送ることになったのです。


 普段は一家の主婦として違和感なくても、エリザベスはれっきとした総督夫人です。そんな母の薫陶を受けたディアナもシェイラも、総督の娘として恥ずかしくない振る舞いを、しようと思えばできます。

 上流階級の振る舞いが板についたディアナを見て、ジュークも事情を大まかに理解したようでした。


「そういえば、総督閣下の末の娘御は、とある理由で引き取られたご養女だったな」

「はい。妹とは血こそ繋がっておりませんが、きちんと縁組みをして、総督一族の家系図にも名が記されております」

「王国を流れている噂によると、昔悪魔に攫われた赤子を、年老いた祖父母が探しているとのことだが……」

「その件で、ジューク殿下のご助力を賜りたく、お待ち申し上げておりました」


 シェイラが、王子に、特に何の感情も抱いていないのなら。遠慮することなく堂々と、王子をこき使うことができます。最初に領土侵犯したのは王子なのですから、こちらが気を遣う必要はありません。自治領の境まで足を伸ばすつもりだったなら、そもそも国境が塀じゃなく塔だって基本知識くらい仕入れておけって話です。――こちらは、いちおう仮にも王国の民であるゲイルを、自治領総督の権限で処罰するのは越権行為だと考えて、わざわざ王国法でめっためたにできるだけの証拠を探してやったのに。

 ですが、世継ぎの王子様の知るところになったのなら、もうぐだぐだ考えなくとも良いでしょう。

 ディアナはシェイラを引き取った経緯、シェイラの素性、ゲイルの嘘八百パレードについて洗いざらい話し、そっちの国の民のことなんだから、そっちで何とかしてくれと丸投げました。


「私が収拾をつけるのか!?」

「ゲイルの罪の立証に必要な証拠は、父が揃えているはずです。シェイラの母方の祖父母については、兄が調べて纏めてくれていますので。それらがあれば、問題なく終わると思いますよ」

「本当に丸投げだな!」

「言っておきますが、殿下が興味本位で『ラプンツェル』を唱えなきゃ、こんなことにはならなかったのですからね。世継ぎの君の無断領土侵犯なんて、これくらいの密約を言い訳にしないと、ゲイルよりよっぽど大問題になります」

「う……」

「既に父と兄には知らせを出してありますから。あとの相談は、二人となさってください」


 肩を落としたジュークは、力なく頷いて……それから、顔を上げました。


「全部終わったら……妹御に、会わせてくれるか」

「妹に、ですか?」

「あぁ。昨夜は本当に楽しかった。できるならまたお会いして、もっといろいろ話してみたい」

「分かりました。殿下がそう仰っていたと、妹に伝えておきます」


 ディアナの返事を聞いたジュークは、とたんに元気になり、意気揚々とハシゴを降りていきました。

 うっかり足を滑らせて落ちないかと案じたディアナですが、そんなことはなかったようです。


「これで丸く収まるかしらねー」

「王子様の『全部終わったら』発言、とある国では『死亡フラグ』って言われてるらしいから、まだまだ油断は禁物かも」

「……カイ、いたの」

「結末気になるじゃん、情報運んだ身としては」


 フリーの『調査員』としてゲイルに雇われていたカイの正体は、そもそも自治領の諜報員です。この国や隣国を回り、情報を集めてくれる彼は、一家とも親しい昔からの顔馴染み。今回ゲイルに雇われたのももちろんわざとで、ゲイルの動きをいち早く掴んで自治領に届けるためでした。調査に来たフリで、外の様子を一家に伝えてくれたのです。

 総督府の仕事に余計な調査が加わり、家に帰る暇がなくなったデュアリスとエドワードの代わりに、さり気なく塔の様子にも気を配り、ジュークとシェイラの接触についてディアナに知らせてくれたのも彼。デュアリスとエドワードに繋ぎを取って、「ジューク殿下に丸投げ案」を通したのも彼です。

 裏側で激務だった彼ですが、その理由ははっきりしています。


「毎日毎日、見張り塔のハシゴをバスケット片手に昇降なんて、見てられないよ。早く解決しないと、ディーのことだから、いつか滑って落ちる」

「私そこまで運動神経悪くないって、何度言えば分かるの」

「運動神経は悪くないけど、疲れたら注意力散漫になるでしょ、ディーは。ある程度慣れてきて、気が緩んだ頃がいちばん危ないんだから。そうなる前に終わらせたかった」

「……ホント、お兄様以上に過保護よね、カイは。シェイラより私の心配する人なんて、あなたくらいよ」

「じょーだん。シェイラはあれでしっかりしてるもん。少なくともディーみたいに、限界超えてまで無茶したりはしないから」


 何故か昔から、自分限定で心配性な昔馴染みと穏やかに語らいつつ、ディアナは久しぶりに塔の夜を過ごすのでした。




 ――ところで、その後王子がゲイルを捕らえ、孫を探す祖父母と決着をつけて、無事に『ラプンツェル』と再会を果たせたのかどうかはについては……あくまで「なんちゃって」なので、もう割愛して良いですよね?




 おしまい。





子どもの頃初めてラプンツェルを読んだとき、最初に思ったのは「毎朝毎晩髪をつたって塔を登るお婆さんスゲー」でした。私、登り棒すらマトモに登れない運動神経マイナスなお子様だったので、お婆さんが髪をつたって出入りする描写で他が全部吹っ飛んだんですよね。ラプンツェルと王子の秘密の逢引? うん、知らん。


たまにはディアナを主役に……と思って、最初はラプンツェルをディアナ、閉じ込める方を百合拗らせたシェイラにして、カイを王子に据えて救出作戦、みたいな話にしようと思ったんですが。シェイラは「ディーを閉じ込めるなんて(´・ω・`)」とか言い出すし、ディアナはディアナで「主役は性に合わない」って動いてくれないし。試しに親世代を出したら面白いくらいに話が転がったので、イロイロ諦めていつも通りキャラクターを追いかけました。合言葉は「ラプンツェルってなんだっけ?」ということで。


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