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過去話〜少年と妖精の邂逅〜

本編閑話その29に出てきた、幼い二人の出逢いのお話。

「可愛いは正義!」を合言葉に、のんびりお楽しみください。


 少年にとって、「親の仕事にくっついてあちこち旅をする」のは当たり前のことで、羨ましがられることすら想像の範囲外だった。

 だからこそ、『彼女』との出逢いは特別だったのかもしれないと――やがて、大人になった少年は、思い返すことになる。


 それは――幼い彼にとって、光そのもののような、邂逅だった。



  ***************



「カイ。父さんはこれから、大事な話をしに行かなければならない。一人で待てるな?」


 父の仕事で知らない土地に行くのも、父が仕事の間は一人で過ごすのも、生まれたときから繰り返していれば慣れたものだ。さすがに赤ん坊の頃は、父も信頼できる人に世話を頼んだらしいが、四歳を越えて思考能力も発達し、「しっかりした子だ」と行く先々で褒められるお子さまに成長した彼にとって、自分は既に『いちにんまえ』だった。


「だいじょうぶ。森のなかであそんでてもいい?」

「……あまり奥には行かないように。父さんが呼んだら聞こえる場所で遊ぶんだぞ」

「わかった!」


 満面の笑みで頷き、彼は森へと駆けていく。息子を見送った小柄な黒髪の男は、森を見上げてやれやれと息を吐いた。


「随分と穏やかで、人間を好いている森のようだ。危険はなさそうだが……」


 首を捻りつつ、男は森とは逆方向にある、こぢんまりとした館に向かって歩いていく。

 一方、父が意味深な言葉を発したなんてことはついぞ知らない四歳児は、意気揚々と森を進み――。


「……!」


 不意に、自分以外が発する音が聞こえた気がして、立ち止まった。

 風に乗って聞こえてきたそれは、誰かの笑い声のようだ。軽やかで澄んだそれに害意は感じないが、こんな森の中で何をしているのか、彼は単純に気になった。

 そろそろ、そろそろと、彼は声のする方に足を進めていく。鬱蒼とした森で、ちらちらと落ちる木漏れ日に目を細めながら、彼はついに、声が発する言葉が聞き取れるところまでやって来た。


「おひさま、きもちいいね……みんなもねむくなっちゃった? あ、こら、いたずらはだめよ!」


 舌っ足らずな話し声は、どうやら幼い少女のもの。誰かに話し掛けているようだが、少女以外の言葉は聞こえない。

 しばらく隠れていた彼だが、好奇心を抑えることはできず、茂みの向こうをそっと覗いてみた。


 天高くそびえる木々が、奇跡的に隙間を作り。その間から大きく差し込んだ光の下で。

 膝に森の小動物たちを、頭や肩には小鳥を乗せて座り、手には花束を持つ、金の髪の少女――。


 少し開けた広場のような場所で、花々が咲く地面の上で、動物たちと戯れながら光を浴びて輝く少女。それはまるで一枚の絵画の如く、完成された光景だった。いつの間にか隠れることも忘れ、彼はその光景をよく見ようと身を乗り出し、足を踏み出す。――当然、目の前には茂みがあり、がさりと大きな音を立てた。


 ばさばさばさっ!


 複数の羽音、忙しない物音が響き、あっという間に動物たちの姿は見えなくなった。光の中、一人残された少女は、ぽかんと動物たちを見送った後、こちらを振り向く。

 一点の曇りもない、晴れた日の海の色をした瞳と、視線が合った。


「あなた、だあれ?」


 問いかける声はよく響き、そこに彼を恐れる音色は聞き取れなかった。ただただ純粋に、見知らぬ人の素性を問う言葉。

 彼はまだ生まれて四年と少ししか経っていないけれど、人間というものの愚かさ、残酷さを、つぶさに見られる世界で育ってきた。加えて彼の外見は、人間の負の部分を引き出しやすいもので。

 そんな彼に対し、何の捻りもなく『誰』と問うた少女。森に落ちる光の下で、ほのかに輝いてすら見える。

 以前に読み聞かせてもらった絵本がぽんっと思い浮かび、その瞬間、『しっかりした子』であるところの彼は悟っていた。


「きみは……ようせい、なの?」


 妖精の少女が少年に「力を貸して」と願い、少年は妖精の声に応えて旅立ち、数々の冒険の果てに世界を滅ぼす悪い竜を懲らしめる、子ども向けの冒険譚。この国ではそこそこ有名なおとぎ話だ。

 絵本の中の妖精は金髪で、服だってピンク色だった。目の色までは、彼は覚えていなかったけれど。

 目の前の妖精は、絵本とは違い、自分と同じくらいの大きさだけど。絵本には、妖精が動物と話をする場面も出てきたし、きっと間違いない!


 ――もちろん、妖精なんて不思議生物はこの世にはいないし、いたとしてもこんな人目につきやすい場所でのんびり日向ぼっこをしていたりはしないだろう。もう少し大きくなれば彼にも飲み込めた理屈は、絵本の世界は現実と変わらないと信じる四歳児には存在しなかったのだ。

 が、当然ながら、問われた方は自分が妖精ではなく人間だと分かっているわけで。

 首を傾げて近付いた少年に対し、ふるふると首を横に振る。


「ようせい? ちがうわ。わたし、でぃー、なよ」

「ディー?」


 それは、この子の名前だろうか。まだ幼く、上手に喋ることも難しい女の子のようだ。

 近付いた彼に、少女は警戒のけの字も見せなかった。座ったまま、眩しそうに彼を見上げる。一生懸命名前を教えようとしてくれたが、残念ながら彼には「ディー」もしくは「ディーナ」としか聞き取れなかった。

 諦めたのか、少女は眉を落とす。


「でぃー、でいいよ」

「ありがとう、ディー。ぼくは、カイだよ」

「かい?」

「うん。ぼくの名前」

「……カイ、ね!」


 にっこり笑って、少女は立ち上がる。彼より少し小さい背丈の彼女は、何の躊躇いもなく彼の手を握った。


「はじめまして!」

「は、はじめまして」

「カイは、どうしてこのもりにきたの?」

「どうして、って……」

「ここ、わたしのおうちよ? しらないひとをみるの、はじめて」


 どうやら、見知らぬ人間が珍しいらしい。危険な人も多い世の中、こんなに簡単に他人を信用して大丈夫なのだろうかと、四歳児が真剣に思う。まだまだ自他の区別が付きづらい年頃ではあるが、彼は父親の仕事の関係上、『怪しい人について行ってはいけません』の理由が理解できる経験を山ほど積んでいたため、そこは他の子どもに比べ老成していた。

 ただ、彼が少女にとって、別に危ない人間ではないこともまた確かで。さらに、訊かれたことに答えない理由も特になかった。


「ぼく、父さんといっしょに、あちこちに行くから。この森にも、それで来たんだ」

「おとうさまと、いっしょに?」

「うん。えーと、そう。『たび』してるんだ」

「たび?」

「いろんなところに行くことだよ。海とか、山とか、湖とか、ほんとうにあちこち」


 その、瞬間の。少女の瞳の変化こそ、劇的だった。

 澄んだ海に、突如光が射し込んだかの如く、その蒼が光を帯びて輝いて。表情は歓喜と、純粋な羨望に満ちた。

 彼の手を握ったまま、少女はぴょんぴょん飛び跳ねる。


「いろんなところ、いくの? すごい、わたしもいきたい!」

「きみは、この森が家じゃないの?」

「うん。このもりも、おうちよ? このもりも、だいすき」


 ぱっと彼から離れ、少女は花の中でくるりと回って、愛おしそうに笑う。それはまさに、花と戯れる妖精そのもので。

 言葉もなく見とれているうちに、少女は彼の前まで戻ってくると、煌めく蒼の瞳で彼の顔を覗き込んだ。


「でも。ほかのところも、みてみたいの」

「ほかのところ?」

「まちは、いったことがあるわ。たてものがたくさんあって、とってもたのしかった。まちにいって、わたしはまちもだいすきになったわ」


『だいすき』を語るとき、少女の瞳とその笑顔はいっそう輝く。太陽の光などなくとも、彼女自身の輝きで、世界を照らせるだろうと思うほどに。

 不意に彼は、以前夏に見た、太陽に向かって咲く黄色い花を思い出した。光を浴びてより美しく、強くなるその花は、まるで目の前の妖精のようだと思う。

 幼心に、花に例えるほど。目の前の少女は、美しかったのだ。


「『だいすき』がふえるのって、とてもたのしくて、うれしいの。だから、いろんなところにいって、いろんなものをだいすきになりたい!」


 それは――ただ無垢に、ひたむきに、世界を信じて愛する魂そのものの、言葉だった。

 大きく彼の心を揺さぶった、その感情の名はきっと、感動。

 当たり前だと思っていた世界が、『日常』だった日々が、もしかしたらこの上なく尊いものなのかもしれないと、そのとき彼は心で感じたのだ。


「そう……だね。それは、楽しいね」

「うん!」

「ぼくも……この森を、大好きになりたいな。ねぇ、ディー。この森のこと、教えてくれる?」

「いいよ!」


『だいすき』なものを『教えて』と言われたことが、よほど嬉しかったのだろう。弾けるような笑顔で少女はこくこく頷くと、彼の手を取って駆け出した。


「ディー!?」

「あっち! あっちにね、すっごくおおきなきがあるんだよ!」

「わかったから、走らないで。危ないよ!」

「あぶなくないよー、だいじょうぶ!」


 実際、森を走る少女の足取りはしっかりしたものだった。どこに木が生えていて、足元の危ない場所はどこか、幼いながらもしっかりと把握している。彼女に連れられて見た木は本当に大きくて立派で、彼は圧倒された。国中を旅する彼ですら、こんなにどっしりと立つ巨大な老木は見たことがなかったのだ。

 木に見入る彼を置いて、少女はひょいひょいと木の根本によじ登ると、その場で何やらごそごそ動き、すぐに戻ってきた。意識を木から少女に戻した彼に、少女は「はい」と手を差し出す。見れば、その小さな手には変わった形の葉が握られていた。


「これ、なに?」

「けがによくきくおくすりになるの。カイにあげる」

「ぼくに?」

「わたし、まちにいったとき、はしってころんじゃったの。いろんなところにいくカイなら、もっとたくさんけがをするでしょう?」


 どうやら少女の中で、『いろんなところに行く』とは『怪我が多い』ものとして認識されているらしい。いや、間違ってはいないが。たかが町に行っただけで薬の必要性を覚えるとは、いったい何があったのだろうか。


「このもりには、おくすりになるくさや、きのみがいろいろ、たくさんあるの。そのなかで、それがいちばん、よくきくのよ」

「そんな大事なもの、もらっていいの?」

「……ほんとは、だめなの。このきも、しらないひとにみせちゃだめって、おにいさまはいうわ」


 妖精の兄もいるのか。この分では、父も母も普通にいそうだ。

 小さい声で白状した少女は、しかし悪いことをしたとは思っていないらしい。こっそりと舌を出した。


「でも、カイはとくべつ」

「とくべつ? どうして?」

「どうしても、とくべつ!」


 ……理由は分からないが、どうやら彼は、少女の『特別』になれたらしい。笑って受け取った。


「ありがとう、ディー。大事に使うよ」

「うん! ほんとに、びっくりするくらい、よくきくからね」


 機嫌良く頷いた少女は、しかし次の瞬間、勢いよく顔を明後日の方へ向けた。


「だれか、よんでる?」

「え?」

「だれかが、カイのことよんでるよ」

「……父さんだ」


 しまった、と彼は思った。『森の奥には行かない』という父との約束を忘れ、いつの間にかかなり深くまで来てしまっている。とてもではないが、一人では父と別れた場所まで戻れない。

 彼が途方に暮れたことを、少女は子どもらしい鋭さで読み取ったのだろうか。少し首を傾げ、優しく笑った。


「だいじょうぶ。わたしが、つれていってあげる」

「良いの?」

「うん! とくべつだもん!」


 少年と少女は三度仲良く手を繋ぎ、少女の案内で、彼は無事に父と合流できたのだが――。




 その後、『妖精』を見た父が、滅多にない険しい顔をして踵を返し、置いてけぼりにされた子どもたちの時間がもうしばし増えたことや。

 さらに、それから十年以上のときが流れて。大人になった少年が『妖精』と再会し、逃れられない『特別』の罠に落ちることなどは――。


 また、別のお話である。





かなり以前、第一回書籍化祭りのリクエストで、「もし子どもの頃にカイとディアナが出会っていたら?」というお題を頂いたのですが。「もし」というか、実際この二人会ってるんだよなぁ記憶に残らないほどチビの頃に、けど今それ書いたらイロイロネタバレになるよなぁ……と考え、当時は残念ながら、見送らざるを得ませんでした。

相当に時間が経ってしまい、当時リクエストされた方が、今でも見てくださっている保証はありませんが。ひとまずこれで、お応えできた形にはなりましたでしょうか。

……と、個人的には、かなり昔のリクを消化したつもりだったのに、今朝までの3巻お祭りリクエストを確認したら、「カイの幼少期エピソード」の一文が! 予約投稿後に、こんなタイムリーなリク来るなんて思ってなかったよ。さすがなろうの読者様は未来を見通して(違う)


フライングお祭りみたいな感じになりましたが、いかがでしたでしょうか?

「頂いたリクエストは、どれだけ時間がかかろうと、こつこつ消化していく」をモットーに、これからも歩んで参りたいと思います。


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