誰か教えて
私はおじいさんに、自分が気付いたらここに居たということを話さなければならない。
事情を話さずに帰ることは出来ないし、倒れていた人を放ってこの場を離れるわけにもいかない。何よりこのままでは不法侵入である。バナナをあげて介抱らしきものをしたとしても、私が無断でこの家にいるのは間違いない。
介抱したと自信を持って言い切れないのは、私がしたのは実質バナナをあげたことだけだからだ。人に聞かれたとしてもなかなか答えづらい。救急車を呼んだほうが良いのかもしれないけど、目の前で本人がものを食べている状態で来てもらえるのだろうか。
そして何より、現状を聞くもしくは話すためとはいえ、倒れるほど空腹だった人の食事に割り込むのは大変気が引ける。私が事情の説明をするのは、おじいさんが食べ終わるまで待つのが正しいだろう。
私がそんなことを考えている間も、おじいさんは無心にバナナを食べ続けている。しかしその割にはよく噛んでいる。注意をするのを躊躇うほど必死なので、喉に詰まらせそうに無いのは良いことだと思う。
購入したものの中にはペットボトルのお茶もあった。一応用意しておいたほうが良いだろうか。思い出した私は再び買い物袋から目的のものを引っ張り出すことにした。
それにしても考えれば考えるほど分からない。ここはどこなんだろう。私は普通に帰って自分の家のドアを開けたつもりなのだ。いつもと違う行動はしていないのに、家を間違えたりなんてするだろうか。
しかし家を間違えた可能性が一番高いのも事実だ。振り返って壁を見ると、確かに私の後ろにはドアがあった。だいぶ離れているように感じるけど、混乱しているうちに動いたのかもしれない。
私はおじいさんにバナナを渡すと、そのままドアまで行ってみた。そして何気なく開けてみて後悔した。そこにあったのはどう見ても知らない部屋で、私の望んだ外の景色では無かったからだ。慌てて閉めておじいさんのところまで戻った。
次のバナナを用意しながら、別のドアを探して周囲を見渡す。しかし私はドアを探すよりも先に、部屋の広さに驚くことになった。
今まで気にしている余裕なんて無かったけど、この部屋は本当に広かった。驚きのあまり思わず手に力が入りそうになる。しかしぎりぎりセーフ、傷になってはいないだろう。
私達の居たこの部屋は、一辺が少なくても二十メートル、広ければ三十メートルほどもありそうな非常に大きな部屋だった。部屋というよりすでにホールだ。床にはいろいろな物がひどく乱雑に置かれていて、中には崩れそうなほど高く積み上げられているものもある。
そしてこんな広い場所なのに、ここには窓が一つも無かった。壁はドア以外すべて棚でふさがっている。棚は完全に天井まで届いてしまっているので、正直圧迫感が物凄い。
棚には大小さまざまな本が立て掛けてあったり、巻物みたいな筒状のものが積んであったり、いろいろな色と大きさのビンが並べてあったりした。規則性は無いようだけど、すべての棚が乱雑に何かでうめられている。
呆然と見上げたまま固まりそうになる。慌てて視線をはずして、ひどく焦っておじいさんを見た。言葉に出来ない色々なものが私の中で渦巻いている。
考え込みそうになりながら、結局もう一度周囲を見渡した。
肝心のドアは、おじいさんを挿んだ向こう側の壁に一つと、左右の壁に一つずつあった。私が先ほど確認したドアもあるので、この場所を囲む壁にはそれぞれ一つずつ全部で四つのドアがあることになる。
しかしあらためて見ると、私はそのドアにひどく違和感を感じてしまう。じっと観察していたが、しばらくしてやっとその違和感の正体に気付いた。
おかしく見えたのは、先ほど私が確認しに行ったドアを含めて、ここにあるすべてのドアが両開きの物だからだ。表面には立派な彫刻も施されている。
私の家のドアはごく普通の片面の物だ。なぜ私は入るときに気付かなかったのだろう。一体どうやってここに入ったというのか。まさか外から見たら片面、中から見たら両面なんていう不思議なドアがあるのだろうか。
その上、どのドアも私の居る場所からはかなり離れていた。入ってすぐにおじいさんに気付いたとはとても言えないほどの距離がある。
いやいや、そんな馬鹿な。いくらなんでも距離がありすぎる。10メートル以上は間違い無くある。いったい私の一歩がどれだけ大きいというのか。いくら気が抜けてぼんやりしていたとしてもこれは無いだろう。
おじいさんを回り込んで確認に行くのは、さすがに拙いので自重する。私はさっき違う部屋を見てしまったばかりなのだ。知らない人のお宅を無断で家宅捜索。それは犯罪です。
心の中だけで軽口をたたき、視線はおじいさんに戻した。
何かが飲み込めないような、そんな気持ちの悪いものはずっと感じている。必死に探しているのに納得のいく答えも見つけられない。思考は空回りばかりで、まとまらない頭はそれでも必死に動き続けている。
おじいさんは手元のバナナに集中して、私はそんなおじいさんに集中する。普通に見ればおかしな光景のはずだ。自分が関係無くて傍らで見る分には楽しそうにすら見えるかもしれない。
だけど私の思考はとても焦っている。出したくない結論があるのだ。
そこまで考えて私は意識して思考を止めた。その先を考えてはいけない。そんなことはありえない。無理矢理肩の力を抜いて、笑みを作るように口角を持ち上げた。気持ちは乱れたままだったけど、これが自然なはずなのだ。
出来れば一刻も早く外に出たかった。だけど出口の分からない今、勝手に動くことは出来ない。
大丈夫、すぐに帰れる。おじいさんが落ち着き次第、出口を聞けば良いんだから。そうしたら不法侵入を誤って家に帰れば良い。今日の面接の反省は明日にして、お風呂に入って寝てしまうのもありかもしれない。明日になったら、変な目にあったって友達にメールしてきっと笑える。
一つ大きく息を吸い、大きく吐いた。バナナを食べるおじいさんを見る。
うん、私はまだ混乱している。深呼吸の効果は薄い。