悔いるから後悔
ラリズは移動しながらも私に色々話しかけてくれていたようだった。
だけど相変わらず恐怖に支配され続けている私に、相槌を打つ精神的な余裕は無い。全てを引きつる顔のまま聞き流す。気絶することの出来ない私には前方を見つめ続けることしか出来ない。
いったいどれだけの時間をその体勢で過ごしていたのか、気が付いたときには森が途切れていた。あれほど続いていると思った広大な森も今は遠くに見えるのみだ。
いつの間にか空中に浮かんでいたはずの私たちも直に固い土の上を歩いている。
そこは見渡す限りの草原の上に細く長く伸びた道だった。屋敷の周囲の柔らかな地面とは違って、何度も歩くことによって踏み固められたと思われる硬い面を晒している。コンクリートなどでしっかりと舗装してあるわけではなかったけれど、これは十分道と言えると思う。
ただしここは街道と呼ぶには余りに頼りなく人通りも極端に少ない。実際見える範囲で歩いているのは私たちだけだ。現在も歩いているのはラリズのみで、私自身はまだあの体制で抱え上げられたままである。
どうやらラリズには降ろすつもりはまったく無いようで、この体勢のままでどこまでも進んでいく。
私自身にはしっかりとした意識があるとはとても言えない状態らしく今までの記憶がひどく曖昧だった。いったいどれくらいの間高速移動が続いていたのか見当もつかない。
何をしたわけでもないのに気力をごっそりと使い果たした私はただただぼんやりしていた。
しかししばらく進むとその細い道は、広く太い街道と呼ぶに相応しいものに合流した。街道の上には人の姿もぽつぽつと現れ始めて、人の連れている牛や馬も姿も見かけるようになる。目的地は皆一緒らしく目指す方向も一緒だった。
気付けばひどく長い壁のようなものが前方に姿を現していた。
だんだんと近付いて行くにつれ、それが長く土壁のようなものだということが分かる。その土壁のようなものはぐるりと長く連なっているようで、かなり広範囲に渡って造られているようだった。もしかしたらこれは街を囲むように造られているものかもしれない。
その土壁には一部分だけ途切れているところがあり、そこにはすでに列が出来ていた。人や馬車、牛舎、何かを乗せた荷車などがだらだらと並んでいる。皆もそして私達もそこに向かっているようだ。
しかしラリズは最初から変わらない様子で歩み続けて、そしてそのままそこへ近付いていく。大分近付いてからやっと降ろしてくれる気になったらしく歩みを止めた。そして抱え上げていた私の足が地面に着くようにゆっくりと地面にしゃがむ。
私は高速移動の余りの恐怖によってしがみついていたため、完全に麻痺していた両手は引き剥がすのが大変だった。端の指から少しずつ動かしていき、握り締めた形で固まった両手の支配権を取り戻すためには時間がかかる。
指を自由に動かすことがこれほど大変だとは思わなかった。やっとの思いでしがみついた姿勢から解放された私は、大きく息を吸い込んだ。
そして今の私は、宇宙飛行士以上に地上の重力の偉大さを噛み締めていると思う。たとえここが地球じゃなくても、重力があって私をこの地面に立たせてくれているだけで好きになれそうだった。どうやら今まで私はこれほど偉大なものを見逃していたらしい。
思わず地面に寝転がりそうになったけど、それは気付いたラリズによって素早く阻止された。力を抜いた私が地面にお尻を付ける前に、後ろにいたラリズによって両脇に腕を通され、掬い上げるように持ち上げられる。
一瞬私の体は完全に中に浮いていたと思う。完全に油断していた私の体は持ち上げられた猫のようにびろんと伸びて、気付いたときには靴の下には確かに離れていたと思われる地面の感触があった。
状況を把握しきる前にゆっくりと私は振り向いた。穏やか過ぎるラリズの笑顔に迎えられる。
良いよもう、私には取り繕うなんて余裕は無いよ。微笑を向けられても何も返せないよ。半眼で睨む以外出来そうにないからしばらくそっとしておいて欲しい。
どうやら地面に座り込むことさえも私には許されないらしい。せめて力が入りすぎたせいで凝り固まっていた肩を解そうと、肩の位置から腕を大きくぐるぐると回す。
何度か叫んだ気もするし、ずっと喚いていた気もするけど、全ては掘り起こしてはいけないとして記憶の底に封印しておこう。これはあれだ、思い出してはいけない内容だ。
考えると体が自然と、不自然に振動してしまいそう。ああ、一つの文章に自然と不自然が並んでしまった。けして追求はしないので、そのまま時の流れのままに消えていって欲しい。
しかし未だ私は回復したとは言い辛いのに、そろそろ現実逃避は止めなければならないらしい。
ラリズが服を引いている。
分かりましたすみません。ちゃんと歩くので、どうか再び子供のように抱え上げるのだけは許してください。お願いします。
何も喋ろうとしない私に痺れを切らしたのか、ラリズがまた私を抱え上げようとしている、気がした。ぐったりしていたはずなのに、今まで生きていた中でこれ以上無いくらいの反応を見せて私の体は数歩下がった。
完全に腰が引けた状態なのにこんなことが出来るなんて、以外に私は元気なのだろうか。
まあそれは完全に幻だったわけだ。それだけ拒否しようという姿勢を見せたにもかかわらず、私は結局ラリズによって手を引かれていた。これでも多少は譲歩してくれたのだろうか。
土壁のようなものに囲まれた街の中に、抵抗する気力の無い私は繋がれた状態のまま近付いた。ただし強すぎる恐怖体験によって、初めての街への興味をおおっぴらに現す余力は無い。興味が薄れてしまっているわけではないのでしげしげと見つめていた。
しかしそんな私を阻むものがある。
臭いだ。鼻を突く酸っぱいような、何かが発酵したような微妙な臭気。それほどきつくは無いのかもしれないけど、それでも気力の落ちている私にとっては辛く吐き気を覚えてしまう。思わず足を止めそうにはなったけど、街への興味はそれよりも勝りそのまま足を進める。
しかし私の右手と自分の左手を繋いでいたラリズが急に立ち止まった。釣られて私も立ち止まり、不自然な位置で立ち止まったラリズを思わず見上げてしまう。
ラリズはその秀麗な顔に、を滲ませているようで私の顔をじっと見ていた。