とりあえず笑顔
翌朝目覚めた私は、やっと残っている荷物を片付けることにした。
といっても、ほとんどは昨日の掃除中にラリズに確認しながら分別してしまったので残っているものはごく僅かだ。
ゴミで残っているのは、処分の仕方の分からない、もしかしたら何かに使えるかもしれないペットボトルだけだ。これもそのまま残しても困るので、すでに水で綺麗に濯いである。
私がこちらに来る前にした買い物では、スーツ姿で臭いの付きそうな肉や魚を買うことにも抵抗があったためバナナが唯一の生ものだった。そのバナナも先生がすべて片付けてしまったので今はもう残っていない。現在残っているのは調味料や菓子だけだった。
せっかくなので、残っているそれらは厨房へ置いておこうと思う。どうせだったら調味料はこれからの料理に使えたほうが良いし、菓子は誰かと一緒に食べられたほうが嬉しい。
ざっと身支度をして着替えをする。
ちなみに今はもうスーツを着ていない。先生の上着に良く似たデザインの淡い水色の上着を着ている。
これは昨日、この屋敷をラリズと一緒に確認したときに見つけたものだ。真新しくとても古着には見えないのに、埃が積もった状態でいくつも物置に置いてあった。
長く放置されたいた事は間違いないし、着替えに困っていたこともあって、おそるおそる先生に確認したところこれも呆気無く使用許可が下りた。
どのくらい昔なのかは聞かなかったけど、どうやらこれはもともとは先生の着替えとして用意されたものらしい。魔術師として勤めた時に用意された、色が気に入らなくて着なかった、という非常にはっきりした先生らしい答えをもらった。
裾はやっぱりものすごく長いけれど、私が着るとまるでロングスカートのようにも見えるのでこれもありだと思う。少し違和感を感じるけど、それほど裾が足に絡まないことが不思議だ。
昨日の風呂上りにはそれに着替えることにした。色は同じでも品質には少しずつ差があるようだったので、浴室に行く前に出来るだけ柔らかいものを選んでおく。
そして結局、昨日は入浴後何もせずに寝てしまった。
お湯に浸かったら気が弛んだのか、入浴中にも何度か意識を飛ばしそうになっていた。一気に疲れが押し寄せてきたのか、今思うとかなりぎりぎりで危ない。思えば昨日も長い一日だったので、気力で何とかするには限界だったのだろう。
最終的には、長く湯に浸かりすぎたのかぼせてしまい、ふらふらしながらベットまで辿り着いたのだ。
本日は空色の上着から空色の上着へと着替えをする。
見た目はほぼ変わらないけど、これしか無いのだから仕方が無いのだ。着替えがあるだけ良かったではないか。そっと自分を慰めた。
私は、決して昨日のことを忘れたわけでは無い。
だけどそれでも今日は続いていくし、生きていくためにはこれからを考えなければいけない。今は無理でも明日にはどうにかなるかもしれない思うことにする。とりあえずは今出来ることをする。
厨房に調味料などを並べながら私は意識して笑顔を作る。困ったときでもとりあえず笑顔。空元気でも元気のうち。日本人の美徳、今こそその力を発揮して欲しい。
しかしせっかく気合を入れても、厨房にある食材を見るとかなり残念な気持ちになった。
目の前にある材料はひどく偏っている。
この材料で作ることの料理はひどく限られてしまうと思う。出来ることといったら調味料で味を変えるぐらいだろうか。今までこの屋敷の家事をしていた誰かは、食事には関心が無かったのだろうか。
いや、関心が無かったのは先生だったのかもしれない。先生が関心が無かったから、家事を担当をしていた誰かも家主の意向に従ったのだろう。
それでも私は、炒めてみたり煮てみたり具の増量をしてみたり、今ここにある材料で何とかならないかと苦心してみる。
しかし思ったほどの変化は無い。味見をしてみても微妙な顔になってしまう。
保存食っぽいものだけでは無く、もっと野菜が欲しい。誰かが買って来てくれたり、届けてくれたりしないものだろうか。先生に頼めば何とかしてくれそうな気もするけどそれも申し訳無い。
それでもいつの間にか時間は結構経っていたようで、気が付いたら先生が起きていた。いったん納得したことにして、先生と一緒に食事を取ることにする。
また私には聞きたい質問があった。昨日の使い方であっているのかどうか、召還具の使い方が不安だったので確認したかったのだ。
「召還具を使用する時って、何て声を掛けるものなんですか?」
「決まった言葉は無い。好きにしろ」
どうやら掛ける言葉は何でも良いらしい。ちちんぷいぷいとかテクマクマヤコンとかそれっぽく言うのも有りなのだろうか。
「相手に分かりさえすればどんな言葉でも良いんですか?」
「言葉が召還具で呼ぶものへと届くとは限らない」
相手に伝わらない声掛けって意味があるんだろうか。
「皆声に出すんですよね?」
「術を明確にするため声をあげる人間が多い」
つまり絶対に声に出さなければならないという決まりは無いんですね。
「それってただの掛け声なんじゃ?」
「それ以外の何がある」
それは確かに決まった形は無いだろう。
どうやら必要な魔力とやらを差し出すために気合を入れているだけらしい。呪文はただの景気付けで、自分が集中するための道具らしい。
少し乱暴だがそれはつまり、武道などで声をあげるのと一緒と言うことだろうか。私はこれからそれをしますよ、という宣言ではないだろうか。
「魔術と召還って違うんですか?」
「召還術も魔術だからな。魔術も使用する術の明確化のため声をあげる人間が多い」
召還術も魔術。では私は本当にあの方法で魔力を捻出できていたようだ。
そういえば言葉が通じるのも、文字が読めるのも私の魔術だと言っていた。魔術に決まった言葉が無いのは私にとって幸運だったのだろう。
何か言葉が必要だったらきっと使えなかっただろうから。