先生のこと
私たちが食堂に下りていくと、先生はすでにテーブルに着いていた。
しかしそこに食事の用意は無く、先生が腕を組んだ状態で座っているだけである。待たせてしまったのだろうか。
先生は何か考え事でもしているのか、私たちが部屋に入ってもこちらを見たりはしなかった。朝からの不機嫌そうな顔で、組んだ腕だけをじっと見ている。私が席に着くときになってやっと一瞬こちらを向いてくれたけど、それも一瞬のことで直ぐにまた戻してしまった。
先生の様子が気になって、気持ちがそちらに向いていた私は、ラリズに案内されるままに席に着いた。あまりに自然に行動で、何の違和感も感じられかった。
しばらく先生の様子を窺っていた私が気付いたときには、彼がすでに盆の上の食器をテーブルの上に用意していた。私の中のもやもやした気持ちはさらに膨れ上がり、挙動不審気味に視線を彷徨わせている間にそれも終わってしまう。
慌ててお礼の言葉だけでもと伝えると、一瞬驚いたあとに笑顔を返してくれる。本当に私はどれだけ彼に非常識だと思われているのだろうか。
私はてっきり一緒に食事を取るのかと思ったのだけど、ラリズは準備だけ済ませるとそのまま帰ると言う。彼はどうやら食べるつもりの無い食事を作ってくれたらしい。
ラリズは終始笑顔で、私に対しては帰るときに上機嫌に手まで振ってくれた。手を振り返すことに弱冠の抵抗感を覚えながら、何故これほど友好的な対応を取られるのか気になってしょうがない。
しかしそれ以上に気になったのは、ラリズが先生に対して何の反応も示さないことだ。視線すらよこさない。先生がラリズに対して一度も視線を上げなかったことは、不機嫌だったんだろうかで済んでしまったのだけど、知り合いのようにも見えたので、妙に納得出来ないものを感じる。
それでもラリズに感謝しながら、先生と一緒に食事を取った。
聞かなければいけないことがあるので、食器を片付けるのは後回しにしてお茶の準備だけする。魔道具と屋敷のことを学んだので、今後は私だけでも片付けが出来る。
「先生、部屋には戻らないで下さいね」
先生に伝えるだけ伝えてから、広さ的にも雰囲気的にも厨房と読んだほうが正しそうな台所に向かった。
今朝のことが尾を引いているのか、先生には言って置かないと居なくなりそうな雰囲気を感じてしまう。いきなり放置は本当に止めてほしい。たとえ言っておいても無視されそうな気もしたけど、言わないよりは良いだろう。
慌ててお茶の用意をして戻ると先生はそこに居てくれた。しかし一度食堂を離れたのか、テーブルの上には先ほどまでは無かったものが置いてある。
「これをやる。使え」
「待ってください先生、テーブルの上を滑らせないで。お茶が零れる」
いきなり先生にずいとよこされて、慌てて先生と私の前から避難させる。このお茶は保険なので零されると困ってしまう。
私は朝とは違い警戒しながら、手には取らずに目の前のそれらを確認する。きっとまた手に取るはめになるのでこの警戒は無駄になるだろうけど、それくらい朝渡された腕輪の印象は強烈だった。
先生が寄越したのは腕輪、宝石、それに何冊かの本だった。
腕輪はすでに私の左腕に嵌っているものと同じ材質のようではあったけれど、それとは違い宝石などは付いていない。まるで代わりのようにいくつかの色の違う宝石が添えてある。
本のほうはどれも同じように厚く、ハードカバーと呼んで差し支えない立派な装丁をしている。しかしすべて非常に古いもののようで、この屋敷にあった他の本とは違い、角が掛けてくすんだ飴色をしていた。古い本ならではの味のようなものを感じることが出来る。
日中にも選んでくれると言っていたので、学ぶための本は分かる。しかしこの腕輪は何のためなのだろうか。
「本は上から順番に読め」
「分かりました」
読む順番まで指定される。崩さないようにこれはこのまま運んだほうが良いだろう。
「腕輪は常に身に付けていろ」
「何に使うんですか?」
「今はただの腕輪だ。魔力を吸わせたら魔石と術式を決めて魔道具を作れ」
召還具の腕輪はすでに完成しているものだったが、こちらの腕輪は自分で考えて魔道具を作れということだろうか。つまりこの腕輪と宝石は勉強の教材と言うことだ。
完成したら召還具の腕輪を左にはめているので、この腕輪は右手にはめることにしようと思う。この腕輪もきっとああなるので覚悟を決めてから試したほうが良いだろう。
お礼を言ってそれらを受け取る。先生がここに居てくれたのはどうやらこの教材を渡すためだったらしく、妙に満足気に見える。
しかし早くも立ち上がろうとしているので、私は慌ててお茶の用意を始めながら話を切り出した。まだ私には聞きたいことも聞かなければならないこともあるので、部屋に戻られては困る。
このお茶の入れ物も魔道具の一つなのでまだ十分熱いと思う。とりあえずこれでお茶を飲み終わるまでの時間を稼ごう。
「魔力や魔術って見るだけで有る無しが分かるんですか」
「通常は分からないが訓練を積むと判るようになる人間もいる」
先生は訓練を積んだ人間ということですね。私も訓練を積めば魔力が分かるんだろうか。さんざん魔力魔力と言われながら、私自身がまったく分からないとか、非常にやりづらいので早く何とかしたい。
先生はお茶の入ったカップの表面をじっと見てる。どうやら部屋に戻るのは止めたらしい。
大丈夫です、先生。毒じゃないです。美味しいですよね。
心の中だけで反応する。
厨房のお茶の種類はとても充実していた。来客時のために用意しているだけとは思えないほどに。
だから私はラリズに、お茶の簡単な入れ方と種類もちゃんと確認しておいた。
先生は確かにこんな飲み物、食べ物に興味は無さげなではあるし、自分で用意するとはとても思えない。実際ラリズもそう思っていたのか、お昼のときも私が用意しようとするまでは動かなかった。
しかしあれだけ有るんだから嫌いでは無いだろうと、私は勝手に思って実行してみた。
そしてどうやら私は賭けに買ったらしい。