第六十二章 ―夜の襲撃―
一 宇喜多の書状
移動戦闘指揮所。
吉井川の戦闘が終わって、二時間が経っていた。
時貞は敗戦処理の確認を続けていた。
降伏した兵士の数。
収容された捕虜の状況。
毛利軍の損害報告。
鳳凰寺軍の損害報告——幸いにも死者はゼロ、負傷者が軽傷三名にとどまっていた。
成瀬が横で書類を整理していた。
天元のシステム音が、静かに響いていた。
そこへ——外から声がした。
「上様——宇喜多家からの使者が参りました」
時貞が顔を上げた。
「通せ」
宇喜多の使者が入ってきた。
若い男だった。
馬を飛ばしてきたのか、泥が跳ねていた。
それでも姿勢は崩れていなかった。
「宇喜多直家が主より——鳳凰寺殿へ書状をお届けしに参りました」
使者が書状を差し出した。
時貞が受け取った。
開いた。
読んだ。
鳳凰寺時貞殿へ。
此度この大連合の首謀者で長年備前の民を重税などで苦しめてきた謀反人、浦上宗景を討伐いたしました。
備前は私の手中にあります。
宇喜多は鳳凰寺に——臣従を申し入れ致します。
宇喜多直家。
時貞は書状を読んで——しばらく動かなかった。
部屋の空気が、少し変わった。
成瀬が、時貞の横顔を見た。
「……この男が」と時貞は言った。
「浦上宗景を討伐——最初から、この絵図を描いていたな」
「はい」と天元が言った。「この書状の内容を元に今回の動乱全体を振り返ると——直家の動きが一貫しています。反連合に参加しながら、浦上を滅ぼし、鳳凰寺に臣従する。全部、最初から計画されていたと分析いたします」
「久秀を隠れ蓑にしながら?」と時貞は言った。
「はい。その可能性は十分考えられます。久秀に全ての疑惑が向くように、我々に察知されないために——直家は一切の痕跡を残さずに動いていたと思われます」
時貞は書状を折りたたんだ。
「こいつも——喰えない男だな」
しかし——少し笑った。
それは不快な笑みではなかった。
むしろ——どこか、感心に近い笑みだった。
「乱世に生きてきた男の、生き方だ」と時貞は言った。
「上様——宇喜多の臣従申し出については、どう対応しますか」と成瀬は言った。
「考える。今日ではない。後日、改めて」と時貞は言った。
「了解しました」
時貞は使者に向いた。
「宇喜多直家殿に伝えてくれ。書状は受け取った。臣従の件については、後日改めて正式な場を設ける。それまで待つように、と」
「——承りました」
使者が頭を下げた。
部屋を出ていった。
時貞は窓の外を見た。
備前の空が、夕暮れに染まり始めていた。
「——今日は、色々なことが起きすぎた」と時貞は言った。
その声は、少し疲れていた。
二 最後の老将
吉井川の東岸。
反連合軍の残存部隊の処理が続いていた。
山名の将が降伏した。
「山名、降伏いたします」と将が言った。
毛利の武士が、その将の前に立った。
「武器を置け——命は取らない」
山名の将が、刀を地面に置いた。
連れていた兵士たちも、次々と武器を置いた。
尼子残党は、降伏の形を取らなかった。
ただ——消えていった。
霧のように。
出雲の山の方向に向かって。
毛利の武士が追おうとしたが、元春が止めた。
「追うな——尼子は、もはや戦う力がない。逃がしてやれ」
三浦残党の将が、膝をついた。
「降伏します——命だけは」
「丁寧に扱え」と毛利の武士は言った。
一つ一つ、処理が進んでいった。
しかし——一人だけ、最後まで降伏しない者がいた。
川岸の端。
岩陰に、一人の老将がいた。
六十を超えていると思われた。
鎧は傷だらけだった。
兜のあちこちに、矢が刺さったままになっていた。
それでも——刀を持って立っていた。
毛利の武士が、その老将の前に立った。
若い武士だった。
「——見事な戦いぶりであった」と毛利の武士は言った。
老将が、その武士を見た。
「お前たちには敵わん」と老将は言った。
声は低かった。
しかし——折れていなかった。
「しかし」と老将は言った。
「毛利が鳳凰寺の犬になったことは、わしには理解できん」
「俺も——最初は理解できなかった」と毛利の武士は言った。
老将が、その言葉に反応した。
「——今は、わかるというのか」
「はい」と毛利の武士は言った。
「しかし今は、わかります」
老将はしばらく黙っていた。
刀を握る手が——少し緩んだ。
「……何がわかった」と老将は言った。
「鳳凰寺の上様は——戦を終わらせようとしています」と毛利の武士は言った。
「嘘だ」と老将は言った。
「天下を取ろうとしている者が、戦を終わらせるなどと」
「今日の戦を見ましたか」と毛利の武士は言った。
少し間を置いて…
「——見た」と老将は言った。
「あの鉄の怪物が、大連合の連中を追い詰めた時——殺さなかった。逃げる兵士を、追いかけなかった。降伏した者を、丁寧に扱った」
「あぁ…」「しかしわからん。俺には——わからん」
しかし老将の手から、刀が滑り落ちた。
地面に、刀が落ちた。
乾いた音がした。
「——降伏する」と老将は言った。
その言葉は小さかった。
しかし確かに言った。
「命を——取らないでくれ。まだ——見届けたいものがある」
「命は取りません」と毛利の武士は言った。
「——見届けてください。この乱世が、どこへ向かうのかを」
老将は若い武士を見た。
しばらく見つめた。
「……お前は——いくつだ」と老将は言った。
「二十二です」と毛利の武士は言った。
老将は、何かを言おうとした。
しかし——何も言わなかった。
ただ頷いた。
そして縄を受け入れた。
縛られながら——老将は空を見上げた。
夕暮れの空だった。
赤い空だった。
その空を、老将はじっと見ていた。
三 深夜の海
備前国。
港町。
その夜は静かだった。
吉井川の大合戦が終わった日の夜だった。
港には漁師の小舟が並んでいた。
波が静かに岸を叩いていた。
月がなかった。
星も雲に隠れていた。
暗い夜だった。
町は眠っていた。
大合戦の報せは届いていた。
反連合が負けた。
鳳凰寺が勝った。
しかし——何がどう変わるのか、まだ誰にもわからなかった。
町の人々は疲れていた。
長い緊張の日々が続いていた。
だから——眠れた。
どこかに危機感はあったが、今夜だけは眠れた。
港に、静寂が広がっていた。
潮の匂いが漂っていた。
波の音だけがしていた。
その静寂の中に——かすかな音が混じっていた。
水を掻く音。
微かだった。
普通なら気づかない音だった。
夜風の音に溶け込んでいた。
しかし——それは確かにあった。
沖から、小舟が来ていた。
灯りを持っていなかった。
波に揺れながら、静かに港に近づいていた。
舟の中に、数人がいた。
いずれも——日本人ではなかった。
衣服が違った。
体格が違った。
彼らは舟を着けると、音を立てずに上陸した。
岸に降りると、すぐに散らばった。
港の建物の影に溶け込んだ。
「——全員、動け」と一人がかすかな声で言った。
その言葉は、日本語ではなかった。
ポルトガル語だった。
「見張りは二名だ。先に片付ける」
「了解」
彼らは影の中を動いた。
港の番所。
見張りの武士が二名いた。
交代で眠っていた。
一人が外を見ていた。
港の暗闇を。
「——何もないな」とその武士は言った。
退屈そうに呟いた。
その背後に——影が近づいていた。
音がなかった。
足音がなかった。
武士が振り返った——瞬間。
「——っ」
首元に何かが横切った。
大量の血が噴き出した。
もう一人の武士も——気づく前に、やられた。
二人は静かに倒された。
当たりは血の池となっていた。
二人は動かなくなった。
沖合では——三隻の小舟が港に向かっていた。
先行した者たちの作業が終わったのを確認して、本隊が動き始めた。
三十名以上が、小舟に乗っていた。
全員が武装していた。
鉄で出来た甲冑を纏った者たち。
見慣れない形の兜を被った者たち。
長い剣を腰に下げた者たち。
小舟が岸に着いた。
全員が上陸した。
大きな木箱が——いくつも下ろされた。
「——重い」
「急げ。夜明けまでに終わらせる」
彼らは木箱を運んだ。
その木箱の中には——フランキ砲、五門が入っていた。
シルバが陸に降り立った。
靴が砂を踏んだ。
備前の夜の空気を吸い込んだ。
「——いい夜だ」とシルバは言った。
ポルトガル語で。
低い声で。
「さぁ——派手に猿を使って遊ぼう」
配下たちが、口の端を引き上げた。
「遠慮はいらないぞ」
「おうよ」という声が、複数重なった。
いやらしい笑いだった。
楽しんでいる笑いだった。
人の命など——塵ほども感じていない笑いだった。
シルバが手を振った。
四つの班が、町の中に散った。
それぞれ五人組だった。
それぞれが、担当区域を持っていた。
「——静かに動け。時刻三時まで、証拠を消す」
四つの班が、夜の町に溶け込んでいった。
四 午前二時、異変の始まり
魚屋の男は、その夜、変な夢を見ていた。
海の夢だった。
波が荒れていた。
船が、波に飲まれていた。
——その時。
腹の底に、重たい何かが響いた。
夢の中の波音ではなかった。
もっと現実の音だった。
男は目を覚ました。
「——なんだ?」
暗い部屋の中で、男は耳を澄ませた。
潮の匂いがした。
波の音がした。
それだけのはずだった。
しかし——何かがおかしかった。
何が、とは言えなかった。
ただ——おかしかった。
男は起き上がった。
戸を開けた。
外に出た。
夜風が頬に当たった。
港の方向を見た。
暗かった。
見えなかった。
しかし——かすかに、燃えるものの匂いがした。
「——火か?」
男が首を傾げた時。
隣の家の戸が開いた。
「——あなた、何か聞こえなかった?」と隣の女房が言った。
「今、物音がして——」
「俺も聞いた」と男は言った。
「何の音だったのか——」
その時。
腹の底を揺るがす轟音が、港の方向から響いてきた。
男の足が、地面に固まった。
次の瞬間、木が裂ける音が続いた。
そして——遠くで、女の叫び声がした。
「——火事か?」と男は言った。
しかし——それは火事の音ではなかった。
腹に響く低音は——大砲の音だった。
男はそれを知らなかった。
しかし体が知っていた。
逃げなければならない、と体が言っていた。
足軽の武士、源三郎は物音で目を覚ました。
同時に——上官の声が飛んできた。
「——起きろ!何か起きている!持ち場へ急げ!」
源三郎は槍を掴んだ。
草履を履いた。
外に飛び出した。
夜の空気が冷たかった。
「どこだ——どこから来ている?」
誰かが叫んでいた。
「港だ!」
「町中だ!」
報せが錯綜していた。
統制が取れていなかった。
源三郎は槍を持って走った。
港の方向に向かった。
しかし——すぐに止まった。
暗闇の向こうに、影が見えた。
「——何者だ!」と源三郎は叫んだ。
影が動いた。
「鉄砲——!」と誰かが叫んだ。
パンッ。
乾いた音が響いた。
源三郎の隣にいた武士が、声もなく崩れた。
「——っ!」
源三郎が振り返った。
武士が地面に倒れていた。
胸から——血が出ていた。
「——てっぽうだ!」
源三郎は叫んだ。
しかし声が出なかった。
喉が、震えていた。
「——逃げろ!逃げろ!」と後ろから声がした。
源三郎は走った。
どこへ向かうのか、わからなかった。
ただ——走った。
暗闇の中を。
五 午前三時、町が燃える
フランキ砲の五門が、町の中心部に設置された。
シルバが横に立った。
「——撃て」と言った。
五発の砲弾が、連続して火を噴いた。
轟音が、夜の静寂を引き裂いた。
五発の砲弾が、木造の家屋に直撃した。
家が崩れた。
壁が吹き飛んだ。
梁が折れた。
屋根が落ちた。
そして——火が上がった。
木材に燃え移った火は、夜風の中で急速に広がっていった。
「——火事だ!」
「逃げろ——!」
町全体が目覚めた。
悲鳴が、あちこちで上がった。
子供の泣き声が、夜を引き裂いた。
「——何が起きている!」
足軽大将の権三は、本陣の外に飛び出した。
火の光が、夜の空を赤く染めていた。
複数の場所から煙が上がっていた。
「——報告しろ!どこから来ている!」と権三は叫んだ。
伝令が走ってきた。
息を切らしていた。
「——港から、見慣れぬ者たちが!鉄砲を持っています!正体はわかりません」
「誰が攻撃を?」と権三は言った。
「数は——」
「わかりません!暗くて——全体が見えません!」
権三は歯を食いしばった。
「——全員集合させろ!統制を取れ!」
しかし——伝令が走り出した瞬間。
パンッ。
パンッ。
パンッ。
三つの銃声が、連続して響いた。
別の方向から。
「——また撃たれた!」と誰かが叫んだ。
権三は素早く物陰に飛び込んだ。
暗闇の中を見た。
煙の向こうに、人影があった。
大きな人影だった。
鉄の装甲を纏っていた。
見慣れない形の兜を被っていた。
「——何者だ!」と権三は叫んだ。
その人影が——こちらに向かって、長い筒を向けた。
権三が、地面に伏せた。
パンッ。
頭の上を、弾が通り過ぎた。
「——近づくな!槍は届かないぞ!」
権三は這うようにして後退した。
(距離を取られている。槍が届かない距離から——一方的に撃ってくる)
(これは——戦ではない)
権三の頭に、その言葉が浮かんだ。
「撤退しろ——!一度集まれ——!」
権三が叫んだ。
しかし——その声が届いた者の数は、少なかった。
六 午前四時、守備の崩壊
魚屋の男は、家族を連れて走っていた。
妻と、八歳の息子と、五歳の娘。
裸足だった。
石に足を切りながら走った。
「——どこへ行く?」と妻が言った。
「武家地だ——武家地に行けば守ってくれる——!」と男は言った。
それしか思いつかなかった。
武家地に逃げれば——侍が守ってくれる。
その考えが、男を動かしていた。
しかし——道の途中で立ち止まった。
前方に——人影があった。
灯りが一つあった。
その灯りに照らされた人影が、こちらを見ていた。
背が高かった。
肩幅が広かった。
鉄の装甲を纏っていた。
「——なんだあんたたち」と誰かが言った。
男は息を飲んだ。
鉄の装甲の手に、長い筒があった。
火縄銃だった。
その銃口が——こちらを向いていた。
「——逃げろ!」と後ろから誰かが叫んだ。
人々が走った。
左右に散った。
銃声が響いた。
逃げる人の中の一人が——倒れた。
悲鳴が上がった。
男は、妻と子供の手を引いて、路地に飛び込んだ。
壁に張り付いた。
息を殺した。
子供が泣き声を上げようとした。
男は子供の口を手で覆った。
「——静かにしろ。静かにしろ」と男は囁いた。
銃声が、すぐ近くで響いた。
人の叫び声が聞こえた。
男は壁に張り付いたまま、動けなかった。
足軽大将の権三は、残った部下を集めた。
十名しかいなかった。
最初は四十名いたはずだった。
「——死んだのか?」と権三は言った。
「逃げた者もいます」と部下が言った。
「散開した者もいます。再集合が——できていません」
権三は唇を噛んだ。
「敵の数は」
「少なくとも三十、四十はいると思われます。しかし暗くて——正確に把握できません」
「大砲は」
「五門、町の中心部に設置されています。すでに数発撃っています」
権三は周囲を見た。
火の光があちこちから上がっていた。
煙が、夜空を覆い始めていた。
「——守備兵の大半が、やられた、あるいは逃げた、あるいは散開している」と権三は言った。
「残っているのは俺たちだけか」
誰も答えなかった。
「——下がれ」と権三は言った。
初めて、その言葉を口にした。
「武家地に集まれ。守りに徹する。朝まで持ちこたえれば——必ず誰かが来る」
「——誰が来るのですか」と部下が言った。
権三は答えられなかった。
「——わからない」と権三は言った。
「しかし——人質を取られる前に、武家地を守れ。それだけだ」
しかし——その言葉が遅すぎた。
武家地の門が、すでに敵の手に落ちていた。
七 午前五時、人質の恐怖
夜明け前。
空が、わずかに白み始めていた。
シルバが、武家地の城門の上に立っていた。
眼下に——町人たちがいた。
二百名ほどが、城門の前に集まっていた。
あるいは集められた、と言うべきだった。
配下が、銃口を向けながら彼らを追い立てていた。
「——ここに来い。来なければ——」
配下が近くの男を掴んだ。
地面に引き倒した。
男が叫んだ。
「——やめてくれ!」
配下は止めなかった。
短剣を抜いた。
「——見ろ。従わなければ、こうなる」
町人たちが悲鳴を上げた。
男の叫び声が、夜明け前の空に響いた。
そしてその声が——止まった。
静寂があった。
「——来い」と配下は言った。
二百名の町人が、震えながら従った。
シルバは城門の上から、その光景を見ていた。
「——もっと集めろ」とシルバは言った。
「千名は欲しい。盾として使う」
「了解しました」
配下が動いた。
町の中に残っていた人々が、一人ずつ、二人ずつ、引き出されてきた。
逃げた者もいた。
隠れた者もいた。
しかし——多くの者は捕まった。
明け方までに、千名近くが武家地に集められた。
子供がいた。
老人がいた。
女がいた。
彼らは——人質だった。
シルバが配下に命じた。
「城門と木盾に——猿どもに猿を括り付けさせろ。縄を使え。女と子供を前に出せ」
「了解しました」
配下が、人を選んだ。
縄が出された。
「——いやだ!放せ!」
「——お願いします!子供だけは——!」
「——放してください!」
悲鳴と哀願が、武家地に満ちた。
しかし配下は止まらなかった。
抵抗するものは容赦なく切り伏せられた。
女が城門に括り付けられた。
子供が木盾に縄で縛られた。
夜明けの光が、その光景を照らし始めた。
シルバは城門の上から見下ろした。
「——これで、鳳凰寺も手が出せない」
薄笑いを浮かべた。
「猿が泣いている。実に愉快だ」
備前の夜明けが——最悪の朝として訪れた。
焼けた家があった。
倒れた人々があった。
煙が立ち上っていた。
そして——城門と木盾に括り付けられた人々が、夜明けの光の中にいた。
町は——もう、元の町ではなかった。
八 海軍の発見
備前の沖合。
鳳凰寺海軍の哨戒艇が、夜明けの海を巡回していた。
吉井川の合戦後、制海権の確保と南蛮船の捜索が命じられていた。
ヤタガラスからの情報で、南蛮商船が備前沖に停泊しているという天元の報告があった。
「——あそこだ」と艦長が言った。
双眼鏡を向けた。
沖合に、大型の帆船が停泊していた。
「——南蛮商船か」
「位置がおかしい。港でも、通常の停泊地でもない」
「不自然な場所だ」
「臨検する」と艦長は言った。
哨戒艇が、商船に近づいた。
商船の乗組員が、甲板に出てきた。
「——日本語でいいか?」と艦長は言った。
「——少し、わかります」と商船の乗組員が言った。
「この船の目的は何だ」
「——貿易です。物を売りに来ました」
「こんな場所に停泊している理由は」
乗組員が視線を逸らした。
「——嵐を避けるために、ここで待機していました」
「嵐はない」と艦長は言った。
「今日の海は穏やかだ」
乗組員が黙った。
「臨検する。協力しろ」
鳳凰寺の水兵が、商船に乗り込んだ。
船内を調べた。
「——武器を積んでいた形跡があります」と水兵が言った。
「荷下ろしをした跡があります。木箱が——運ばれています」
「どこへ運んだ」と艦長は言った。
乗組員が、答えなかった。
「——話せ」
乗組員が、少し間を置いた。
「——仲間が、陸に行きました」と乗組員は言った。
「仲間は何をしに行った」
乗組員が視線を泳がせた。
「——詳しいはわかりません、私たちには知らされていません。ただ——」
「ただ、何だ」
乗組員は俯いた。
「——猿を使って遊んでやる、と。それだけしか聞いていません」
沈黙が流れた。
艦長の顔が、引き締まった。
「——何名が上陸した?」
「わかりません」と乗組員は言った。
「どこに向かった?」
「——わかりません」と乗組員は言った。
「——ちぃっ」艦長がすぐに通信機を取った。
「上様——聞こえますか。緊急報告があります」
九 時貞の決断
移動戦闘指揮所。
通信が入った瞬間、時貞は顔を上げた。
「——聞こえる。話せ」
「備前沖合の南蛮商船を拿捕しました。乗組員の供述によると——人数不明の武装したと思われる者たちが、港に上陸したとのことです。詳しい情報は知らされていないとのことですが——」
「天元——ヤタガラスで確認しろ」と時貞は言った。
「——確認します」と天元が答えた。
数秒の沈黙があった。
そしてヤタガラスからの映像が、モニターに映し出された。
時貞は——その映像を見た。
備前の港町。
夜明けの光の中。
焼けた家屋。
路上に倒れている人々。
動かない人々。
煙が立ち上っていた。
武家地の城門に——人が括り付けられていた。
女が。
子供が。
縄で縛られていた。
城門の上に、見慣れない装いの者たちが立っていた。
鉄の装甲を纏っていた。
「——南蛮人だ」と成瀬が言った。
声が、わずかに震えていた。
「——天元、状況を分析してくれ」と時貞は言った。
「はい」と天元が言った。
「人質の規模は——目視で確認できるだけで、五百名以上。武家地の内部に収容されている者を含めると、千名前後と推定されます。城門と木盾に——女性と子供が人間盾として使用されています。武装した者の数は——三十五名から四十名と推定されます。武装は火縄銃複数、大砲五門、西洋式の刀剣類。守備兵の組織的抵抗は——ほぼ壊滅状態と思われます」
「死者の数は」と時貞は言った。
天元が少し間を置いた。
「——路上に倒れている者が確認できます。少なくとも五百名以上が死亡、または重篤な状態と思われます。軽傷者を合わせると——千名以上の被害が出ていると推定されます」
時貞はモニターを見た。
城門に括り付けられた子供の映像が映っていた。
その子供は——泣いていた。
声は聞こえなかった。
しかし泣いていた。
それだけがわかった。
時貞の拳が、机の上で固まった。
「——成瀬」と時貞は言った。
「はい」
「今、俺は——」
時貞の声が、少し止まった。
「——乱世に来て、初めてこんなに怒りを覚えたことは—ない」
成瀬は何も言わなかった。
「備中の村が燃えた時も、怒った。しかし今は——怒りで頭がおかしくなりそうだ」
「はい」
「女性を—子供を——縄で縛るのか」
時貞の声は静かだった。
しかし——その静けさが、怖かった。
「——天元」と時貞は言った。
「はい」
「熊谷を繋いでくれ。急いで」
「接続します」
熊谷の声が届いた。
「聞こえています、上様」
「備前の港町を見たか」
「——見ました」
「何人でも——人質を傷つけずに解放する方法はあるか」
熊谷がしばらく間を置いた。
「——難しい状況です」と熊谷は言った。
「人間盾を使われている場合、通常の攻撃は——人質への被害なしに行うことができません」
「それはわかっている」と時貞は言った。
「だからこそ——どうするかを聞いている」
「——一つだけ、方法があります」と熊谷は言った。
「話せ」
「投降を呼びかける。しかし——彼らが聞かない場合、特殊部隊による精密制圧が必要になります。人質を傷つけないためには——個別の対処しかありません」
「特殊部隊の準備は」
「一時間以内に展開できます」
「移動は」
「ヘリで——三十分以内に到達できます」と熊谷は答える。
時貞は頷いた。
「天元により詳しい分析を急がせろ、その情報を元にすぐ作戦立案に入れ——」
「はっ、直ちに」と熊谷は言った。
「上様——」と成瀬が言った。
「俺も行きたいところだが、俺が現場に行ったところで、できることはない。移動戦闘指揮所から指揮する」「それだけだ」そう自分に言い聞かせているように時貞は言っていた、
…成瀬は黙っていた。
天元が言った。
「上様——一つだけ。今回の南蛮人については——詳しい情報がありません。何者で、何の目的で来たのか、乗組員は知らされていないと言っています。交渉が成立するかどうか——不明です」
「わかっている」と時貞は言った。
時貞は立ち上がった。
「熊谷、子供一人も傷つけさせるなよ」
熊谷の声が届いた。
「——はっ、肝に銘じます」
「頼む」と時貞は言った。
備前の夜明けの空に——ヤタガラスが静かに飛んでいた。
町の映像を映し続けていた。
城門に括り付けられた子供が——まだ泣いていた。
その映像は——時貞の目の中に、焼き付いていた。
消えなかった。
消えるはずがなかった。
吉井川の戦が——終わったと思っていた。
しかし——終わっていなかった。
乱世は、まだ続いていた。
そしてその乱世の中に——守るべき者たちがいた。
時貞は前を向いた。
備前の方角を。
(必ず——助ける)
その言葉は、声にはならなかった。
しかし確かに——時貞の胸の中にあった。
(第六十三章へ続く)
南蛮人ひどすぎる…(´•̥ ω •̥` )




