第五十六章 ―遠き謀略―
一 マカオ
永禄九年(1566年)、夏。
東洋の果て——マカオ。
珠江の河口に突き出た小さな半島に、ポルトガル人の街が作られてから、まだ十数年しか経っていなかった。
しかし——既にその街は、アジア貿易の中枢として、異様な活気に満ちていた。
街の丘の上には、聖ドミニコ教会が白い壁を輝かせていた。
その周囲に、ポルトガル様式の建物が並んでいた。
石畳の坂道が、港へと続いていた。
坂道の両側に、商館が並んでいた。
絹。磁器。香料。茶。
東洋の物産が、ここで西洋の商品と交換された。
港には、常に十数隻の船が停泊していた。
大きなカラック船が、その白い帆を休めていた。
しかし、この街には表の顔と裏の顔があった。
表は——貿易の街。
裏は——情報と謀略の交差点。
東洋における全ての勢力の情報が、ここに集まった。
明国の動向。朝鮮の状況。日本の乱世。
そして——東南アジアの各地の政情。
マカオは、その全てを知っていた。
街の外れにある、商館の一つ。
表向きは絹の取引をしている商館だった。
しかし裏では——別の商売が行われていた。
夜。
その商館の奥の部屋に、七名の男たちが集まっていた。
南蛮商人たちだった。
全員が、一年以上前まで日本の九州で商売をしていた者たちだった。
そして全員が——鳳凰寺によって、九州から追い出された者たちだった。
二 怨みの会合
商館の部屋は、薄暗かった。
燭台が几つか置かれていた。
ワインの瓶が、机の上にあった。
七名の男たちが、それぞれの表情で座っていた。
怒り。
怨み。
焦り。
しかし——金への執念は、全員に共通していた。
「くそっ、鳳凰寺のせいで、日本での人身売買が壊滅した」と一人が言った。
年配のポルトガル人商人だった。
名をヴァスコ・ロドリゲスといった。
「五年前まで、我々は年に何百人もの日本人を輸出できていた。それが今は——ゼロだ」
「日本の奴隷は——従順で身体も丈夫で扱いやすく、人気があったんだぞ!」と別の商人が言った。「マカオでも。ゴアでも。リスボンでも。日本人の奴隷は高値で売れた」
「だからこそ——余計に仕入れができないことが、商売に響く、本当に腹立たしい」とロドリゲスは言った。
「日本への貿易ルートも、鳳凰寺の管理下に置かれた」と三人目が言った。「以前は自由に航路を使えた。しかし今は——鳳凰寺の許可なしに、九州の港に入れない」
「あの連中に、やられ放題だ」と誰かが言った。
部屋に重い空気が漂った。
その時。
部屋の端に座っていた一人の男が立ち上がった。
ラウロ・ダ・シルバだった。
四十代。
頑強な体格。
日焼けした顔。
目の周りに、深い皺があった。
マカオに来る前は、インドのゴアで兵として働いていた。
その前は——ポルトガル本国の軍隊にいた。
戦場を渡り歩いてきた、元軍人上がりの男だった。
「話を聞いていた」とシルバは言った。
全員が、シルバを見た。
「金になる話がある」とシルバは続けた。
「どういう話だ」とロドリゲスが言った。
「日本のとある連中が、鳳凰寺と戦おうとしている」とシルバは言った。「奴らは武器が欲しいらしい。火縄銃と火薬、それに大砲だ。」
「誰から聞いた」
「俺のルートだ。詳しくは言えない」
ロドリゲスは少し考えた。
「我々が用意できる量は?」
「火縄銃二百丁。大砲十門。火薬は大量に」
部屋の空気が変わった。
「それは——大きな商売だ」と誰かが言った。
「ああ」とシルバは言った。「損はしない。それどころか——この一回で、今まで失った利益を、かなり取り戻せる」
「鳳凰寺には——知られないのか?」
「知られなければいい」とシルバは言った。「知られた時は——その時に考える」
ロドリゲスはしばらく考えた。
「乗ろう」とロドリゲスは言った。「条件を詰めて、動く」
全員が頷いた。
シルバは座った。
武器の話は、まとまった。
しかし——シルバの頭の中では、別のことを考えていた。
「実は鳳凰寺に一泡ふかせるために、もう一手——ある」とシルバは言った。
「何だ?」とロドリゲスが言った。
シルバは少し間を置いた。
そして——笑った。いやらしい笑みだった。
「猿が何匹死のうが、我々には関係ないからな」とシルバは言った。
「それはどう言う意味だ?」問うロドリゲス。
「鳳凰寺は民を大切にする勢力だと、聞いている。民のために動く。民を守るために戦うらしい」
「そうらしいな」
「対抗策がある、ならば——その猿自体を盾にすればいい」とシルバは言った。
部屋が静まり返った。
「町の猿共を人質にする。鳳凰寺の連中は——手が出せなくなる」
シルバの笑みが、深くなった。
ロドリゲスは少し間を置いてから言った。
「……それは、うまくいくか」
「あの連中が本当に民を大切にしているなら——必ずうまくいく」とシルバは言った。「しかし万が一、民を見捨てて攻撃してくるなら——それはそれで、鳳凰寺の正体が露わになる。どちらに転んでも、俺たちには都合がいい」
部屋の男たちが、互いに目を合わせた。
「——やってみてくれ」とロドリゲスは言った。
シルバは満足そうに頷いた。
(猿の国が、自業自得で焼ける様を——見てやる)
シルバは心の中でそう思った。
東洋の島国の人間を、シルバは最初から人間だとは思っていなかった。
キリストを知らない者たちだった。
白人ではない者たちだった。
シルバが長年生きてきた世界では——そういう者たちは、利用するか、支配するか、排除するかの、どれかだった。
それが——当たり前だった。
三 ローマ、イエズス会本部
時は少し遡る。
永禄四年(1561年)。
ローマ。
教皇領の中心都市。
ローマは、永遠の都と呼ばれた。
七つの丘の上に築かれた街は、古代から中世を経て、今も西洋世界の精神的中枢として輝いていた。
テヴェレ川が、街の中を静かに流れていた。
サン・ピエトロ大聖堂の工事が続いていた。
ミケランジェロが設計した丸屋根が、ローマの空に向かって伸びていた。
石畳の広場に、柱廊が並んでいた。
神父や修道士の黒衣が、その石畳の上を行き交っていた。
街の至る所に、教会があった。
鐘の音が、朝と昼と夕べに響いた。
西洋世界の権威が、この街から発されていた。
イエズス会の本部は、街の一角にある建物に置かれていた。
外観は質素だった。
しかし内部は——世界中からの情報が集まる、情報と権威の中枢だった。
イエズス会は、キリスト教の布教を目的とした修道会だった。
しかし同時に——東洋への進出において、ポルトガル王室と深く連携した組織でもあった。
布教と情報収集と政治的影響力の行使が、イエズス会の実態だった。
その年、一通の報告書が日本から届いた。
アルメイダの報告書だった。
報告書は、日本の鳳凰寺という勢力についての記録だった。
七島という島を拠点に、未知の軍事力と知識を持つ。
人身売買を禁止した。
帝と特別な関係を持つ。
九州の大勢力を三ヶ月で制圧した。
その制圧の方法が——ポルトガルの知る戦の常識を遥かに超えていたという。
そして報告書には、笹木という女の医師についての記述があった。
「彼女は我々の知らない医学知識を持っています。外科手術の技術、薬の知識、病への対応——全てにおいて、我々ローマの知る現在の水準を大幅に超えるとのこと。彼女がどこでその知識と技術を得たのか、私には理解できません。しかし確かなことは——それらは全て謎に満ちているということだ」
アルメイダは笹木について、大絶賛の言葉を添えていた。
「私は彼女に出会い、世界に対する認識が変わりました。彼女は我々の知らない存在です。しかしその存在は——素晴らしいものです」
報告書を受け取ったイエズス会の幹部たちは、会議を開いた。
最初は——疑った。
「これは誇張ではないか」
「アルメイダは信頼できる報告者だが、東洋の勢力に惑わされた可能性がある」
「我々の知らない未知の軍事力など——あり得ない」
しかし——報告書には、不思議な説得力があった。
具体的な数字があった。
実際の戦の詳細があった。
笹木の医学的知識の具体的な内容が書かれていた。
それらは——作り話では出てこない種類の情報だった。
会議は続いた。
「もし本当なら——これは脅威だ」と一人の幹部が言った。
「どういう意味だ」
「我々は東洋への進出を続けている。しかし東洋に——我々の技術を超えた勢力が存在するとすれば、それは我々の計画を根本から覆す」
「脅威として扱うべきか」
「まず——ポルトガル王室に報告する。そして対応を協議する」
ポルトガル王室への報告は、アルメイダ名義で提出された。
「日本に、我々を脅かす勢力が存在する可能性があります」
「その勢力は、人身売買を禁止しています」
「日本での貿易に、新たな障害が生まれる可能性があります」
王室の反応は——半分だった。
人身売買の問題については、王室も問題視していた。
キリスト教国の建前として、人身売買は批判されていた。
「人身売買が禁止されるなら、それは良いことだ」と王室は言った。
しかし——「未知の軍事力が存在する」という警告については、王室は無視した。
「東洋の島国に、そのような勢力が存在するはずがない。誇張している」
「現地で騙されたのだろう」
しかしイエズス会の一部には——この報告書を真剣に受け止めた者がいた。
大貴族の後ろ盾を持つ、高位の聖職者だった。
「我々人間を脅かす存在が、非人間であってはならない」とその人物は言った。
「非人間が我々以上の技術を持つことは——神の秩序に反する」
「この報告書は——アルメイダの良心に付け込んで、その非人間が騙して奪おうとした結果だ」
「我々の行いを盗む卑しい非人間を——このまま許しておくわけにはいかない」
「我々人間に逆らって良い存在はいないことを、その日本という場所の非人間に——しっかり教えてやらねばならない」
その人物が、行動を起こすことを決めた。
マカオに拠点を置く、布教と諜報を兼ねた人物に——指示を送った。
「日本に行け。表向きは純粋な宣教師として。しかし裏では——日本への、鳳凰寺への破壊工作を行え」
「南蛮商人の中に、鳳凰寺への怨みを持つ者がいる。その者たちと協力しろ。ただし——直接的な繋がりは作るな。常に、商人を隠れ蓑とせよ」
指示は精密だった。
四 久秀の嗅覚
岐阜城。
久秀は、伊賀の情報網から一つの情報を手に入れた。
「南蛮商人からの話で——反鳳凰寺勢力への武器提供を希望している連中がいることを掴みました」
しかし久秀には、それだけで十分だった。
久秀の頭の中で、情報が繋がり始めた。
南蛮商人が動く。
武器が中国地方に流れる。
「まずは南蛮商人と反鳳凰寺勢力を繋げる。南蛮商人に忍衆を反鳳凰寺の案内役として接触させろ」久秀が指示をだす。
そして——別の情報が、久秀の手に入った。
毛利領内に、不穏な動きがある。
大内の残党と思われる集団が、密かに動いていた。
久秀は地図を広げた。
毛利が鳳凰寺に臣従したことで、中国地方は表向き安定していた。
しかし——その安定の下に、澱んでいるものがあった。
大内家は、かつて中国地方の覇者だった。
毛利元就が大内を滅ぼし、中国地方を掌握した。
しかし——大内の旧臣たちは、全員が納得していたわけではなかった。
表向きは毛利に従いながら、心の奥底では怨みを抱いていた者たちが。
「大内輝弘」と久秀は呟いた。
大内義長の縁者。
生き延びた一人。
密かに、残党をまとめ上げているという情報が、久秀の手にあった。
「この男とも——南蛮商人を繋げる」
久秀の目が光った。
疲れた体の中で、その目だけが、また別の生き物のように動いていた。
「しかし——直接両者を繋いではならない」と久秀は言った。独り言のように。
「南蛮人と大内残党が直接接触すれば、どちらかから情報が漏れる。漏れれば、鳳凰寺に察知される」
久秀は忍衆を呼んだ。
「毛利領内の大内残党に——接触しろ。しかしワシの名は出すな。そして南蛮人との繋がりも、絶対に明かすな。ただ——反毛利・反鳳凰寺の動きが活発になっていることを、それとなく伝えろ」
「はい」
「その男たちに火をつければ——勝手に動く。ワシは動かさなくていい」
久秀の計算は、精密だった。
南蛮人と大内残党の間に、忍衆を置く。
両者は直接繋がらない。
しかし互いの存在を、うっすらと知ることになる。
それだけで——動く。
(宇喜多には、この手を知らせない)
久秀は考えた。
(直家は賢い男だ。知らせれば、利用しようとする。あの男は俺の隠れ蓑になっているが——同時に、ワシを利用しようとしている可能性がある)
(なら、こちらも切り札は見せない)
久秀は書類に向かった。
信長のための書類に。
しかし——その頭の中では、複数の絵図が同時に動いていた。
五 直家の察知
備前。
直家は、久秀との書状のやり取りを続けていた。
文面は、反鳳凰寺連合への参加に関する内容だった。
浦上宗景の動きについて。
山名との連携について。
南蛮商人からの武器調達の進捗について。
久秀は丁寧に答えていた。
しかし——ある時から、直家は気づいた。
(久秀の書状が——少し変わった)
言葉が慎重になっていた。
具体的な内容が、少し減った。
当たり障りのない文面が、増えた。
(この男は——何かを隠している)
直家の嗅覚が、そう告げた。
久秀が情報を絞り始めている。
それは——久秀が別の手を用意しているということだった。
(何だ?この違和感は…)
直家は考えた。
南蛮商人からの武器調達は、わかっている。
浦上宗景の糾合も、わかっている。
しかし——久秀がそれ以外に動いているとしたら、何か。
直家は独自に調べ始めた。
剛介に命じた。
「毛利領内に——不穏な動きがないか、調べてくれ。特に、旧大内家の動向を」
「旧大内家?ですか」
「毛利が大内を滅ぼしたのは、もう十年以上前だ。しかし——納得していない者が、必ずいる。その者たちが、今の状況の中で動いている可能性がある」
剛介は頷いた。
数日後。
剛介が戻ってきた。
「直家様」と剛介は言った。
「何かあったか」
「毛利領内の西部——旧大内家の旧領地近辺で、不審な動きが確認されました」
「詳しく話せ」
「旧大内家の家臣の遺族が集まっているという情報です。表向きは親族の集まりですが——集まりの回数が多い。そして、武器の調達の噂も、少し聞こえてきます」
直家は少し間を置いた。
「大内輝弘の名は」
「……出てきます」と剛介は言った。「大内義長の縁者で、生き延びた方だそうです。密かに残党をまとめているとも」
「南蛮人との接触は」
「それは——確認できていません。しかし」と剛介は言った。
「しかし?」
「毛利領内に、見知らぬ人物が複数、入り込んでいる情報があります。服装から見て、南蛮人では——と」
直家は静かに頷いた。
(久秀は——大内残党と南蛮人を繋ごうとしている)
(いや、すでに繋いでいるかもしれない)
(しかし、その繋ぎをしているのは——久秀の忍衆だ。直接的な繋がりは作っていない)
直家は少し考えた。
(この情報を——どうする)
選択肢は三つだった。
一つ目は、鳳凰寺に伝える。
しかし——今の直家は表向き、反鳳凰寺連合に参加している。
鳳凰寺に情報を提供することは、連合への裏切りを意味する。
それは今の段階では、早すぎた。
二つ目は、久秀に探りを入れる。
しかし——久秀がこちらの情報収集に気づけば、信頼関係が崩れる。
今の段階で久秀を刺激することは、得策ではなかった。
三つ目は——黙っている。
知っていながら、何もしない。
動乱が始まり、自分の絵図が完成するまで、黙って見守る。
(三つ目だ)
直家は結論した。
(この情報は、今は使わない)
(しかし——記録しておく)
(鳳凰寺に臣従する時に、この情報を持っていけば——価値がある)
(俺がただ臣従するのではなく、貴重な情報を持って臣従する。それが——俺の交渉材料になる)
直家の計算が、また一歩、精密になった。
六 毛利領内の影
毛利領内、石見国。
山深い場所に、小さな集落があった。
表向きは——農民の集落だった。
しかし夜になると、その集落に人が集まった。
旧大内家の家臣の遺族たち。
そして——その中に、一人だけ、様子の違う男がいた。大内輝弘だった。
輝弘は三十代の男だった。
穏やかな顔をしていた。
しかし——その目の奥に、炎があった。
「毛利が——鳳凰寺の臣下になった」と輝弘は言った。
集まった者たちが頷いた。
「大内家を滅ぼした毛利が、今度は鳳凰寺の犬になった」
「許せません」と誰かが言った。
「大内家の旧臣たちの怨みは——毛利への怨みだ。しかし毛利が鳳凰寺の臣下になった今、その怨みは——鳳凰寺にも向けられる」
輝弘は静かに話した。
「しかし——俺たちだけでは、毛利には勝てない。ましてや鳳凰寺には」
「では——どうするのですか」
「外から——助けが来る」と輝弘は言った。
「外から?」
「詳しくは言えない。しかし——俺たちと同じように、鳳凰寺を憎む者たちが、動き始めている。その動きと合わせて——俺たちも動く」
その「外からの助け」が、久秀の忍衆を通じて届いた情報だったことを、輝弘は知らなかった。
久秀の名は、一切出ていなかった。
「反鳳凰寺の動きが活発になっている。毛利の内側から崩すことを、支持する者がいる」——それだけだった。
輝弘には、その情報が誰から来たのかはわからなかった。
しかし——動く理由には、十分だった。
「大内再興」
それが——輝弘の全てだった。
七 宣教師の影
その頃。
博多の港に、一隻の南蛮船が入ってきた。
表向きは——貿易船だった。
鳳凰寺の管轄下にある港に入るための、正式な許可を得ていた。
積荷は——反物と香辛料だった。
検査を受けた。
問題はなかった。
船は港に停泊した。
船から降りた人物の中に、一人の修道士がいた。
黒衣を着ていた。
穏やかな顔をしていた。
「神の御加護を」と修道士は言った。港の役人に。
「ようこそ、博多へ」と役人は答えた。
修道士は街へと入っていった。
その修道士が——ローマからマカオを経て、日本に来た人物だった。
表向きは純粋な宣教師として。
しかし裏では——大貴族とイエズス会の意向を受けた人物として。
日本での鳳凰寺への破壊工作を画策するために。
しかし——その修道士は賢かった。
最初は何もしなかった。
ただ、街を歩いた。
日本語を学んだ。
民と話した。
鳳凰寺の管轄下の九州の様子を、自分の目で見た。
(なるほど)
修道士は心の中で思った。
(人身売買が禁止された。民が豊かになっている。診療所が増えた。学舎ができた)
(これが——鳳凰寺の統治か)
(しかし)
修道士は続けて思った。
(これは——我々の秩序への挑戦だ)
(東洋の島国が、我々を超える力を持つことは——神の秩序に反する)
(この勢力を——弱めなければ…)
修道士は南蛮商人たちと、密かに接触を続けた。
しかし——直接的なやり取りは最小限にした。
連絡は——常に仲介者を通じた。
その仲介者の中に、久秀の忍衆が含まれていることを、修道士は知らなかった。
久秀の忍衆は——全員、日本人だった。
南蛮人には見分けがつかなかった。
八 複雑に絡まる糸
七島の執務室。
天元が報告した。
「南蛮船の動きの追跡が続いています。播磨の港に荷を下ろした後、船は北上しています。目的地は——不明ですが、日本海側の港に向かっている可能性があります」
「日本海側か」と時貞は言った。
「はい。毛利領内の港に近い方向です」
時貞は少し間を置いた。
「毛利に連絡する」と時貞は言った。
「毛利隆元殿に?」
「そうだ。毛利領内に——不審な動きがないか、確認してもらう。しかし詳しくは言わない。今の段階では、俺たちがどれだけの情報を持っているかを、相手に知られたくない」
「了解しました」
成瀬が横で言った。
「上様。今回の件——複雑な気がします」
「何が複雑だ」と時貞は言った。
「南蛮商人の動き、各地の大名の不穏な動き、そして——誰かが画策しているような精密さ」と成瀬は言った。「これは単純な反鳳凰寺連合ではない気がします」
「そうだな」と時貞は言った。
「久秀だけの動きとも——違う気がします」
「そうかもしれない」と時貞は言った。
「では——誰が」
時貞は少し考えた。
「わからない」と時貞は言った。正直に。「しかし——複数の勢力が、それぞれの理由で動いている。その動きが、偶然に重なっているのか、誰かが意図的に重ねているのか——まだわからない」
「天元」と時貞は呼んだ。
「はい」
「今の情報を全て整理してくれ。南蛮船の動き。播磨・備前の不穏な動き。そして——毛利領内の状況。全部並べて、繋がりを分析してくれ」
「了解しました。しかし——今の情報量では、全体像を把握するには限界があります」
「わかっている。できる範囲でいい」
「はい。一つだけ報告があります」と天元は言った。
「何だ」
「今回の動きは——鳳凰寺の今まで経験した局面より、複雑です。単純な武力対立ではなく、複数の謀略が重なっている可能性があります。その全体像を把握するには——ヤタガラスでも、私でもできることは限られます」
時貞は少し考えた。
「急がない」と時貞は言った。「しかし——止まらない。できることを、一つずつやる。それだけだ」
夏の七島に、風が吹いた。
海が光っていた。
しかし——その海の向こうで、複数の謀略が、静かに、しかし確実に動いていた。
南蛮商人の怨み。
イエズス会の意図。
久秀の執念。
大内家の怨み。
そして——直家の計算。
それら全てが、一つの方向へ向かいつつあった。
鳳凰寺という存在を——揺さぶるために。
時貞は、その全体像を、まだ見えていなかった。
見えていたのは——その一部だけだった。
しかし——時貞は動じなかった。
急がない。
焦らない。
止まらない。
それが——鳳凰寺時貞という男の、変わらない姿だった。
(第五十七章へ続く)
一部内容を修正しましたm(_ _)m




