第一章 ―情報収集、そして決断―
情報が集まるまでに、三日かかった。
鳳凰寺家が誇る情報収集官——諜報部——が各地に散り、現地の人間から話を聞き、書状を調べ、市場の噂を集めてきた。その情報を天元が分析し、整理し、時貞の元に届ける。
「まとめます」
参謀室に集まった幹部たちの前で、情報分析官の浜村が口を開いた。三十代の眼鏡をかけた細身の男だ。
「まず現在の西暦を確定しました。永禄三年、西暦一五六〇年。そして——つい先日、尾張の織田信長が、駿河の今川義元を桶狭間において奇襲で討ち取ったという情報が、諸国に広まっています」
室内にざわめきが走った。
「桶狭間……か」と時貞は呟いた。
ゲームで何度も見た画面が脳裏に浮かぶ。今川義元。二万五千の大軍を率いて上洛を目指した駿河の大大名。それを僅か二千程度で討ち取った、歴史の転換点。
(永禄三年、一五六〇年。桶狭間の直後)
つまり、日本の歴史はまさに動き始めたところだ。
信長はこれから急速に台頭する。長篠の戦で武田騎馬隊を鉄砲で粉砕し、全国統一まであと一歩まで迫る——しかし本能寺で明智光秀に斃される。
豊臣秀吉がそれを継ぎ、徳川家康が最終的に天下を取る。
(だが、この世界では俺がいる)
琢磨はゆっくりと立ち上がった。十二歳の細い身体を、しかし揺るぎない意志が満たしていた。
「皆に話す」
室内が静まり返る。
「我々は突然この時代に来た。なぜ来たのかはわからない。だが来てしまった以上、やるべきことはひとつだ」
一同の顔を見回す。彼らはゲームで作り上げたキャラクターたちだ——だが今は違う。目の前で息をし、自分を見つめる、生きている人間たちだ。
「鳳凰寺家は、この日本を統一する」
誰も声を上げなかった。
「そしてその先へ行く。今はまだ戦国時代だが、数十年後、数百年後には西洋の白人たちが世界を席巻し始める。スペイン、ポルトガル、その後にはイギリス、フランス、オランダが続く。彼らはアジア、アフリカ、南北アメリカを植民地として蹂躙していく。その歴史を、俺は知っている」
浜村が静かに手を挙げた。「確かに……南蛮人の来航が増えているという情報もあります」
「そうだ。放っておけば、最終的に日本も彼らの好き勝手にされかねない。それは俺が許さない。世界の覇権を手にするのは、日本人だ」
成瀬参謀長が膝を正した。「……殿のお覚悟、承知しました。して、まず何から?」
琢磨は窓の外を向いた。青い海の向こうに、本州の山並みがかすかに見える。
「まずは足場を固める。鳳凰寺七島を完全掌握し、内政を安定させる。それから本州への足がかりを作る。信長が台頭する前に、こちらの存在を歴史に刻む」
「海路を使いますか」と海軍司令官の倉橋が言う。
「そうだ。島という地の利を最大限に使う。鳳凰寺家の最大の強みは何だ?兵力ではない。技術だ。知識だ。天元の情報処理能力だ。それを活かした戦い方をする」
「正面衝突は避けると?」
「意味のない消耗戦はしない。だが——」
琢磨はわずかに笑った。
「必要な時には、圧倒的な力で叩く。それが抑止力になる」
「天元、聞いているか」
参謀室を出た時貞は、天元の端末に向かった。個室の壁面に設置された薄いパネル——この時代には完全に異質な、滑らかな黒い画面が静かに光っている。
「稼働中です、時貞様」
合成音声だが、違和感のない自然な声だ。
「現状の戦力と、最大の課題を教えてくれ」
「了解です。現在の鳳凰寺軍は陸海空三軍合計で約二万五千名。装備は二十一世紀水準を維持しています。最大の課題は二点です。一点目は物資の補給——弾薬、燃料、医療品の消耗分をこの時代で調達することが困難であること。二点目は情報の非対称性の維持——我々の技術が諸大名に知れ渡ることで、対抗手段を模索される可能性があること」
「補給については?」
「島内の工廠と研究施設を全力稼働させ、可能な限り自給体制を構築します。一部資材については、南蛮貿易ルートを介した調達を推奨します。ポルトガル商人との接触が有効と考えられます」
「なるほど。彼らを利用するわけか」
「はい。ただし、情報管理には細心の注意が必要です。南蛮人に我々の本当の技術水準を悟られることは、長期的に見て不利益となります」
「わかった。貿易は表向きは普通の大名と同じ形でやる。技術の核心部分は絶対に見せるな」
「御意」
時貞は椅子に深く腰を落ち着けた。
十二歳の身体は疲れやすい。だが頭の中は三十歳のままだ。戦国の歴史を愛し、近代兵器を愛し、その双方の知識を持つ三十歳のサラリーマンが、最強の駒を持って戦国時代の盤面に降り立った。
(やるしかない)
海が光っていた。
その向こうには、まだ誰も手をつけていない歴史が、広がっていた。
永禄三年、初秋。
鳳凰寺時貞は、鳳凰寺七島の最大島・主島の高台に立ち、水平線を眺めていた。
風が髪を揺らす。十二歳の身体に当たる潮風は冷たく、清々しかった。
「殿」と成瀬が後ろに立った。「第一報が入りました。伊豆半島の一部の豪族が、我々の存在に気づき始めているようです」
「そうか」
「いかがなさいますか。接触しますか?それとも——」
「まだいい」と琢磨は言った。「今は準備を続ける。信長がまだ名を上げたばかりの今、俺たちが動く必要はない。彼らに派手に戦ってもらって、消耗してもらう」
「漁夫の利、というわけですか」
「戦略的忍耐だ」
成瀬が低く笑った。「承知しました」
琢磨——鳳凰寺時貞——は水平線の向こうを見つめた。
遠く、本州の山並みがかすんでいる。
その先には、尾張がある。今川を討った信長がいる。
そしてもっと遠く、地球の裏側には、まだ「大航海時代」の名の下に世界を切り取り始めた白人たちがいる。
(待っていろ)
と、彼は思った。
声には出さなかった。だが決意は、静かに、確かに、胸の奥で燃えていた。
天下統一。そして、その先へ。
世界の覇権は、日本人が手にする。
歴史は、今、動き始めた。




