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覇道戦国 ~鳳凰寺家、天下統一…その先へ~  作者: 1009


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第八章 ―京の風、九州の波―

一 御所の現実

永禄四年、夏。

京は蒸し暑かった。

榊原雅之が護衛といっしょに京の土を踏んだのは、七島を出て五日後のことだった。

摂津の港から陸路を取り、山崎を越えて京へ入った。道中、榊原は七島とは全く異なる空気を感じ続けた。

町が、くたびれている。

応仁の乱から百年。京の町は何度も戦火に焼かれ、その度に再建されてきたが、かつての繁栄には程遠い。道は荒れ、空き地が目立ち、物乞いが辻に座っている。商人の活気はあるが、どこか薄い。

(これが、日本の都か)

榊原は内心で呟いた。

七島の整然とした街並みを知っている目には、京の荒廃が余計に際立って見えた。

御所の周辺まで来ると、さらに胸が痛んだ。

土塀が崩れかけている。修繕された様子がない。雑草が生え、石畳の隙間から草が顔を出している。警備の者もまばらだ。

これが——日本の帝が暮らす場所なのか…。

榊原は帽子を脱いで、遠くから御所に向かって頭を下げた。


近衛家の邸は、御所の北西にあった。

かつての栄華を偲ばせる門構えだが、よく見れば屋根の一部が傷んでいる。庭木は手入れが行き届かず、枝が伸び放題だ。

榊原は門前で名を告げた。

「鳳凰寺七島より参りました、榊原雅之と申します。近衛前久様宛への書状と、持参品をお持ちし、ご面会のお願いしに来ました」

門番が怪訝な顔をした。

「鳳凰寺……?」

「伊豆沖の島の者です」

門番は一度引っ込み、しばらくして戻ってきた。

「お待ちください」


一刻ほど待った。

やがて榊原は、邸の奥へ通された。

通された部屋は、かつては立派だったであろう座敷だが、調度品が少ない。床の間の掛け軸は色褪せ、畳の縁が擦り切れていた。

榊原は正座して待った。

障子が開いた。

近衛前久が入ってきた。

二十五歳。

榊原が最初に思ったのは——若い、ということだった。

だが次の瞬間、その目を見て、印象が変わった。

若い目ではなかった。何かを必死に探している目だ。追い詰められた者の目でもなく、諦めた者の目でもない。出口を探して走り続けている者の目だ。

前久は榊原の前に座り、静かに口を開いた。

「鳳凰寺の者か」

「はい。榊原雅之と申します。当主・鳳凰寺時貞様の名代として参りました」

「時貞……御年は」

「十三歳にございます」

前久の眉が、わずかに動いた。「十三歳が当主か」

「はい」

「その十三歳が、俺に用があると」

「書状をお持ちしました」

榊原は懐から書状を取り出し、両手で差し出した。

前久は受け取り、開いた。


前久は書状を読んだ。

一度読んだ。

もう一度、読んだ。

部屋に沈黙が落ちた。

榊原は前久の表情を、静かに観察した。

最初は警戒。次に——驚き。そして最後に、何か複雑なものが混じった表情。

前久が顔を上げた。

「帝が雨漏りする御所で過ごされている——と書いてある」

「はい」

「……よく知っている」前久の声が低くなった。「それは事実だ。だがそれを知っている者が、伊豆沖の島にいるとは」

「鳳凰寺家は、日本の様々な情報を集めております」

「情報を集める——」前久は書状を膝の上に置いた。「見返りは求めない、とも書いてある。そんな話がどこにある」

「当主はそのように申しております」

「嘘をつくな」と前久は静かに言った。

榊原は答えなかった。

前久は続けた。「見返りのない施しなどない。それが政の道理だ。お前たちが何かを求めているのは当然のことだ。俺はそれを責めているんじゃない。ただ——正直に言えと言っている」

榊原は頭を下げた。

「……おっしゃる通りです。当主は確かに、将来的な協力関係を望んでおります。ただし最初の支援は、本当に条件なしでございます。その上で——もし前久様が鳳凰寺家に関心を持ってくださるならば、改めてお話しする機会をいただければ、と」

前久はしばらく榊原を見た。

「持参したものがあると聞いた」

「はい」

榊原は背後の荷を示した。

護衛が運んできた木箱が、座敷の隅に積まれている。

「五千貫にございます。永楽通宝です。ご確認ください」

前久は立ち上がり、箱に近づいた。

蓋を開けた。

整然と並んだ永楽通宝が、夏の光を鈍く反射した。

前久は一枚を手に取り、指で触れた。

重さ、質感、刻印の精度——

「……」

前久の目が、わずかに細くなった。

「質がいい」と前久は呟いた。「最近出回っている粗悪な銭とは、全く違う」

「鳳凰寺家が品質を保証しております」

前久は銭を箱に戻し、立ったまましばらく動かなかった。


前久が再び座ったのは、長い沈黙の後だった。

「榊原殿」と前久は言った。「一つ、聞かせてくれ」

「はい」

「鳳凰寺時貞という人物は——本当に十三歳か」

榊原は答えた。「身体は十三歳です」

「身体は、というのはどういう意味だ」

「……当主は、常人とは異なる叡智をお持ちです。年齢で測れる御仁ではございません」

前久はじっと榊原を見た。

「お前は当主を信じているか」

「はい」と榊原は迷わず答えた。「全力で」

前久はそれを聞いて、少し黙った。

「……わかった」とついに前久は言った。「書状は受け取る。銭も、ありがたく頂戴する」

「ありがとうございます」

「ただし」と前久は続けた。「俺はまだ何も約束していない。鳳凰寺家がどういう勢力か——もう少し見極める時間が必要だ」

「もちろんでございます。当主もそのように申しております」

前久は窓の外を見た。

夏の空が、白く霞んでいた。

「もう一度来い」と前久は言った。「一ヶ月後。その時にまた話をしよう」

「承知いたしました」

榊原は深く頭を下げた。


帰り際、榊原が立ち上がりかけた時、前久が言った。

「榊原殿」

「はい」

「帝のことを——心から案じている者が、伊豆沖の島にいるとは思わなかった」

その言葉は、静かだった。

皮肉でも、疑惑でもなく——ただ、驚きと、どこか安堵に近い感情が混じっていた。

榊原は頭を下げた。

「当主は、日本を愛しております」

前久は答えなかった。

ただ窓の外を、見ていた。


邸を出た榊原は、御所の方角を一度振り返った。

崩れかけた土塀。伸び放題の雑草。

(必ず変える)

それは榊原自身の言葉ではなく、時貞から託された言葉だった。

しかしその言葉は今、榊原自身の胸にも宿っていた。


二 博多の波紋

同じ頃、九州・博多。

鳳凰寺家の定期便が、最初の荷を降ろしてから三ヶ月が経っていた。

最初は半信半疑だった博多の商人たちが、今では鳳凰寺の荷を心待ちにするようになっていた。

理由は明白だった。

薬の効きが、全く違うのだ。

「あの薬を使ったら、三日で熱が下がった」

「腕の傷が、化膿せずに治った」

「腹の病で寝込んでいた女房が、一週間で起きられるようになった」

口コミがさらなる噂を呼んだ。

博多の商人・宗像屋善兵衛は、鳳凰寺の荷を独占的に扱う契約を結んでいた。そして今、彼の店の前には毎朝行列ができていた。

「どこの薬だ」

「伊豆の島から来るらしい」

「南蛮の薬か?」

「違います。日本の島だと聞いた」

噂は博多の町を超えて広がった。

豊後の大友家の家臣が、博多で薬を買い込んで帰った。薩摩の商人が荷を確認しに来た。肥前の龍造寺家の者が、取引の打診を持ってきた。

宗像屋善兵衛は困った顔で風間に相談した。

「風間様。各地の大名から直接取引の申し入れが来ています。どうしますか」

「全員に同じ条件で売る」と風間は即答した。「どこかを優遇することはしない」

「大友様も、島津様も?」

「全員同じだ。薬に敵も味方もない」

善兵衛は頷いた。

「それは……商人として、正しいやり方だと思います」


大友家の城下・府内でも、鳳凰寺の薬の評判は届いていた。

大友宗麟は家臣から報告を聞きながら、腕を組んだ。

「鳳凰寺家……伊豆沖の島か。以前から妙な噂がある島だったが」

「はい。南蛮船を一発で退けた鉄の艦隊を持つとも言われています」

宗麟はキリスト教に傾倒した当主だ。南蛮との繋がりを大切にしている。しかし今、その南蛮船を退けたという勢力の薬が、自分の領内で評判になっている。

「……取引の打診を出せ」と宗麟は言った。「薬だけではなく、直接話がしたいと伝えろ」

「はい」

「それと」と宗麟は付け加えた。「鉄の船というのが本当かどうか、確認してこい」


島津家の当主・島津義久も、同様の情報を受け取っていた。

「博多で売れている薬の効き目は本物か」と義久は家臣に問うた。

「はい。我が家の者も試しましたが——確かに効きます。従来の薬とは別物です」

「南蛮の技術か」

「いえ。日本の島の者が作っているようです」

義久は静かに考えた。

島津は武を重んじる家だ。外交より戦闘を好む気風がある。だが義久は、父・貴久から受け継いだ現実主義も持っていた。

「向こうから売り込みに来た時には、丁重に扱え」と義久は言った。「今は様子を見る」


龍造寺隆信は、もっと直接的だった。

「俺が直接会いたい、と伝えろ」と隆信は言った。「薬は口実でいい。鳳凰寺家というのが何者か、俺の目で見極める」

家臣が「しかし相手は伊豆沖の島の者で——」と言いかけた。

「南蛮の大船を退けたんだろう」と隆信は遮った。「それだけで、会う価値はある」


これらの報告が全て風間経由で七島に届いた時、時貞は一枚の紙に書き留めた。

大友宗麟——取引希望。直接会談を求む。

島津義久——様子見。慎重に対応を待つ。

龍造寺隆信——直接会談を強く希望。

「面白い」と時貞は呟いた。

「どうされますか」と成瀬が聞いた。

「三者とも、条件は同じで応じる。薬の取引は続ける。直接会談は——時期を見て、こちらから設定する。急がない」

「順番は」

「龍造寺から」と時貞は言った。「あの男は最も直接的だ。腹の中が読みやすい。最初の相手としては、扱いやすい」

成瀬が苦笑した。「隆信殿が聞いたら怒りそうですな」

「だから言わない」


三 道雪の書状

その日の夕方、風間からの荷が届いた。

九州からの定期便の中に、一通の書状が入っていた。

差出人——立花道雪。

時貞は書状を受け取り、部屋に一人で籠もって読んだ。


鳳凰寺時貞殿へ

春の会見より、幾月か過ぎ申した。

殿のお話は、折に触れて思い返しております。

民のために戦う、という言葉。戦の費用、という言葉。

老いた武者には、新鮮に響きました。

一つ、お伝えしたいことがあり、筆を取りました。

豊後の南部、臼杵の近くの村で、今年の春から疫病が出ております。

大友家も手を尽くしておりますが、医者も薬も足りません。

子供たちが次々と倒れています。

殿は先日、こう仰いました。

「九州で民が理不尽に苦しんでいる場面があれば俺に教えてください」と。

あの言葉を信じて、筆を取りました。

もし本当に動いてくださるならば——その時、俺は殿のことを、

言葉だけではない人物だと思うでしょう。

立花道雪 敬白


時貞は書状を読み終えて、しばらく動かなかった。

灯りが揺れていた。

(道雪は、俺を試している)

そう思った。

だが同時に——試しているだけではない、とも思った。

道雪が本当に心配しているのは、子供たちのことだ。

「成瀬」と時貞は呼んだ。

「はい」と成瀬が入ってきた。

「医療班を編成してくれ。豊後・臼杵の近くの村に疫病が出ている。すぐに行ける態勢を作る」

成瀬が目を見開いた。「豊後は——大友の領内です」

「わかっている」

「大友宗麟の許可なく、我々が領内に入ることは——」

「道雪殿が知らせてくれた」と時貞は言った。「道雪殿は大友家の重臣だ。あの方が俺に書状を送ったということは、少なくとも道雪殿の責任の範囲内で動けるということだ」

「しかしリスクは」

「子供たちが死んでいる」と時貞は静かに言った。「それより大きなリスクはない」

成瀬は一瞬黙り、それから深く頷いた。

「……御意。医療班の編成、直ちに」


「天元」と時貞は呼んだ。

「稼働中です」

「臼杵周辺の疫病について、症状から病名を推定できるか。永禄四年頃の豊後で流行した疫病の記録はあるか」

「検索します」天元が少し間を置いた。「この時期、九州北部では麻疹と赤痢の流行が記録されています。症状の詳細がわかれば絞り込めますが、子供が多く倒れているという情報からは麻疹の可能性が高いと判断されます」

「麻疹か」

「はい。この時代、麻疹は致死率の高い病です。適切な処置と隔離、そして補液と栄養補給で生存率は大幅に改善できます。ただし——」

「ただし?」

「七島の医師は麻疹の予防接種を受けていますが、現地での感染リスクがあります。医療班員の感染防護を最優先事項としてください」

「わかった。最善の防護装備を準備させる」

時貞は道雪への返書を書き始めた。


立花道雪殿へ

書状、確かに受け取りました。

臼杵近くの村のことは、直ちに動きます。

医者と薬を持った者たちを、五日以内に送ります。

費用は鳳凰寺が全て持ちます。

大友家への事前の許可については、道雪殿のご判断に委ねます。

一つだけ申し上げます。

俺は言葉だけの人間ではありません。

それを行動で示せる機会を与えてくださったことに、感謝します。

鳳凰寺時貞 敬白


書き終えて、時貞は窓を開けた。

夏の夜の海が広がっていた。

豊後まで、海路で二日。

(道雪。俺は行く)

言葉は行動でしか証明できない。

それは三十年の人生で、真田琢磨が学んだ数少ない真実のひとつだった。


四 医療班、出動

翌朝、医療班が編成された。

医師三名、看護要員五名、薬剤担当二名。計十名。

引率するのは医療部長の笹木淳子、三十四歳の女性医師だ。七島で最も経験豊富な内科医であり、感染症の処置に精通している。

「笹木先生」と時貞は出発前に言った。「無理はしないでくれ。現地の状況が危険だと判断したら、すぐ引き返していい」

「はい」と笹木は答えた。「ただ——子供が倒れているんでしょう」

「そうだ」

「なら行きます」と笹木は静かに言った。「それが私の仕事です」

時貞は頷いた。

「頼む」


医療班を乗せた船が出港した。

桟橋で見送りながら、時貞は成瀬に言った。

「これが広まる」

「はい。大友領内で鳳凰寺の医者が動けば——」

「九州中に話が届く。鳳凰寺家は戦をしに来たのではなく、助けに来た——そのイメージが広まる」

「計算ずくですか」と成瀬が聞いた。

時貞は少し考えた。

「半々だ」と正直に答えた。「子供が死んでいるという話を聞いた時、本当に胸が痛かった。それは本当だ。だが同時に——これが九州での鳳凰寺の評判を作ることもわかっている」

「その両方が、同時に本当なんですな」

「そういうことだ」

成瀬が静かに頷いた。

船が、夏の海へ消えていった。


五 前久の夜

京、近衛家の邸。

夜、前久は一人で書状を読み返していた。

鳳凰寺時貞からの書状。

何度読んでも、不思議な文章だった。

十三歳の子供が書いたとは思えない。だが、老練な政治家が書いたとも少し違う。

飾りがない。脅しがない。媚びがない。

ただ——真っ直ぐだ。

(信じていいのか)

前久は自問した。

この時代、信じることは危険だ。朝廷を取り巻く大名たちは、全員が何かを求めて近づいてくる。官位、正統性、権威——朝廷から何かを得ようとする者たちに、前久は慣れていた。

だが——あの使者は違った。

榊原という男は、何かを求める顔をしていなかった。

ただ、本当に朝廷の窮状を心配しているように見えた。

(俺の人を見る目が、鈍ったのか)

前久は苦笑した。

五千貫の銭が、奥の蔵に収められていた。

その品質は、前久の目を驚かせた。最近市場に出回っている粗悪な私鋳銭とは全く違う。本物の渡来銭に匹敵する、いやそれ以上の品質だ。

(あれほどの銭を、どこで手に入れた?)

前久は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。

自分が書いた走り書きのメモだ。

「鳳凰寺家について調べよ」

明日から、独自に調べる。

博多での噂。南蛮船を退けた鉄の艦隊。医薬品の評判。そして——伊豆沖の不思議な島。

前久は灯りを落とした。

暗闇の中で、目だけが開いていた。

(一ヶ月後、もう一度来い——と言った)

その言葉は、今の前久にとって、単なる社交辞令ではなくなっていた。

本当に、話を聞いてみたい。

そう思い始めていた。


夜が更けた。

京の町は静かだった。

御所の方角から、虫の声が聞こえた。

帝は今夜も、あの御所で過ごしている。

前久は目を閉じた。

(何とかしなければ——とずっと思っていた)

だが方法がなかった。資金がなかった。力がなかった。

そこに——伊豆沖の島から、使者が来た。

(信じるかどうか、ではない)

前久はゆっくりと思った。

(使えるかどうか、でもない)

ただ——

(あの十三歳が本物かどうか、確かめたい)

それだけだった。

夏の夜が、静かに更けていった。

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