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李家の娘達  作者: チョコバナナ


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第六章

第六章

間もなく劉浩は意識を取り戻した。視界の端に、緑色の衣を揺らして遠ざかっていく小柄な人影が映った。

次いで、自分の身体へと視線を落とす。軽く身を捩ると、いつの間にか縄がほどけていた。

劉浩は立ち上がり、首筋に手を触れた。

「……あの小娘め。若いくせに、動きが妙に素早い。見たこともない武術だな」

苛立ち混じりの感嘆だった。

「劉英!」

呼び声に応じて、漆黒の服を身にまとった男が花木の陰から音もなく姿を現した。

「少林拳法に似ておりますが……別の流派にございます」

劉英は恭しく頭を下げながら答える。

劉浩は懐に手を入れた。

金は消えていたが、翡翠のペンダントだけは残っている。

――やはり、あの少女は俺の正体に気づいていた。

「いつからそこにいた?」劉浩が低い声で問う。

「少女が旦那様の縄を解いた時にございます」

劉浩は冷ややかに笑った。

「では、あの時、彼女は少林拳法を使ったというわけか?」

劉英はその場にドスンと膝をつき、苦しげに言った。

「弾圧――旦那様、私をお罰しください」

「罰?」

劉浩は鼻で笑い、口許だけで笑みを作った。

「主君が少女に殴られて倒れたのを見て、信じられなかったんだろう?

軽率な行動を取れば私に害を及ぼすと思い、手出しをためらった──そうだな。

それに、計画を台無しにして罰せられるのが怖かったのだろう?」

図星を突かれた劉英は、顔を赤らめて俯いた。

「……旦那様は、まことに御明察にございます」

劉浩は不機嫌そうに歯ぎしりをした。

「いい。だが――あの娘の身元を調べろ。どこの家の者でも構わん、見つけ次第、屋敷へ連れてこい。ゆっくり“礼”をしてやらねばな」

「はっ!」

劉英は汚れたローブを受け取り、手際よく劉浩に別の衣を着せた。

劉浩は整えられた衣の皺を払い、ゆっくりと宴席の方へ歩き出す。

「……あのガキめ。俺を殴って気絶させるとはな」

そう呟いたとき、不意に思い出がよぎった。

あの小川から少女を引き上げた時、風に吹かれて前髪が持ち上がり、澄んだ瞳があらわになった場面。

劉浩の口元に、思わず笑みが浮かんだ。

「……面白い」

  清瞳は、自分が厄介な状況に足を踏み入れたことを理解した。

もし劉浩に見つかれば、必ず仕返しされる――その予感が背筋を冷たくする。

宴席に戻ると、清瞳はこめかみに手を当てた。

「……頭が痛いんです」

「さっきまで元気だったのに、どうして急に?」

大夫人が怪訝そうに眉を寄せる。

清瞳は、わざと弱々しい声を作った。

「森で風に当たってしまって……風邪かもしれません。お母様、いつお帰りになるのでしょうか?」

大夫人の顔に苛立ちが走る。

「食宴はまだ始まっていないよ! 護国公主ともろくに話していないし、皇太子殿下はこれから清蕾に関心を持ち始めるところなんだよ! 君はお姉様達の計画を台無しにするつもりなのかい?!」

清瞳は、心の中で深いため息をついた。

――代わりに琴を弾いて助けてあげたときは、感謝のひと言もくれなかったくせに。

そう思うと、自然と腹が立ってくる。

だがここで反抗するわけにはいかない。

清瞳は、胸の奥から絞り出すように、ひどく苦しげな声でうめき始めた。

清蕾がそっと唇を噛みしめ、大夫人の耳元に何か囁く。

大夫人はしばらく考え込み、それから渋々といった声で言った。

「宴会まで、まだ二時間はある。先に馬車で戻りなさい。それから馬車だけこちらに戻してもらえばいい。……まったく、役に立たない子だよ!」

清瞳が顔を上げると、清蕾がひそかにウインクしていた。

その仕草に救われるような気がした。

阿娟に支えられながら外へ向かおうとしたそのとき、背後から鋭い声が飛んできた。

「今日、君が桃花宴に来たことは――誰にも言うんじゃないよ! 君は“来ていない”ことになっているんだからね!」

「……はい!」

清瞳は胸をなで下ろした。

これで余計な目撃者が出る心配はない。

誰も自分に注意を払っていないことを確認すると、

清瞳は静かに馬車へと乗り込んだ。


  屋敷に戻ると、清瞳は遠くに七夫人の姿を見つけ、胸の奥がふっと温かくなった。

思わず明るい声がこぼれる。

「母ちゃん、ただいま!」

七夫人は玄関先で待っていたらしく、目に優しい光を宿して微笑んだ。

清瞳が彼女と離れたのは今日が初めてだったが、たった一日で心細くなるほど七夫人の存在は大きかった。

しかし、玄関の時計を見た七夫人は、すぐに眉をひそめた。

「清瞳、どうして宴の前に戻ってきたの? しかも一人で……?」

清瞳はお腹を押さえながら駆け寄った。

「母ちゃん、まず食べ物ある? 食べながら話してもいい? もう、お腹ぺこぺこ!」

七夫人は苦笑しながらも首を振り、張婆に食事の支度をするように指示した。

「そんな宴では満足に食べられないって分かっていたわ。さあ、母ちゃんと一緒に食べましょう」

清瞳はどっと疲れが押し寄せ、椅子に腰を下ろした。

家で出される質素な粥とおかずが、どんな御馳走より恋しい。

「昼は軽食ばかりで、お腹に全然たまらなくて……。あんまり食べたら、大夫人に“教養がない”とか“見苦しい”とか言われるでしょう?

だから夕食は食べずに帰ってきちゃったの」

「なぜ夕食まで食べずに帰ってきたのです?」

七夫人の問いは不安を帯びていた。

清瞳は七夫人に余計な心配をかけまいと、安慶王子・劉浩を怒らせた件は伏せた。

しかし、清蕾のために琴を弾いた事情はこれからのため避けては通れず、そこだけは包み隠さず話した。

七夫人の顔色はさっと青ざめた。

「パビリオンにいたのは五人だけです。誰も話さなければ、誰にも知られませんよ」

清瞳は慌てて慰めようとしたが――

「清瞳……そんな簡単なことではありません!」

七夫人の声は震えていた。

次の瞬間、彼女は堪えきれず膝に顔を伏せて泣き崩れた。

「阿娟は……生かされないかもしれないのですよ!」

清瞳は息を飲んだ。

「そんな……! 阿娟とは約束したんです。誰にも言わないって!

大夫人だって、そこまで冷酷な人じゃないでしょう?!」

七夫人は濡れた目を拭い、重い息を吐いた。

「“天と地と彼と我”だけが知っている、と人はよく言います。

けれど今は、大夫人が知り、清蕾も清飛も知り、阿娟もあなたも私も知っている。

さらに……きっとお父様にも報告されるでしょう。

三夫人、四夫人にも噂は回ります。清蕾や清飛から聞くでしょうし……」

七夫人は頭を抱えた。

「さあ……どうすればいいのでしょうね……?」

清瞳はショックで声を失った。

「母ちゃん……。あのとき、清蕾は本当に可哀そうだったんです。あのままでは、みんなの前で面子を失ってしまって……」

七夫人はしばらく黙り、それから静かに言った。

「……こうなってしまった以上、もうお父様次第です。

私たちは……待つしかありません」

その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が冷たく沈んだ。

清瞳は胸の中に広がる不安を押し殺すように、両手をぎゅっと握りしめた。


清瞳は胸の奥でひそかに叫んだ。

――どうして、こんな結末を予想できなかったのだろう。

経験も、先を読む力も足りなかった。

この屋敷に六年も閉じ込められていたせいで、古代の人々の残酷さを甘く見ていたのだ。

自分の弾いた琴によって、清蕾は見事に皇太子の目に留まった。

だが、それは本当に正しかったのか。

もし事が露見すれば、清蕾は欺瞞と不敬の罪で斬首されるかもしれない。

李府一族の命運すら危うくなる。

恐怖が、じわじわと背中を這い上がってくる。

――現代の法治国家の方が、どれほどましだったか!

ここには人権なんて存在しない。

大学入試でカンニングをしても、処罰は失格程度だろう。

だがここでは、些細な過ちが命取りになる。

清瞳ははじめて、この世界で生き延びることの難しさを真正面から知った。

そして、抗う力を持たない自分に気づき、心の底から無力感が湧き上がってくる。

他人の思惑に身を預けるしかない――そんな現実が突き刺さった。

清瞳の青ざめた顔に気づいた七夫人は、何とか励まそうと口を開いた。

「お父様は宰相で、強大な権力を持つお方です。もし問題が明るみに出ても、李府の面目が潰れるようなことには……きっとさせません。お姉様方が体調を崩されたとか、三女の幼い悪戯だったとか、何かしら理由をつけてくださるはずです」

そう言いながらも、七夫人自身がその言葉に自信を持てていないのが分かった。

納得できる口実など、本当はどこにもないのだ。

清瞳は七夫人をじっと見つめ、震える声で尋ねた。

「……では、阿絹は? 彼女は無事でいられるでしょうか?」

七夫人は小さく息をつき、遠くを見るように目を伏せた。

「母ちゃんは……どうしても最悪のことを考えてしまうのですよ。けれど、何も起こらず、このまま平穏に過ぎていく可能性だって、ありますから」

その声は励ましのはずだった。けれど、闇を押し返せないほどの弱さも、同時に滲んでいた。


 清瞳は、少し声を落として七夫人に尋ねた。

「……鳳城の貴族って、そんなに権力があるのね。もし気に入らない娘がいたら、無理やり奪い取ることもあるの? 召使いを殺すなんてことも……あり得るのかしら?」

七夫人は、短く息を吐いた。

「表立って奪うようなことは、さすがにないでしょう。でも……密室で何が行われているかなんて、誰にも分かりませんよ。あの頃、母ちゃんは――」

唐突に漏れた言葉に、清瞳は目を見開いた。

「……あの頃、お母さんに何があったんですか?」

七夫人は一瞬だけ視線を伏せた。

風が山査子の枝を揺らし、その音がふたりの間にひどく長い沈黙を落とした。


七夫人は、中庭に咲く山査子の花をじっと見つめていた。月光が白く地面を照らし、梢からこぼれる光だけが、かすかに揺れている。その横顔には、言葉にしがたい孤独が、静かに滲んでいた。

やがて彼女は、昔を思い返すようにゆっくりと口を開いた。

「……昔、母は鳳城の娼館で、最も人気を集めた歌舞伎姫でした。その頃、私は一人の青年に出会い、恋に落ちたのです。彼は私の初夜を買うと申し出て、二人で駆け落ちしようと約束をしました。

けれど、その夜……彼は突然、亡くなってしまいました。

私も薬を盛られ、深い眠りに落とされました。目が覚めたときには、もう宰相官邸の七夫人になっていたのです。誰が私にそんなことをしたのか、今でも分かりません。」

七夫人は淡々と語る。しかしその声の奥底には、抑え込んだ憤りが微かに揺れていた。

「最初のうち、宰相様はしばらく私を可愛がってくださいました。けれど──私の性格を気に入らなかったのか、息子を産めなかったせいなのか、次第に興味を失ってしまわれたのです。

そうして私は、この中庭に……十四年、留まり続けてきました。」

そこで言葉は途切れた。静寂の中、山査子の花だけが夜風に揺れ、七夫人の胸の奥に沈んだ思いを、そっと照らし出しているようだった。


 七夫人の言葉を聞いた瞬間、清瞳の胸は締めつけられるように痛んだ。

考えるより先に、あのとき劉浩から奪い取ったお札や金貨・銀貨のことが脳裏をよぎった。

清瞳は慌てて袋を取り出し、七夫人の前に差し出した。

「母ちゃん……お金がある!これで、どこかで生きていけませんか?そのうちここから逃げましょう!」

七夫人はお金を見下ろし、目を見開いた。

「清瞳……これは一体どこから? どうしてこんなにたくさん持っているのです?」

隠し通せるはずもなく、劉浩を怒らせた経緯を、最初から最後まで包み隠さず話すしかなかった。

七夫人は、その一言一言を聞くたびに顔色を失っていった。

清瞳が劉浩の帯で彼を木に縛りつけ、銀貨まで奪ったと告げた瞬間、七夫人はそのまま崩れるように椅子に倒れ込み、意識を失った。

「母ちゃん、母ちゃん! お願い、目を開けて!」

清瞳は震える手で七夫人の頬を叩き、人中を強くつねった。

冷たい汗が背を伝う。

――もし今日、外へ出なければ。

――もし清蕾の惨めな姿を見なければ。

――もしあの場で琴を弾かなければ。

宰相家の面目も、清蕾の評判も、本来は自分には関係のないことだったはずだ。

なのに、自分はその渦中に飛び込んでしまった。

そして何より――劉浩を怒らせさえしなければ。

どれも「もし」の話に過ぎない。

今さら悔やんだところで、もはや何も変わらない。

清瞳は歯を食いしばり、倒れた七夫人の手をしっかり握りしめた。

その温もりだけが、彼女の心を壊れずにつなぎ止めていた。


しばらくして、七夫人はようやく目を覚ました。

清瞳が不安そうに覗き込んでいるのに気づくと、七夫人はその小さな身体を抱きしめ、声を震わせた。

「……清瞳、どうしましょう……」

七夫人の涙に触れ、清瞳は一度深呼吸をし、気持ちを立て直した。

「母ちゃん、安慶王府の息子は私のことを知りません。今日の宴席にいた人たちにも、宰相府の三女が来ていたとは気づかれていませんでした。私はずっと侍女に変装していましたし……清蕾は皇太子殿下に気に入られたようです。お父様だって、清蕾を皇太子妃にするという大事な計画を壊すわけにはいきません。きっと全力で動いてくださいます」

そこまで言ったあと、清瞳は顔を曇らせた。

「……でも、阿娟は自分で身を守れません。逃げるように言ってあげればよかった」

七夫人は清瞳の手を握りしめ、静かに首を振った。

「清瞳よ……阿娟は逃げられません。逃げた奴隷は、捕まればもっとひどい仕打ちを受けます。たいてい……殴り殺されてしまうのです」

「……殺される?」

清瞳は言葉を失った。胸に、冷たい針が刺さるような痛みが走った。

自分の一瞬の判断が、阿娟の命を危うくしてしまった——その重さが、全身を押し潰すようだった。

止める術もなかった。

(もう二度と……軽率な判断はしない。

現代の感覚を捨て、この世界の“現実”で生き残らなければ)

心の奥で、清瞳は密かに固く決意した。


その時、小玉が息を切らして駆け込んできた。「七夫人様、清瞳様……旦那様がお呼びです!

大夫人様が清蕾様と清飛様を連れて、もうお戻りになりました!」

清瞳は七夫人に向き直り、低い声で言った。

「お母様、何も知らないふりをしてください。知っている人は少ない方がいいんです」


七夫人は再び涙をこぼし、清瞳の肩をそっと抱いた。

「清瞳……あなたはまだ十二歳なのに、どうしてそんなことまで……一人で背負えるの?」

清瞳は涙を指先で拭い、きっぱりと答えた。

「私は若いから、“知らないふり”ができるんです。子どもだから、みんなが警戒しない。

でも、もし知っていると知られたら、逆にもっと疑われて……もっと危険に晒されます」

そして最後に付け加えた。

「……頭痛がして寝ていたのに、呼び起こされたことにしてください。

それなら、宴席でのことを何も知らなかった説明になります」

清瞳の声は震えていたが、その瞳には確かな覚悟が宿っていた。


ホールに入ると、そこには李宰相と大夫人だけがいた。

七夫人は清瞳を伴って静かに頭を下げる。

李宰相は深いため息をつき、七夫人を見据えた。

「玉堂よ……長い間、私に隠していたのか。ずっと不思議に思っていたのだ。鳳城で最も名高かったお前の芸と才覚があるというのに、どうして清瞳を“あの程度”にしか育てられないのかとな」

清瞳が口を開こうとした瞬間、七夫人が一歩前に出て遮った。

「旦那様。清瞳が才能を見せることを禁じたのは、私です。

いつか、皆を驚かせるその日まで……彼女の才を隠しておきたかったのです」

その言葉が終わらぬうちに、大夫人が怒気を帯びて歩み寄り、七夫人の頬を平手で打った。

「この下劣な女め! ええ、確かに“驚いた”わよ!」

七夫人は痛みに顔を覆う。しかし、次の瞬間、押さえきれない怒りが溢れた。

「お嬢様方には良い夫を選ぶ権利があるのに、どうして私の娘たちには許されないのですか!」

七夫人はそう叫んだ後で、背後の清瞳へそっとウインクする。

軽はずみな行動はしないように、という無言の合図だった。

清瞳はその意を汲み、すぐにひざまずいた。

「私が悪かったのです……。今日は、お姉様の琴を手伝うべきではありませんでした」

声は震えて弱々しい。しかし胸の内では――

(この場の二人をまとめて地面に叩き伏せてやりたい)

怒りが燃えていた。


李宰相は、泣きそうに震える清瞳を冷ややかに見つめていた。そして――まるで面白いものを見つけたかのように、くつりと笑った。

「誰がお前を責めた? 清瞳」

その声は優しさの仮面を被っているだけで、底の温度がまるでなかった。

「もしお前があの曲を弾かなければ、皇太子殿下が清蕾を気に入ることもなかった。あれは……お前の功績だよ」

言い終えると、李宰相は清瞳の腕を掴み、引き上げ、まるで宝物でも扱うように頭へ手を置く。

「ただな……お前の母が、その“価値”を私に隠していたことが気に入らなかっただけだ」

「清瞳。私は、お前が容姿も才も兼ね備えた娘であると知れて、心の底から嬉しいのだ」

その言葉を聞いた瞬間、清瞳の背筋が総毛立った。

――違う。

喜んでいるのは“父親”ではない。

自分を商品として値踏みする目だ。胸の奥の深い悲しみが、ふたたび鋭く疼いた。

けれど、涙は見せられない。

清瞳は強く歯を噛み、顔を上げた。

「……母ちゃんは清瞳の幸せだけをお考えでした。どうか、もう責めないでください。それに、清瞳は――もう琴を弾きません」

「母ちゃんの書にも、絵にも、詩にも、まだまだ及びません。もしお父様がお望みなら……清瞳は今日から、一つずつ学んでまいります」

李宰相は、涙を浮かべた娘の瞳を覗き込み、くすりと喉を鳴らした。

「いい子だ。本当に……もうお父様に隠し事をしないように!」その笑みが、刃物より鋭く清瞳の心を裂く。


大夫人が焦った声で口を開いた。

「このことが護国公子主や皇太子殿下の耳に入れば、私たちが責められますわ。対処を考えねばなりません!」

七夫人がすぐさま続ける。

「清瞳はもう琴は弾きません。誰も彼女の腕前を知りませんもの。他の技を身につけるように教えます!」

李宰相がゆっくりと頷いた。

「それでいい。琴なら清雷がいる。清飛は書が得意だ。清瞳は――母から詩を習えばよい」

そして、李宰相の視線が、清瞳の両手に落ちた。

その一瞬、清瞳の胸を凍らせた。空気が変わる。目の奥の色が変わる。

――ああ。

指が。折られる。

その理解が、稲妻のように清瞳の脳裏を走った。

逃げられない。

声も出せない。

ただ、圧倒的な恐怖だけが清瞳を飲み込んでいった。


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