十八 引越し
私の暮らしていた狭いアパートの中が、奏さんと由美子さんの幸せで満たされていく。借りているだけの身分だが、なんとも誇らしい。
由美子さんは父親に、子供の頃からの思いのたけをしゃくり上げながら話していた。その肩を抱きしめる奏さんに、甘えるよにもたれかかっている姿は幼児そのものだった。
マコトさんの言った通り、由美子は親の愛を求めていたんだ。子供が家に帰って安心するような当たり前の安らぎを。ただ、母親の福子と二人で暮らしていた時から、その思いを我慢しすぎて、その子供らしい求めかたがわからず、もがき苦しんでいただけだったんだ。
私たち三人は、黙ってその様子を見ていた。
三十を過ぎるまで、自分の気持ちを押し殺して生きてきた由美子が、どれだけ父親の建人に、想いを吐き出せたのか私にはわからないけど、確実に前に進めたんだと由美子の顔を見て理解できた。
「ありがとうございました。父が代わって欲しいと。」
マコトさんはにっこりと天使の微笑みでスマホを受け取ると。
「はい。では、後ほど口座をお知らせしますので、お振込、よろしくお願いいたします。」
(あー、なるほど、仕事だもんね。)
涙溢れる、感動の場面から、一気に現実に引き戻された。まあそれで良いのだけれど。
マコトさんは電話を終えると、奏さんに向かって
「これで、あなたの依頼通り、お姉さんと終止符が打てたわね。これからは新しい姉妹の関係を作ってください。」
「はい。ありがとうございました。」
今まで見た中で、一番綺麗な奏さんだ。そして由美子さんには、
「どう。スッキリしましたか。」
「ええ。まだ良くわからないけど。、、うん。スッキリしました。」
「そうね。これからは恋をして、自分の家族を作ってください。」
「自分の家族、、、。」
「建人さんと福子さんが作った家族から巣立って、あなた自身の家族をね。奏さんもよ。子供は巣立つのが当たり前。二人が巣立っても、お父さんはお父さんで変わらないのよ。」
「そう、、なんですよね。」
由美子さんはまだ留まっどっている。でもそれを隠さないのが成長と言えるのかも。奏さんは振り返ると、私に
「隠し味試してみます。お姉ちゃんにも食べさせてあげたいから。」
「うん。」
二人は楽しそうにボロアパートの階段を降りて行った。
「祝。それにしても殺風景な部屋だなー。なんもないじゃん。」
春吉さんが部屋を見回して、心の底からそう言った。
「シンプルって言ってくださいよー。」
「引越し楽で良いけどな。」
春吉さんは、車取ってくるから支度しとけよと言い残すと、階段を降りていった。
振り返るとマコトさんが身支度を済ませて、全身映る鏡の前に立っていた。
「祝ちゃん。まだ背が伸びてるの?」
「へ?」
「だって、ほらここ。鏡に1センチずつ印がついてる。」
そう言って鏡を指差した。
(しまった!)
そうだ、神使職の修行で、こちらの世界に来ている。その一つが体を浮かせる修行。いまだに1センチしか浮けないけど、少しずつ浮ける様に鏡にメモリを書いていた。
「これって、身長測ってるんでしょ。」
「あ、あ、あ、えっと、、、そうです。」
「女の子が、二十歳超えて身長が伸びること、そうそう無いけど。」
「そ、そうですよね。えっとそれは、昔書いた、、、そうです、昔書いたもので、、、い、今も癖で。えっと、姿勢悪いと縮んで来るって言うから、そ、その予防っていうか、そう、予防も兼ねて。はい。」
「縮むって、おばあさんじゃ無いんだから、まだ縮まないわよ。」
「そ、そうですよね、ははは。」
あー。絶対変な奴って思ってる。さっきまでは思われても良かったけど。
あの彫刻刀ボデーを見て、男の人だってわかっちゃった今は、変な奴って思われたくない。綺麗で、細マッチョ。透けるように白い美ボディのマコトさんに変人扱いされるのは辛すぎる。あー、私は何をやってるんだ。
頭の中でゴチャゴチャ考えていたら、美しい顔が近づいてきて
「祝って、ホントにわかりやすい。」
「え。」
そう言って、笑いながら行ってしまった。
「わかりやすって、、。なんのことだろう?」
意味深な笑顔も気になったけど、取り合えっず春吉さんに文句を言われないように荷物をまとめた。
洋服とか下着とかをスーツケースに入れ終わると、自分でも持っている服の少なさに愕然とした。
「これで全部って。本当に少ない。まあ、あと一年間の予定だし、良いけど。」
大学を卒業したら、多分、向こうの世界に戻って、神使職になる。こちらの服だって、必要なくなる。でもマコトさんに恋しそうな気持ちが女心をくすぐったのか
「それでも少しだけ、服、買おうかな。」
今の私、間違いなく、ウキウキしてる。鼻歌だって出ちゃうくらいに。
「祝、お前、音痴だな。」
ウキウキを打ち砕く春吉が戻ってきた。
「お前って呼ばないでくださいよー。音痴だって良いんです。誰かに聞かせるために歌ってるわけじゃ無いんですから!」
「どっちでも良いから、この段ボールに荷物詰めちゃえよ。」
春吉さんが音痴とか言ったくせに、どっちでも良いって頭にきたけど、段ボールと新聞紙を持ってきて、手際よく食器を詰め込んでくれている。冷蔵庫の中身は、保冷バッグに詰めてくれてる。
「本当に金ないんだな。ロクなもの食ってないじゃん!」
って悪口も一緒に詰め込んでるけど。
鏡のメモリには何も触れられることなく、少ない荷物があっという間に、まとまった。階段を降りると、さっき乗っていた軽ワゴンではなく、軽トラックがあった。
「あれ、軽トラ。」
「そりゃそうだろ。これじゃなきゃ鏡とか詰めないからな。なんで、メモリ付きなんだよ。背でも測ってんのか?その年で背が伸びるわけないだろ。」
しっかり春吉さんにもバレている。
「伸びるかもしれないじゃないですか。」
「ヨシ、俺が毎日引っ張ってやるよ。そしたら伸びるんじゃね。」
そう言ってゲラゲラ笑っている。まあそう思ってくれている方が気楽で助かるけど。
荷物を積み込んで、Pに戻った。
「そうだ、花屋の千花ちゃんにもここで働くこと伝えとかないと。」
「何、祝、素早いな。もうご近所付き合いか?俺なんか、いまだに千花ちゃんと話したことないぞ。」
「得体が知れない人とは、口聞きたくないんじゃないですか。」
鏡のメモリのことで、あたふたしちゃって、マコトさんにも春吉さんにもからかわれて、手も足も出なかった。だから、さっきのお返しとばかりに春吉さんをからかってみた。
軽トラから降りて、千花ちゃんのお花屋さんを見ると、シャッターが閉まっている。
「あれ、お休みですかね?」
「得体の知れない祝って客が来るから、シャッター閉めたんだよ。ハハハハ。」
「もー。そんなこと言うなら残りのコーヒー牛乳、カレーに使っちゃいますからね。」
「おい、やめろよ。仕事終わりの一杯、楽しみにしてるんだからな!」
「ビールじゃないんですか?ホント、子供ですね〜。」
開放感も手伝って、春吉さんとのやりとりは楽しかったけど、千花ちゃんのお花屋さんの事がなぜか引っかかって仕方なかった。




