十六 嘘でしょ!
眠れないかと思ったけど意外にもぐっすり眠れて、朝目が覚めた時、桜の見える部屋にいることが理解できないほどだった。
「そっか。アパートに帰らなかったんだ。」
思いっきり伸びをして
「あ、しまった。朝ごはん作らなきゃ。」
急いで飛び起きて、シャワーブースでちゃっちゃっと顔を洗うと、階段を駆け降りた。
昨日は空いていた階段の引き戸を開けると、コーヒーの香りが飛び込んできた。マコトさんがマグを片手に
「おはよう。ぐっすり眠れたみたいね。」
「おはようございます。もーびっくりするくらい、よく寝ました。朝ごはんすぐ作ります。えっと、朝はパンとかシリアルとか希望ありますか?」
「和食ー。」
春吉さんが卵サンドを頬張りながらそういった。
「和食って、卵サンド食べてるじゃないですか。」
「今朝は、マコトさんが買って来てくれたの。明日は和食な!」
朝から仲が良いわねってマコトさんが笑っている。朝のマコトさんも相変わらず綺麗で見とれちゃう。
昨夜、カレーを食べ終わると春吉さんが調べてきたことを話してくれた。
家を出た由美子は駅近くのウィークリーマンションに帰っていった。
借り始めたのは二週間ほど前。初めてではなく何度か利用しているそうだ。
由美子が居た児相にも行き話を聞いた。春吉さんみたいに得体の知れない人に、よく児相の人が話してくれたと感心したが、由美子がいた頃に在職し、現在は退職した人を割り出して聞いて来たそうだ。よくもこんな短時間でと、もっと感心した。
意外にも由美子は自分から児相に来たそうだ。元児相のその人は
「子供が自分から来るなんて初めてだったよ。きちんと着替えや大事にしているぬいぐるみをカバンに詰めて。自分がいるとお母さんが大変だからって。追いかけてきた母親は連れて帰るっていってたけど、仕事のない日に会いに来てくれた方が良い。そう言って。」
母親は本当によく会いに来て、その度に連れて帰ろうとしたし、児相の方でもそれがいいと言ったが、由美子は絶対に帰らないと。それは二年半ほど続いた。
「ある日、母親が男性と一緒に来て、我々も驚いたんだが。その男性は本当に良い方で。由美子ちゃんにも誠実だったが、児相の我々にも誠実な人で。由美子ちゃんもすぐに懐いてね、半年程で母親の元に帰っていったよ。そのご結婚して、妹も生まれったと、由美子ちゃんが手紙をくれたんだ。確か四人で写っている写真も添えて。なかなかそんな風にいく子は少ないからよく覚えているよ。」
元児相の人はそう言っていたが、同時に春吉さんの話を聞いて、心の傷はなかなか消えるもんじゃないんだなと、泣いていたそうだ。
やはり由美子は安らぎを与えてくれた建人を手放したくない、その思いが強いのだと私にも思えた。
幼い頃に忙しく働く母親を思い、甘えたい気持ちを無理に押し殺していた反動なのだろうか、親離れできずにもがいている。由美子はもう三十を過ぎていたが、幼い頃に甘えきれなかった思いを抱え、建人にそのことが伝えられずにここまで来てしまった。きっと由美子も自身自分を制御できなくなったしまったことに一番驚いているのかも知れない。
マコトさんは、春吉さんの話を聞いて
「明日、祝のアパートを借りるわね。そこに由美子さんを連れてきてちょうだい。」
いつもと変わらず、美しい顔で微笑んでいた。
程なく奏さんも降りてきて、チルの卵サンドを進めると、少しためらっていた。無理もない。緊張で喉を通る気がしないのだろう。それでもマコトさんが少しでもお腹に入れておきなさいと勧められて口にした。
「あ、美味しい。」
「でしょ!私も一口でファンになちゃたんだ。」
奏さんの笑顔が見れて私の方がホッとしたのかも知れない。
春吉さんが、
「じゃあ、先に出ます。祝、段取り頭に入れたな。」
「はい。」
「まあ、緊張するなよ。ただ言われた通りに動けば、なんの問題もないからな。」
「はい。では、後で。」
マコトさんにアパートの鍵を渡し、奏さんから、家の鍵を受け取ると、春吉さんと階段を駆け降りた。
バイクかと思ったけど、電気屋さんチックな軽ワゴンに乗って奏さんの家へ向かった。
「ここで待機な。」
「今日、由美子さん来ますかね。」
「来るさ。」
そう言うとタブレットを開いた。いつの間に仕掛けたんだか、由美子のウィークリーマンションの入り口が映し出された。
「ハルさんは、マコトさんの考えることわかっちゃうんですね。」
「なんだよそれ。」
「だって、マコトさんの作戦聞く前からちゃんとカメラ仕掛けてるし。」
「こんなの当たり前。」
「そうですか?無駄かも知れないし。バッテリーで動いてるんですよね。切れたら作戦にならないじゃないですか。」
「切れるって。素人の祝一緒にすんなよ。てか、祝、話してないと不安なんだろう。」
「ふん。当たりです。初めてだし不安ですよ。タイミングずれたら、家の中で鉢合わせちゃうんだし。そしたらどうするんですか。」
「自分でなんとかするしかないよな〜。がんばれー。」
完全にからかわれてるのがわかったけど、反論する余裕はない。
モニターに動きがあった。
「マコトさん。ハルです。動きます。」
『了解。祝、深呼吸してから、車降りるのよ。』
「はい。ふー。行ってきます。」
私はイヤホンをしっかりと付けて、車を降りて、奏さんの家に向かった。鍵を開け、ドアの内側で待機。
由美子が歩いて向かって来ると、路地を曲がる。そのタイミングで、私が奏さんの家から出る。
「祝。今だ、出てこい。鍵かけるの忘れるなよ。」
「はい。」
由美子がこちらを見ているのだろう、痛いほど視線を感じる。なんだか怖くて、駅に向かう足が早くなっているのが自分でもわかる。イヤホンから春吉さんが、
「祝。慌てんなよ。転ぶぞ〜。痛てーぞー。」
「わかってます。わかってるけど、心臓がバクバクして、なんか足も勝手に速くなっちゃうんです。」
『祝。焦らない。深呼吸よ。こっちはアパートに着いたから。』
「はい。」
そう言われても、改札にかざすスイカを持つ手さえ震えてきた。
緊張し過ぎて視線を感じるのを忘れていた。ホームから電車に乗り込む直前、
「由美子がお前の横に立つぞ。見るなよ。」
イヤホンから春吉さんの声が聞こえ、心臓が大きく鼓動した。
電車に乗って、真っ直ぐ前を見てガラスに映る自分を見るとバッグを持っている左肩の隣に由美子の姿が映し出されていた。
奏さんは昨晩、
「お姉ちゃん、すごく慎重な人なんです。多分、祝さんが何を持ち出したのか、確認しようとします。だから、これをバッグの見える位置においてください。」
手渡されたのは、手作りのポーチ。奏さんのコンタクトが入っている。
コンタクトを持って出なかったって事は、急なお泊まり。ポーチを確認したら必ずついて来る。
奏さんの言った通り、由美子はバッグの中を確認している。
近くに居すぎるから、春吉さんにも助けを求められない。急に刺されたらどうしようって、いらない心配も頭をもたげてきて、危うく自分のアパートの駅を通り過ぎてしまいそうだった。
スイカをかざす手はまだ震えている。早足も加速してる。とにかく自分のアパートにたどり着いて、あのドアを開けるまでは頑張らないと。
ボロアパートの外階段を駆け上がり、開け慣れたドアに手をかけ、開けた瞬間に私は何かに体当たりされその場に転がった。
「イッター。何するんですか!」
そこには仁王立ちした由美子がスゴイ形相で立っている。手には光るものが!
「ちょ、ちょっとやめてーーーー。」
思わず由美子に抱きついてしまった。
その行動力に自分が一番驚いた。
電車の中では刺されるかもと、春吉さんに助けを求めたい気持ちを抑えるのが必死でいたのに、今はナイフを持つその手ごと由美子を抱きしめている。この手を振りほどかれたら、多分刺される。思わず抱きついちゃったけど、この先どうしよう。計画にはない行動をしちゃった事をスゴいスピードで後悔した。
部屋の中を見ると、お風呂場から腰にタオルを巻いたマコトさんが髪を拭きながら出てくる所だった。
「待って、待って!マ、マコトさん!タ、タオル上げて、上げて!胸が見えちゃう。胸が、、、あ、あれ、、、。胸が無い、、、。えーーーー。胸がなーーーいーーーー!」
その光景は、手にナイフを持っている由美子の姿よりも衝撃的だった。




