別離 【はないろ追記編】
パパの飛行機に間に合うように、藤堂の車で、空港へ急いだ。
待ち合わせた喫茶店の中で、パパを見つける。
「やあ、きーちゃん。空港までお見送りは、初めてだね」
コーヒーのカップを片手に、ニッコリと笑った顔は、今までのパパと、おんなじパパだった。
「何時の便?」
あとどれくらいパパと居られるのかが気になった。
「もう、搭乗手続きが始まる」
「そっか・・・」
「なあに?そんな寂しそうにしてくれなくたって、平気だけど?」
「ホントに寂しいよ」
俺は、少しムッとして言った。そんなフリ、してるつもりない。
「寂しいって言ってくれるのも、初めてかな」
「・・・だって、言ったら、パパが困ると思ってたから」
「うん、これまでなら、きっと困った。こんな風に、誰かに任せて、君を置いていかれる日がくるなんてね。・・・藤堂は?一緒だろう?」
「向こうで待ってるって」
「気が利くじゃない」
そう言って店の外へ視線を送り、硝子の向こうへ見える待合の椅子で待つ藤堂を見つけた。
「辞表は、暖めておくから、しっかり働けって、言っといて」
「・・・いいの?」
あんな剣幕だったから、辞めさせられても仕方ないと、思っていた。
「いいも何も、可愛いきーちゃんを路頭に迷わせる訳に行かないでしょ」
「でも・・・俺、もう・・・」
「パパの子だよ」
胸が、キュっとなる。
「パパの子だよ、ずっとね」
「パパ・・・」
今日は泣かないって、思っていたのに、目の奥がどんどん熱くなる。
「その代わり、仕事で変なチョンボしたら、きーちゃん、返してもらうって言っといてね」
「え?」
パパは、ニッコリと笑った。
「ね?」
「うん・・・」
すごく、何か下心のありそうな、顔に見えるのは、俺の気のせいだろうか?
「元気でね。可愛がって貰うんだよ」
「うん」
・・・えーと、これまでのエッチなんかを思い返すと、あんまり自信は無いけれど。
「泣かされるようなことがあったら、離縁させるよ」
「うん!」
「いつでも、あそこは君の家だから・・・安心して、行きなさい」
「・・・はいっ」
やっぱり、駄目だった。
零れた涙を、パパの指がすくう。
パパ・・・ありがとう。
今まで、俺に応えてくれて・・・ありがとう。
藤堂と合流して、搭乗口まで送る。
「じゃあ、藤堂。きーちゃん、頼んだよ」
「はい。社長もお気をつけて」
パパの手が、俺の頭を撫ぜる。頭頂部から、丸みを撫ぜて、髪をなぞるように・・・
「あれっ」
うなじで、その手がすっとやり場を失って、パパが声を上げる。
「きーちゃん、髪」
「うん、切った」
「え!?」
気付いてなかったらしく、藤堂も驚いて俺のうなじに目をやった。
長い間、いつも伸ばしていた後ろ髪を、俺は今朝、鋏で落としてきた。
「まだ・・・パーマ屋行ってないから、揃えてないけど」
「・・・そっか」
パパが、初めて寂しそうな顔で笑った。
その顔で、パパは俺の後ろ髪の意味を知ってたんだと、気付いた。
「じゃ・・・またね。藤堂、きーちゃんにも言ったけど、泣かしたら離縁させるよ」
「ベッドでも?」
「それはありだろう。・・・チェッ、なんか口惜しいなぁ」
「いただきます」
そんなに大胆に、そんなおっきな声でする話か!?
思わず、赤くなって、俺が周囲に目をやってしまった。
屋上からパパの乗った飛行機を見送り、帰りの車で、藤堂に髪のことを問われた。
「パパが出かけるとき、必ず俺の頭を撫ぜて行くんだ。それで、最後に、髪を、ツーッって、指に取って。伸ばしておけば、その長さの分だけ、パパが俺に触ってるだろ」
だから、いつでも、少しでも長くパパが俺に触れているように、伸ばして来た。
「でも、もう、要らない」
俺はきっぱりと言った。
ハンドルを手に、前を見たまま藤堂は言う。
「意外に、気に入ってたのになぁ」
俺は、思ってたことを教えてやった。
「今度はお前の為に伸ばしてやるから、また、編めよ・・・三つ編み」
「いいけど・・・伸ばすと、あのオッサン、また誤解しないかなぁ」
するかも・・・
「それより、お前のお袋の写真無いの? お前と社長って、あんま似てないよな」
「写真とか、無いと思う」
「みんな社長んトコか?」
「じゃなくて・・・」
言いごもる。
「俺が・・・みんな、捨てたか燃した」
「・・・は?」
俺は、小さいときから、家で母さんの話が出るのが嫌だった。
誰かがそれを見て思い出すのも嫌だったから、母さんのものや、母さんを思わせるようなものは、徹底的に排除した。
「なんで」
藤堂は呆れ気味に言った。
「俺だって、写真くらいは取ってるぜ」
「見して見して」
「・・・後でな。なんで残してないんだよ」
藤堂は本気でつまらなそうに言った。
「・・・俺を産んだ所為で、死んだんだ」
「聞いたことある」
「誰かが母さんの話をすると・・・その裏に、俺が産まれなければ、母さんはここにいたのにって、言われてる気がするんだ」
俺は唇を噛んだ。
俺は、母さんなんか知らない。
なのに、パパも、ひーにいも、リエにいも、伊佐さえ、母さんを知ってる。
みんなの口から聞く母さんは、みんなが母さんを好きで、母さんもみんなを好き。・・・でも、そのみんなには、俺は入ってない。
だって、俺と母さんは、この世に入れ違いだから。
「『母さん』って言葉を聞くだけで、『お前の所為で』って言われてるみたいで、辛いんだ」
「・・・バッカだなぁ、絶対そんなことねぇよ」
「・・・うん」
そうかもしれない。
でも、やっぱり、その罪悪感は、俺から拭えない。
「社長なら、一枚くらい、持ってそうだな」
藤堂は、どうしても母親の顔に興味があるらしい。
「どうかな。俺も知らない」
「よかったなぁ、今、お袋さん、いなくってさ」
俺はなんとなく、ムッとした。
いくら俺が藤堂の為にここにいるからって、母さんが居なくてよかったことにはならない。
「お前と同じ顔で、女だったら・・・俺、お袋さんにイクかもな」
「・・・」
俺はサーッと血の気の引く音を聞いた。
「な、よかっただろ?」
「うん」
俺は、裏返った声で頷いた。