29 .イエーナを引っ張り出す
いつもより早く目が覚めたので、朝食前にカディスの部屋を訪れた。
「ねぇ、アイビー。僕は朝走るから支度ができているけど、普通は朝早くから来るって迷惑だからね」
「知っています。だから、カディス様とお兄様にしかしません」
「そういう意味じゃないけど。まぁ、いいや。どうしたの?」
早朝ランニングを終え汗を流してさっぱりしたカディスが、呆れた顔で目の前のソファに腰を下ろした。
「私、イエーナさんを引っ張り出そうと思うんです」
「あ、うん。どうしてそう思ったのか教えて」
昨日考えたことを簡単に説明をすると、腕を組んだカディスに「うーん」と軽く唸られる。
ラシャンみたいに全面的に肯定してくれるとは思っていなかったが、渋られるとも予想していなかった。
「反対ですか?」
「ううん、やってみる価値はあると思うよ。でも、イエーナが正直に話すかなぁと思って」
「しつこく聞きます。きっと根負けして教えてくれると思うんです。それに、私の笑顔を見ながら嘘はつけないですしね」
「うん、まぁ、好きにしたらいいよ。協力はするから」
アイビーの可愛さについてだけ話を流すカディスに、アイビーは拗ねるように頬を膨らませる。
「それで、どうやってイエーナを引っ張り出すの? 部屋に突撃した方が簡単じゃない?」
「そうですね。朝ご飯を4人分、イエーナさんの部屋に用意してもらいましょう。そうすれば、逃げようありませんもんね」
カディスに怒っているぞアピールを無視されるのは慣れているので、話が続けばアイビーは普通に会話をする。
当たり前になってしまったお喋りが、楽で心地いい。
カディスがフィルンに朝食の手配の指示をし、フィルンは部屋を出て行った。
「アイビー、訓練はどうしてるの? ここでもするの?」
思い出したかのようにカディスに尋ねられ、ドアをチラリと見てからカディスの方に体を乗り出した。
両手を口の横に立て、小声で話し出す。
「走るのはやめた方がいいとチャイブに言われましたので、部屋の中で精霊魔法の練習だけしています」
カディスも体を前に傾け、声を潜める。
「誰かいるの?」
「王様や王妃様が一緒なので、何となくです」
小声で話していた時間なんてなかったように澄まし顔で体勢を戻すと、カディスが楽しそうに笑い声を上げた。
突然笑い出したカディスが謎すぎて、キョトンと停止してしまう。
「アイビーって、本当に自分のことが好きだよね」
「そうですね。11歳の誕生日の時に、ようやく自分を好きになれました。お兄様たちのおかげです」
今度は、カディスが目を瞬かせている。
「嫌いだったの?」
「嫌いというより、好きか嫌いかで考えたことがありませんでした。好かれるための努力で精一杯でしたから」
「前にチラッと言ってた可愛い貯金ってやつ?」
「そう、それです。誰かに優しくしてもらうためには不細工だとダメなんです。可愛くないといけないんです」
「アイビーは、自分を可愛いと思っているよね? それが努力の賜物なの?」
「そうですよ。人に優しくする、悪いことは言わない、楽しくなる方法を考える。他にもたくさんありますが、それらの1つ1つが可愛いを貯めていくんです。怖いことに、貯金は一瞬でなくなってしまうんです。だから、貯まっていると思って油断したらダメなんです」
脳内に高笑いするチャイブが浮かび、アイビーは悪寒が走った体を自分で抱きしめた。
「見た目の話じゃなかったんだね」
アイビーは腕を摩ってから、感心するように呟いたカディスを見やる。
「見た目も重要だと思いますが、心が可愛くないと全体の可愛さは半減してしまうんです。私はありがたいことに見た目が可憐ですので、最高に可愛すぎる女の子であり続けられるんです」
拳を作って宣言するように告げると、カディスは小さく吹き出した。
ジト目でカディスを見るが、笑いを収めることはできないようだ。
体を揺らして声を上げている。
「さすがだよ、アイビー。君を見習うようにするよ」
「馬鹿にされている気がするんですが」
「してないよ。褒めてる、褒めてる」
「その言い方が、馬鹿にしているように聞こえるんです」
アイビーがプイッと顔を背けると、カディスの笑い声が少しだけ大きくなった。
戻ってきたフィルンは、目尻に涙を溜めたカディスを不思議そうに見ながら、食事の手配が終わったことと、レガッタの侍女バーミにカディスが部屋に迎えに行くことを伝えてきたと報告していた。
「それと、陛下より『夕食は全員で』と言付けを預かりました」
頷いたカディスは、アイビーとチャイブを交互に見てきた。
「ドレスって、どのくらい持ってきてる?」
「2着の予定でしたが、念のため3着持ってきています」
「そっか。この屋敷は別荘みたいなものだから、衣装も揃っているんだ。だから、レガッタから借りてくれたらいいから」
「と言いますと?」
「今回は、なぜか母上も一緒だからね。母上は正装以外だとうるさくなるんだ」
だから3着持ってきたのに、と思いながらカディスの話に耳を傾ける。
「父上はぐーたらしに来ているから、いつもなら時間が合った時にふらっと一緒に食べるだけなんだけど、わざわざ言ってきたってことは毎日一緒に食べるってことなんだよ。きっと家族に相手をしてほしくて、母上が言い出したんだと思う。1人を嫌がるからね」
「ご飯は、みんなで食べた方が美味しいですからね」
「それだけならいいけど、母上は何かと面倒臭いんだ。気をつけて」
煩わしそうに息を吐き出すカディスに、アイビーはピンときた。
チャイブが酔っ払った時に、「アイビーにも思春期や反抗期がくるのかもな。あー、マジでやめてくれよ。洗濯物洗ってくれよな」と頬擦りされたことがあった。
翌日、きっちりと思春期や反抗期について教えてもらっている。
だから、母親を鬱陶しく思っているカディスが、今反抗期真っ只中だと閃いたのだ。
反抗期は時間が経てば落ち着くらしいので、温かく見守ろうと思ったのだった。




