22 .木とお喋り
長期休暇が始まり、すでに10日近く経った。
日々眩さが増す太陽の明るさに目を細めながら、温室に向かう。
温室に入ると、チャイブと一緒に誰もいないことを確認して、1本の木の前で腰を下ろした。
アイビーは手から蝶々を出し、蝶々にお願いをして木と話しはじめる。
『今日も来たのか。お前、暇人だな』
「いいでしょ。お兄様とお祖父様たちがいなくて寂しいんだから」
ラシャンは、「アイビーのお守りは、汚さないように大切にするからね」と涙ぐみながら旅立っていった。
祖父母も、ラシャンが領地に行くタイミングに合わせて、領地に戻っている。
ラシャンにもしもがあった時にすぐに対応できるようにと、領地に行けないクロームの代わりについて行ったのだ。
一気に3人も減った公爵家タウンハウスは物寂しく、それが1番際立っているのが食事時だった。
朝夕はクロームが一緒だが、昼食は1人で食べることになる。
話しかけてくれていた人たちがいなくて、ご飯はいつもより味気なく感じてしまう。
それを解消するために話し相手を求めて温室にやってきたのが、木との出会いになる。
当初は木と話すためではなく、他の使用人がいなければチャイブと一緒に食べられると思って温室を選んだのだが、チャイブに「練習も兼ねて木や花と話してみろ」と言われたのだ。
楽しみのあまり体全体を使って顔を大きく縦に動かした後、温室にある1番大きな木を選び、蝶々の力で話すことに成功した。
初めて話せた時は飛び跳ねて喜び、木に『うるさい』と怒られたものだ。
もちろん素直に謝っている。
その日からというもの、昼食は木と会話をしながらとっているし、この木の絵も描きはじめた。
『んん? 機嫌が良さそうだな。何かあったのか?』
「そうなの。今日はね、カディス様が遊びに来るんだよ。久しぶりに会うの」
朝一でカディスから「レガッタの誕生日パーティー用のドレスを持っていく」という手紙が届き、「いつ来るんだろう」と楽しみに待っている。
まさかカディスを待ち遠しくなる日が来るなんてと、奇妙な気持ちがおかしくて笑ってしまった。
どうしてこんな気持ちになるのかは簡単なのだが、アイビーは分かっていない。
いつも一緒にいたラシャンは、側にいない。
頻繁に遊びに来てくれると思っていたレガッタは、誕生日パーティーまでにマナーやダンスのおさらいと招待客を覚える必要があるらしく、まだ1度も遊べていない。
ルージュには、「忙しいから遊べないわよ」と終業式の日に宣言されている。
そんな誰とも遊べていない中で、カディスがやってくるのだ。
久しぶりに遊べると胸を弾ませるのは、自然の摂理である。
『ああ、王子様か。あいつは小さい時によく登りに来てな。遊んでやったものだ』
「そうなんだ。お兄様は登ったりしていないの?」
『そんなわけないだろ。ラシャンもやんちゃだった』
と、大変だったと言わんばかりの口調で吐き出す木に、アイビーはクスクスと笑った。
こんな風に、木は色んなことを話してくれる。
使用人たちが逢い引きしていたという話になった時は、チャイブが「そことそこがか」と数回頷いていたものだ。
今日はラシャンの小さい頃の話が楽しかったからか、いつもよりも食べていたようだ。
満腹になったせいで眠たく、木に寄りかかりながらうつらうつらしていると、ルアンが「殿下が来られました」とカディスを案内してきてくれた。
嬉しくてしっかりと目を覚ましてカディスを出迎えたのに、カディスを見た瞬間ワクワクしていた気持ちが一気に萎んだ。
「僕だって遠征に行きたいんだ!」
ジュースを一気飲みし、椅子に背中を預けて項垂れるカディスを見ながら、アイビーはふわふわの氷を食べる。
そう、来た時からカディスの機嫌は悪かった。
拗ねている顔や不貞腐れている態度を隠しもしない。
あんなに楽しみだったのに、すでに早く帰ってほしい。
「それなに?」
「ジュースを雪にしたものです」
「僕も食べる」
当然カディスの分も用意しているので、すぐにチャイブが給仕した。
この雪の氷は、アイビーが「ジュースが雪や氷なら、すぐになくならないのに」と何気なく言った言葉をクロームが拾い、クロームが瞬時にジュースを雪に変換させる魔道具を作り、この世に誕生させた食べ物になる。
なので、今のところヴェルディグリ公爵家でしか食べられない。
「これ、いいね。買っているわけじゃないよね?」
「はい。お父様が魔道具を作ってくださったんです」
「だと思った。帰りに師団長に欲しいって伝えにいくよ」
冷たい物を口に含んで気持ちが落ち着いたのか、のんびりした雰囲気に変わっている。
「ラシャンはいいなぁ」
「そんなに遠征に行きたかったですか?」
「そりゃあね」
「虫たくさんいますよ」
「夏だし森だからね」
「入浴できないんですよ」
「野営だからね」
「嫌じゃないんですか?」
「僕、どんな我が儘な人間と思われてるの? 心外なんだけど」
ジロリと睨まれ、素直に「ごめんなさい」と謝っておいた。
「カディス様が我が儘じゃなきゃ、世の中に我が儘な子はいないよ」と思ったことは内緒だ。
カディスは分かりやすく息を吐いて、スプーン山盛りの味付きの雪を口に含んだ。
「ただ僕は、学生の間くらい自由に動きたいだけだよ」
「どうして学生の間だけなんですか?」
「僕は王になる。騎士の真似事はできないからね」
「よく分からないんですが、王様だからなりたいモノになれるんじゃないんですか?」
「王様は王様にしかなれないよ。あ、これ、最低だな。僕、嫌なこと言った。忘れて」
カディスが何に顔を顰めたのかは分かるが、カディスの意見には同意できなくて、アイビーは頬に手を当てながら首を傾げた。
「やっぱりよく分からないんですけど、王様が何ににもなれないのなら、誰もなりたいモノになれないですよ。だって、1番偉いのは王様ですよね? どんな王様になるかを王様は選べるんですよ。たくさんの選択肢からカディス様のやりたいことを決められるんですから、騎士のような王様でも、学者のような王様でも、魔術師のような王様でもいいと思うんです」
ガバッと姿勢を正したカディスに真っ直ぐに見つめられ、とりあえず微笑んでみた。
見つめられれば微笑んでみる。
アイビーの人を癒す鉄則のルールである。
そして、今日は珍しく、さっきまでの不機嫌が嘘のようにカディスが微笑み返してきた。
目を丸くすると、可笑しそうに笑われた。
「アイビーは、なりたいモノあるの?」
「冒険者になりたかったです」
「無理だろうね」
「そうですね。だから今、探し中です」
「そっか。僕も探すことにしたよ」
「どんな王様か決めたら教えてくださいね。応援しますから」
「僕もアイビーを応援するよ」
機嫌が悪いのも嫌だが、急に機嫌が良くなられるのも気持ち悪い。
アイビーが訝しげにカディスを見やると、カディスは楽しそうに笑っている。
そして、「ラシャンがいなくて暇だよね。明日観劇に連れてってあげるよ」と言い残して帰って行った。
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