2.婚約者を勝手に名乗っている家
程なくして入学式が始まり、学園長の長い話に退屈し、各教師陣の紹介後にカディスが登壇した。
どうやら在校生代表の挨拶をするようだ。
今日のために磨かれたのかと錯覚するほど、キラキラ輝いている陶器の人形のように見える。
眩しさにみんな目を潰されたんじゃないかと思うほど、悲鳴のような黄色の声が至る所で小さく起こっている。
「お兄様って、本当に無駄に顔がいいですわ」
「綺麗ではあります」
「カディス殿下は見目だけは完璧よね」
女の子たちの熱が上がれば上がるほど、3人は熱が下がっていくような感覚だった。
カディスの挨拶が終わり、学年主任の先生からの短い激励の言葉を最後に、入学式は閉会した。
今日は式典以外の予定はないので、このまま解散になる。
レガッタとルージュと一緒にホールから出ると、クロームとラシャンとカディスがすでに待ってくれていた。
アイビーたちに気づいたラシャンは駆け寄ってきて、カディスは歩いてくる。
「アイビー、帰ろう」
「はい」
「レガッタ、僕はこれからヴェルディグリ公爵家に行くから1人で帰りなよ」
「私も行きますわ。除け者にしないでくださいまし」
2組の兄妹がそれぞれ会話をしている横を、ルージュは一瞬たりとも足を止めず通り過ぎていく。
「ルージュ様、さようなら」
アイビーがルージュの後ろ姿に声をかけるが、ルージュは振り向くような素振りを見せただけで、じきに姿を小さくした。
「アイビー、スペクトラム公爵令嬢と仲良くなったの?」
どこか心配そうに聞いてくるラシャンの不安を吹き飛ばすように、アイビーは満面の笑みで答える。
「はい。お友達になりました」
「友達になったのはスペクトラム公爵令嬢だけ?」
「はい」
「そっか。仲良くなれるといいね」
大きく頷くと、柔らかく微笑んだラシャンに頭を撫でられ、その手で手を取られた。
「さぁ、早く帰ろう」というクロームの優しい声に、みんなで並んで歩き出そうとした。
「ラシャン様! クロームおじ様!」
弾けるように明るい声が聞こえたと思ったら、前方から女の子が駆けてくる。
女の子を追いかけるように、背中を丸めたような大人の男性も向かってきている。
頭上から「クソが」と聞こえ、クロームが舌打ちしたことが分かった。
横にいるラシャンからも、面倒臭そうな息が吐き出されている。
目の前にやってきた女の子は特徴がない普通の女の子で、ブロンズ色の髪をハーフアップにし、リーフグリーン色の瞳をしている。
女の子に追いついた男性は、ブロンズ色の髪を七三分けにしていて、アイビーを捉えたスチールグレイ色の瞳を落としそうなほど丸くした。
「お久しぶりです。とってもお会いしたかったです」
数秒待っても、ラシャンからは一文字も発せられない。
アイビーは瞳だけでラシャンを見ると、ラシャンの顔は能面顔になっているし、瞳は死んだようにくすんでいた。
「今年こそは聖夜祭も祝福祭もご一緒にお祝いできると思っていましたのに、妹が殿下の婚約者になられてお忙しくて無理だったようで、とても残念でした。でも、これからは同じ学園に通えますものね。たくさんお会いできると思うと嬉しいです」
女の子1人が、ずっと話している。
ラシャンは、一切返事をしないようだ。
アイビーが代わりに会話してもいいかもと思ったが、パーティーで会わなかった女の子だから名前さえも分からない。
「そちらの方が、将来私の妹にもなるアイビーですね。可愛らしい子ですね。でも、学園に入学する淑女になったのですから、もうお兄様と手を繋ぐのはお止めになったらいかがですか? 小さな子供みたいで恥ずかしいですし、ラシャン様の隣は婚約者の私の場所ですよ。それとも、お兄様を取られるのが嫌で、腹いせに私を虐めたいのですか?」
何を言われているのか分からなくて、盛大に首を傾げた。
ラシャンには婚約者はいないと聞いているから、虐めるも何もない。
それに、小さくはないがまだ子供なので、手を繋ぐことを恥ずかしいと思ったことがない。
「学園内だからといっても失礼極まりないな。シャトルーズ子爵と子爵令嬢」
「すすすみません……」
クロームの地を這うような声に、男性はますます背中を丸くして謝ってきた。
——シャトルーズ……シャトルーズ……あ! 昔は仲が良かったけど今は仲が悪くて、お兄様の婚約者を勝手に名乗っているお家だわ。
「何度も断っているのに、勝手に婚約者だと言うのはやめてくれ。迷惑だし、これ以上言い募るようなら訴えるからな」
「まぁ! クロームおじ様は、どうしてそんなことを仰るの? ラシャン様に相応しいのは私だけですわ」
「君のような頭が空っぽで可愛くもない女の子が、ラシャンに似合うわけないだろう」
——お父様が! お父様が女の子を貶した! いつかのお兄様にも驚いたけれど、お父様までハッキリと告げるなんて信じられない! うわー、帰ったらチャイブに報告しよう。
女の子は瞬時にりんごのように真っ赤になって、瞳を潤ませながら自分の父親の服を掴んだ。
「お父様! 何か言い返してください! いくらおじ様でも失礼すぎます!」
「レネット、落ち着きなさい」
「どうして怒ってくださらないんですか!」
「まだ婚約が成立していないのは本当のことだ」
クロームから、わざとらしい重たい息が吐き出される。
「まだじゃない。婚約なんて一生成立しない」
突き放すような鋭い声に、シャトルーズ子爵は体を震わせながら娘の肩を掴んだ。
クロームは尖った瞳を和らげ、優しくて温かい手をアイビーの背中に添えてきた。
「アイビー、ラシャン、帰ろうか。挨拶さえ真面にできない人と、君たちが話す必要はないからね」
ほんわかした声に変わったクロームに、背中に添えた手で歩くように促される。
小さく頷いたラシャンに手を引かれたアイビーが歩き出すと、冷めた顔をしたカディスとレガッタも歩き出した。
後ろから「お待ちください!」という声が聞こえてくるが、誰の足も止まらないのでアイビーは背中側を気にしながらも歩き続けた。
たいへんお待たせしました。第2章、はじまります。
アイビーたちが織りなす誰かを大切にする日々を楽しんでもらえたら幸いです。
それと申し訳ございませんが、平日毎日投稿だったのを、火曜日と金曜日のお昼更新に変更いたします。
無理のない範囲で、楽しく執筆していけたらと思いますので、ご了承のほどよろしくお願いいたします。
読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。
どうか第2章も最後までお付き合いくださいませ。




