65 .文通
カディスがヴェルディグリ公爵家に足繁く通っている、という噂が流れはじめた。
通う理由は、キラキラしい服を着て、薔薇の花束を持ち、花束に口づけているポーズをとるため。
陛下を治癒してもらったお礼に、「絵を描きたい」というアイビーの願いを叶えるためである。
だが、理由を知らない周りからすれば、カディスがどれだけアイビーに溺れているのか判断する材料の1つになるはずだ。
パーティーでは仲睦まじい姿を見せているし、これほど愛してやまないのなら割り込むことはできないんじゃないかと思わせるには十分だろう。
「心をすり減らしているけど、これでよかったんだと思うよ」
くたびれたように吐露されるが、集中しているアイビーには届いていない。
ただ、カディスとアイビーを必要以上に近づけたくなくて、毎回アトリエに居座っているラシャンには聞こえていた。
「殿下、大丈夫ですよ。似合ってます」
「うるさいよ。これくらいのことならラシャンがすればよかったんだよ」
「僕も提案しましたよ。でも、僕は王子様というより神様や天使という幻想物に近いらしいです。だから、違うと言われました」
「なんだろう。ムカつくね」
いつもなら拗ねるくらいはしそうなのに、カディスは口にしただけと分かる口調だった。
遠い目をしていることから、慣れないことをして相当疲れているんだろうと予想できる。
微苦笑したラシャンが、周りの音が聞こえていないほど没頭しているアイビーに「休憩しない?」と声をかけて、小休憩を挟むことになった。
カディスとしては、自分の趣味ではない恥ずかしい格好をできるだけ早く終わらせたいから休憩しなくてもいいという思いと、初回に比べれば羞恥心は少なくなっているから体を動かすために休憩したいという気持ちがせめぎ合っている。
アイビーとしては、描きたかった絵を描けて嬉しい限りである。
今日はラシャンが声をかけてくれたが、いつもは頃合いを見てチャイブが休憩を促してくれる。
そのため、部屋の一角にきちんとしたソファセットが置かれるようになった。
アイビーとラシャンは行儀よく並んで座り、カディスは体を解すように動かしてから腰を下ろしている。
「もう少しで完成しますから頑張りましょうね」
「分かってるよ」
元気なアイビーの言葉を流しながら、乾いた笑いを浮かべたカディスは制作途中の絵に視線を向けた。
「まぁ、でも、上手に描いてもらえてよかったよ。完成したらレガッタを呼んであげて」
「はい」
「アイビー、殿下の絵はどうするの?」
アイビーは頬に指を当てながらカディスを見やるが、カディスに顔を左右に振られる。
あげようと思っていたが、本人はいらないらしい。
「コレクションとして置いておきます」
「うん、そうして。レガッタ以外の人には見せないでね」
「王子様然としてカッコいいですよ」
心からそう思っているので、嫌味ではなく褒めている。
だけど今もカディスは、アイビーの隣で小さく笑っているラシャンを恨めしそうに睨んでいる。
カッコいいも可愛いも言われたいっぽいのに、王子様は嫌だなんて謎だ。
——どうして消極的になるのかな? 本当に、カディス様は王子様が似合うのに。喜んで胸を張ればいいと思うんだけどな。
迷宮入りしそうな難解に、アイビーは「カディス様の歪んだ美的感覚のせいなのかも」と閃いて、密かに納得していた。
「あ、そういえば、カディス様にご報告があるんです」
「なに?」
「バイオレット・メイフェイアさんから、お手紙が届きました」
「は?」
目を皿にするカディスに、ラシャンは大きく頷いている。
昨日ラシャンも同じように固まっていたから、カディスの気持ちが手に取るように分かるのだろう。
クロームやポルネオは、眉間に皺を深く刻んで手紙を睨んでいた。
手紙はシュヴァイとチャイブによって徹底的に調べられてから、アイビーの元に届けられた。
封は開いていたが、アイビーは特に気にせず受け取っている。
隠すことは何一つとしてないし、心配をしてくれる大切な人たちの安らぎの方が大事だからだ。
「内容を知りたいから見せてもらえる?」
「こちらでございます」
きっとそう言うだろうと思い、用意していた手紙をチャイブがカディスに渡してくれる。
文字を追っているカディスの視線はとても冷めていて、さっきまでの和やかさは1ミリも感じない。
「なにこれ?」
「同年代の友達がいないから文通しませんか? というお誘いです」
「読んだから分かっているよ。僕が言いたいのは、どうしてこんな発想になるのかだよ」
アイビーとラシャンは顔を見合わせてから、まるで双子のように首を傾げた。
カフィーを探していたバイオレットが、アイビーに接触してきた。
とても重大な事件の前触れのように思えるが、どうにもこうにもバイオレットの目的が分からない。
こちらが警戒しているとは考えないのか? 考えた上での接触なのか? ならば、何のために?
そんな内容をクロームたちが話していたが、結局答えは出なかったのだ。
「分かりませんが、私は文通してみようと思っています」
「本気?」
「はい」
カディスは顔に皺を寄せながら首を捻った後、視線をアイビーとラシャンに戻した。
「師団長は賛成しているの?」
「父様は『やってみるのもありか』と言っていましたが、最終決定は陛下に仰ぐそうです」
「まぁ、そうなるよね。相手は意味不明な子だもんね」
「僕も文通に賛成です。ただし、僕の字で送ることが前提ですが」
「アイビーの筆跡を利用されないためだね」
「はい。予防線を張りつつ、相手の出方を探るにはいいんじゃないかと思うんです」
「一理あるかもね。本当に謎すぎる存在だから」
その後は、昨日クロームたちが話していた会話と変わらない不可解な点の話をしていたらカディスが帰る時間になってしまい、カディスが絵のモデルをする日が1日伸びてしまったのだった。




