62 .ダンスの申し込み
挨拶がひと段落ついてジュースを飲んでいると、ラシャンがアイビーを褒めにやってきた。
「可愛かったよ」「立派だったよ」「さすがアイビーだね」「アイビーは天才だね」「最高に素敵だよ」と労われ、アイビーは疲れが癒やされていく心地だった。
「アイビー、もうひと頑張り頼むよ」
面倒臭そうにカディスに言われ、不思議に思いながらカディスの視線を追うと、ボッシュ・スペクトラム公爵とダフニ・スペクトラム公爵令嬢が向かってきていた。
——あれ? 猫目の可愛いルージュさんがいないわ。
周りを見渡すが、ルージュらしき女の子の姿は見当たらない。
「カディス、おめでとう」
「カディス殿下、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ボッシュとダフニのお祝いの言葉に対して、カディスの声色は冷たい。
話し相手によって態度をあからさまに変えるカディスに、アイビーは密かに「カディス七変化発動。警戒。警戒」と心の中で遊びはじめていた。
2回目にして、早くもパーティーに場慣れしたアイビーである。
「あの、今年は、たくさんのラルテキルルを蕾にすることができました。その、殿下のこれからの繁栄を願って1つお贈りさせてください」
「アイビーに誤解されたくないから贈らないで。迷惑だよ。それと、繁栄じゃない。清栄だから。勉強不足なら使わない方がいいよ。バカが分かる」
——わーお!
ついついいつもは使わない言葉を思い浮かべてしまったアイビーだが、ラシャンは横で飲み物のお代わりをもらっている。
——お兄様が驚いていないってことは、このカディス様が普通なの? 「カディス七変化、嫌悪。嫌悪」じゃなくて、間違って使ったら恥ずかしいよって教えてあげたってこと? でも、ものすっごくバカにしたような言い方だったよ。ダフニさん、真っ赤になって俯いちゃったもん。
気不味い空気を破るように、ボッシュが豪快に笑い声を上げた。
「すまんな。きちんと勉強するように後で叱っておく」
「ご、ごめんなさい」
ダフニは体を震わせて縋るようにカディスを見るが、カディスは視線さえ向けていない。
ボッシュは蔑むような目をして鼻で息を吐き出した後、見間違いかと思うような朗らかな笑みを浮かべた。
「今日はルージュが風邪で寝込んでしまってな。カディスを祝いたいと、うわ言のように言ってるんだ。今度、席を設けさせてくれ」
「お祖父様、気持ちだけ受け取っておきます。1つでも受けてしまうと公平に他も受けなくてはならないですから」
「ヴェルディグリ公爵家でも、そういう場はないのか?」
「ありませんよ」
「そうか。ならば仕方ないか。ルージュには言い聞かせよう」
「そうしてください」
カディスが、アイビーをエスコートするために手を差し出そうしてきた。
この場を切り上げて、2人から離れようとしているのだろう。
しかし、その前にボッシュが、ダフニの背中を押してカディスに近寄らせた。
「カディス。よかったらダフニと踊ってやってくれないか?」
「よ、よろしくお願いします」
カディスは片眉を上げてわずかに顔を顰めたが、ダフニは恥ずかしそうにカディスを見つめている。
「アイビー以外とは踊りません。諦めてください」
耳まで真っ赤にしたダフニは俯き、ドレスのスカートを握りしめた。
「そんなことしていいのかなぁ?」と呑気に思っていたら、ボッシュからアイビーに言葉の矢が放たれた。
「ヴェルディグリ公爵令嬢。カディスを貸してやってくれないか? まさか国母になるかもしれん女の子の心が狭いなんてことはあるまい。カディスが選ぶくらいなんだから心優しいのだろう。少しくらいよろしいな」
断るのなら、嫉妬心剥き出しで心が狭い性格が悪い子、と言われているのと一緒だ。
度量を試されている。
アイビーは、パチパチと瞬きをしてから柔らかく微笑んだ。
「申し訳ございません」
国母になりたい、国母になるために育てられている令嬢なら、心を無にして婚約者を送り出しただろう。
でも、アイビーが演じているのは国母になる令嬢ではなく、カディスと燃える恋をしている婚約者だ。
ならば、独占欲がある方がしっくりくるし、何よりカディスが断っているのにアイビーが了承するのはおかしい話だ。
それこそ、カディスに対して優しくない。
「カディス様がどなたかと踊られるなんて、悲しくて泣いてしまいそうですのでお断りさせていただきます。他の方と触れ合っている姿を見たくありませんから。それと、カディス様は私の婚約者ですが、私のモノではありませんので貸す貸さないということはできません。ご希望に添えなくて申し訳ありません」
威嚇するように言えば萎縮して了承すると思っていたボッシュは、堂々と言い返してきたアイビーを呆けるように見ている。
「……我が儘じゃない? カディス様に似合わないわ」
掠れる声で溢したダフニの言葉に、ボッシュが一時停止から再生された。
ボッシュがダフニの肩に手をおくと、ダフニはハッとしたように手で口を隠した。
「ヴェルディグリ公爵令嬢、失礼な申し入れをして悪かったな」
「いいえ、気にしていません」
「カディスは愛されていて幸せだと分かり嬉しいぞ。では、カディスが無理というならラシャン公子、ダフニと踊ってやってくれないか? ダフニの初めてのダンス相手は、きちんと選んでやりたくてな」
——ダンスが嫌いなお兄様にお願いをしても無理だと思うけどな。前回も踊っている姿を見なかったし、今回も「全部断っているよ。アイビー以外と踊りたくないんだ」って言ってたもの。
ラシャンが綺麗に微笑んだので、「もしや公爵家相手だから受けるのだろうか」と聞き耳を立てている誰もが思った。
「僕は、僕と並んでも見劣りしない令嬢なら踊りたいと思っています。しかし、ダフニ公爵令嬢は、全てにおいて僕と釣り合いません。お断りさせていただきます」
——わーーーーおーーーー!
本日2回目の普段使わない言葉で仰天したアイビーである。
ボッシュやダフニはもちろん、周りの人たちも固まっている中、アイビーは笑いを堪えているカディスとラシャンにエスコートされて、その場を後にした。
「お兄様。お兄様と釣り合える女性は、この世に存在しないですよ。お兄様はこの世のものじゃないほど可愛くて綺麗なんですよ」
「ふふ。アイビー、ありがとう。でも、アイビーなら僕と釣り合うでしょ」
「はい。私は、ほんの少しだけお兄様に勝っていますから」
「そんなことないよ。僕はアイビーの足元にも及ばないよ」
「そんなことありません。ほんの少しの差ですよ」
白けた顔をしているカディスが視界に入らないアイビーとラシャンだった。
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