56 .可愛いは簡単に減る
愛おしそうに目を細めるラシャンに優しく頭を撫でられて、アイビーは幸せそうに微笑んだ。
「アイビー、挨拶頑張ってたね。えらいよ」
「嬉しいです。ダンスも頑張ります」
「うん、ずっと見てるよ」
ラシャンがアイビーの横に座ろうとした時、数人の女の子がやってきた。
その中に、身を縮めた状態のダフニ・スペクトラムもいた。
ダフニは、今日も怯えているように見える。
先頭を歩いている女の子は、セピア色の髪を緩やかに巻いていて、オレンジ色の瞳をしている。
服装も化粧もとても華やかだから、周りは褒めただろう。
だが、アイビーの注目場所は違った。
着飾っている外見よりも、「重くて大変そうなのに真っ直ぐ歩いている」という女の子の根性に感嘆していた。
彼女らは目の前で止まると、ラシャンやカディスに向かって恭しく頭を下げてきた。
——あれ? お兄様もカディス様も笑顔が消えたわ。仲が悪い人たちなのかな?
「殿下、ご婚約おめでとうございます」
——ん? カディス様、話しかけられているよ。無視していいの?
「ラシャン公子様、本日もお会いでき嬉しく思いますわ」
「そう」
——ん? お兄様、素っ気なさすぎない? 顔を向けようともしないけど、いいの?
「そして、アイビー・ヴェルディグリ公爵令嬢。初めまして。私、マーリー・バーチメントと申します。以後、お見知り置きください」
「丁寧にありがとうございます。アイビー・ヴェルディグリです。よろしくお願いいたします」
椅子から立ち上がってカーテシーをした後に、柔らかく微笑んでみた。
マーリーの側にいる令嬢たちは頬を染めているが、マーリーは表情を崩さないし、ダフニは視線を逸らしている。
斜め前で転けていたはずのイエーナは、いつの間にかいなくなっていた。
マーリーがもう1歩アイビーに近づこうとしてきたが、それより早くカディスが立ち上がり、マーリーとの間に入ってきた。
「アイビー、そろそろダンスの時間だ。行こう」
「はい、カディス様」
カディスの手に手を添えて歩き出すと、ラシャンもアイビーの横をついてくる。
「え? あの、ラシャン公子様、あの」
追い縋ろうとしているマーリーに見向きもしない2人が、アイビーには不思議で仕方がない。
「お兄様、よろしいのですか?」
「うん。アイビーは気にしなくていいよ。ダンス見ているね」
ラシャンもカディスも機嫌が悪くなったように思えない。
さっきの不機嫌が嘘みたいに、アイビーにはいつも通り接してくれてくれている。
だったら、ただ単にマーリーとは仲が悪く、冷たくしていただけなのだろう。
壁際の小休憩から中央に戻ってきたアイビーとカディスに気づいた進行役の人が、ダンスタイムを拡声器でアナウンスしている。
今日の主役がダンスを披露した後に、参加者は自由に踊れるようになるので、まずはアイビーとカディスが踊らなければいけないのだ。
仲の良さをアピールする時間でもある。
アイビーは、ラシャンと微笑み合ってから、カディスと中央に向かって歩いていく。
向かい合わせで立つと、音楽が変わった。
夥しい数の視線を集めながら、しっかりとした足捌きで踊り出す。
「全く緊張しないなんて……なんか、もう……さすがだよ」
カディスから賞賛と共に息が吐き出され、アイビーは勝ち誇ったような笑みを向ける。
その顔がツボに入ったのか、練習の時同様、カディスに愉しそうに笑われた。
いつもなら拗ねるところだが、注目されている今笑顔を絶やすことはできない。
それに、カディスに笑われることに慣れてしまった感もある。
もっと言うなら昔から「些細なことで怒るのはブスがすることだ。ブスになりたいなら怒ればいい」とチャイブに言われている。
「私は怒っても可愛いもん」と反発したら、「馬鹿だな。貯金と同じで、可愛いは簡単に減るんだぞ」と、財布の中のお金の半分がお酒1本で消えた。
「ほら、簡単になくなるだろ」と口角を上げていたチャイブは、本当に悪魔のように恐ろしかった。
可愛いは、お金と一緒で価値があるもの。
お金をスラれることと、可愛い子が誘拐されることは同じこと。
だから、可愛いはお金と一緒で一瞬で消える。
極め付けに「ブスになったら優しくしてもらえなくなるぞ」と付け加えられ、恐怖で体を震わせたものだ。
拗ねるくらいで注意されることはなかったが、よくよく考えてみれば「カディス様は美的感覚がないのだから、拗ねること自体間違っていたんだわ」と思い至ったという点が大きい。
アイビーは、まだ笑っているカディスを無視して、気になっていたことを尋ねた。
「先ほどの女の子たちなんですが」
「あ、ああ。あの子たちね」
「仲が悪いのですか?」
「仲が悪いというより、ただ同じ学園に通っている子って感じかな」
「嫌いとかじゃないんですね」
「嫌いだよ」
「え?」
「あの子ね、婚約パーティーの招待状を送るまでは、僕に纏わりついてたんだよ。僕との婚約を狙ってね。でも、僕とは無理になったからラシャンに路線変更したんだ。親の指示なのか本人の意思なのか分からないけど、僕もラシャンもいい気しないよね。彼女たちが見ているのは、王子と公子という肩書きだけなんだから」
感情のない声で話すカディスに、アイビーは小首を傾げてから堂々と言い切った。
「安心してください。きっとそこに見た目も含まれていますよ」
吹き出すように笑うカディスは、さど珍しいのだろう。
招待客たちは皆一様に驚きながら、楽しそうに踊っている息の合った華麗なダンスに見入っている。
しかしその中で、憎むような鋭い視線を送っている者もいたのだが、アイビーたちが視線を攫っている状況では横にいた者でさえ気づいていない。
「君からすれば、僕の見た目は平凡だと思ってたよ」
「私やお兄様と比べたら平凡だと思いますが、他の方と比べられればカッコいいと思いますよ」
「本当に……ったく。まぁ、いいや」
呆れたように息を吐き出されたが、カディスの楽しげな雰囲気は消えない。
言い返されると思っていたアイビーは虚をつかれ、カディスの顔を必要以上に見つめてしまい、クロームとラシャンの心を乱してしまったのだった。
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