53.手を繋いでもいいでしょうか?
アイビーが目を覚ますと、少しだけ目元が赤いラシャンに微笑みかけられた。
体躯に伝わってくる振動や見える景色に、馬車の中だと分かった。
体は隣に座っているクロームに支えられていて、手はラシャンに繋がれている。
そして、目の前にはチャイブとルアンがいる。
「アイビー、おはよう」
「おはようございます」
嬉しそうに「ふふふ」と笑うラシャンに、アイビーは首を傾げた。
「とっても可愛いよ。僕の妹は本当に可愛い」
「そうだね。愛らしすぎて心配なくらいだよ。いいかい、アイビー。知らない人についていってはダメだよ」
2人がどうして今そんなことを言うのかよく分からなかったが、自分が誘拐を警戒するほど可愛いことは知っているので頷いておいた。
微笑んでいる2人を見つめ続けても有益な情報が得られず、本当に状況が理解できない。
何をしてたっけと途切れてしまった記憶を辿り、ラシャンにプレゼントを差し出されたことを思い出した。
——私……そっか、泣いて眠ってしまったんだわ……
「泣いてしまってすみませんでした……」
「少しびっくりしただけだから気にしないで。きっとお祖父様もお祖母様も同じ気持ちだよ。ね、父様」
ラシャンが見上げる視線を追ってクロームに顔を向けると、クロームは柔らかく微笑みながら頷いてくれた。
ラシャンとクロームの優しさに安堵して心が緩んだからか、きちんとお礼を伝えられなかったことをハッと思い出した。
慌ててラシャンに向き直ると、ラシャンは不思議そうにアイビーを見てきた。
「お兄様、プレゼントありがとうございました。とっても嬉しかったです」
「そう言ってもらえて嬉しい。帰ったら一緒に全部開けようね」
「はい」
笑顔で頷くアイビーに、ラシャンは幸せそうに目尻を下げる。
アイビーは、正装していると分かるラシャンとクロームに視線を巡らせ、光沢ある手袋をしている自分の手とサファイアが散りばめられているドレスを見た。
こんなに眩いドレスをいつ着たんだろう、と奇怪すぎて仕方がない。
馬車の中だから出かけていることは分かる。
ということは、今日のメインイベントである婚約パーティー会場に向かっているということだろう。
「ルアンが着替えさせてくれたの?」
向かい側に座っているルアンに問いかけると、顔を蕩けさせながら頷かれた。
どうやら余程満足いく仕上がりになっているようだ。
「寝てたから大変だったよね。ごめんね。ありがとう」
「いいえ、全く問題ございません。お嬢様が眠られているくらいで支度ができないなんて、そんな侍女は侍女失格です」
「そうなの? きっとルアンが優秀なのよ。本当にありがとう」
愛々らしく微笑むと、顔を真っ赤にしたルアンは興奮しながら座椅子を叩きはじめた。
チャイブに「やめなさい」と注意され、「発作を抑えられません」と訴えている。
「アイビー。アイビーが着ているドレスや履いている靴は、カディス殿下からのプレゼントだよ。【誕生日おめでとう】というカードも添えられていたよ」
「はい、お父様。カディス様にお会いしたら、お礼を伝えます」
「うん。今日が終わったら売っていいからね」
クロームの優しさが溢れている顔と怒りを含んでいるような言葉が合っていなくて、アイビーはキョトンとする。
ラシャンが大きく何度も頷いていて、チャイブとルアンは苦笑いをしている。
「王家の色を、ふんだんに使ったドレスなんて売っていいよ。どうせ二度と着ないんだからね」
「着ないのですか?」
——ものすっごく高そうなのに1回限りなの?
「何度も同じドレスを着ると、財政難だと見られて侮られるからね。ほとんどの洋服は大切に仕舞っておくか、どこかに飾るかになるよ。でも、そのドレスは売っていいよ」
説明してくれるクロームにアイビーは瞳を瞬かせるが、横でラシャンは「うんうん」と首を縦に動かしている。
これまでも、貴族と平民の差にびっくり仰天することはあった。
「貴族はすごいなぁ」と流しながら、贅沢に慣れるように頑張っていた。
だからもう驚かないと思っていたのだが、たった1回しか着ないドレスがあるなんてと本気で信じられなかった。
アイビーは、中々飲み込めないお金の使い方に、目がはっきりと覚めたのだった。
王城に着く少し前に目覚めたようで、馬車の中でチャイブが用意をしてくれていた軽食を食べている間に到着した。
チャイブから降りて行き、最後にアイビーが降りる。
外に出たアイビーは、恥ずかしそうにラシャンを見上げた。
「お兄様、その、手を繋いでもいいでしょうか?」
耳を疑うかのように「ん?」と顔をわずかに前に出したラシャンは、頬を淡く染めているアイビーを見て飛び跳ねた。
大好きな妹から、初めてお願いのようなものをされたのだ。
顔の原型が分からないほど、顔を溶かしてしまっている。
「もちろんだよ!」
「ラシャンだけずるいよ!」
ラシャンとクロームの声が被り、有頂天になっているラシャンと、落胆しているクロームを交互に見たアイビーはクスクスと笑いだした。
色んな笑顔のアイビーを見てきたが、可笑しそうに笑うアイビーを見るのは初めてで、ラシャンとクロームは潤ませた瞳を合わせている。
家族だから壁なんてないと思っていたけど、チャイブの言葉を聞いて、アイビーは無理をしているんじゃないかと考えていた。
気づいてあげられなかったと反省していた。
だから、今まで見てきたどのアイビーよりも自然体に感じられて、2人は実に嬉しかったのだ。
手を取り合って踊りだしたいほど、心の中は舞い上がっている。
アイビーはアイビーで、ラシャンやクロームたちに1歩近づけたような感覚だった。
家族だと分かって嬉しかった。家族に会えて喜んだ。
でも、どこかで距離を測っていたのかもしれない。
それが朝泣いたことで、全て流れて消えたような気がする。
「では、右手はお父様。左手はお兄様。繋いでください」
笑顔で手を繋ぐ親子を微笑ましく眺めながらチャイブは「控え室に向かうマナーとしてはダメだけど、裏口からだし目を瞑るか」と瞳を細めていた。




