5.僕の本当の姿
「いってーな。まだいいだろ」
「ダメに決まっているだろ。まぁ、長い間休んでいたみたいなものだからな。ヴェルディグリ公爵家の執事として恥ずかしくないように、もう1度鍛え直してやろう」
「今からちゃんとするから、お断りする」
親密さが表れているやり取りを眺めていると、向かい側から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「この屋敷も賑やかになるな」
「そうね。嬉しいわ」
微笑み合っている老夫婦の姿を見て、何だか心に火が灯った気がした。
今まで1度も感じたことのない嬉しさだ。
どう表現したらいいのか? どうしてこんな気持ちになるのか? 分からない。
「チャイブ。父親との再会を喜んでいるところ悪いが、そろそろ紹介してくれないか?」
「喜んでいませんよ。この年になっても説教してくるんですから」
頭を掻きながら答えているチャイブは、また背中を殴られている。
カフィーは、素知らぬ顔でお茶を淹れはじめたジョイを見た。
——親子だったんだ。チャイブとなんとなく似てるから、会ったことある気がしたんだ。
チャイブの父親ということに、ジョイに対しての警戒心は薄れていく。
カフィーに見られていると気づいたジョイに微笑まれ、ローブの帽子ではっきりと見えていないと分かっているが、カフィーも笑顔を浮かべた。
お茶が老夫婦とカフィーの前に置かれ、ようやくチャイブがカフィーに話しかける。
「カフィー、帽子を外してください」
敬語になったことに寂しさを覚えたが、今は浸っている場合じゃない。
カフィーは、ゆっくりとローブの帽子を脱いだ。
「おおおお! 天使じゃないか!」
「なんて可愛らしいんでしょう!」
涙を浮かべる老夫婦と初めて目が合い、言葉にされなくても分かった。
状況的に理解していたが、頭ではなく心が悟ったのだ。
この老夫婦は、自分の祖父母なのだと。
「今から姿変えの魔術を解きます」
チャイブが指を鳴らすと、穏やかな風が吹いた気がした。
カフィーを注視している老夫婦の瞳が、段々と潤んでいく。
「色が戻っただけで、ここまでティールそっくりに見えるとはな」
姿変えの魔術は解かれたが、カフィーとチャイブの姿形は変わらない。
ただ、髪と瞳の色が本来の色に戻ったのだ
チャイブは、ジョイと同じココアブラウンの髪とモスグリーンの瞳。
カフィーは、ライムイエローの髪とエメラルドグリーンの瞳に。
といっても、カフィーはまだ自分の本来の色を知らない。
チャイブが魔術を解くのは、今日が初めてなのだから。
「ええ、ええ。あの子も見続けたかったことでしょう」
寄り添い泣いている祖父母から、どれだけ母親を愛していたのか伝わってくる。
「あの腐れ王太子のせいで、アイビーの成長を見れなくて本当に悔しいのぅ」
「何度不慮の事故で死ねばいいのにと思ったことでしょうね」
「アイビー?」
もしかしてと思った時に、チャイブがしゃがんで視線を合わせてきた。
「あなたの本当の名前ですよ。アイビー・ヴェルディグリ公爵令嬢」
「もう男の子のふりもしなくていいの?」
「はい。10年もの間、苦労させてすみませんでした」
ふるふると顔を横に振ると、チャイブが微笑みながら立ち上がった。
「あなたのお祖父様がポルネオ・ヴェルディグリ前公爵で、お祖母様がローヌ・ヴェルディグリ前公爵夫人になります」
「……お祖父様とお祖母様」
アイビーの呟きに祖父母は立ち上がって、アイビーを抱きしめにきた。
柔らかく、それでいてしっかりと腕の中に閉じ込められる。
「会いたかったぞ」
「これからは一緒に暮らしましょうね」
チャイブが抱きしめてくれることはあったが、その温もりとは違う感覚が体を占めていく。
「はい」と返事をしたいのに、喉がつかえて声が出てきてくれない。
代わりに涙が溢れてしまう。
チャイブがいたから淋しいと思ったことはない。
でも、家族を羨ましいと思ったことはある。
自分にも温かい家族がいるということが、抱きしめられている腕から伝わってくる。
優しい面持ちをしたジョイとチャイブに見守られ、ヴェルディグル公爵家の3人は数分間お互いの存在を確かめていた。