47 .ダンスの練習
アイビーは、ラシャンと共に王城を訪れた。
チャイブとルアンと護衛騎士数名が、付き添いで登城している。
今日の目的は、約1ヶ月後に迫った婚約パーティーのダンスの練習になる。
はじめはヴェルディグリ公爵家で行う予定だったが、「陛下の体調が芳しくない」とカディスから手紙をもらい、それならダンスの練習を言い訳に登城しようということになった。
普通に会いに来てもいいのだが、噂をしやすい話題があった方が他のことを勘繰らないだろうという理由からだった。
今回は、陛下への贈り物の箱の中に蝶を忍ばせる予定になる。
贈り物は帰りにチャイブからフィルンに渡し、夜にカディスが陛下に持っていくという手筈だ。
本当にお酒を包んでいるので、贈り物を問われても答えられるようにしている。
馬車から降りると相変わらず周りが騒ついたが、アイビーは笑顔を振り撒いて1人残らず骨抜きにしながら歩を進めた。
「アイビー、絶対に僕から離れちゃダメだよ」
「はい、お兄様。絶対に離れません」
辺りを警戒しながら歩くラシャンは、アイビーの手をしっかりと握ってくる。
セルリアン王家から、カディスとアイビーの婚約パーティーの招待状が送られてからというもの、貴族たちの話題はアイビーに集中していた。
前回父のクロームと登城した時にアイビーを拝めた人たちから、アイビーの見目を絶賛する話が出回っている。
その影響もあり、学園でもラシャンやカディスに尋ねる者、外出が1番多いクロームを捕まえて話を聞こうとする者、タイミングを見計らって両陛下に問う猛者など、様々な者たちがアイビー・ヴェルディグリ公爵令嬢を暴こうとしている。
アイビー宛てのお茶会の招待状も数えきれないほど届いた。
ヴェルディグリ公爵家と親交のある家にのみ、婚約パーティーでお会いしましょうと断りの手紙を返している。
記者と名乗る者たちがヴェルディグリ公爵家の門番に追い払われることは、門番担当の日常になっている。
今日は馬車の前に飛び出そうする記者がいて、門番が怒鳴りながら取り押さえていた。
とても迷惑だったからか、チャイブが「クローム様に伝えて、新聞社を潰してもらいましょう」と冷たく放っていた。
ラシャンとルアンが同意していたので、飛び出してしまった記者の会社は、数日後には本当に潰れているかもしれない。
そういう一連の出来事があり、ラシャンの警戒心は馬車を降りた時から最高潮に達しているのだ。
王宮の侍従が案内してくれた部屋は、グランドピアノとソファとローテーブルが置かれているだだっ広いホールだった。
床は綺麗に磨き上げられていて、顔を近づけたら鏡のように映してくれそうだ。
案内してくれた侍従はすぐに下がり、アイビーとラシャンは入口近くにあるソファに腰を下ろした。
「アイビー、疲れてない? アイビーが可愛いからって、みんな見てきすぎだよね」
「大丈夫です。お兄様は疲れてしまいましたか?」
「僕は慣れているから問題ないよ」
「お兄様も可愛いですもんね」
「アイビーには負けるよ」
「でも、僅差ですよ」
アイビーが、親指と人差し指でくっつくかくっつかないかくらいの隙間を作った。
ラシャンはクスクス笑った後、「もっと差があるよ」とアイビーの人差し指を摘んで上げようとする。
「ないですよ」「あるよ」と言い合っていると、カディスとレガッタがダンスの先生と数人の侍従や侍女と護衛騎士を連れてやってきた。
初めてアイビーを見る人たちが息を飲み込んでいるが、アイビーたちは気にしない。
軽く挨拶をし、アイビーは持ってきたヒールがある靴に履き替える。
「アイビー、ヒールがある靴には慣れた?」
「全然です。でも、走れるようにはなりました」
思いもよらない返答に、問いかけたカディスはキョトンとした。
ヒールで走れるようになったことは、どれだけ努力し慣れ親しんだか分かりやすい表現だ。
だが、普通令嬢は走らない。走ってはいけない。
お淑やかさが美徳とされている。
それを、自信満々に言ってくるアイビーが、ブレない少女すぎて笑いが込み上げてきた。
小さく肩を揺らしているカディスに手を差し出され、アイビーは首を傾げながらカディスの手をとった。
カディスにエスコートされながら、部屋の中央に向かって歩いていく。
「お兄様におうかがいしたんですが、カディス様はダンスがお嫌いなんですか?」
「好きでも嫌いでもないよ。ただやたら体を密着させようとしてくる女性が苦手なだけ。ラシャンも似たようなこと言ってない?」
「お兄様は、私以外とのダンスはお嫌いだとはっきり仰ってました」
1拍ためたカディスが、呆れたように息を吐き出した。
「ラシャンがこんなにも妹に甘いなんてね。本当に面白いよ」
ラシャンを馬鹿にされたような気がして、アイビーはムッとしながらカディスを見上げた。
でも、口調とは裏腹にカディスの目元が楽しげに緩められていて、相当ラシャンが好きなんだと伝わってきた。
胸に温かいものが流れてきたアイビーは、柔らかく微笑んだのだった。




