43 .陛下の体調
そこまで時間をかけずに、フィルンは陛下を連れて戻ってきた。
陛下は楽しげな面持ちで、先ほどまで座っていたソファに腰を下ろしている。
「婚約式のことでどうしても内密に相談したいことがあると聞いたが、何がしたいんだ?」
「すみません、陛下。そちらは嘘なんです」
「嘘なのか?」
「はい」
陛下を真顔で見つめるクロームに、陛下は笑みを消した。
優しげな印象を持っていたが、今は強面で威圧と威厳がある人だ。
きっとこれが仕事をしている時の顔なのだろう。
「私に秘密裏に話したいことがあるんだな」
「その通りです」
「聞こう」
1度小さく頷いたクロームは、落ち着いた声で話を切り出した。
「陛下、どのように体調が悪いのか教えていただけますか?」
「……バレていたか」
「そう気にされなくても、他の者たちには気づかれないと思いますよ」
「慰めてくれなくていい。もう少し気を張ることにしよう」
肩を落とす陛下に、クロームは苦笑いを浮かべていて、カディスの表情には心配が滲み出ている。
——やっぱり私のことは秘密のままなのかな? でも、内緒のままだと、どうやって治せばいいんだろ?
「どのように体調が悪いかだったな」
「はい」
「違和感を覚えたのは1ヶ月ほど前からだ。夜の眠りが深くなってな。疲れているんだろうと思っていた。その後に咳が出るようになり、動くのも億劫になる日が出てきた。ずっと怠いんだ。宮廷医に診てもらったが、どこも悪くないと言われる。原因不明だ」
「毒の検査はされましたか?」
「検査? どうやってだ?」
「陛下の血を用いて、毒を調べる魔道具で調べるんです」
「師団長!」
勢いよく立ち上がりかけたカディスを、陛下が手で制した。
カディスは、拳を震わせるほど強く握りしめている。
「私とて、その行いが悪いことだと理解しています。でも、私たちが目で見て分かる検査方法です」
「それは宮廷医を信じるなということか?」
「どうでしょうね。陛下は毎食毒を調べられていると思いますが、それをすり抜けるほどの微量を盛られ続けているとしたら、宮廷医が診た時はまだ症状がなかっただけかもしれません」
「あり得るのか……いいだろう。血で調べよう」
唇を噛むカディスに、陛下は柔らかく微笑みカディスの頭を撫でた。
アイビーは、貴族に対して冷たいイメージを持っていたが、家族はもちろんヴェルディグリ公爵家に仕えているみんなも優しいし、カディスたちも嫌な人ではなかった。
陛下とカディスの雰囲気も、街と親子と変わらない。
貴族でも平民でも誰かを大切に想う気持ちは同じなんだと、カディスや陛下に勝手に感じていた壁が消えたような気がした。
チャイブが隠し持っていたナイフをクロームに渡し、クロームが「念のためナイフの検査もしてください」と陛下に渡している。
頷いた陛下は、フィルンにナイフを調べさせ、戸惑いもなく左手の人先指の指先を切った。
溢れ出す血に魔道具を近づけると、白かった魔道具は赤く色付いている。
王家側が息を飲み込む中、不思議そうに魔道具を見ているアイビーに、クロームが「毒があると赤くなるんだよ」と教えてくれた。
フィルンが持っていたハンカチを陛下の指に巻いているが、陛下はどこか放心状態だ。
「……一体どこから取り入れていたというのか」
「分かりませんが、王宮内、しかも陛下の近くに敵が潜んでいるということです」
「そうだな。公爵、教えてくれて感謝する」
「いいえ。臣下として当たり前のことです。それと、解毒をいたしますので、代わりに約束していただきたいことがございます」
「なんだ?」
「アイビーを必ず守ってくださると約束してください。難しいのなら、ヴェルディグリ領を公国として独立させてください」
息を飲んだのはカディスだ。
公国として独立なんて、話が大きすぎる。
それに、こちらは助けてもらうのに、恩を仇で返すと揶揄されているのと変わらない。
王家を信用していない、と言われているようなものだ。
膝の上で握りしめている手に力が入ってしまう。
そんなカディスとは対象的に、アイビーは瞳をパチクリさせ、「精霊魔法で治していいんだ」とホッとしていた。
クロームに言葉を投げられた陛下は、目を閉じ、苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。
深い眉根の皺が、後悔の重さを表しているように思える。
「私は、未だにティールを助けられなかったことを悔やんでいる。彼女は隣国のせいだと笑うだろうが、父を説得できなかった私のせいでもある。私をただ1人の人として遠慮なく感情をぶつけ、心というものを教えてくれたのは彼女だけだったというのに」
奥歯を噛みしめている陛下に、誰も声をかけることはできない。
しんみりとした雰囲気が部屋を支配している。
大きく深呼吸した陛下は、真面目な顔で真っ直ぐにクロームを見た。
「大切な親友の娘という理由だけではなく、全ての国民を守るのが王の務めだ。アイビーは必ず守ろう。絶対に犠牲にしない。過ちを繰り返すのは愚者だ。私は愚人ではない」
強い眼差しをクロームに向ける陛下に、クロームは柔らかく微笑んだ。
改めて父の想いを知ったカディスは、手を握りしめ唾を飲み込んでいる。
自分が受け継ぐ王位だ。
心に活を入れられた心地だった。
「ええ、陛下。陛下の言葉なら、私は信じられそうです」
「公爵にそう言われると嬉しいものだな。ありがとう」
2人の間にわだかまりがあるように思えなかったが、やりきれない想いを抱えた者同士、歩み寄れない溝があったのだろう。
今それが埋められたような感覚は、当事者のクロームたち以外にも分かった。




