42 .名前を覚えてください
カディスは力なく息を吐き出して、アイビーとクロームを見てきた。
「父上は、最近よく咳をするんだよ。公務がある時は、咳止めを飲んで止めているんだ。それに、疲れる頻度が多くなったような気がする。本人は『歳には勝てないな』って笑うんだけどね」
「宮廷医には診てもらっていないのですか?」
クロームの質問に、カディスは軽く横に首を振っている。
「もちろん診てもらっているよ。でも、問題ないって言うんだ。寒くなってきたせいで体が追いついていないだけだと思うってね。
でも、今日初めて会ったアイビーに分かるほどなんだから、やっぱり父上は何か病気なのかもしれない」
「殿下、1つおうかがいしてよろしいですか?」
考えるように俯くカディスに、チャイブが声をかけた。
わざわざ思考を遮ったのだから、どうしても確認したいことなのだろう。
「うん、いいよ」
「毒の可能性はございませんか?」
驚いたのはアイビーだけで、みんな平然としている。
「それはないよ。食べる直前に、絶対に魔道具で確認をしているんだ」
「ふとした時に飲む水とかもですか?」
「しているはずだよ」
チャイブは、訝しげに見てくるカディスからクロームに視線を移した。
「クローム様、魔道具が誤作動を起こすことはありますか?」
「ないとは言い切れないね。けど、仮にそんなことが起こったら、私の首が物理的に飛ぶだろうな」
「飛ばしてみますか?」
「不吉なことを言うな。でも、念のため今一度陛下に会って、魔道具を確認させてもらうよ」
「それがよろしいかと」
2人のやり取りを見ていたカディスは、唖然としている。
いつも大人気なく笑顔でカディスをあしらうクロームが、チャイブには簡単に折れているのだ。
クロームが優秀だと言っていたのは本当で、アイビーが誰より先に相談したことを納得した瞬間だった。
「殿下、秘密裏に陛下だけにお会いできますか?」
「魔道具を確認するだけなら、誰かに持って来させるよ」
クロームは、分かりやすく首を横に振った。
「いいえ。持ってくる者が裏切り者の可能性もありますから、陛下ご本人がいいのです」
「途中ですり替える可能性を心配するなら、フィルンに持って来させるよ」
「私は、すり替えることではなく、何かに気づいたと敵にバレる可能性の話をしているのです。城内にいるのなら勘づいて逃げるかもしれませんからね。それに、陛下に直接おうかがいしたいこともあるんですよ」
「分かったよ。僕も父上が心配だからね。フィルン、呼んできてもらっていい?」
「かしこまりました」
「くれぐれも他の人は連れて来ないように」
カディスは、殊更念押しをするクロームに違和感を覚えたが、フィルンに「師団長の言う通りに」と付け加えた。
丁寧に頭を下げたフィルンが退出する横で、アイビーはクロームに「陛下は全身真っ黒だったの」と小声で伝えた。
もちろんクロームに届くか届かないかの小声だから、周りに聞こえることはない。
今更される内緒話にカディスは怒ったのか、不機嫌そうに片眉を上げた。
何かをクロームに問おうとしたカディスよりも先に、クロームが立ち上がってチャイブと話し始めてしまった。
口は動いているのに聞こえないということは、何かの魔道具で遮っているのだろう。
カディスは、密談をする2人ではなく座ったままのアイビーに狙いを定めたようで、窺うようにアイビーに話しかけてきた。
「ねぇ、公爵やあの従者に何を話したの?」
「陛下がどのように見えたかです」
「そこまで体調不良に見えた?」
「えっと、はい、見えました。後、名前はチャイブです。私はフィルンの名前を覚えましたので、カディス様もチャイブの名前を覚えてください」
アイビーの声が思いの外真剣な声色になってしまったからか、カディスは目を点にしている。
王子相手に少し失礼だったかもしれないが、大切な人で尊敬しているチャイブをその他大勢みたいに言ってほしくない。
その想いが強く出てしまったのだ。
カディスは、まさか名前のことで注意されるなんて思っていなかった。
いつもなら話の腰を折られてムカつくところだが、今は嫌な気持ちにならない。
逆の立場なら、きっと自分は不快感を露わにしていたと分かるからだ。
唯一無二で誰よりも信頼しているフィルンを、ぞんざいに扱われたら腹が立つ。
それなのに、自分は今分からないことにイライラして、当たってしまったようなものなのだから。
「ごめん。覚えたよ」
「嬉しいです。ありがとうございます」
アイビーの笑顔に、カディスは柔らかく微笑んでいる。
アイビーは素直に謝ってチャイブを覚えてくれたことが純粋に嬉しくて微笑んでいるが、カディスは「婚約者役をアイビーにお願いしてよかった」と穏やかな気持ちが笑顔に表れただけだ。
媚びたり、取り入ろうとしたり、好かれようとする女の子ばかりで、苦言を呈されたことはない。
酷いや最低と言われたことはあっても、カディスを正そうとする言葉はなかった。
だから、アイビーとなら友達として仲間としてやっていけると思ったのだ。
「アイビー、母上は食べるとすぐに太ってしまうから食べないだけで、本当は甘いものが好きなんだよ。だから、目の前で美味しそうに食べられるのを嫌がるんだ」
「あんなに細いのは、努力されているからなんですね」
「努力なのかな? 食べたいならその分運動すればいいのにって思うよ」
「忙しいのではないですか?」
「そうなのかもね。まぁだから、母上がいないところでは食べたいだけ食べていいよ。食べてもらった方が料理人たちは喜ぶしね」
「分かりました。ありがとうございます」
アイビーは、早速ガレットに手をつけた。
バターの濃さや甘みと塩のバランスのよさに、頬が落ちそうになる。
チャイブとクロームに相談できたので、アイビーの心にしこりはない。
胸のつっかえが取れたので、思う存分味わって食べられる。
小さなシュークリームを頬張っている時に、クロームが隣の席に戻ってきた。
「アイビー、美味しいかい?」
「はい。持って帰りたいくらいです」
「料理長が聞いたら泣いて喜びそうだよ」
和やかに言うカディスに「喜んでいたと、ぜひ伝えてください」と伝えると、カディスは笑顔で頷いてくれた。
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