41 .相談相手はチャイブ
ドアが閉まると、カディスがアイビーに話しかけてきた。
「アイビー、お手洗いに案内するよ」
「いいえ、カディス様。その必要はありません」
「ん? 本当に鏡で確認したかっただけなの?」
「えっと、その、うーん……」
考え込むように視線を落としたアイビーの瞳が、ほんの一瞬王宮の侍女に向いた。
気づいたのはチャイブだけで、チャイブがカディスに提案をする。
「殿下、お嬢様は気を張りすぎてしまったようです。朝からとても緊張しておりましたから。もし可能であれば、今からの殿下との時間は、顔見知りの者たちだけでの空間にしていただくことは難しいでしょうか?」
アイビーが緊張していたなんて、もちろん真っ赤な嘘だ。
だけど、アイビーにとっては機転が効くチャイブが頼もしくて仕方がない。
顔を輝かせて大きく頷くアイビーを見て、クロームはチャイブに嫉妬を、カディスは苦笑いをしている。
アイビーと長い時間過ごしていないカディスでも、アイビーが緊張していたなんて方便だと分かる。
クロームに至っては、アイビーに何かがあったことをチャイブに先に気づかれて、ただ悔しいのだ。
「気が回らなくてごめんね。君、フィルンと交代してくれる?」
侍女は困ったような顔をしていたが、静かに頭を下げて部屋を出て行った。
ドアが閉まるなり、カディスが小さく息を吐き出している。
アイビーはカディスを気にもせず、チャイブの元まで行き、袖を引っ張った。
歯軋りしているクロームを一瞥したチャイブは、アイビーと目線を合わせるため腰を落としてくれる。
「どうされました?」
アイビーはチャイブの耳元に顔を寄せ、尚且つ両手で口元を隠した。
「あのね、陛下が黒いモヤモヤに覆われてたの。どうしたらいい?」
チャイブにも聞こえるかどうかの小声なので、耳を澄ませていようがクロームやカディスには聞こえない。
今度は、チャイブがアイビーの耳元で囁いた。
「どうされたいですか?」
「助けられるなら助けたいわ。それに、きっと助けないといけないことだと思うの」
斜め下を見て少し考えたチャイブが、小さく息を吐き出している。
そして、ゆっくりと立ち上がり、ドアに手をついた。
カディスだけが、何をしているのか分からない状況だ。
クロームが、遮音対策をしているチャイブを見ながら、小さな魔道具を内ポケットから取り出した。
「チャイブ。魔術をかけなくても、盗聴防止の魔道具があるよ」
「早く言ってくださいよ。無駄なことしたじゃないですか」
「かける前に私に相談するべきだろ」
「ああ、すみません。忘れていました」
「絶対に減給してやる」
カディスは、会話を追うようにクロームとチャイブへ視線を行ったり来たりさせている。
理解したいが、どうして今遮音だの盗聴だのという話になっているのか検討もつかない。
そもそもの発端はアイビーだ。
カディスが窺うようにアイビーを見た時、ドアがノックされフィルンがやってきた。
にこやかに頭を下げているフィルンに、クロームの隣に戻ってきたアイビーは小さく会釈している。
机の上にある盗聴防止の魔道具に気づいたフィルンが、カディスに尋ねた。
「大切なお話をされていましたか?」
「いや、たぶん今からするんじゃないかな?」
カディスは、問いかけるような視線をチャイブとクロームに向け、アイビーには深い笑みを送った。
「アイビー。チャイブに何を話したんだい?」
「えっと、その、陛下の体調についてです」
「陛下の?」
「父上の?」
クロームとカディスの言葉が見事に被るが、2人の顔は真っ直ぐアイビーに向いている。
何かに思い当たったクロームはチャイブを見たが、何も思い付かないカディスは首を傾げた。
「どうして父上や僕じゃなくて、君の侍従に聞くの?」
「殿下。検討違いなことを、陛下や殿下に尋ねるなどできませんよ。アイビーはそういう間違いを防ぐために、使用人目線でもどうだったのか聞きたかったんでしょう。彼は腹立たしいほど優秀ですから」
アイビーの代わりにクロームが答えてくれ、アイビーはホッとした。
男の子として生きてきたから多少の演技はできたとしても、嘘をつくのは難しい。
演技をしている時は、自分であって自分ではないので抵抗はない。
でも、演技をしていない時は後ろめたくなってしまい、言葉がつっかえてしまう。
だから、誰にも言ったことはないが、どんな時も焦ったり慌てたりしないチャイブがアイビーの目標だったりする。
今助けてくれたのはクロームなのだが、アイビーの中でクロームは優しくて甘いお父さんなので、チャイブとはジャンルが違うのだ。
判明すれば泣いてしまいそうだが仕方がない。
「なるほどね。それで、優秀な侍従から見ても、父上は体調が悪そうに見えたのかな?」
「はい、少し顔色が悪いように思いました」
淡々と答えるチャイブだが、ここで何か情報を得られればいいとアイビーに合わせただけだ。
チャイブから見る限り、陛下は健康そのものに見えたのだから。
「そうか……」
カディスの声色は重く、暗に陛下は体調が悪いと言っているようなものだった。




