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ヴェルディグリ公爵家に着くと、クラナッハは門番に短剣を見せていた。
飛び跳ねるように驚いた門番が、落ち着きのない様子で屋敷に向かって消えていく。
「歩いた方が早い気がするが……待つか」
ローブの帽子が脱げないように引っ張りながら、呟いたクラナッハを見上げた。
「顔を出すなよ」
「うん、大丈夫」
20分後くらいに、屋敷の方から小さな馬車が、砂埃を上げる速さで向かってきた。
馬車は門の前で急停車し、50代中ごろだと思われる男性が中から飛び出してくる。
ミントグリーンの髪をアップバングにし、エメラルドグリーンの瞳をした威厳ある風格の年配者だ。
「お、おおまえ、戻って……ということは……この、この子が……」
涙を浮かべている男性は、震えながらだが、着実にゆっくりとカフィーに近づいている。
カフィーは、先ほどクラナッハを見上げたように、ローブの帽子を引き寄せながら男性を見ようとした。
首まで見上げられたところで、突然視界は着古したローブ一面になる。
クラナッハの背中だ。
「緊急事態につき、ただいま戻りました」
「今邪魔するのは、おかしいと思わないのか? ハグをさせてくれ」
「屋敷の前では目立ちすぎますよ。早く中に入れてください。それに、ローヌ様を置いて来られたのでしょう? 戻られないと怒られますよ」
「そ、そうだな。ローヌが怒るやもしれんな。積もる話もある。さぁ、中へ」
振り向いたクラナッハに抱きかかえられ、小さいが今まで乗ったことがない煌びやかな馬車に乗り込んだ。
クッションが縫い付けられている椅子が、いつも乗っている馬車との違いを強く示している。
馬車で数分走らないと到着しない玄関も、両端が見えないほど大きい屋敷も、眩い邸宅内も、カフィーには初めての体験だった。
本当に自分がこんなにもお金持ちの家の子供なのか、と疑いたくなってくる。
それでも心の底から訝しがらないのは、クラナッハの人となりを知っているからだ。
エントランスで周りを見渡していると、ヒールの音を響かせながら1人の女性が現れた。
ホワイトリリーの長い髪を1つに束ね、左側前に流している。
ブルーラベンダーの瞳がよく似合っている、綺麗な50代前半だろう女性だ。
「あなた。私を置いていくとは、どういうことでしょうか?」
「す、すまなかった。気が流行りすぎたんじゃ。許しておくれ」
「何歳になっても困った方なんですから」
呆れたような物言いだが、纏っている雰囲気は柔らかい。
「ポルネオ様、ローヌ様。早急にお話ししたいことがございます。応接室でよろしいでしょうか?」
「まぁ、本当にチャイブなのね。相変わらずマイペースな執事だわ」
「私の取り柄でございますから」
笑顔で受け答えしているクラナッハに、カフィーは「本名はチャイブなんだ」と思っていた。
街を移動するたびに名前を変えていたため、本名を気にしたことがなかったのだ。
ちゃんと名前があるんだ。僕にもあるのかな?
「応接室ではなく、サンルームにお茶の準備をするように伝えているわ。あそこには盗聴防止の魔道具を設置しているのよ」
「クローム様の新作ですか?」
「開発に成功したのは3年前よ」
「さすがですね」
サンルームに向かうのだろう。
クラナッハ改め、チャイブに手を繋がれ、屋敷の奥に向かって進んでいく。
「ゲッ」
チャイブから出ただろう低音が聞こえてきた。
「ジョイ、用意はできているかしら」
「はい」
ココアブラウンの髪をバーバースタイルにしている燕尾服を着た老人が、小さく頭を下げている。
眼鏡の向こうから覗くモスグリーンの瞳は、生真面目さを醸し出しているような気がした。
いや、年配に見えるのに、真っ直ぐに伸びている背筋のせいかもしれない。
どこかで会ったことあるかな?
見たことあるような……ないような……
ジョイと呼ばれた老人が開けてくれたドアからサンルームに入った。
季節は秋なので、外は過ごしやすい気候だが、サンルームの暖かさに気持ちが緩むような心地だった。
カフィーは老夫婦の対面のソファーに座らされるが、チャイブは座ろうとしない。
チャイブを見上げようとしたら、頭に手を置かれた。
「俺は、公爵家の執事だって言ったろ。主人と同じ席には座らないんだよ」
カフィーの頭を軽く叩いたチャイブは、突然「っ!」と声にならない声を出した。
「馬鹿もん! お嬢様に対して何という口の利き方だ!」
ジョイと呼ばれた老人の叱責に、腕を自身の後ろに回すチャイブに、背中を強く殴られたんだと分かった。