23 .婚約者役
いつも通り起床し、カディスをまじえた朝食を済ませ、支度を終えたアイビーは訓練場に向かった。
訓練場に着くと、顔を伸ばしたカディスが目を点にしながら見てくる。
「え? 君も訓練をするの?」
「はい。1時間ほど剣の練習をしてから、精霊魔法の練習をしています」
「……精霊魔法?」
カディスが勢いよく、今日も見学に来ているクロームを見るが、クロームだけでなくポルネオもラシャンもカディスと視線を合わせないように顔を逸らしていた。
——どうしてお父様たちに確認しようとしたのかな? 変なの。
「どうされました?」
「ううん、何でもないよ。精霊魔法が使えるかもしれないって羨ましいと思ったんだよ」
「貴重な魔法らしいですから、頑張って使えるようになりたいと思っています」
和気藹々と話していたわけじゃない。社交辞令のような会話だ。
でも、どこから仲良くなるか分からないのが子供である。
カディスがアイビーと会話をして好きにならないようにと、ポルネオは早々に訓練の開始を告げた。
穏やかに話していたカディスだが、心の中では「令嬢の訓練なんてどうせ」と思っていた。
女性の騎士や冒険者がいることは知っているが、大体が騎士家門の出身だったり平民だったりで、男性と比べると圧倒的に数は少ない。
特に高位貴族の女性たちは守られることが当たり前だし、礼儀作法の教育で淑女たるものは何たるかを教わるのだから運動さえしないのだ。
だから、アイビーのことも「お遊びみたいな運動をするのだろう」と決めつけていたのだ。
しかし、その考えは、すぐに否定されてしまった。
アイビーが活き活きと体を動かし、真面目に取り組んでいたからだ。
とても信じられないし、始まってから何度も自身の目を疑っていた。
アイビーもアイビーで、王子様が必死になっている姿に目を見張っていた。
ラシャンのがむしゃらな訓練にも驚いていたが、どこか楽しそうに見えるカディスには喫驚を隠せなかった。
王子様といえば、守られる存在なのだから、ラシャンと競うように訓練をする必要はない。
それなのにカディスは、剣で頂点に登ってみせると言わんばかりに、1つ1つ真剣に向き合っていたのだ。
まぁ、公子や公女も守られる存在なのだが、そのことが頭から抜け落ちているアイビーである。
剣の訓練をはじめて1時間経つとチャイブが声をかけてくれ、アイビーは精霊魔法の訓練をするためにローヌが待つ温室に移動をした。
日々の訓練のおかげで、蝶々は自由に飛ばせるようになっている。
今は2匹目を創れるように訓練中だ。
アイビー自身の希望としては、何匹も同時に飛ばしたい。
理由は、花や木と一緒にお喋りをしたいから。
1対1で会話をするより複数の方が賑やかで楽しそうだから、という理由からだった。
午前の訓練が終わり、またカディスと共に昼食をとった後、ポルネオたちはカディスの案内役として領内の視察に向かった。
アイビーも一緒に行きたかったが、チャイブから大切な話があると言われ諦めたのだ。
自室に戻り、淹れてもらったジュースを飲みながら、チャイブの話を聞いている。
「え? 王子様の婚約者役をするの?」
驚きのあまりジュースを飲み込む音が大きくなってしまったが、気にする間柄でもない。
真顔で頷いたチャイブが、社交界での地位の確立や鬱陶しいハエ(男)を追い払える等の、契約の婚約者の利点を教えてくれた。
そして、欠点も話してくれる。
「色んな人たちが粗探しをして蹴落とそうとしてきます。卑劣な手を使う奴らも出てくるでしょう。命の危険が伴いますね」
「そんなに王子様の婚約者は魅力的なのね」
「まぁ、先ほども申した通り、権力を強められますし、憧れの地位でもありますからね」
「チャイブは、この話をどう思っているの?」
「お嬢様の力量次第かと」
「私の?」
「粗探しの中には、クローム様の実の娘じゃないという風に言ってくる奴もいるでしょうし、ティール様の行動を貶す言葉を吐く奴もいるでしょう。暗殺者を送られるかもしれませんし、毒を盛られるかもしれません。それらに勝てるのなら、お嬢様の可愛さに湧いてくる邪魔な虫は排除できますし、頭の悪い隣国からも守ってもらえます。後、誘拐された時の捜査にも協力してもらえますね」
「でも、その保証は18歳までなんでしょ?」
「はい。成人しますと婚姻しろとうるさくなるでしょうからね。カディス殿下としては、時間の猶予が欲しいんでしょうね。それは、お嬢様にも言えることですよ」
「どうして?」
「ご自身の可愛さはご存知ですよね?」
「もちろん」
自信満々に微笑むアイビーに、チャイブの目元が緩む。
「殿下もお嬢様も、結局は誰かとご成婚されなければなりません。もし、されないとしても、適齢期を過ぎなければ求婚をとめどなくされるでしょう。それを断ることも、どこに行っても付き纏われることも、時間の無駄になるのです」
「断るにも時間がかかるし、付き纏われると邪魔だもんね」
「そうです。平民の子供たちが可愛らしかったと思うんじゃないでしょうか」
自分を取り合って喧嘩をしていた子供たちを思い出して、アイビーは渋い顔をした。
チャイブは、おかしそうに笑っている。
「今だけは自由に遊びたいってことよね」
「大雑把に言えば、そうなりますね」
「分かったわ。私、婚約者役をするわ」
「大変ですよ?」
「でも、きっと婚約者役をやらない方が面倒くさくなると思うわ。私を見染めない人なんていないと思うのよ。私だって自由な時間が欲しいし、何より王子様は私が剣の稽古をしていても嫌そうな顔をしなかったわ。美的感覚はズレている人だけど、悪い人じゃないと思うの」
遠慮なく肩を揺らして笑い出したチャイブに、アイビーは唇を尖らせた。
本当のことを話したのに、どこに笑う要素があったというのか。
「ははっ、その顔も可愛いですよ」
「知ってる」
頬を膨らせませて不機嫌さを表したのに、打って変わってチャイブは、細めた瞳で温かい視線をアイビーに向けてきた。
他愛ないいつものやり取りなので、アイビーは本当に怒っているわけじゃない。
わざと戯れていただけなので、チャイブが雰囲気を変えるなら、アイビーもすぐに切り替えられる。
「色んなものに負けないでくださいね。私の弟子が負けるなんて嫌ですから」
「任せてよ。チャイブに習ったんだよ。私は強いんだから」
優しく微笑んだチャイブに、久しぶりに頭を柔らかく叩かれてアイビーは幸せそうに笑ったのだった。




