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辻馬車を乗り継ぎ、大きな街で馬を1頭購入した後は、野宿をしながら国境を目指している。
クラナッハが言うには、バイオレット・メイフェイアはとても有名な我儘公女だったらしい。
だが、2年ほど前から才女と呼ばれるようになり、今では聖女という声が高まっているそうだ。
「どうして僕とクラナッハは、その公女に探されているの?」
今日は天気が良く、ゆったりと馬を走らせている。
身を隠せる草も木もない平原なので、誰かに会話を聞かれる心配はない。
秘密の話をするにはもってこいの環境だ。
「カフィー、君の出生には秘密があるって言ったことを覚えているか?」
「覚えてるよ。15歳になれば教えてくれるんでしょ」
「その予定だったが、今教えるよ」
「いいの? まだ5年あるよ」
「公女が、どんな理由で探しているのか分からないからな。俺と離れ離れにならなければいいんだが……もしもの時を想定して話しておこう」
カフィーは、深妙な声になるクラナッハを見ようと振り返った。
慈愛に満ちた面持ちのクラナッハが、優しく頭を撫でてくれる。
そして、その手で前を向くようにと促された。
「離れるつもりはないよ。お嬢様との約束だ。しかし、いかなる時も、もしもを考えておく必要がある。そして、もし離れ離れになったとしても、今から言う場所を目指すんだ」
「……分かった」
「いい子だ」
また頭を優しく撫でられた。
「今から目指す場所は、隣国セルリアン王国、ヴェルディグリ領、ノルシャナの街にあるヴェルディグリ公爵の屋敷だ」
「セルリアン王国、ヴェルディグリ領、ノルシャナの街、ヴェルディグリ公爵家……」
「君のお母さんの名前は、ティール・ヴェルディグリ公爵夫人。ヴェルディグリ前公爵の愛娘で、社交界では妖精姫と呼ばれていた方だ」
カフィーに家族の記憶はない。
母親はカフィーが生まれたと同時に息を引き取った、という話だけ聞いている。
だから、捨てられたわけじゃなく、親がいないわけでもないと。
「彼女は、妖精姫などという大層な二つ名があるとは思えないほどお転婆な方でね。俺も公爵家に仕えている時は手を焼いたものだ」
「師匠は、公爵家で剣の師匠? 魔術の師匠? どっちをしてたの?」
「ん? どちらでもないよ。俺は執事だったからな」
本物の執事に会ったことはないので、イメージでしかカフィーの頭の中に執事像はないが、絶対に違うと思った。
生真面目で威厳があり、時には優しく導いて、身の回りの世話をしてくれるというイメージが、カフィーが思い浮かべる執事像である。
だが、クラナッハは夜遅くまでお酒を飲み、大抵は2日酔いをしていて、動き出すのは昼からが多い。
食事は、早い段階でカフィーの仕事になっていた。
呑気なように見えるクラナッハだが、冒険者ランクEとは思えないほどの剣技も魔術も扱え、礼儀作法も勉学も知っている。
そして、その全てをカフィーに叩き込んでくれている。
料理を教えてくれたのもクラナッハだ。
5歳になり転々とするようになるまでカフィーは、世の中の大人は全員クラナッハのように何でも知っていて清麗されていると思っていた。
しかし実際は、剣や魔術が使える人は一部の人間で、外食の時に周りを見渡してもテーブルマナーはないに等しい。
カフィーたちも、外食時は自由に食べている。
挨拶する時の作法も誰も使用していない。気軽に声を掛け合っている。
僕の髪と瞳の色を変えているみたいに、クラナッハにも色んな顔があるのかもしれない。
そんな考えに至ったカフィーは、小さく頷いていた。
「まぁ、俺はまだ公爵家の執事なんだけどな」
「そうなの?」
「そうだよ。君の父親のクローム・ヴェルディグリ公爵に、毎月カフィーの様子を報告しているしね」
「故郷のおじさんへの手紙じゃなかったんだね」
「故郷のおじさんであってるだろ」
楽しそうに笑っているクラナッハは、クローム・ヴェルディグリという人物を思い出しているんだろうと顔を見なくても分かった。
「君の両親は仲睦まじくてね。けど、セルリアン王家の夜会で最悪なことが起こってしまったんだ。来賓していたアムブロジア王国の王太子が、お嬢様に一目惚れをしてしまった。家族がいると何度も断ったが諦めてくれなくて、お嬢様の誘拐未遂まで起きてしまった。しかも、戦争まで起こしそうな勢いだった」
「この国の王子様はイカれてるんだね」
「そうだな。頭のネジが抜けていても、今は王様になれてるんだからな。世も末だよ」
心底呆れ返っていると分かるため息が、カフィーの頭に吹きかかった。