121 .クソだった
ダフニを虐めているという嘘の噂から始まり、カディスとカフェに行き、陛下の肖像画を描くために王城に通い、レネットに付き纏わられ誘拐され、ビスタと遊び、不思議な本に出会い、エーリカと友達になるという濃厚すぎる後期が終わった。
嬉しい楽しい長期休暇に入り、カフィーが仕えてくれるようになって1ヶ月ほど経とうとしている。
詳しくは教えてもらっていないが、その1ヶ月の間に毒林檎の力を少しだけ削れたらしい。
捕まえたかった人物がいるらしいのだが、その人はまだ見つけられていないそうだ。
クレーブスはカフィーとして側にいてくれているのに誰のことを言っているんだろうと、不思議で尋ねてみたが、チャイブに「アイビーが気にすることじゃねぇよ」と答えてもらえなかった。
どうして教えてもらえないのか気になるが、しつこく聞いてもチャイブは口を割ってくれないだろう。
それに、チャイブに「鬱陶しい」と怒られるようなことをするほどの興味が、アイビーには露程もない。
話の流れで「誰のこと?」って引っかかっただけだ。
吹けば飛ぶほどの疑問なので、大人しく引き下がっている。
それともう1つ、チャイブが続けた話題に気持ちを持っていかれたという理由もある。
「明日、カフィーの黒い靄を消すぞ」
カフィーから得られる情報で潰せる毒林檎たちは捕まえられたから、最悪記憶が無くなってもいいそうだ。
「そんなこと言われたらできなくなるよ」と尻込みしてしまったが、カフィーから「記憶が戻る方が嬉しいです」と言われたら覚悟を決めるしかなかった。
そして、迎えた翌日。
カフィーの記憶が戻った時に、カフィーが暴れてもいいようにと、チャイブとシュヴァイがアイビーの側にいてくれている。
ラシャンが「僕がアイビーを守るよ」と言ってくれたが、ラシャンのことも危険に晒すことになるかもしれないので諦めてもらった。
ラシャンはダメなのにシュヴァイは側にいるという状況に、アイビーは「あれ? シュヴァイって強いの? もしかして魔術使えるの?」と、初めてシュヴァイの強さについて考えたのだった。
「カフィー、いい?」
「はい、お嬢様、お願いします」
家具を全て片付けた何もない部屋で、アイビーとカフィーは向かい合っている。
アイビーの斜め前にはチャイブが、カフィーのすぐ後ろにはシュヴァイが控えている。
アイビーは手のひらから蝶々を創り出し、ふわふわ飛んでいる蝶々に話しかけた。
「蝶々さん、カフィーを治して。お願い」
アイビーの周りを円を描くように1周飛んだ蝶々は、カフィーのおでこの上、生え際辺りに止まった。
黒い霧が消えてくれることを願いながら両手を組み、息を飲んで蝶々とカフィーを見続ける。
カフィーは目を閉じていて、無表情だ。
どんな気分なのかも予想できない。
アイビーは「気持ち悪かったり、記憶が曖昧になったりしませんように」と祈るばかりだ。
「どうか、どうか、カフィーが私を覚えてくれていますように」と。
また1から関係を築けばいいだけなのだが、やっぱり今までの思い出がなくなってしまうのは寂しい。
出会いは誘拐だったけれど、カフィーの優しさに触れられたという理由では、なくてはならない思い出だ。
大切な過去になってしまっているから、カフィーにも覚えていてほしい。
少しずつ黒い靄は薄くなっていき、綺麗にカフィーの頭の形が見えてきた。
蝶々の姿も薄くなっていて、もうすぐ終わることを教えてくれている。
時間にすると、まだ1分すら経っていないだろう。
でも、アイビーからすれば、いつもよりも長く感じ、息を詰めているせいで胸が苦しくなっている。
そして、微かに見えていた黒い靄が蝶々と同時に消えると、カフィーがゆっくりと瞳を開けた。
カフィーに声をかけたいが、空気がヒリついていて言葉を発せられない。
チャイブとシュヴァイからの威圧でだと分かるほど、2人の鋭い視線はカフィーを捉えている。
そんな中、カフィーが盛大に息を吐き出した。
髪の毛をかき上げ、「ないわー」と溢している。
「カフィー、正気のままか?」
「あ、はい。ちょっと頭が痛いくらいで問題ありません」
きちんと受け答えをしてくれるカフィーに、チャイブとシュヴァイは警戒を解き、アイビーは両手で胸を押さえながら安堵の息を吐き出した。
心がかりだった、記憶を失くしたり、混濁したりという心配はなさそうだ。
本当によかった。
「ただちょっと、なんていうか、思い出さない方がよかったというか、最悪な記憶でした」
「え? ごめんね」
「違う違う。お嬢様が悪いわけじゃありません。本当にただクソだったという話ですので」
嫌悪を体から滲ませ、カフィーは呆れたように手首を振っている。
アイビーたち3人は、瞳をパチパチさせた後、顔を見合わせて頷き合った。
「聞いてよろしいですか?」
シュヴァイがいつもの笑顔でカフィーに問いかけるが、カフィーはシュヴァイではなくてアイビーを見てきた。
コテンと首を傾げるが、カフィーの面持ちは変わらない。
最高に可愛いはずなのに、カフィーの顔は溶けてくれない。
記憶は戻っても、性格は変わっていないようで嬉しくなってくる。
「アイビーは聞かない方がいいんだな?」
「そうですね。できれば」
「よし、アイビー。ラシャンの所に行こう」
明るく言い切るチャイブに肩を押され、部屋の外に出るように促された。
アイビーも聞きたい気持ちはあるが、カフィーが嫌がるのなら我が儘は言えない。
だけど、どうしても確認しておきたいことがある。
「分かった。お兄様と一緒に待ってるね。でも、1つだけ確かめていい?」
「何をだ?」
チャイブの質問には答えず、アイビーはカフィーに向かって、元気いっぱいの笑顔を見せた。
「カフィー、今後も私の護衛騎士のままでいてくれる? それとも、大切な人を探しに行っちゃう?」
大事なことだ。
元々は記憶を戻してあげたくて護衛騎士になってもらった。
でも、さっぱりしているカフィーの性格が心地よく、側にいてもらえるなら側にいてほしい。
記憶が戻る前に父であるクロームと諸々の契約書を交わしてはいるが、記憶が戻った今、気持ちが変わっているのかもしれない。
自分の足で探しに行きたいと思うかもしれない。
すぐに別れがきてしまうのかどうかで、心構えが違ってくるので聞いておきたかったのだ。
「俺は、ここに置いてもらおうと思っていますよ。お嬢様の側は楽しいですしね。それに、探し人はすぐに見つかるはずですので、約束してもらった通り公爵家にお任せします」
「嬉しい! 私からもお父様にお願いするね。ありがとう、カフィー」
苦笑いするカフィーが珍しく、「どうしたの?」と尋ねかけたが、既の所で止めた。
戻った記憶が「クソだ」とカフィーは言った。
探し人が戻った記憶の中にどう関わっているのか分からないが、喜ぶ素振りが一切無いということは、もしかしたら見つかってほしくないのかもしれない。
アイビーには聞かせたくないとのことだから、記憶に関わるようなことは問わない方がいいはずだ。
質問の代わりにアイビーは愛らしく微笑み、「また後でね」とカフィーに小さく手を振った。
——私の笑顔は最強だからね。カフィーの苦い想いも、きっと吹き飛ばしたはず。チャイブたちとの話し合いが終わった後も、笑顔でカフィーを迎えよう。
ラシャンの部屋で、カフィーの記憶を戻す精霊魔法が成功したことをラシャンと喜び合い、話し合いが終わるのを待ったのだった。
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