115 .エーリカの勘違い
晩餐会後のお茶タイムも終わり、王室の馬車で4人一緒に帰っていくカディスたちを見送った。
「本当に楽しい日々でした。もっと皆様と過ごしたいです」
玄関ホールに向かって歩いていると、エーリカがポソっと呟いた。
アイビーは隣にいたので聞こえたんだと思ったが、前を歩いているフォンダント公爵の面持ちが少し曇ったので、きっと全員の耳に届いたんだろう。
「本当に楽しかったですね。エーリカ様と仲良くなれて嬉しいです。長期休暇の際はいつでも来てくださいね」
寂しい雰囲気を吹き飛ばすように明るい声を発すると、エーリカの反対隣りにいるラシャンも笑顔で加わってきてくれる。
「うん、そうだね。それに、今度はヴェルディグリ領にも遊びに行こう。あそこにはアイビーの森があるんだよ」
「森? ですか?」
「大好きな可愛いもっふもふした子たちが、たくさん住んでいるんです。お父様とジョイが作ってくださったんです」
フォンダント公爵の横、アイビーの前を歩いていたクロームは振り返り、頬を緩めた顔を覗かせた。
「アイビーが動物が好きでね。いつでも触れ合えるようにしているんだよ。その管理をジョイという本邸の執事長がしてくれているんだよ」
「ヴェルディグリ公爵の溺愛っぷりは凄まじいですな」
純粋に驚いたという声を上げるフォンダント公爵に、エーリカもまた瞳を丸くしながら頷いている。
その様子が面白くて小さく笑った時、地面は平坦で何もないのに、つい躓いてしまった。
アイビーの「あ」という何気なく漏れた声に、クロームとラシャンの「アイビー!」と叫ぶ声が重なる。
アイビーは、咄嗟に両手を前に突き出して、身を守ろうとした。
だが、なぜか地面は遠のいていく。
そして、両手を突き出した状態で宙ぶらりんになる、という間抜けな格好をしてしまっている。
「お嬢様、お気をつけください」
「ク……んんん……カフィー、ありがとう」
ゆっくりと下ろしてもらうと、すぐにクロームとラシャンに抱きしめられた。
「アイビー、怪我していないかい? どこか痛いところはないかい?」
「カフィーが助けてくれたので大丈夫です。心配してくださり、ありがとうございます」
安心したように息を吐き出したクロームは体を起こし、「よくやった」とカフィーを誉めた後、「お前は何をやっているんだ」とチャイブを怒った。
チャイブは、フォンダント公爵がいるので言い返していなかったが、きっと後から何か報復するんだろう。
瞳が物語っている。
「アイビー、足を捻ったりもしていない?」
「お兄様、本当に大丈夫です。ありがとうございます」
「よかった。気をつけてね」
優しい笑みを向けてくるラシャンに、愛らしい笑顔を返す。
チャイブの瞳だけが怪しいが、この件はこれで終わりという雰囲気になり、穏やかな空気が流れた。
「私、決めました」
突然エーリカに宣言するように言われ、全員が歩き出そうとした足を止めてエーリカを見やる。
「お父様、私の魔法の授業を増やしてください」
「構わないが……今でも大変だろう。一体どうしたんだ?」
「アイビー様が怪我をした時に、治せるようになりたいんです」
どうしてその考えに至ったのかが分からず、アイビーは頬に指をあてて首を傾げる。
もしかして自分だけが話についていけていないのかと心配になり、周りを見渡すと、エーリカ以外は目を点にしていた。
よかったと安堵するも、誰も分からないほどの言動をエーリカがしたことになってしまう。
真っ直ぐな瞳に強い光を宿しているエーリカは、一体どうしたというのだろう。
「私、アイビー様は可愛らしくて優しくて明るくて運動神経もいいと思っていました。羨ましくて憧れの存在になりました」
エーリカの言葉が嬉しくて、アイビーはニヤニヤしながら大きく頷く。
もちろんクロームとラシャンは、自分のことのように胸を張っている。
ただチャイブとカフィーは、呆れた瞳をヴェルディグリ公爵家の3人に向けている。
「しかし、それは間違いで、絶えず努力をしているからなんだと今気づきました。そう見せているのだと。私は、アイビー様は生まれながらに完璧なんだと思い込むことで、全くできない自分を許そうとしていたんです。もっと頑張れば変われるはずなのに、私は『平民だったから』とどこかで諦めていたんだと思います」
喜んだのに、話の続きが思っていた言葉じゃなくて瞳を瞬かせてしまう。
「転けたら痛いですが、躓いただけであそこまで心配されるんですもの。きっと日頃から怪我をされているんだと思います。だから、アイビー様がいつ怪我をしても大丈夫なように、私が治癒魔法を使えるようになりたいんです」
後ろからチャイブの笑いを堪えている声が聞こえてくる。
クロームとラシャンの困惑が顔に滲み出ていて、きっとアイビーも似たような面持ちをしていることだろう。
本当にたまたま躓いてしまっただけで、剣術や護身術の訓練を許してもらっているほど運動神経はいい。
馬だって、1人ですぐに走らせられるようになった。
だから怪我をするほど鈍臭くないと伝えたいが、確かにご令嬢が躓いて転けている姿なんて見たことがない。
勘違いされてもおかしくはない。
それに、やる気をみなぎらせているエーリカを、意気消沈させるのはどうかと考えてしまう。
だったら、みんなが笑顔で話を終えられるには? と頭を捻る。




