112 .どう名前を付けるか
チャイブは戻ってこなかったが、レガッタとイエーナはすぐに温室にやって来た。
休憩していることを隠さずレガッタとイエーナを誘ったのに、ずっと姿が見えなかったことでカディスがレガッタに怒られている。
「色々あったんだよ」
「だとしても、はじめから誘ってくださいまし」
「悪かったって」
「本当にお兄様はズルいですわ」
頬を膨らませて怒っていたレガッタだったが、ミルフィーユを口に含むと目尻を垂らした。
カディスは呆れたように息を吐き出しているが、面持ちはとても柔らかい。
アイビーは今なら会話に加われると察し、レガッタとイエーナに声をかける。
「チャイブに会場が騒がしいと聞きましたが、どのような状況なんでしょうか?」
「阿鼻叫喚でしたわ。泣いて帰られる令嬢も目立っていましたわ」
「ラシャンの人気にびっくりしましたよ。あんなに冷たいのに……」
「お兄様は優しいですよ」
「アイビーにだけね」
そんななんてことない会話をしていると、チャイブが戻ってきた。
「お嬢様、一度会場に行きましょう」
「うん。お兄様とエーリカ様にお祝いを言わないとだもんね」
「私たちも戻りますわ」
レガッタたちも席を立ったから全員一緒に会場に行くと思っていたのに、温室を出ようとしたところでチャイブがクレーブスに声をかけた。
チャイブに小声で何か言われたクレーブスは、頷きを返し、温室から出てこなかった。
「チャイブ、クレーブスに何を言ったの?」
「今日は人の目が多いですからね。あの顔は目立ちますから、誰にも見つからないように隠れていてほしいと伝えただけですよ」
「私の護衛騎士になってくれたのに?」
「ええ、そうです。後、彼は護衛騎士ではなく従者としてお嬢様に就く予定ですので、周りには護衛騎士だと言わないでくださいね」
「いい考えだね。僕もクレーブスが戦えるのは隠していた方がいいと思う」
カディスにも念押しするように忠言され、アイビーは素直に頷いた。
クレーブスが側で守ってくれるのなら、役職は何でもいい。
だって、クレーブスの尋ね人を探してあげたいがための、言い訳として守ってもらうだけなのだから。
ただその間に、クレーブスの技術を教えてもらいたいと思っている。
この件に関しては反対されるかもしれないので、まだ内緒だ。
会場に戻ると、クロームとフォンダント公爵は大人たちに囲まれ、ラシャンとエーリカは子供たちと挨拶を交わしていた。
それ以外に人の塊はないので、両陛下はすでに会場を後にしているのだろう。
後日、王妃から「挨拶がなかった」と文句を言われたら困るので、チャイブに言い訳を教えてもらっておこうと密かに考えている。
カディスにエスコートされながらラシャンたちに近づくと、アイビーに気づいたラシャンが満面の笑みを向けてきた。
分かりやすいラシャンの表情の変化に、その場に居た人たちから視線を投げられる。
アイビーは四方八方から聞こえてくる感嘆の息の方向に向かって笑顔を振りまきながら、ラシャンとエーリカの側までやってきた。
「お兄様、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、アイビー」
「エーリカ様、ご婚約おめでとうございます。お兄様のお相手がエーリカ様で嬉しいです」
「とても光栄です。私こそ、たくさん感謝しています」
アイビーが笑顔を交わし終わると、次にカディスがお祝いを述べた。
レガッタとイエーナはすでに伝え済みらしく、カディスとラシャンの会話が終わると、4人でその場を離れる。
ラシャンに寂しそうにされたが、今日の主役2人の側に居続けるわけにはいかない。
挨拶待ちをしている人たちがいるので、身内だけで長くお喋りしていると厚顔無恥と陰口を叩かれるかもしれないからだ。
だけど、逆に「反対しているんじゃないか」と嘘を流されたら困るので、きちんと会場に笑顔で居たことを印象付けるために、クロームと一緒にいるフォンダント公爵にも挨拶に行き、お祝いを伝えた。
そして、クラスメートを見つけたら、一言二言の短い会話をした。
カディスに「そろそろ休憩しようか」と提案された時、ふと見たことあるような令嬢を発見した。
クラスメートじゃないし、マーリーの軍団でもないような気がする。
「カディス様、あの方、どなたでしたっけ?」
「どれ?」
「あちらにいらっしゃる肩までの髪の方です」
手で指して注目されたら嫌なので、こそこそっと伝え、頑張って目の動きだけで訴えた。
カディスは、ちゃんとどの令嬢か分かってくれ、「ああ」と零している。
「ラシャンのファンって言ってた子だよ。ほら、食堂で援護してくれた子」
カディスの言葉に、ダフニを虐めていると噂された時に、誤解を解くのを手助けしてくれた令嬢だったと思い出した。
「あ! マルーン・シノワズリ男爵令嬢ですね! 私、あの時のお礼を伝えたいと思っていたんです」
「本気? 止めておいた方がいいんじゃない」
キャンティ会長から「近づかない方が」と手紙をもらっているし、ラシャンにも「お兄様のゴミを拾っている令嬢がいる」と報告している。
だから、仲良くなるつもりはない。
でも、ラシャンのファンクラブについて一度聞いてみたかったのだ。
大勢いるこの場で少し話すくらいなら大丈夫だろうと考えての発言だったのだが、カディスに渋い顔をされてしまった。
「だって、ほら。ものすっごく機嫌が悪そうだよ」
「皺の跡が残りそうなほど、お兄様たちを睨んでいますね」
「でしょ。絶対に関わらない方がいいよ」
「分かりました。諦めます。話しかけて怒鳴られたら騒ぎになってしまいますから」
カディスに小さく頷かれ、その場から立ち去るようにマルーン・シノワズリ男爵令嬢がいる逆方向にエスコートされる。
「それにしても、一体何にあんなに怒っているんでしょうか?」
「ラシャンの婚約にショックを受けただけでしょ」
「お兄様のファンの方ですから、お祝い事は嬉しいものじゃないんですか?」
「そういう子もいるかもしれないけど、ほとんどはラシャンの隣を夢見る子だと思うよ」
「それですと、応援というより恋ですね。キャンティ会長たちと違うファンなんでしょうか」
「彼女らは同性じゃないか。僕は誰かのファンになったことがないから分からないけど、どう名前を付けるかだけな気がするよ」
「どう名前は付けるかですか? 好きじゃダメなんですか?」
「堂々と好きって口にするのは、相手が婚約者の時だけじゃないかな。恥ずかしがって言えない人もいるだろうし、身分が違いすぎて伝えられなかったりするだろうしね。ファンという言葉で誤魔化すには丁度いいんじゃない」
「なんだか……」
「なに?」
「カディス様って恋愛に興味なさそうなのに、そういうのは分かるんですね」
カディスにギロリと刺すように睨まれるが、怖くはないので愛らしく微笑み返した。
「僕は、人の気持ちに寄り添える真面な人間だからね」
「ゆがん――
「アイビー」
瞬時に、低めの声で遮られる。
まだ睨まれているが、その瞳に殺意も悪意も感じらない。
戯れているだけの空気感がおかしくてクスクス笑うと、カディスは肩をすくめるという動作で抗議してきた。
だけど、面持ちがとても柔らかくて、アイビーの頬は自然に上がったままだった。
ラシャンの誕生日終わりです。
もう少しだけエーリカが滞在している日々をお楽しみください。
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