111 .どういたしまして
カディスと軽口を言い合っていたチャイブが、視線を上げた。
「なんだ、綺麗な顔をしてんだな」
チャイブの口振りに、クレーブスが着替え終えたと分かり、アイビーは振り返った。
隣でカディスも半回転している。
「え? クレーブス、女の人だったの!?」
クレーブスは、騎士服ではなくチャイブたちと同じ燕尾服を身に纏っていた。
黒い頭巾で見えなかった髪の毛は、フレンチグレイ色のショートヘアだった。
顔の下半分を覆っていた布の下には、陶器のような綺麗な肌と愛らしい唇がある。
アイビーが驚きながら確認してしまうほど、性別を悩んでしまう容姿をしているのだ。
「男だ。疑うなら調べてもらっていい」
「じゃ、遠慮なく」
どうやって調べるんだろう? とクレーブスに近づくチャイブを見ていると、チャイブはニヤニヤ笑いながらクレーブスの股を触った。
反射的に殴ろうとしたクレーブスの拳は、簡単にチャイブに止められている。
唇の端を上げて悪どく笑ったチャイブは、真っ赤になっているクレーブスに何か耳打ちをした。
すると、更に真っ赤っかなったクレーブスは、勢いよくチャイブを蹴ったのだ。
うめくチャイブは自業自得でしかない。
「チャイブは口が悪いもんね。クレーブスに変なこと言ったんでしょ」
「言ってねぇよ。ただちい――
「チャイブ!」
なぜかカディスが、大声でチャイブを止めた。
チャイブは思案顔をした後、またニヤニヤし始める。
「すみません。殿下はまだまだ子供ですから、これから成長しますよ」
「そんな話してないよね!」
「コンプレックスなのかと思って、気を使ったんです」
「そんなコンプレックスなんてないよ」
「大丈夫ですよ、殿下。これから立派になります」
「フィルンまでなに!? 減給するよ!」
「ひどいです。こんなにも誠心誠意お仕えしていますのに」
——何の話をしてるんだろ? それに、実はフィルンもチャイブと一緒で、カディス様を揶揄うのが好きなのかな? チャイブは魔王かもって思うほど悪い顔で笑っているし、フィルンもすっごい楽しそう。
アイビーは、カディスたちの言い争いに興味はないので、呆れた面持ちをしているクレーブスに声をかけた。
「ねぇ、クレーブス。悪いことをしようとしている人たちの居場所を教えてほしいの」
「分かった」
わちゃわちゃしていたカディスたちは、ピタッと口を閉じ、冷静に会話に加わってきた。
変わり身の早さに、本当にただただ戯れていただけだと分かる。
クレーブスに詳しく教えてもらったチャイブは、戻ってくるまでここを動かないことと、クレーブスにアイビーを守るように言い、足早にシュヴァイに報告に行ってしまった。
「……パーティーの開始に間に合わないかも」
ラシャンが悲しむかもと落ち込んでいると、カディスに柔らかく背中を叩かれた。
「仕方がないよ。それに、パーティーが失敗に終わる方が、ラシャンは苦しむだろうからね」
「そうですね。成功しないと、お兄様を悪く言う人が出てきますもんね」
「アイビーのおかげで成功するんだ。突拍子もなさすぎて驚いたけど、行動してくれてよかったよ。ありがとう」
「どういたまして?」
ラシャンの誕生日パーティーで騒ぎが起きてほしくなくて、やれることをやっただけだ。
だから、カディスにお礼を言われる意味が分からなくて、曖昧な返事になってしまった。
——カディス様も何かあったんだよね? それを防げたから、お礼を言われたのかな? あ! カディス様はお兄様が好きだから、私と同じでお兄様を守れたって嬉しいんだ。それのお礼だ。
「どういたしまして」
改めて照れたように伝えると、カディスが可笑しそうに吹き出した。
「どうして2回も言ったの?」
「なんとなくです」
カディスの笑い声を聞いていると、アイビーも何だか面白くなってきて我慢できず小さく笑い出した。
クレーブスは、無表情だが瞳は優しい。
フィルンは、穏やかに微笑んでいる。
憂うことがなくなった喜びから、チャイブが戻ってくるまでのんびりと和やかに過ごしたのだった。
30分ほどで戻ってきたチャイブは、ルアンと共に飲み物と軽食を運んできた。
いつものテーブルにセットされる。
「会場は婚約の発表が終わり、とても騒がしくなっています。少し落ち着くまで、こちらで控えていてください」
「公子の婚約発表だからね。でも、ここ数日である程度予想していると思ってたけどな」
「呑気な人たちが多かったってことですよ」
「いいことなんだが、悪いことなんだか」
小さく息を吐き出しながら、カディスはゆるく顔を横に振った。
「そうだ、フィルン。レガッタとイエーナを呼んできて。僕だけがここでアイビーとお茶をしているってバレたら、レガッタが怒るだろうからね」
「殿下、それでしたら私が言付けしますよ。ルアンを連れてきたのは、私がまた席を外させていただくためですので」
「そう。だったら頼んだよ」
カディスに軽く頭を下げたチャイブは、ルアンに目配せをしてから去っていった。
ルアンは口元を緩ませながら頷き、目元を垂らしながらクレーブスに近づいた。
そして、なぜか侍女としての心得を熱く語り始めた。
この不思議な光景の理由は、明日分かるのだった。




